17歳、僕たちの第一死望

「内海ー、一体なんなの?」

 五十嵐が、露骨に不機嫌そうな顔をした。

「ちょっと、見せたいものがあって」
「ここで?」
「うん」

 僕たちは一階の渡り廊下を途中で折れ、再び中庭に足を踏み入れた。
 正面にあるステージは、夕日で赤く染まっていた。
 世界の時間は、ほんの少しずつだけど、確実に進んでいる。
 僕たちの影も、先ほどと比べて長く伸びていた。

「私も、必要なの?」

 絵川は無表情で僕を見た。

「うん。人が多い方がいいから」
「そう」

 絵川はステージの真正面に座ると、ノートを広げた。

「座ったら?」
「あ、うん」

 五十嵐は困ったような表情で、絵川の隣に座った。
 その距離は、踊り場の時よりも離れている。

 僕は二人に背を向け、ステージに上がる。
 広いステージの中央に一人ぼっちで立つと、目を閉じた。
 まぶたの裏のスクリーンに映るのは、この場所で踊っていた五十嵐の姿。

 五十嵐の声が、僕の耳の奥を震わせる。

「内海。それ……何のつもり?」

 僕は五十嵐の質問に、答えられなかった。
 自分自身でさえ、よく分かっていないのだから。

 僕は一度だけ深く息を吸うと、右足を強く踏み出す。
 合わせて、両腕を左右に振った。
 
 ――いける。
 
 逆方向に身体を流す。
 勢いそのままに一回転しようとステージを強く蹴った。
 けど、身体の軸がぶれ、思わず手をついてしまう。
 僕は顔が熱くなっていくのを感じた。

 ――夕暮れ。顔赤いの、うまく隠してくれよ。

 僕はすぐに立ち上がる。
 太陽の赤いスポットライトを浴びながら、ぎこちないステップでステージを回っていく。
 両腕の角度もそろっておらず、身体のひねりも甘い。
 五十嵐の踊りに比べたら、比較するのも恥ずかしいぐらいだ。
 けど――。
 
「サビに入る瞬間、観客に目線……!」

 僕は息を切らしながら、五十嵐を見る。
 彼女は大きな瞳で、瞬き一つせず、僕を見つめている。
 
 ――届け。

 一体、なにを?
 自分でも分からない。
 振りつけが激しくなるにつれ、身体中から汗が吹き出す。

 みっともなく呼吸をし、両腕もうまく上げることすらできなくなってきた。
 それでも、踊るのを止めるわけにはいかなかった。
 僕はよろめきながら、ステージの中央へ向かう。

「最後は――」

 僕は一瞬、動きを止める。
 
「笑顔一二〇%で、四角形」

 両手の親指と人差し指で四角いフレームを作り、片目の前に構える。
 その向こうで、五十嵐が笑った。
 歯が見えるほど大きな笑顔なのに、今にも泣き出しそうだった。

 ――ちゃんと、見てたよ。

 五十嵐に、そう言われた気がした。

「内海、それ……なに?」

 彼女の震える声が、中庭に響いた。

「……五十嵐さんが踊ってくれたヤツ。忘れたの?」
「忘れるわけないでしょ!」

 五十嵐がブラウスの胸元を強く握った。
 僕は息を整えながら、彼女に向き合う。

「どう?」
「……下手すぎ、見てらんなかった」

 嘘だ。
 ずっと、目は合っていた。

「少しぐらい、褒めてもいいんじゃない?」
「甘やかすの、違う」
「厳しいね、僕のプロデューサーは」
「当たり前でしょ」

 僕は額から落ちてくる汗を、シャツの袖でぬぐう。

「このダンス、僕はもう二度と踊らないと思う」
「……うん」
「アイドルになりたいなんて、これっぽっちも思わなかった」
「だろうね」
「だから、五十嵐さんに教えてもらったこと、将来何の役にも立たない」
「知ってる」
「けど――」

