境界線の向こうに眠る

「君、大丈夫?」

顔を上げた瞬間、鮮やかな金色が目に飛び込んできた。オレンジ一色に染め上げられた夕方の商店街に突如現れたその人はわたしの目の前に立つと手に持ったペットボトルを軽く持ち上げた。

「飲む?」

なにか言わなきゃと思うのに体が固まって声が出せない。とにかく情報が混沌としていて処理しきれないでいる。それもその筈、目の前に立つその人が身に纏っている制服は、不良たちの巣窟と言われているこの町の問題児が集まる東風学園のもの。

 東風学園の悪い噂はあとを絶たない。喧嘩やかつあげは当たり前、教師にすら手を出すらしい。当然のことながら東風学園の生徒には絶対に関わるなと両親からきつく言われている。それはうちの親に限ったことではない。高校生の子供を持つ親は皆、同じことを言って聞かせる。まともな人はひとりもいないと言われている東風学園、その制服を着た人が今、目の前に立っているのだから声なんて出せる筈がない。

ペットボトルにプリントされたいちごの上を水滴が筋を描いて流れ落ち、ごくりと唾を飲むと彼は首を傾げた。

「暑くてしんどそうだからなんか飲んだ方がいいかと思って」

「えっ」と小さな声が漏れる。彼は確認するようにペットボトルを見ると「あっ」と言って腕を降ろすと「こんな甘い飲み物駄目か。しかも俺一口飲んでるし」そう言って頬を緩める。

彼は、わたしがイメージする東風学園の生徒とはあまりに掛け離れている。親切で声を掛けてくれているみたいだし、目つきも悪くない。しかも東風の生徒がいちごみるくなんて甘い飲み物飲む?それは偏見だけど。とにかく怖い雰囲気がどこにもない。金髪と耳に光るピアス以外東風のイメージに合った部分は一つも見当たらなかった。

「大丈夫です」

頭を下げて足を踏み出した瞬間、彼はわたしの手首を掴んだ。

「待って」

振り払うこともできた筈なのに、足が勝手に止まった。掴んだ手に優しさが宿っていて、まるで全身を包まれているような温かさが伝わってくる。この人が悪い人ではないことは嫌なくらいわかるけど、関わってはいけないという気持ちは変わらない。もしも、こんなところを親に見られたら――そう考えるとこの手を振り払うしかなかった。

「ごめんなさい、わたし帰ります」

手首をするりと抜き、背中を向けると足早に歩いた。今更ながら東風の男子と話してしまったことに驚いて心臓が早鐘を打つ。絶対に関わらないと決めていた人とたった今言葉を交わし、しかも手首まで掴まれたなんて事実、到底受け入れ難い。歩く速度を上げると後ろから声が聞こえてきた。

「あっ!そっか俺、今日制服だった。怖がらせてた?」

それは、間違いなく彼の声で、間違いなくわたしに向けられている。ここは無視してこのまま立ち去った方がいいと頭ではわかっているのに、彼の言葉に足を止めずにはいられなかった。

東風の生徒なのに全然イメージと違って、金髪だけど怖いとかそんな雰囲気がまったくなくて、うまく説明できないけれど、なんだか発言が可笑しくて、つい興味を引かれてしまったんだ。   

 振り返ると強い西日に遮られ、目を細めても目頭を手で覆っても彼の表情は見えない。そのせいだと思う、自然と言葉が出た。

「怖くないよ、それに、制服着てなくてもその髪の色でわかる」

 返ってくる言葉を楽しみにしている自分がいることに気が付く。

 彼が駆け寄ってくるのが見え、やっぱり背中を向けて走り去ろうか迷うけど、屈託のない笑顔と金色に光る髪の毛は街を一色に代えてしまう強い日の光がかすむ程に鮮やかで、わたしはそこから一歩も動けなくなった。

 子供の頃、初めて両親に連れて行ってもらったひまわり畑を思い出した。車中から見えたひまわり畑のどこまでも続く黄色にワクワクしたのに、近づいたら太陽よりも存在感のある大きなひまわりに圧倒されてそこから動けなくなった。

 「アイス好き?」

彼は、わたしの後ろを指差した。

「あっちにコンビニあるからアイス買おう。俺が一口飲んだジュースよりそっちの方がいいでしょ?」

 彼のペースに飲み込まれて思わず首を縦に振りそうになる。あれほど東風の生徒に関わるなと親に言われてきたし、言われなくても関わるつもりなんて微塵もなかった。それは、東風学園には不良しかいないから――それだけじゃない。わたし達家族にとって東風学園は許せない存在なんだ。名前を聞くのも嫌なくらい憎い存在。東風の生徒と関わることは家族を裏切ることに匹敵する。

「帰ります」

 去年の夏、わたしのお姉ちゃんは死んだ。バイク事故だった。運転していたのは東風学園の生徒で、お姉ちゃんはその後ろに乗っていた。

 わたしは逃げるようにその場を立ち去った。手首には彼の感触が暫く残っていた。