絵筆の旋律 ※R15強





「おい、流。……流ってば!」


どんだけ深く寝てんだよ。

ぜんっぜん起きない……。


「こんな所で寝たら風邪ひくぞ!
 起きろって!」

声をかけながら、

俺は
昨晩を思い出していた。





「――え?

 俺の居場所、
 ベッドの上なの?」


「現状の空きスペース。
 そこ以外は
 資材やら絵の具やら……
 あんまりオススメできないな。
 
 俺いつも
 その辺で寝ちゃうから。
 ベッドはお前が使え。」


キングサイズのベッド。
枕もシーツも
洗いたてのようにきれいだ。

シワもない。

使っていないのが
見て取れる。


「なんでキングサイズ?」

「広い方が好きだから。」

「ほぼ使ってないのに?」

「今からお前が使う。」

「あ、はい……。」


ごそっと
ベッドに身を沈める。

タオルケットと同じ
――アンバーの香り。

あっという間に
夢の中へ
引きずり込まれてしまった。





パチ……

朝だ。


モゾモゾと起き上がる。
部屋を見渡す。


あ。そうだ。
俺、昨日からここに――。


目の端に
床に転がる大きな物体が
映り込む。


「マジか。」

小さく息をつく。

疲れて寝ちゃった自分に喝だ。

流――、
本当に床で寝てるじゃん。



流の肩をゆする。


「流、起きろ。一限ないのか?」




「……うん。
 大学は辞めてるから

 ……関係ない。」


「えっ!? 辞めてる?」


流が、
のそっと起き上がる。

ボリボリと
頭をかきながら、

寝ぼけ眼で俺を見る。


「――働きながら、創作やってる。」


「生活、大変なのか……?」


辞めて働いてるなんて。

やっちまった。

苦労多き社会人の家に
突撃訪問の末、
住み着いたってことか。

今更、深く反省する。

多分、俺の顔、
眉も目も下がってる。



―――――



嵐みたいに
飛び込んできておいて、

今頃なんて顔してんだよ。


――にしても、
妙な想像してそうだ。


なんか笑える。


「どんな想像してんだ?

 全然、苦しくねぇよ。

 やりたいこと
 見つかったから辞めた。

 それだけ。」


クラブチームにいた頃を
思い出す。


フィールドを駆ける慧の前髪。
風に流れるたび、
振り返って見つめていた。

幾度も、
慧の完璧なバランスに
飲み込まれた。


――黄金比。

今なら、そう呼べる。


それが見たくて、
小さな知恵を使った。

慧に顔を近づけては、

前髪をかきあげ、
「ほれ。」と声をかける。

つられて慶もおでこを出す。

顔を寄せ合う。

鼻先が触れる。

二人で
クスクス笑っていた。


俺と慧は
いつも一緒にいた。


俺は、いつも慧を見ていた。


ツートップの
コンビネーションも
抜群に良かった。



慧と居ると

俺の心は、
落ち着きなく上下した。


それが

良い日もあれば、

――苦しい日もあった。



高学年チームへ上がる頃、
自分の違和感に気づいた。


この感情って
もしかして――。

言葉にしたらダメだ。


直感的に、不安を感じた。




隣りにいたいのに
少し距離を取る。



「リューリュー!」

甲高い声を挙げて
慧が走ってくる。



本当は嬉しいくせに

チラッと振り返っては

また――離れる。



なんとなく、
やりにくくなって。

ツートップ外されて。

慧が他のメンバーと
コンビネーションやってるのを
同じ空間で眺める。


あんなに
フワフワと
心が上下していたのに、

まるで
地面を這ってるような……


だけど、
皆の前では笑ってる自分。


――疲れた。


俺は、
クラブチームを辞めた。


あちこちから
選手が集まってるクラブチーム。

辞めたら、
もう、

今までみたいには会えない――





グシャグシャ
に泣いてる奴がいた。


――綺麗な顔が台無しだぞ。

喉まで来た言葉を飲み込んで、
言ったんだ。


「またな。――慧。」



「なんで辞めるんだよ!
 ずっと一緒がいいのに!」

お前の
砂埃だらけの頬に

涙の線が、
たくさん出来た。




そいつが、
俺の目の前にいる。



――また、俺に言うのか?



