なんなんだ? いったいなんのつもりなんだ?
困惑し、耐え忍んでいる昴を他所に、稔は聞きたくもないことを言い続けている。
「おまえは自分を平凡だと思って、そんな自分を嫌ってる。挑戦しても納得のいく結果を得られなくて、だから諦めて……諦め続けて期待しなくなったんだろ? 本当のおまえは——」
「やめて!」
もう聞いていられない。聞きたくない。
「……なんでいきなりわけのわかんないことを言うの?」
腹の底からどす黒いものが吹き上がってくる。
嫉妬、羨望、劣等感、怒り、恨み、憎しみ——普段は真空パックのように蓋をして、絶対に開けないよう閉じ込めていた。
誰にも悟られたくない負の感情が、稔の言葉によってこじ開けられ、修復する間もなく流れ出ていく。
「わかってるはずだ。本当のおまえはわかってる。目を逸らすなよ」
「わかんない。……全然わかんないよ。変なことを言うのはやめて」
天才のくせに。世界に認められたダンサーが、平凡な人間に構うなよ。
優しくて、ぶっきらぼうでも気遣ってくれて、誰よりも気にかけてくれる。しかもイケメンで品もあって、背も高いしスタイルも抜群にいい。そんな完璧な男が、いったいなんのつもりなんだ?
他の人たちみたいに、気楽に相手をしてくれるだけでよかった。こんなところまで踏み込んできて欲しくなかった。
迷惑だ。親や家族より近い関係なんて、冗談じゃない。
「嘘つくな。ほんとのおまえはあんなふうにへらへらとしていられるやつじゃない。卑下したり、他人を持ち上げて喜ぶようなやつじゃないだろ」
「……そんなことしてないよ」
「してんじゃねえか。誰彼構わず声かけて褒めちぎって、あんなことほんとはしたくないんだろ?」
「勝手なことばっか言わないで。いい加減にしてよ」
「いい加減にするのはおまえだ。バカなことしてないで、素を出せよ。おまえは平凡なんかじゃない。特待生のやつらなんて目じゃないくらいの才能があるんだ」
「……今度は嫌味? 平凡なことに才能があるって言いたいの?」
「んなこと言ってねえだろ。言葉通りの意味だ」
「僕に才能なんてない。欲しくもないし、気にしたこともない」
「嘘つくなって! おまえは本当は──」
稔は見たこともない必死な顔で、もどかしそうに言葉を探している。
昴はそんな稔を見つめながら、少しずつだが冷静になれてきていた。
あり得ない。自分にはなんの才能もない。努力してもすべてが中途半端に終わる。上には上がいて、敵うはずがない。
何年もずっと言い聞かせてきた言葉を胸のうちで繰り返して、昴は徐々に落ち着いてきた。
「本当の僕なんていないよ。これが素だし隠してることなんてない」
持っている者がどれほど想像しようと、持たざる者の気持ちを理解することはできない。おそらく逆もしかりだ。だから食い違う。だから、ずかずかと踏み込んで来て欲しくなかった。
なぜ稔はわからない?
