「内海、それ……なに?」
五十嵐の冷たい声が、中庭に響いた。
「四乃山音頭。毎年体育祭で踊るのに、忘れたの?」
「忘れるわけないでしょ。今、それ踊るの、違う!」
「けど、ダンスなんてやったことないし」
五十嵐プロデューサーから一時的な『推し候補』として選ばれた僕は、中庭にあるステージに立っていた。
ステージといっても本格的なものではない。
ひざぐらいの高さしかなく、タイルは所々はがれてコンクリートがむき出しになっている。
文化祭なんかでは軽音部が演奏したり、ダンス部が踊ったりする場所。
掃除当番以外で上がったのは初めてだった。
「地元の踊りを披露するアイドルなんて、いるわけないじゃん」
「そう? 普通にいそうだけど。差別化戦略」
「……う。たしかに」
ステージの脇で、観客のように座っている絵川がニヤニヤしながら、ノートに何かを描いていた。
「いい? 私が推したいのは、もっとこう……キレッキレで踊れるアイドルなの」
「さっき、僕がどれだけ運動音痴か見ただろ? ダンスの才能なんてあるわけない」
「……なめんな」
「えっ」
「やりもしてないのに、才能がないなんて言わないでよ。そういうセリフは本気でやってから言わなきゃ」
僕はかすかに笑い、うなずく。
「……たしかに、そうだね」
「うむ、素直でよろしい」
五十嵐は意地悪そうに笑った。
「今日をきっかけにさ。内海の進路が『アイドル養成所』になるかもだしね」
「その可能性は否定できない。まだ、白紙だし」
「いい答えだ!」
五十嵐が僕に向かい合って立つ。
「いい? ワン、ツーで右。スリー、フォーで左。そこから腕上げてターン」
「えっと……最初は左? 次は右だっけ?」
「すまん、内海。私が悪かった」
五十嵐が小さく息を吐くと、足を軽く曲げた後、ピタリと静止する。
その表情は、これまでに見たことがないくらい真剣だった。
「見てて」
五十嵐の体が、はじかれたように動き出す。
右足を踏み出し、それに合わせて腕を滑らかに揺らす。
逆方向へ身体を流し、そのまま水平に一回転。
動きに一切の迷いがない。
五十嵐はステージを目いっぱい使って、軽やかにステップを踏み続ける。
右へ、左へ。
腕を振り、身体をひねり、何度も向きを変える。
「――サビに入る瞬間、観客に目線」
五十嵐が流れるように、視線を僕に向ける。
目が合った。
それだけなのに、なぜか視線を外せない。
観客に目線――五十嵐の言った言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。
動きはさらに激しくなる。
ステージの端まで駆け、くるりと身体を返し、また中央へ。
疲れている素振りはまるで見えず、呼吸しているタイミングも分からなかった。
ああ、もう、終わってしまうんだ。
歌も音楽も流れてないのに、五十嵐の動きから、一曲が終わろうとしているのが分かる。
五十嵐は、静かな表情でステージの中央へ。
「最後は――」
一瞬、動きを止める。
「笑顔一二〇%で、四角形!」
両手の親指と人差し指で四角いフレームを作り、片目の前に構える。
その向こうで、五十嵐が笑った。
歯が見えるほど大きな笑顔、まっすぐに僕を捉える瞳。
――私を見て。
そう言われた気がした。
「ほら。お手本があれば内海でも――」
「……すごい」
「へ?」
「本物みたいだった。ね、絵川さん?」
「君たちさ……いつも急に話を振るよね」
絵川はおおげさにため息をついた。
「けど、悪くなかったよ。私の手、止めるくらいには」
「絵川さん……内海……」
五十嵐は声を震わせながら言った後、僕たちに背を向ける。
「ま。推しの踊りを再現するぐらい、ファンなら当然だし!」
「えっと……五十嵐さん、もしかして照れてるの?」
何も答えない五十嵐の代わりに、絵川がノートを胸に抱え立ち上がる。
