17歳、僕たちの第一死望

「内海、それ……なに?」

 五十嵐の冷たい声が、中庭に響いた。

「四乃山(しのやま)音頭。毎年体育祭で踊るのに、忘れたの?」
「忘れるわけないでしょ。今、それ踊るの、違う!」
「けど、ダンスなんてやったことないし」

 五十嵐プロデューサーから一時的な『推し候補』として選ばれた僕は、中庭にあるステージに立っていた。
 ステージといっても本格的なものではない。
 ひざぐらいの高さしかなく、タイルは所々はがれてコンクリートがむき出しになっている。
 文化祭なんかでは軽音部が演奏したり、ダンス部が踊ったりする場所。
 掃除当番以外で上がったのは初めてだった。

「地元の踊りを披露するアイドルなんて、いるわけないじゃん」
「そう? 普通にいそうだけど。差別化戦略」
「……う。たしかに」

 ステージの脇で、観客のように座っている絵川がニヤニヤしながら、ノートに何かを描いていた。

「いい? 私が推したいのは、もっとこう……キレッキレで踊れるアイドルなの」
「さっき、僕がどれだけ運動音痴か見ただろ? ダンスの才能なんてあるわけない」
「……なめんな」
「えっ」
「やりもしてないのに、才能がないなんて言わないでよ。そういうセリフは本気でやってから言わなきゃ」

 僕はかすかに笑い、うなずく。

「……たしかに、そうだね」
「うむ、素直でよろしい」

 五十嵐は意地悪そうに笑った。
「今日をきっかけにさ。内海の進路が『アイドル養成所』になるかもだしね」
「その可能性は否定できない。まだ、白紙だし」
「いい答えだ!」

 五十嵐が僕に向かい合って立つ。

「いい? ワン、ツーで右。スリー、フォーで左。そこから腕上げてターン」
「えっと……最初は左? 次は右だっけ?」
「すまん、内海。私が悪かった」

 五十嵐が小さく息を吐くと、足を軽く曲げた後、ピタリと静止する。
 その表情は、これまでに見たことがないくらい真剣だった。

「見てて」

 五十嵐の体が、はじかれたように動き出す。
 右足を踏み出し、それに合わせて腕を滑らかに揺らす。
 逆方向へ身体を流し、そのまま水平に一回転。
 動きに一切の迷いがない。

 五十嵐はステージを目いっぱい使って、軽やかにステップを踏み続ける。
 右へ、左へ。
 腕を振り、身体をひねり、何度も向きを変える。

「――サビに入る瞬間、観客に目線」

 五十嵐が流れるように、視線を僕に向ける。

 目が合った。
 それだけなのに、なぜか視線を外せない。
 観客に目線――五十嵐の言った言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。

 動きはさらに激しくなる。
 ステージの端まで駆け、くるりと身体を返し、また中央へ。
 疲れている素振りはまるで見えず、呼吸しているタイミングも分からなかった。

 ああ、もう、終わってしまうんだ。
 歌も音楽も流れてないのに、五十嵐の動きから、一曲が終わろうとしているのが分かる。
 五十嵐は、静かな表情でステージの中央へ。

「最後は――」

 一瞬、動きを止める。

「笑顔一二〇%で、四角形!」

 両手の親指と人差し指で四角いフレームを作り、片目の前に構える。
 その向こうで、五十嵐が笑った。
 歯が見えるほど大きな笑顔、まっすぐに僕を捉える瞳。

 ――私を見て。

 そう言われた気がした。

「ほら。お手本があれば内海でも――」
「……すごい」
「へ?」
「本物みたいだった。ね、絵川さん?」
「君たちさ……いつも急に話を振るよね」

 絵川はおおげさにため息をついた。

「けど、悪くなかったよ。私の手、止めるくらいには」
「絵川さん……内海……」

 五十嵐は声を震わせながら言った後、僕たちに背を向ける。

「ま。推しの踊りを再現するぐらい、ファンなら当然だし!」
「えっと……五十嵐さん、もしかして照れてるの?」

 何も答えない五十嵐の代わりに、絵川がノートを胸に抱え立ち上がる。

「内海君。君って思ったよりおしゃべりね」

 その時だった。
 ステージの渡り廊下から、二人の生徒が歩いてくる。
 透き通った体。
 最初は女子生徒としか分からなかった。
 けど――。

『どこ座る?』
『たまにはベンチにしない? メルいないしさ、二人なら余裕で座れるっしょ』
『いやー、マジでこれからバイトだるいわ。体力ゲージゼロ』
『よしよし、私が充電してやんよ』
『吸い取るの間違いじゃね?』

 風に乗り、彼女たちの軽快なやり取りがステージまで届く。
 二人は購買で買ったと思われるペットボトルを、ベンチの空いたスペースに置いた。

「アユ、ひーちゃん……」
 
 背中を向けたままのメルが、独り言のようにつぶやいた。
 彼女の指先が、一度だけピクッと動いた。

『でも、メルのヤツ……いきなり行方不明? 聞いた時、マジ驚いた。全然既読にもなんないし』
『ほんとそれ。急に警察が来て話を聞かれてさ。「えっ、私、なんか悪いことしちゃいました?」って焦ったー』
『ひーちゃん、よかったね。あんたの「アレ」、バレなくて』
『勝手に私が何かしたことにするんじゃない』

 二人は、同じクラスの女子だ。
 長髪で毛先を少し巻いているのが、鮎川歩美(あゆかわあゆみ)。
 顎のラインで毛先を切り揃えているのが、野田比呂(のだひろ)。
 休み時間になると、五十嵐を含めてよく三人で集まっていた。
 クラスで一番目立っていたグループ。

『でも、アユ。あれくらいで家出するもんなの?』
『まあ、考えられなくもないかな。けど、ただの家出ってわけでもないかもよ。その……親にそれっぽいメッセージが届いてたらしいじゃん』
『あー……遺書的なやつ? ないない。そのうち、フラッと戻ってくるっしょ』
『いや……メルなら分からないよ。そういうとこ、あったし』

 鮎川の低い声が、風に乗る。

『ルイ、活動休止』

 激しく踊った時でもぶれることがなかった五十嵐の体が――揺れた。