「内海ー、一体なんなの?」
五十嵐が、露骨に不機嫌そうな顔をした。
「ちょっと、見せたいものがあって」
「ここで?」
「うん」
僕たちは一階の渡り廊下を途中で折れ、再び中庭に足を踏み入れた。
正面にあるステージは、夕日で赤く染まっていた。
世界の時間は、ほんの少しずつだけど、確実に進んでいる。
僕たちの影も、先ほどと比べて長く伸びていた。
「私も、必要なの?」
絵川は無表情で僕を見た。
「うん。人が多い方がいいから」
「そう」
絵川はステージの真正面に座ると、ノートを広げた。
「座ったら?」
「あ、うん」
五十嵐は困ったような表情で、絵川の隣に座った。
その距離は、踊り場の時よりも離れている。
僕は二人に背を向け、ステージに上がる。
広いステージの中央に一人ぼっちで立つと、目を閉じた。
まぶたの裏のスクリーンに映るのは、この場所で踊っていた五十嵐の姿。
五十嵐の声が、僕の耳の奥を震わせる。
「内海。それ……何のつもり?」
僕は五十嵐の質問に、答えられなかった。
自分自身でさえ、よく分かっていないのだから。
僕は一度だけ深く息を吸うと、右足を強く踏み出す。
合わせて、両腕を左右に振った。
――いける。
逆方向に身体を流す。
勢いそのままに一回転しようとステージを強く蹴った。
けど、身体の軸がぶれ、思わず手をついてしまう。
僕は顔が熱くなっていくのを感じた。
――夕暮れ。顔赤いの、うまく隠してくれよ。
僕はすぐに立ち上がる。
太陽の赤いスポットライトを浴びながら、ぎこちないステップでステージを回っていく。
両腕の角度もそろっておらず、身体のひねりも甘い。
五十嵐の踊りに比べたら、比較するのも恥ずかしいぐらいだ。
けど――。
「サビに入る瞬間、観客に目線……!」
僕は息を切らしながら、五十嵐を見る。
彼女は大きな瞳で、瞬き一つせず、僕を見つめている。
――届け。
一体、なにを?
自分でも分からない。
振りつけが激しくなるにつれ、身体中から汗が吹き出す。
みっともなく呼吸をし、両腕もうまく上げることすらできなくなってきた。
それでも、踊るのを止めるわけにはいかなかった。
僕はよろめきながら、ステージの中央へ向かう。
「最後は――」
僕は一瞬、動きを止める。
「笑顔一二〇%で、四角形」
両手の親指と人差し指で四角いフレームを作り、片目の前に構える。
その向こうで、五十嵐が笑った。
歯が見えるほど大きな笑顔なのに、今にも泣き出しそうだった。
――ちゃんと、見てたよ。
五十嵐に、そう言われた気がした。
「内海、それ……なに?」
彼女の震える声が、中庭に響いた。
「……五十嵐さんが踊ってくれたヤツ。忘れたの?」
「忘れるわけないでしょ!」
五十嵐がブラウスの胸元を強く握った。
僕は息を整えながら、彼女に向き合う。
「どう?」
「……下手すぎ、見てらんなかった」
嘘だ。
ずっと、目は合っていた。
「少しぐらい、褒めてもいいんじゃない?」
「甘やかすの、違う」
「厳しいね、僕のプロデューサーは」
「当たり前でしょ」
僕は額から落ちてくる汗を、シャツの袖でぬぐう。
「このダンス、僕はもう二度と踊らないと思う」
「……うん」
「アイドルになりたいなんて、これっぽっちも思わなかった」
「だろうね」
「だから、五十嵐さんに教えてもらったこと、将来何の役にも立たない」
「知ってる」
「けど――」
僕は五十嵐に教えてもらった、歯が見えるほど大きな笑顔を見せつける。
「楽しかったよ、すごく」
「内海……」
瞬間、五十嵐の瞳から涙が溢れ出す。
「私も……楽しかった」
「今?」
「今も、今までも」
隣にいる絵川が、何も言わず、五十嵐の背中にそっと手を置いた。