「内海君。君って思ったよりおしゃべりね」
その時だった。
ステージの渡り廊下から、二人の生徒が歩いてくる。
透き通った体。
最初は女子生徒としか分からなかった。
けど――。
『どこ座る?』
『たまにはベンチにしない? メルいないしさ、二人なら余裕で座れるっしょ』
『いやー、マジでこれからバイトだるいわ。体力ゲージゼロ』
『よしよし、私が充電してやんよ』
『吸い取るの間違いじゃね?』
風に乗り、彼女たちの軽快なやり取りがステージまで届く。
二人は購買で買ったと思われるペットボトルを、ベンチの空いたスペースに置いた。
「アユ、ひーちゃん……」
背中を向けたままのメルが、独り言のようにつぶやいた。
彼女の指先が、一度だけピクッと動いた。
『でも、メルのヤツ……いきなり行方不明? 聞いた時、マジ驚いた。全然既読にもなんないし』
『ほんとそれ。急に警察が来て話を聞かれてさ。「えっ、私、なんか悪いことしちゃいました?」って焦ったー』
『ひーちゃん、よかったね。あんたの「アレ」、バレなくて』
『勝手に私が何かしたことにするんじゃない』
二人は、同じクラスの女子だ。
長髪で毛先を少し巻いているのが、鮎川歩美。
顎のラインで毛先を切り揃えているのが、野田比呂。
休み時間になると、五十嵐を含めてよく三人で集まっていた。
クラスで一番目立っていたグループ。
『でも、アユ。あれくらいで家出するもんなの?』
『まあ、考えられなくもないかな。けど、ただの家出ってわけでもないかもよ。その……親にそれっぽいメッセージが届いてたらしいじゃん』
『あー……遺書的なやつ? ないない。そのうち、フラッと戻ってくるっしょ』
『いや……メルなら分からないよ。そういうとこ、あったし』
鮎川の低い声が、風に乗る。
『ルイ、活動休止』
激しく踊った時でもぶれることがなかった五十嵐の体が――揺れた。
五十嵐の冷たい声が、中庭に響いた。
「四乃山音頭。毎年体育祭で踊るのに、忘れたの?」
「忘れるわけないでしょ。今、それ踊るの、違う!」
「けど、ダンスなんてやったことないし」
五十嵐プロデューサーから一時的な『推し候補』として選ばれた僕は、中庭にあるステージに立っていた。
ステージといっても本格的なものではない。
ひざぐらいの高さしかなく、タイルは所々はがれてコンクリートがむき出しになっている。
文化祭なんかでは軽音部が演奏したり、ダンス部が踊ったりする場所。
掃除当番以外で上がったのは初めてだった。
「地元の踊りを披露するアイドルなんて、いるわけないじゃん」
「そう? 普通にいそうだけど。差別化戦略」
「……う。たしかに」
ステージの脇で、観客のように座っている絵川がニヤニヤしながら、ノートに何かを描いていた。
「いい? 私が推したいのは、もっとこう……キレッキレで踊れるアイドルなの」
「さっき、僕がどれだけ運動音痴か見ただろ? ダンスの才能なんてあるわけない」
「……なめんな」
「えっ」
「やりもしてないのに、才能がないなんて言わないでよ。そういうセリフは本気でやってから言わなきゃ」
僕はかすかに笑い、うなずく。
「……たしかに、そうだね」
「うむ、素直でよろしい」
五十嵐は意地悪そうに笑った。
「今日をきっかけにさ。内海の進路が『アイドル養成所』になるかもだしね」
「その可能性は否定できない。まだ、白紙だし」
「いい答えだ!」
五十嵐が僕に向かい合って立つ。
「いい? ワン、ツーで右。スリー、フォーで左。そこから腕上げてターン」
「えっと……最初は左? 次は右だっけ?」
「すまん、内海。私が悪かった」
五十嵐が小さく息を吐くと、足を軽く曲げた後、ピタリと静止する。
その表情は、これまでに見たことがないくらい真剣だった。
「見てて」
