17歳、僕たちの第一死望

 七月。
 梅雨明けを目前に控え、久しぶりに朝から雲一つない空が広がっていた。
 けど、管理棟にある狭い進路相談室には、季節に逆行するようなねっとりした空気が漂っている。

「……内海(うつみ)さん。これ、真面目に書いたんだよな?」

 パイプ椅子がきしむ音とともに、向かいに座る高田が前のめりになる。
 普段、高田の口からは青春や夢といった言葉しか出てこないが、今は舌打ちをのみ込んでいるように見えた。

「はい。まだ、決まってなくて」

 机の上に置かれているのは、僕が提出した進路希望調査票だ。
 一番上に、『三年一組 内海新汰(うつみあらた)』と書かれている以外、何も書かれていない。
 高田のため息が重なるたび、天井が下がってくる気がした。

「決まってないって、お前な……もうすぐ夏休みだぞ? この大事な時期に、白紙で出すヤツがどこにいる」
「すいません」
「謝ってどうする。俺はな、考えろって言ってるんだ。大学か、専門か、就職か。何かしらあるだろ?」
「何かしら」

 僕は高田の言葉をロボットみたいに復唱することしかできなかった。
 彼の言う『何かしら』があるなら、白紙で出していない。
 大人はなぜ、そんな当たり前のことを聞くのだろう。

「ご両親は、なんて言ってるんだ?」
「母は何も。父は『焦らなくていい、誇れる夢を持て』と」

 僕の答えに、高田は天井を見上げた。
 つられて視線を上げたが、そこには僕が生まれる前からありそうな、いびつな形のシミがあるだけだった。
 白紙の調査票を眺めるより、いくらかマシなのかもしれない。
 高田はしばらく沈黙した後、僕に視線を戻す。

「……理解のあるご両親じゃないか」
「分かりません」

 僕は両親の姿を思い浮かべた。
 父は、大抵十八時三十分には帰宅する。
 風呂上がりには、すぐに冷蔵庫から五〇〇ミリリットルの缶ビールを取り出そうとするが、母から『二日に一度』の掟を守るように、いさめられていた。
 僕は純粋に知りたかった。

 ――二人は、誇れる夢を叶えたの? それとも。

 もちろん、実際にそんなことを聞いたりしなかった。
 僕はまだ大人になっていないが、親を困らせて喜ぶほど子供ではない。

「その期待に応えるためにも、何か目標を見つけなきゃダメだろ」
「なにか、と言われても」
「例えば……ほら、昔から好きだったものとか、得意なものはないのか?」

 僕はこれまで十七年、生きてきた。
 あと三カ月で、僕は十八歳――法律上は『大人』と呼ばれる年齢になる。
 これまでとても長く生きてきたように感じるが、平均寿命を考えるとまだまだ序盤だ。
 僕は一般的には短いと呼ばれる人生を振り返ってみる。

 小学生の頃、よくブロックで建物や乗り物を作っていた。
 中学生の頃はそれがプラモデルに変わり、高校生になるとスマホの『クラフトゲーム』で、僕が生まれたどこにでもある田舎の街を再現し続けている。
 二年と四カ月の間、ほぼ毎日アプリを触っているが、特別夢中になっていたわけではない。
 効率良く時間を潰すのにちょうど良かっただけだった。

「特に、ないです」

 部活や推しに向き合うクラスメイトに比べると、僕の暇つぶしなど『好きなもの』でも『得意なもの』でもない。
 高田の声のトーンが、一段階下がる。

「いいか、内海さん……いや、内海。別に今すぐ、一生を懸けるような壮大な夢を見つける必要なんてないんだ」

 それは教師としての指導ではなく、僕より少し長く生きてきた先輩としての言葉のように思えた。

「みんなだって、将来やりたいことが完璧に決まってるわけじゃない。とりあえず、自分の学力で行けそうな近場の大学や、就職に有利そうな学部を、それっぽく書いて出してるだけなんだよ。それぐらい、分かるだろ?」
「適当に、嘘を書けってことですか?」

 思わず口を突いて出た言葉は、自分でも驚くほど冷たく響いた。
 高田が目を細め、机の上で腕を組む。

「例えば、マークシートのテストで分からない問題があったとしよう」
「はい」
「誰だって、とりあえず塗りつぶすだろう? 正解かどうか、おいといてな。これは、そういう話だ」
「けど――」
「これ」

 僕の言葉をさえぎるように、高田がA4サイズのパンフレットの束を差し出す。

「内海の学力に見合った大学の資料だ。有名企業とのパイプもあり、就職にも強い。とりあえず、白紙を埋めてこい」
「分かり……ました」

 僕は調査票とパンフレットを抱えて立ち上がった。
 ドアに手をかけた瞬間、のみ込んだ言葉が、逆流してくる。

「高田先生」
「なんだ?」
「マークシート」
「は?」
「僕は分からない問題を、適当に塗りつぶしたことはありません。これまでに、一度も」

 高田が口を開くのを見て、僕は足早に相談室を出た。
 廊下を歩いていると、遠くから吹奏楽部の練習の音が聞こえてくる。
 楽しげに重なり合うメロディは、僕の心を震わせることなく、ただ素通りしていった。

 教室に向かう途中、僕は頭が痛くなり、階段に座った。
 ポケットからスマホを取り出し、いつものようにクラフトゲームを立ち上げる。
 三年間かけて拡張し続けた街が画面いっぱいに広がる。

 寂れた商店。
 郊外に立ち並ぶ見分けのつかない量産型住宅。
 補助金か何かで山の斜面に無理矢理建てられた展望台。

 自分では、かなり忠実に再現できていると思う。
 今取り掛かっているのは、インターチェンジのそばにあるスーパーだ。
 駐車場が無駄に大きく、いつも半分以上空きスペースがある。
 この街にあるすべての車を収納できるのではないだろうか。

 駐車場のスペースを拡張している最中、僕はふと指を止める。
 別に、全部そのまま再現する必要もないんじゃないか。
 これは本物の街じゃない。
 
 僕は少し考えた後、スーパーと学校をまっすぐつなぐ、存在しないはずの道を引いた。
 学校からスーパーへ向かう時は、いつも大回りしなければならなくて、 つい近場のコンビニで用を済ましてしまう。
 こんな道があれば、僕はもう少しスーパーに通うようになる。
 
 僕は少し考え、道の幅を狭くする。
 せっかくなら、車が通れない自転車専用の道にしよう。

 僕はふと、自分が一人で笑みを浮かべていることに気づく。
 
「……馬鹿みたい」

 こんな個人的な道が、実際にできるわけがない。
 僕は指を使って、その道を削除した。

 そして、スマホを乱暴にポケットに突っ込み、立ち上がる。
 階段を上り始めてから、さっきまで頭が痛かったことを思い出した。