「内海ー、今何時?」
「十六時二十三分。時計見れば、分かることを何度も聞かないでよ」
「そりゃそうなんだけどさ」
五十嵐がけだるそうな声で言って、教室の前に掲げられた時計を見上げた。
「絶対、おかしいって。柊木が帰ってからさ、もう半日は経ってる気がするのに……外、明るい」
「そう? 僕はまだ一時間も経ってないと思ってたけど」
感覚が狂ってるのか、実際時間が狂っているのか。
どちらかかもしれないし、両方かもしれない。
「それに、柊木君が現実に帰ったかどうかは分からない」
「そんな悲しいこと言わないでよお」
五十嵐は机の上につっぷした。
教室にいた透き通ったクラスメイトたちの姿はもうない。
時計が正しいとするなら、高田の進路相談は終わり、全員教室から出ていったのだろう。
「ねえ、内海」
「十六時二十五分」
「……柊木さ。最後、笑ってたよね」
五十嵐は机に頬をつけたまま言った。
「バスケ。めちゃくちゃ下手だったけど」
「僕よりね」
五十嵐はくすりと笑った。
「ああいうのでも、楽しいって言っていいんだね」
「ダメなの?」
「別に。なんとなく」
五十嵐はそれ以上説明せず、机の上を指先でなぞった。
「明日……柊木、来ると思う?」
「さあ」
視線の先にあるのは、主のいない柊木の席。
「けど、来たらいいなと思う」
「そういう言葉、待ってた」
五十嵐が少しだけ顔を上げ、ふわりと笑った。
期待と同時に、胸の奥に妙なひっかかりがある。
置いていかれた――そんな感覚だった。
五十嵐が両手を前に伸ばしながら言う。
「絵川さんはさ、私たちが来るまでの間、ここでずっと何してたの?」
「見て、分からない?」
絵川は振り返ることなく、答えた。
教室に響く、リズミカルな鉛筆の音。
彼女は柊木がいなくなってから、ひたすらノートの上で鉛筆を走らせていた。
何を描いているか、少し気になる。
けど、彼女が死んだ理由が噂通りだとすれば、簡単に聞けなかった。
五十嵐が両腕をまっすぐに伸ばす。
「いいなあ、ここでできる趣味がある人は」
「これは趣味じゃない」
「じゃあ……その……お仕事?」
五十嵐が遠慮がちに聞いた。
絵川が一瞬だけ肩を震わせる。
「――違う。ご飯を食べるのと、同じ」
「ご飯を食べる、代わりかあ」
「……まあ、そういうことでいいよ」
「お腹全然減らないしね。ここに来てから」
話が絶妙に噛み合っていないが、五十嵐の言う通り、僕たちは現実に色んなものを置いてきてしまったみたいだ。
「トイレに行きたくもならない」
「内海ー、そういうことハッキリ言わなくていいから」
五十嵐が机の上に置いていた、スマホを手に取る。
「私はこれがなきゃ、なーんもすることないのに」
「のに?」
「更新がない」
「えっと……何の?」
「全部!」
五十嵐がスマホの画面を僕に見せる。
そこに映っていたのは、若い男性の写真。
名前はたしか――ルイ。
五十嵐が体育館で熱弁していたアイドルだ。
「SNSは更新されない! 公式から供給もない! 新しい動画も見れない! 配信もない! ファンの感想も流れてこない!」
「ネット、切れてるみたいだね」
「帰ったらスマホ、乗り換えてやる」
「スマホのせいじゃないでしょ」
「分かってる。八つ当たり!」
僕たちの会話を背中で聞いていた絵川が、小さくため息をつき、振り返る。
「君たち、おしゃべりしてる余裕あるの? このままずっとここにいるつもり?」
「けどさ……帰り方って言うの? それもよく分からないし」
「調査票に適当な大学を書いてみても、ダメだった」
僕は自分の進路希望調査票を二人に見せる。
第一志望に書いたのは、本田と同じ大学の名前。
絵川はにらむような目つきで僕を見る。
「そんな適当な気持ちで書くものじゃない」
「こんなの、ただの紙だよ」
「じゃあなんで、あっちの世界でさっさと埋めなかったの?」
「それは……」
僕は後に続く言葉を見つけられなかった。
五十嵐が会話の空白を埋めるように声を上げる。
「あーあ、このまま推し活できなかったら、私、ほんとに死んじゃうかも」
「とりあえず、この世界にあるものでも推しとけば?」
「絵川さん、こんな寂しい世界に私が推せるものなんて――」
五十嵐は言葉を止め、僕と絵川を交互に見る。
「絵川さんは陰がある美少女って感じで悪くない……けど、ちょっとキャラが完成しすぎてるっていうの? 私、成長を見守れるほうがいいんだよね。そうなると……」
ブツブツとつぶやいた後、僕と視線がピタリと合う。
「内海、ちょっと立って」
「えっと、何で?」
「いいから!」
五十嵐の勢いに押され、僕は立ち上がる。
彼女は僕を値踏みするように、僕の頭のてっぺんからつま先までを眺める。
「ふむ」
「あの……五十嵐さん?」
五十嵐は、口の前で人さし指を左右に振る。
「チッチッチッ、そんな呼び方はしないで」
「は?」
「内海新汰君。今から私のことは、『メルP』と呼びなさい。分かった?」
五十嵐は腰に手を当て、大きく胸を張った。
もちろん、僕は何一つ分からなかった。