五十嵐の体が、はじかれたように動き出す。
右足を踏み出し、それに合わせて腕を滑らかに揺らす。
逆方向へ身体を流し、そのまま水平に一回転。
動きに一切の迷いがない。
五十嵐はステージを目いっぱい使って、軽やかにステップを踏み続ける。
右へ、左へ。
腕を振り、身体をひねり、何度も向きを変える。
「――サビに入る瞬間、観客に目線」
五十嵐が流れるように、視線を僕に向ける。
目が合った。
それだけなのに、なぜか視線を外せない。
観客に目線――五十嵐の言った言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。
動きはさらに激しくなる。
ステージの端まで駆け、くるりと身体を返し、また中央へ。
疲れている素振りはまるで見えず、呼吸しているタイミングも分からなかった。
ああ、もう、終わってしまうんだ。
歌も音楽も流れてないのに、五十嵐の動きから、一曲が終わろうとしているのが分かる。
五十嵐は、静かな表情でステージの中央へ。
「最後は――」
一瞬、動きを止める。
「笑顔一二〇%で、四角形!」
両手の親指と人差し指で四角いフレームを作り、片目の前に構える。
その向こうで、五十嵐が笑った。
歯が見えるほど大きな笑顔、まっすぐに僕を捉える瞳。
――私を見て。
そう言われた気がした。
「ほら。お手本があれば内海でも――」
「……すごい」
「へ?」
「本物みたいだった。ね、絵川さん?」
「君たちさ……いつも急に話を振るよね」
絵川はおおげさにため息をついた。
「けど、悪くなかったよ。私の手、止めるくらいには」
「絵川さん……内海……」
五十嵐は声を震わせながら言った後、僕たちに背を向ける。
「ま。推しの踊りを再現するぐらい、ファンなら当然だし!」
「えっと……五十嵐さん、もしかして照れてるの?」
何も答えない五十嵐の代わりに、絵川がノートを胸に抱え立ち上がる。
「内海君。君って思ったよりおしゃべりね」
その時だった。
ステージの渡り廊下から、二人の生徒が歩いてくる。
透き通った体。
最初は女子生徒としか分からなかった。
けど――。
『どこ座る?』
『たまにはベンチにしない? メルいないしさ、二人なら余裕で座れるっしょ』
『いやー、マジでこれからバイトだるいわ。体力ゲージゼロ』
『よしよし、私が充電してやんよ』
『吸い取るの間違いじゃね?』
風に乗り、彼女たちの軽快なやり取りがステージまで届く。
二人は購買で買ったと思われるペットボトルを、ベンチの空いたスペースに置いた。
「アユ、ひーちゃん……」
背中を向けたままのメルが、独り言のようにつぶやいた。
彼女の指先が、一度だけピクッと動いた。
『でも、メルのヤツ……いきなり行方不明? 聞いた時、マジ驚いた。全然既読にもなんないし』
『ほんとそれ。急に警察が来て話を聞かれてさ。「えっ、私、なんか悪いことしちゃいました?」って焦ったー』
『ひーちゃん、よかったね。あんたの「アレ」、バレなくて』
『勝手に私が何かしたことにするんじゃない』
二人は、同じクラスの女子だ。
長髪で毛先を少し巻いているのが、鮎川歩美。
顎のラインで毛先を切り揃えているのが、野田比呂。
休み時間になると、五十嵐を含めてよく三人で集まっていた。
クラスで一番目立っていたグループ。
『でも、アユ。あれくらいで家出するもんなの?』
『まあ、考えられなくもないかな。けど、ただの家出ってわけでもないかもよ。その……親にそれっぽいメッセージが届いてたらしいじゃん』
『あー……遺書的なやつ? ないない。そのうち、フラッと戻ってくるっしょ』
『いや……メルなら分からないよ。そういうとこ、あったし』
鮎川の低い声が、風に乗る。
『ルイ、活動休止』
激しく踊った時でもぶれることがなかった五十嵐の体が――揺れた。