 僕は五十嵐に教えてもらった、歯が見えるほど大きな笑顔を見せつける。

「楽しかったよ、すごく」
「内海……」

 瞬間、五十嵐の瞳から涙が溢れ出す。

「私も……楽しかった」
「今?」
「今も、今までも」

 隣にいる絵川が、何も言わず、五十嵐の背中にそっと手を置いた。

「新しい振りを覚えて、難しいフレーズが歌えて、写真が盛れるようになって――」

 五十嵐の言葉が駆け足になっていく。

「オーディションに落ちまくって、アイドル目指すの止めて、ルイに出会って、アユと推して、ひーちゃんにあきれられて、ルイに幻滅して……楽しいことも辛いことも、ほんとぐちゃぐちゃでムカつく。けど――」

 五十嵐が前を向いた。
 涙はもう、止まっている。

「全部、本物だから。私、だから」

 五十嵐は僕でも絵川でもない、どこか遠くを見ていた。
 その表情は、ステージで見せてくれたどんな笑顔よりも、僕の目に焼きつく。
 五十嵐は小さく息を吐いた。

「……ちょっと吐き出していい?」
「お好きに」

 僕は苦笑し、両手を軽く広げた。
 その時、僕は気づく。
 五十嵐の右足が――透き通っていることに。
 どう伝えるべきか、迷っていると、五十嵐が突然叫び出す。

「何やらかしてんだよ! これからって時に! ドラマ、毎回トレンド入りしてたんだよ? 絶対、次はもっといい枠でオファー来たって! ライブもさ。次はドーム開催って言ってたじゃん! これで延期になったら、一生許さねえぞ!」

 僕と絵川はぽかんと口を開けて固まった。
 五十嵐はその様子を満足げに眺める。

「ども。ちなみに、推しはやめませんので」
「は?」

 僕が間抜けな声を上げたので、五十嵐は吹き出した。

「だって、まだ好きだしー」

 五十嵐は子供っぽく笑い、続ける。

「あいつの先、見たいから」

 五十嵐を見る絵川の目つきが、鋭さを増す。

「結局、依存?」
「えっ」
「文句言いながらさ。自分も相手も甘やかしてるだけに見えるんだけど」

 五十嵐は首をわずかにかたむけて、答える。

「……かもね」
「認めるんだ」
「依存じゃないって言い切れるほど、私も分かってないんだよ、これが」
「なによ、それ」
「ねえ、絵川さん」

 五十嵐はふわりと微笑む。

「好きなもの、そんな急に嫌いになんないでしょ」
「……っ」

 茶色のノートを抱えた絵川の手が、少し震えた。

「今は、私が推したいから推す。それで、いい」

 そう言って、五十嵐は真顔でピースサインを決めた。

「間違ってたら、文句だって言うし、明日の私がどう思うかなんて知らないし、一生推し続けるかなんて、もっと分かんない」
「……勝手にすれば」
「別に、絵川さんの許可なんて、あってもなくても、私、気にしないし」
「えっと……じゃあ、僕の許可は?」
「もっといらん!」

 夕暮れの空に弾んでいく言葉。
 だけど、それは段々と聞き取りづらくなっていく。
 だから、僕たちは必要以上に声を張り上げた。

 ――みんな、嘘つき。

 彼女の変化から目をそらし、ひたすらに笑い合った。
 僕は五十嵐に聞く。

「また、アイドルを目指すの?」
「多分、ないかな。保証はできないけど」
「……そう」
「大統領、目指してみるのもいいかも」

 五十嵐が僕のお腹をひじで突っつく。
 すでに肩まで半透明になっていたが、まだ感触はある。

「頼む。その話、忘れてくれ」
「バーカ、忘れないよ」
「うん、私も」

 絵川も悪ノリに加わってくる。
 僕は記憶にある限り、最も大きなため息をついた。

「五十嵐さん、もう一度、見せてくれない?」

 僕はステージを指差す。
 
「仕方ないなあ」

 五十嵐が面倒くさそうに、短いスカートの裾を整える。

「二人とも、よーく見ときなよ」

 駆けるようにしてステージへ向かった。
 夕日に伸びた五十嵐の影が、僕の影と重なる。
 彼女が膝を深く曲げると、染めた髪がふわりと浮き上がった。

 そして、ステージの上に飛び上がった瞬間。
 彼女が着地する音は、聞こえなかった。

 目に映るのは、誰もいない空っぽのステージ。
 隣を見ると、絵川が静かに目を閉じていた。
 僕も彼女にならって、目を閉じる。

 その瞬間、ライブが始まった。