「十六時二十三分。時計見れば、分かることを何度も聞かないでよ」
「そりゃそうなんだけどさ」
五十嵐がけだるそうな声で言って、教室の前に掲げられた時計を見上げた。
「絶対、おかしいって。柊木が帰ってからさ、もう半日は経ってる気がするのに……外、明るい」
「そう? 僕はまだ一時間も経ってないと思ってたけど」
感覚が狂ってるのか、実際時間が狂っているのか。
どちらかかもしれないし、両方かもしれない。
「それに、柊木君が現実に帰ったかどうかは分からない」
「そんな悲しいこと言わないでよお」
五十嵐は机の上につっぷした。
教室にいた透き通ったクラスメイトたちの姿はもうない。
時計が正しいとするなら、高田の進路相談は終わり、全員教室から出ていったのだろう。
「ねえ、内海」
「十六時二十五分」
「……柊木さ。最後、笑ってたよね」
五十嵐は机に頬をつけたまま言った。
「バスケ。めちゃくちゃ下手だったけど」
「僕よりね」
五十嵐はくすりと笑った。
「ああいうのでも、楽しいって言っていいんだね」
「ダメなの?」
「別に。なんとなく」
五十嵐はそれ以上説明せず、机の上を指先でなぞった。
「明日……柊木、来ると思う?」
「さあ」
視線の先にあるのは、主のいない柊木の席。
「けど、来たらいいなと思う」
「そういう言葉、待ってた」
五十嵐が少しだけ顔を上げ、ふわりと笑った。
期待と同時に、胸の奥に妙なひっかかりがある。
置いていかれた――そんな感覚だった。
五十嵐が両手を前に伸ばしながら言う。
「絵川さんはさ、私たちが来るまでの間、ここでずっと何してたの?」
「見て、分からない?」
絵川は振り返ることなく、答えた。
教室に響く、リズミカルな鉛筆の音。
彼女は柊木がいなくなってから、ひたすらノートの上で鉛筆を走らせていた。
何を描いているか、少し気になる。
けど、彼女が死んだ理由が噂通りだとすれば、簡単に聞けなかった。
五十嵐が両腕をまっすぐに伸ばす。
「いいなあ、ここでできる趣味がある人は」
「これは趣味じゃない」
「じゃあ……その……お仕事?」
五十嵐が遠慮がちに聞いた。
絵川が一瞬だけ肩を震わせる。
「――違う。ご飯を食べるのと、同じ」
「ご飯を食べる、代わりかあ」
「……まあ、そういうことでいいよ」
「お腹全然減らないしね。ここに来てから」
話が絶妙に噛み合っていないが、五十嵐の言う通り、僕たちは現実に色んなものを置いてきてしまったみたいだ。
「トイレに行きたくもならない」
「内海ー、そういうことハッキリ言わなくていいから」
五十嵐が机の上に置いていた、スマホを手に取る。
「私はこれがなきゃ、なーんもすることないのに」
「のに?」
「更新がない」
「えっと……何の?」
「全部!」
五十嵐がスマホの画面を僕に見せる。
そこに映っていたのは、若い男性の写真。
名前はたしか――ルイ。
五十嵐が体育館で熱弁していたアイドルだ。
「SNSは更新されない! 公式から供給もない! 新しい動画も見れない! 配信もない! ファンの感想も流れてこない!」
「ネット、切れてるみたいだね」
「帰ったらスマホ、乗り換えてやる」
「スマホのせいじゃないでしょ」
「分かってる。八つ当たり!」
僕たちの会話を背中で聞いていた絵川が、小さくため息をつき、振り返る。
「君たち、おしゃべりしてる余裕あるの? このままずっとここにいるつもり?」
「けどさ……帰り方って言うの? それもよく分からないし」
「調査票に適当な大学を書いてみても、ダメだった」
僕は自分の進路希望調査票を二人に見せる。
第一志望に書いたのは、本田と同じ大学の名前。
絵川はにらむような目つきで僕を見る。
「そんな適当な気持ちで書くものじゃない」
「こんなの、ただの紙だよ」
「じゃあなんで、あっちの世界でさっさと埋めなかったの?」
「それは……」
僕は後に続く言葉を見つけられなかった。
五十嵐が会話の空白を埋めるように声を上げる。
「あーあ、このまま推し活できなかったら、私、ほんとに死んじゃうかも」
「とりあえず、この世界にあるものでも推しとけば?」
「絵川さん、こんな寂しい世界に私が推せるものなんて――」
五十嵐は言葉を止め、僕と絵川を交互に見る。
「絵川さんは陰がある美少女って感じで悪くない……けど、ちょっとキャラが完成しすぎてるっていうの? 私、成長を見守れるほうがいいんだよね。そうなると……」
ブツブツとつぶやいた後、僕と視線がピタリと合う。
「内海、ちょっと立って」
「えっと、何で?」
「いいから!」
五十嵐の勢いに押され、僕は立ち上がる。
彼女は僕を値踏みするように、僕の頭のてっぺんからつま先までを眺める。
「ふむ」
「あの……五十嵐さん?」
五十嵐は、口の前で人さし指を左右に振る。
「チッチッチッ、そんな呼び方はしないで」
「は?」
「内海新汰君。今から私のことは、『メルP』と呼びなさい。分かった?」
五十嵐は腰に手を当て、大きく胸を張った。
もちろん、僕は何一つ分からなかった。