一緒がいいのに、って。



「ふーん。そか!
 やりたいことがあるっていいな!」

慧のニカッとした笑顔。



そうだな。

あの頃とは違う。


「うん、幸せだ。」


「へへっ。

 あ、朝ごはん食べる?
 部屋から材料とか、
 いろいろ持ってきたんだ。」


「いろいろ?」


慧のスペースに目を向ける。

ベッドの近くに棚が置かれ、
ノートパソコンが
ちょこんと乗っている。


壁には
ハンガーに掛けられた服。

窓際には

ちっちゃな多肉植物。

それから――、
何冊もの本が干されている。


「おぉ、なんか、
 ベッドスペースが生きてるな。」


慧が吹き出す。

「生きてるってなんだよそれ。」


「――秘密。」


なぁ、慧。

ここにお前がいるって。

お前が、

息して、笑って、怒鳴って、

朝ごはんとか言ったりして、



触ったら温かくて……。



この舞い上がる気持ち、

どう説明すればいい?



昨日、
慧の口を塞いだ時。

手のひらから流れ込んだ
慧の温もり……。


手のひらを見つめて
ギュッと握る。

温もりを刻み込むように。



「お前の部屋、入ってもいいか?」


「――俺の、部屋…。」


「お前の部屋だろ?」


「うん!どうぞ入って!」


「では、お邪魔します。」


俺は律儀に一礼した。



―――――



「お前の趣味って、
 よく分からんな。」


干されている本を1冊。

また1冊。

手に取っては、
流は首を傾げた。

「ジャンルがバラバラだな。

 それに――

 なんで表紙がないんだ?」


「あー。
 好きな装丁を集めてるんだ。

 ほら。表紙はここ!」

慧がファイルを
持ち上げて見せる。


「すげ。表紙だけ取ってんのか。」


パラ……ッ

ファイルを開く。


自分の目を疑う。

これ、
俺の絵じゃねーか。


パラ……

パラッパラッ……


初期のもある……。

小さな切り抜きまで……。


「お前、これ……。」

「ん?」

「いや、確かにいいな。」


ニッと笑って
ファイルを慧に返す。


「だろ?
 お前、さすがセンスいいな!

 Liu(リウ)っていう画家。

 これ全部、
 俺の宝物なんだ。」


慧が目を細めて
ファイルを抱きしめる。






“眩しい笑顔”って
きっとこういうことを言うんだな。


「そうか。大事にしろ。」


―――――



――流の制作部屋。


布をかけられた
B全サイズのパネルが
鎮座している。


絵の具だらけの腕が
サッと布を取る。


スタイリッシュでありながら
重厚なタッチの絵が現れる。



「リウ――か。

 クスッ……

 強烈なファンのくせに
 読み方間違えんなよ。

 リュウだよ、リュウ。」


クスクスと
笑いが込み上げる。


寝起きの
ボサボサくせっ毛に
指を通す。


口にゴムをくわえ、
サイドの髪を束ねる。


「うしっ!俺、頑張ろ!
 ちゃんと覚えてもらおっと!」


軽く体操をし、

絵筆を握る。



―――――



部屋全体が
静まり返っている。

その中で、
流の穏やかな寝息だけが
響いている。



ベッドの上の
小さな明かりの下、
本を読んでいる慧。

「――よし。流、寝たな。」

パタッと本を閉じる。



カチャカチャッ……カチャッ。

静けさに紛れるように、
慧の指が
キーボードを弾く。


『彼が残した体温は、
 このベッドからまだ消えていない。

 彼がここで眠っていた痕跡が、
 静かに空気の奥に沈んでいる。

 微かに残る彼の香りに包まれ、
 広すぎるベッドに一人で座る。

 昨夜はここが、
 与えられた居場所だった。

 不思議な感覚だ。

 借りたはずの空間なのに、
 心のどこかでは
 追い出されない安心があった。

 朝の光が差し込むたび、
 この部屋の輪郭が
 少しずつ柔らいでいく。

 乱雑に置かれた筆。

 乾ききらない絵の具。

 窓辺に溜まる淡い光。

 そのすべてに、
 彼の気配が残っている。

 昨日、
 僕の唇に触れた彼の手のひら。

 一瞬だけ重なった温もりが、
 まだ離れない。

 言葉よりも先に、
 そこに居てもいいのだと
 許された気がした。

 人の温度は、

 こんなにも
 拭えないものだったろうか。

 ベッドの端に腰掛け、
 自分の唇にそっと触れる。

 思い出すのは、
 無造作で、少し荒い手。

 ほんのり温かい、
 絵の具だらけの大きな手。

 今度は
 いつ触れることができるだろう。


 僕はまだ、
 この場所に慣れていない。

 でも――


 彼が許す限り、
 ここに居たいと思った。』