「新しい振りを覚えて、難しいフレーズが歌えて、写真が盛れるようになって――」
五十嵐の言葉が駆け足になっていく。
「オーディションに落ちまくって、アイドル目指すの止めて、ルイに出会って、アユと推して、ひーちゃんにあきれられて、ルイに幻滅して……楽しいことも辛いことも、ほんとぐちゃぐちゃでムカつく。けど――」
五十嵐が前を向いた。
涙はもう、止まっている。
「全部、本物だから。私、だから」
五十嵐は僕でも絵川でもない、どこか遠くを見ていた。
その表情は、ステージで見せてくれたどんな笑顔よりも、僕の目に焼きつく。
五十嵐は小さく息を吐いた。
「……ちょっと吐き出していい?」
「お好きに」
僕は苦笑し、両手を軽く広げた。
その時、僕は気づく。
五十嵐の右足が――透き通っていることに。
どう伝えるべきか、迷っていると、五十嵐が突然叫び出す。
「何やらかしてんだよ! これからって時に! ドラマ、毎回トレンド入りしてたんだよ? 絶対、次はもっといい枠でオファー来たって! ライブもさ。次はドーム開催って言ってたじゃん! これで延期になったら、一生許さねえぞ!」
僕と絵川はぽかんと口を開けて固まった。
五十嵐はその様子を満足げに眺める。
「ども。ちなみに、推しはやめませんので」
「は?」
僕が間抜けな声を上げたので、五十嵐は吹き出した。
「だって、まだ好きだしー」
五十嵐は子供っぽく笑い、続ける。
「あいつの先、見たいから」
五十嵐を見る絵川の目つきが、鋭さを増す。
「結局、依存?」
「えっ」
「文句言いながらさ。自分も相手も甘やかしてるだけに見えるんだけど」
五十嵐は首をわずかにかたむけて、答える。
「……かもね」
「認めるんだ」
「依存じゃないって言い切れるほど、私も分かってないんだよ、これが」
「なによ、それ」
「ねえ、絵川さん」
五十嵐はふわりと微笑む。
「好きなもの、そんな急に嫌いになんないでしょ」
「……っ」
茶色のノートを抱えた絵川の手が、少し震えた。
「今は、私が推したいから推す。それで、いい」
そう言って、五十嵐は真顔でピースサインを決めた。
「間違ってたら、文句だって言うし、明日の私がどう思うかなんて知らないし、一生推し続けるかなんて、もっと分かんない」
「……勝手にすれば」
「別に、絵川さんの許可なんて、あってもなくても、私、気にしないし」
「えっと……じゃあ、僕の許可は?」
「もっといらん!」
夕暮れの空に弾んでいく言葉。
だけど、それは段々と聞き取りづらくなっていく。
だから、僕たちは必要以上に声を張り上げた。
――みんな、嘘つき。
彼女の変化から目をそらし、ひたすらに笑い合った。
僕は五十嵐に聞く。
「また、アイドルを目指すの?」
「多分、ないかな。保証はできないけど」
「……そう」
「大統領、目指してみるのもいいかも」
五十嵐が僕のお腹をひじで突っつく。
すでに肩まで半透明になっていたが、まだ感触はある。
「頼む。その話、忘れてくれ」
「バーカ、忘れないよ」
「うん、私も」
絵川も悪ノリに加わってくる。
僕は記憶にある限り、最も大きなため息をついた。
「五十嵐さん、もう一度、見せてくれない?」
僕はステージを指差す。
「仕方ないなあ」
五十嵐が面倒くさそうに、短いスカートの裾を整える。
「二人とも、よーく見ときなよ」
駆けるようにしてステージへ向かった。
夕日に伸びた五十嵐の影が、僕の影と重なる。
彼女が膝を深く曲げると、染めた髪がふわりと浮き上がった。
そして、ステージの上に飛び上がった瞬間。
彼女が着地する音は、聞こえなかった。
目に映るのは、誰もいない空っぽのステージ。
隣を見ると、絵川が静かに目を閉じていた。
僕も彼女にならって、目を閉じる。
その瞬間、ライブが始まった。