「違うだろ。……おまえは諦めたから得られなかっただけだ。やめなかったら、あと少しで——」
「帰らなきゃ。もう十分過ぎちゃってる。ヒロの配信が始まっちゃったから、帰るね」
「……逃げ出すのかよ?」
「違うよ。最初から十分だけって言ってたじゃん。紅茶、ありがとう。じゃあね」
昴は努めて冷静に言い、ソファから立ち上がってリビングを出た。
「は? がちで帰るわけ?」
稔が追いかけてきていたが、無視を決め込んだ。
昴はすっかり頭にきていた。雅史や高志郎をストーカー呼ばわりしていたが、稔こそストーカーじみている。
家族より親身になってくれた稔に対して、これまでは嬉しさのほうが勝っていた。けれど踏み込みすぎだ。これ以上は看過できない。
昴にとって稔は特別な相手だった。学園のなかで最も好意を抱いていた。しかし今や怒りの矛先となり、稔に対する感情は憎悪で満ちていた。
「こっちのほうが近い」
マンションを出て大通りを進んでいたところ、稔から腕を掴まれた。昴はぞっとして大きく手を振り払った。
「なんでついてきてるの?」
「送るって」
「必要ないよ。人目につきたくないんでしょ?」
自分でもびっくりするくらい怒りの滲んだ声が出た。稔は驚いたらしく足を止め、なにも答えなかった。
昴は取り繕うことも、普段みたいに気遣うこともできず、というかしたくなく、早足で自宅へと向かった。
リビングへ行くと家族でテレビを見て団らんしていた。昴も加わって少し話をした。シャワーで全身をさっぱりさせた。世界で一番落ち着く自室へ戻って、お気に入りのベッドの上で寝転んだ。けれども一向に気持ちは鎮まらなかった。
稔の言葉が何度も頭に反響して苛立つばかりだった。真剣に、もどかしげに伝えようとする稔の顔が頭から離れない。
目を奪うあの美貌。一度見たら焼き付いて離れない華麗なダンス。その記憶のすべてを消してしまいたかった。
昴の本音に穴を開けた。一枚ずつゆっくり剥がしていくように本心を丸裸にされた。
憎くて、悔しい。
天才さまが凡人を痛めつけないで欲しい。
いったいなんの目的で自分に構うのか。他の生徒のことはまったく気にかけないのに──。
苛立っていたはずの昴は、考えているうちに学園内での稔の扱いを思い出して、いつのまにか悔しさが胸に満ち始めていた。
稔は冷徹なんて言われて避けられている。本当は違うのに。本当は魅力ばかりの人だ。
稔以上に頼りがいのある男はいない。優しくてそばにいると安心できる。仮面を被りきらなくても受け入れてくれた、唯一の相手だった。
「だから知りたいんだよ。……稔のことを教えてよ。僕のことなんて気にかけないで欲しい……僕は稔がなにを考えてるのか知りたいんだよ」
昴はダンスを習っていたことがある。慧人と同じサッカーもしていたし、小説を読んでいたから自分で書いた経験もある。歌の練習をして、こっそり動画投稿をしようと思って録音した経験もあった。他にも色んなスポーツをしたし、漫画や絵も描いた。なにをしてもそこそこできて、全部中途半端にしか上達できなかった。
そうして悟った。
自分は凡人だ、と。
だから特待生に話しかけた。わかったのは、彼らだって同じ平凡な面を持っているということだった。
彼らと話すたびに同じ高校生である実感を得られた。
だからと稔にも声をかけた。全国レベルで有名な高校生だったけど、彼も自分となんら変わりないと思っていた。
なのに、彼だけは本物だった。才能もずば抜けていたのに、才能だけでなく稔という人間がスペシャルだった。
上っ面じゃなく本気で彼のことを知りたかった。本心からの欲求だった。
「……あんなふうに壊したくなかった」
今度昴は稔との会話を思い出して悔み始めた。しかし、今あの場にいても同じように会話を打ち切っていただろうと思った。
