境界線の向こうに眠る

 本当は学校になんて来たくなかった。でも、ずる休みをする勇気なんてわたしにはない。そして、その時は突然やってきた。

「ちょっと美月!ビッグニュース、東条くん彼女と別れたんだって!」

三限が終わり、トイレから帰ってくるなり玲香ちゃんはそう話す。きっとトイレで誰かが話しているのを耳にしたのだろう。

「そうなんだ」

ここで「知ってる」なんて答えたら、“どうして教えてくれなかったの?”と詰められてしまう。

 目の前の玲香ちゃんは不服そうな表情を浮かべている。

「この前の話覚えてないの?」
「あっ、東条くんに告白するって話?」

言っていて胸が苦しくなるけれど、覚えてないふりをしても仕方がない。玲香ちゃんは「そこで!」と、笑顔を浮かべる。その笑顔を、望ましくないことが起こる前兆だと感じた。鍋で沸かしたお湯が吹きこぼれる少し前、一瞬静まり返るあれと同じ静けさのあと、綺麗なピンク色の唇から残酷な言葉が吹き出した。

「部活終わりに美月から東条くんに話してほしいんだ、玲香が彼女になりたがってるって」

まさかの申し出に言葉を失った。玲香ちゃんが告白するところを想像するのも辛かったのに、わたしが言う?そんなの考えもしなかった。

 わたしの気持ちをよそに玲香ちゃんは更に追い打ちをかけてくる。

「友達でしょ?協力してよ。わたしも美月になんかあったら協力するからさ、だからお願い」

上目遣いでわたしを見る玲香ちゃん。その顔はとても可愛くて、きっと玲香ちゃんなら東条くんも受け入れるだろうなと素直に思う。だから辛いんだ。

 ――このまま自分の気持ちを隠して玲香ちゃんに協力するなんて、やっぱりできない。

「玲香ちゃん、わたしね……」

勢いで言ってしまおうと思っていたのに、玲香ちゃんの表情が曇ったから言葉が止まった。

「なに?」
「あっ、うん!わかった協力するよ……」

自分が嫌になる。人の顔色が気になって仕方がない。少しでも暗い表情をされると萎縮してしまう。我慢しなきゃって自分の気持ちにブレーキを掛けて本当のことが言えなくなる。目の前の人を自分のせいで不幸にしたくないって思う。

***

 フリースローラインから放ったボールがリングに弾かれる。この部活が終わったら、わたしは東条くんに玲香ちゃんのことを話す。そして、きっと二人は付き合う。わたしはそれを祝福して、二人が別れない限り、これからずっと聞かされるであろう近況報告を笑顔で聞き続ける。玲香ちゃんの申し出を受けたということは、それも含めて承諾したということだ。

 部活が終わり、昇降口で東条くんを待った。

 暫くすると、男子部員の声が聞こえ東条くんが姿を現した。東条くんを引き留めると、廊下の窓際まで誘導した。

「ごめんね、ちょっと話があって」

東条くんは何も言わず、わたしをじっと見つめながら言葉を待っている。わたしから告白されると思っているのが、東条くんから伝わってくる。早く誤解を解きたくて急いで要件を話した。

「玲香ちゃんが、東条くんのこと好きなんだって。付き合ってほしいみたい」

簡潔に伝えると東条くんは、あっそっち?みたいな表情をすると口を開いた。

「俺、美月と付き合いたいけどね」

頭の中が真っ白になった。耳に入ってきた言葉の意味を理解できない。必死に頭の中を整理して、ようやくその意味を理解した瞬間、これまでで一番大きな後悔が押し寄せてきた。“今からでも玲香ちゃんに本当のことを話したい”そんなずるい考えが浮かんでしまう。でも、協力すると約束した癖に、東条くんと付き合うなんて、そんな酷いことはできない。それなのに、好きな人から付き合いたいと言われた、その奇跡のような出来事を自分から手放すこともできない。葛藤に揺れているわたしに東条くんは「玲香に内緒で付き合うのはどう?」と、喉から手が出るほど魅力的な言葉を囁いた。

「内緒で?」
「そう、内緒で」

 鼻の前にすっと人差し指を立てる東条くん。わたしたちの仲が悪くならないように配慮してくれている東条くんに、今すぐにでもいい返事をしたいけど、やっぱり気が引けてしまう。かといって断ることもできず「考えさせて」と答えた。