五十嵐が、露骨に不機嫌そうな顔をした。
「ちょっと、見せたいものがあって」
「ここで?」
「うん」
僕たちは一階の渡り廊下を途中で折れ、再び中庭に足を踏み入れた。
正面にあるステージは、夕日で赤く染まっていた。
世界の時間は、ほんの少しずつだけど、確実に進んでいる。
僕たちの影も、先ほどと比べて長く伸びていた。
「私も、必要なの?」
絵川は無表情で僕を見た。
「うん。人が多い方がいいから」
「そう」
絵川はステージの真正面に座ると、ノートを広げた。
「座ったら?」
「あ、うん」
五十嵐は困ったような表情で、絵川の隣に座った。
その距離は、踊り場の時よりも離れている。
僕は二人に背を向け、ステージに上がる。
広いステージの中央に一人ぼっちで立つと、目を閉じた。
まぶたの裏のスクリーンに映るのは、この場所で踊っていた五十嵐の姿。
五十嵐の声が、僕の耳の奥を震わせる。
「内海。それ……何のつもり?」
僕は五十嵐の質問に、答えられなかった。
自分自身でさえ、よく分かっていないのだから。
僕は一度だけ深く息を吸うと、右足を強く踏み出す。
合わせて、両腕を左右に振った。
――いける。
逆方向に身体を流す。
勢いそのままに一回転しようとステージを強く蹴った。
けど、身体の軸がぶれ、思わず手をついてしまう。
僕は顔が熱くなっていくのを感じた。
――夕暮れ。顔赤いの、うまく隠してくれよ。
僕はすぐに立ち上がる。
太陽の赤いスポットライトを浴びながら、ぎこちないステップでステージを回っていく。
両腕の角度もそろっておらず、身体のひねりも甘い。
五十嵐の踊りに比べたら、比較するのも恥ずかしいぐらいだ。
けど――。
「サビに入る瞬間、観客に目線……!」
僕は息を切らしながら、五十嵐を見る。
彼女は大きな瞳で、瞬き一つせず、僕を見つめている。
――届け。
一体、なにを?
自分でも分からない。
振りつけが激しくなるにつれ、身体中から汗が吹き出す。
みっともなく呼吸をし、両腕もうまく上げることすらできなくなってきた。
それでも、踊るのを止めるわけにはいかなかった。
僕はよろめきながら、ステージの中央へ向かう。
「最後は――」
僕は一瞬、動きを止める。
「笑顔一二〇%で、四角形」
両手の親指と人差し指で四角いフレームを作り、片目の前に構える。
その向こうで、五十嵐が笑った。
歯が見えるほど大きな笑顔なのに、今にも泣き出しそうだった。
――ちゃんと、見てたよ。
五十嵐に、そう言われた気がした。
「内海、それ……なに?」
彼女の震える声が、中庭に響いた。
「……五十嵐さんが踊ってくれたヤツ。忘れたの?」
「忘れるわけないでしょ!」
五十嵐がブラウスの胸元を強く握った。
僕は息を整えながら、彼女に向き合う。
「どう?」
「……下手すぎ、見てらんなかった」
嘘だ。
ずっと、目は合っていた。
「少しぐらい、褒めてもいいんじゃない?」
「甘やかすの、違う」
「厳しいね、僕のプロデューサーは」
「当たり前でしょ」
僕は額から落ちてくる汗を、シャツの袖でぬぐう。
「このダンス、僕はもう二度と踊らないと思う」
「……うん」
「アイドルになりたいなんて、これっぽっちも思わなかった」
「だろうね」
「だから、五十嵐さんに教えてもらったこと、将来何の役にも立たない」
「知ってる」
「けど――」
僕は五十嵐に教えてもらった、歯が見えるほど大きな笑顔を見せつける。
「楽しかったよ、すごく」
「内海……」
瞬間、五十嵐の瞳から涙が溢れ出す。
「私も……楽しかった」
「今?」
「今も、今までも」
隣にいる絵川が、何も言わず、五十嵐の背中にそっと手を置いた。
「新しい振りを覚えて、難しいフレーズが歌えて、写真が盛れるようになって――」