そのときブブブとスマホが振動した。昴ははっとし、起き上がって投げ出していたスマホを手に持った。
弘和からのメールだった。
「僕には無理だって言ってるのに……」
内容は配信を聞いたかどうかを問うものと、昴に対する要望だった。どうやら配信で昴の話題を持ち出したらしい。
歌のうまいクラスメイトがいて、一緒にカラオケへ行ったら最高だったとの話から、今度一緒に歌唱動画を投稿してみたいと盛り上がったようだ。
冗談じゃない。
弘和はいわばプロだ。高校生だから今はまだ金銭は受け取れないらしいけれど、卒業したら引く手あまただろう。
どこかのVチューバーグループから声をかけられるか、ひとりでも売れていくに違いない。
「僕は今のまんまでいいんだ。僕なんかがなにかを成し遂げることはできないんだから……」
返信の文面を考えることも億劫で、昴は仰向けにベッドへと寝転び、目を閉じた。
困惑し、耐え忍んでいる昴を他所に、稔は聞きたくもないことを言い続けている。
「おまえは自分を平凡だと思って、そんな自分を嫌ってる。挑戦しても納得のいく結果を得られなくて、だから諦めて……諦め続けて期待しなくなったんだろ? 本当のおまえは——」
「やめて!」
もう聞いていられない。聞きたくない。
「……なんでいきなりわけのわかんないことを言うの?」
腹の底からどす黒いものが吹き上がってくる。
嫉妬、羨望、劣等感、怒り、恨み、憎しみ——普段は真空パックのように蓋をして、絶対に開けないよう閉じ込めていた。
誰にも悟られたくない負の感情が、稔の言葉によってこじ開けられ、修復する間もなく流れ出ていく。
「わかってるはずだ。本当のおまえはわかってる。目を逸らすなよ」
「わかんない。……全然わかんないよ。変なことを言うのはやめて」
天才のくせに。世界に認められたダンサーが、平凡な人間に構うなよ。
優しくて、ぶっきらぼうでも気遣ってくれて、誰よりも気にかけてくれる。しかもイケメンで品もあって、背も高いしスタイルも抜群にいい。そんな完璧な男が、いったいなんのつもりなんだ?
他の人たちみたいに、気楽に相手をしてくれるだけでよかった。こんなところまで踏み込んできて欲しくなかった。
迷惑だ。親や家族より近い関係なんて、冗談じゃない。
「嘘つくな。ほんとのおまえはあんなふうにへらへらとしていられるやつじゃない。卑下したり、他人を持ち上げて喜ぶようなやつじゃないだろ」
「……そんなことしてないよ」
「してんじゃねえか。誰彼構わず声かけて褒めちぎって、あんなことほんとはしたくないんだろ?」
「勝手なことばっか言わないで。いい加減にしてよ」
「いい加減にするのはおまえだ。バカなことしてないで、素を出せよ。おまえは平凡なんかじゃない。特待生のやつらなんて目じゃないくらいの才能があるんだ」
「……今度は嫌味? 平凡なことに才能があるって言いたいの?」
「んなこと言ってねえだろ。言葉通りの意味だ」
「僕に才能なんてない。欲しくもないし、気にしたこともない」
「嘘つくなって! おまえは本当は──」
稔は見たこともない必死な顔で、もどかしそうに言葉を探している。
昴はそんな稔を見つめながら、少しずつだが冷静になれてきていた。
あり得ない。自分にはなんの才能もない。努力してもすべてが中途半端に終わる。上には上がいて、敵うはずがない。
何年もずっと言い聞かせてきた言葉を胸のうちで繰り返して、昴は徐々に落ち着いてきた。
「本当の僕なんていないよ。これが素だし隠してることなんてない」
持っている者がどれほど想像しようと、持たざる者の気持ちを理解することはできない。おそらく逆もしかりだ。だから食い違う。だから、ずかずかと踏み込んで来て欲しくなかった。
なぜ稔はわからない?
「違うだろ。……おまえは諦めたから得られなかっただけだ。やめなかったら、あと少しで——」
「帰らなきゃ。もう十分過ぎちゃってる。ヒロの配信が始まっちゃったから、帰るね」
「……逃げ出すのかよ?」
「違うよ。最初から十分だけって言ってたじゃん。紅茶、ありがとう。じゃあね」
昴は努めて冷静に言い、ソファから立ち上がってリビングを出た。
「は? がちで帰るわけ?」
稔が追いかけてきていたが、無視を決め込んだ。
昴はすっかり頭にきていた。雅史や高志郎をストーカー呼ばわりしていたが、稔こそストーカーじみている。
家族より親身になってくれた稔に対して、これまでは嬉しさのほうが勝っていた。けれど踏み込みすぎだ。これ以上は看過できない。
昴にとって稔は特別な相手だった。学園のなかで最も好意を抱いていた。しかし今や怒りの矛先となり、稔に対する感情は憎悪で満ちていた。
「こっちのほうが近い」
マンションを出て大通りを進んでいたところ、稔から腕を掴まれた。昴はぞっとして大きく手を振り払った。
「なんでついてきてるの?」
「送るって」
「必要ないよ。人目につきたくないんでしょ?」
自分でもびっくりするくらい怒りの滲んだ声が出た。稔は驚いたらしく足を止め、なにも答えなかった。
昴は取り繕うことも、普段みたいに気遣うこともできず、というかしたくなく、早足で自宅へと向かった。
リビングへ行くと家族でテレビを見て団らんしていた。昴も加わって少し話をした。シャワーで全身をさっぱりさせた。世界で一番落ち着く自室へ戻って、お気に入りのベッドの上で寝転んだ。けれども一向に気持ちは鎮まらなかった。
稔の言葉が何度も頭に反響して苛立つばかりだった。真剣に、もどかしげに伝えようとする稔の顔が頭から離れない。
目を奪うあの美貌。一度見たら焼き付いて離れない華麗なダンス。その記憶のすべてを消してしまいたかった。
昴の本音に穴を開けた。一枚ずつゆっくり剥がしていくように本心を丸裸にされた。
憎くて、悔しい。
天才さまが凡人を痛めつけないで欲しい。
いったいなんの目的で自分に構うのか。他の生徒のことはまったく気にかけないのに──。
苛立っていたはずの昴は、考えているうちに学園内での稔の扱いを思い出して、いつのまにか悔しさが胸に満ち始めていた。
稔は冷徹なんて言われて避けられている。本当は違うのに。本当は魅力ばかりの人だ。
稔以上に頼りがいのある男はいない。優しくてそばにいると安心できる。仮面を被りきらなくても受け入れてくれた、唯一の相手だった。
「だから知りたいんだよ。……稔のことを教えてよ。僕のことなんて気にかけないで欲しい……僕は稔がなにを考えてるのか知りたいんだよ」
昴はダンスを習っていたことがある。慧人と同じサッカーもしていたし、小説を読んでいたから自分で書いた経験もある。歌の練習をして、こっそり動画投稿をしようと思って録音した経験もあった。他にも色んなスポーツをしたし、漫画や絵も描いた。なにをしてもそこそこできて、全部中途半端にしか上達できなかった。
そうして悟った。
自分は凡人だ、と。
だから特待生に話しかけた。わかったのは、彼らだって同じ平凡な面を持っているということだった。
彼らと話すたびに同じ高校生である実感を得られた。
だからと稔にも声をかけた。全国レベルで有名な高校生だったけど、彼も自分となんら変わりないと思っていた。
なのに、彼だけは本物だった。才能もずば抜けていたのに、才能だけでなく稔という人間がスペシャルだった。
上っ面じゃなく本気で彼のことを知りたかった。本心からの欲求だった。
「……あんなふうに壊したくなかった」
今度昴は稔との会話を思い出して悔み始めた。しかし、今あの場にいても同じように会話を打ち切っていただろうと思った。
そのときブブブとスマホが振動した。昴ははっとし、起き上がって投げ出していたスマホを手に持った。
弘和からのメールだった。
「僕には無理だって言ってるのに……」
内容は配信を聞いたかどうかを問うものと、昴に対する要望だった。どうやら配信で昴の話題を持ち出したらしい。
歌のうまいクラスメイトがいて、一緒にカラオケへ行ったら最高だったとの話から、今度一緒に歌唱動画を投稿してみたいと盛り上がったようだ。
冗談じゃない。
弘和はいわばプロだ。高校生だから今はまだ金銭は受け取れないらしいけれど、卒業したら引く手あまただろう。
どこかのVチューバーグループから声をかけられるか、ひとりでも売れていくに違いない。
「僕は今のまんまでいいんだ。僕なんかがなにかを成し遂げることはできないんだから……」
返信の文面を考えることも億劫で、昴は仰向けにベッドへと寝転び、目を閉じた。