五十嵐の言葉が駆け足になっていく。
「オーディションに落ちまくって、アイドル目指すの止めて、ルイに出会って、アユと推して、ひーちゃんにあきれられて、ルイに幻滅して……楽しいことも辛いことも、ほんとぐちゃぐちゃでムカつく。けど――」
五十嵐が前を向いた。
涙はもう、止まっている。
「全部、本物だから。私、だから」
五十嵐は僕でも絵川でもない、どこか遠くを見ていた。
その表情は、ステージで見せてくれたどんな笑顔よりも、僕の目に焼きつく。
五十嵐は小さく息を吐いた。
「……ちょっと吐き出していい?」
「お好きに」
僕は苦笑し、両手を軽く広げた。
その時、僕は気づく。
五十嵐の右足が――透き通っていることに。
どう伝えるべきか、迷っていると、五十嵐が突然叫び出す。
「何やらかしてんだよ! これからって時に! ドラマ、毎回トレンド入りしてたんだよ? 絶対、次はもっといい枠でオファー来たって! ライブもさ。次はドーム開催って言ってたじゃん! これで延期になったら、一生許さねえぞ!」
僕と絵川はぽかんと口を開けて固まった。
五十嵐はその様子を満足げに眺める。
「ども。ちなみに、推しはやめませんので」
「は?」
僕が間抜けな声を上げたので、五十嵐は吹き出した。
「だって、まだ好きだしー」
五十嵐は子供っぽく笑い、続ける。
「あいつの先、見たいから」
五十嵐を見る絵川の目つきが、鋭さを増す。
「結局、依存?」
「えっ」
「文句言いながらさ。自分も相手も甘やかしてるだけに見えるんだけど」
五十嵐は首をわずかにかたむけて、答える。
「……かもね」
「認めるんだ」
「依存じゃないって言い切れるほど、私も分かってないんだよ、これが」
「なによ、それ」
「ねえ、絵川さん」
五十嵐はふわりと微笑む。
「好きなもの、そんな急に嫌いになんないでしょ」
「……っ」
茶色のノートを抱えた絵川の手が、少し震えた。
「今は、私が推したいから推す。それで、いい」
そう言って、五十嵐は真顔でピースサインを決めた。
「間違ってたら、文句だって言うし、明日の私がどう思うかなんて知らないし、一生推し続けるかなんて、もっと分かんない」
「……勝手にすれば」
「別に、絵川さんの許可なんて、あってもなくても、私、気にしないし」
「えっと……じゃあ、僕の許可は?」
「もっといらん!」
夕暮れの空に弾んでいく言葉。
だけど、それは段々と聞き取りづらくなっていく。
だから、僕たちは必要以上に声を張り上げた。
――みんな、嘘つき。
彼女の変化から目をそらし、ひたすらに笑い合った。
僕は五十嵐に聞く。
「また、アイドルを目指すの?」
「多分、ないかな。保証はできないけど」
「……そう」
「大統領、目指してみるのもいいかも」
五十嵐が僕のお腹をひじで突っつく。
すでに肩まで半透明になっていたが、まだ感触はある。
「頼む。その話、忘れてくれ」
「バーカ、忘れないよ」
「うん、私も」
絵川も悪ノリに加わってくる。
僕は記憶にある限り、最も大きなため息をついた。
「五十嵐さん、もう一度、見せてくれない?」
僕はステージを指差す。
「仕方ないなあ」
五十嵐が面倒くさそうに、短いスカートの裾を整える。
「二人とも、よーく見ときなよ」
駆けるようにしてステージへ向かった。
夕日に伸びた五十嵐の影が、僕の影と重なる。
彼女が膝を深く曲げると、染めた髪がふわりと浮き上がった。
そして、ステージの上に飛び上がった瞬間。
彼女が着地する音は、聞こえなかった。
目に映るのは、誰もいない空っぽのステージ。
隣を見ると、絵川が静かに目を閉じていた。
僕も彼女にならって、目を閉じる。
その瞬間、ライブが始まった。

