土曜日、わたしは予定通り楓の元へと電車で向かった。母には直接、父には電話で事情を説明した。父にどこの病院かを聞かれ、嘘をついた方がいいのか、正直に言った方がいいのか迷った。“青葉野”と聞けば、父がなにかを勘ぐるかもしれない。それでも、とっさには嘘をつけず、結局、正直に青葉野の総合病院と答えた。経営者である父は、自分で時間を調整できる。病院までは自分が送っていくと、思った通りの返事が来た。
駅を出ると父が待っていた。病院に着くと父は「駐車場で待ってるから」と言って、忙しいことを示唆するように腕時計に視線を落とした。
病院では、意外にもあっさりと楓の病室を教えてもらえた。エレベーターに乗ると途端に不安と緊張に襲われ、早く傍に行きたいのに、どんな姿でいるのかと思うと怖くなってしまう。こんなわたしにいつものように楓の方から駆け寄ってきてくれることはない。自分の足で、そこまでたどり着くしかない。
病室の前に着くと、名札を確認した。
【一ノ瀬楓】
わかってはいるのに、本当に楓がここで眠っているのだと思うと信じられない気持ちになる。いつも自由にあちこち飛び回る楓がそこで大人しくしているなんて想像もつかない。なにかの間違いかもしれないなどと思えてきて、間違いであることを確認しなくてはと病室に入った。
四人部屋では、窓際のベッドだけカーテンが閉じられていた。一つは空きベッドで、ほかの二つのベッドでは、二人の老人が寝息を立てて眠っていた。
窓際に行くとカーテンに手を伸ばす。カーテンに触れた瞬間、そこに楓がいることを強く感じた。全身が楓の空気に包まれ、わたしは引き寄せられるようにカーテンを開けた。
「楓、会いにきたよ」
楓は静かに眠っている。周りには楓の命を繋ぐものが整然と置かれていた。
椅子に座ると、布団の上から楓の体にそっと触れた。胸がゆっくりと上下しているのを感じると途端に涙が溢れた。
楓の状態を理沙ちゃんから聞いていた。意識が戻るかはわからなくて、もし戻ったとしても記憶障害や運動麻痺、失語症、視覚や聴覚の障害など、いろんな障害が出る可能性があると。
「楓、起きてよ楓……」
楓はまったく起きようとしない。眠りから抜け出す気配すらない。遠い世界に行っていて、わたしがここにいることに気が付いていないようだ。なにか話そうにも、もうそれ以上言葉が出てこず、楓の腕に突っ伏した。少しすると誰かが入って来た足音が聞こえ、カーテンが開く。顔を上げるとそこにいたのはヒロさんだった。
「どういうつもり?」
ヒロさんはわたしの腕を掴み、その場に立たせた。けれど、すぐにその手から力が抜ける。わたしから顔をそむけるように俯き、唇を強く噛んだ。そして再び腕を掴むと、今度は椅子に座らせるように下へ引っ張った。
「楓の傍にいてやって、目覚ますかもしんないから」
そう言葉を残しヒロさんは病室を出て行った。わたしにそれを言うのが、どれ程辛かっただろう。ヒロさんは楓の為ならどこまでも自分の感情を押し殺した。わたしはヒロさんを追った。
「待ってヒロさん」
ヒロさんは振り返ることなく立ち止まった。
「わたし、なにもわかってなかった。楓をあんな目に遭わせてしまって本当に……ごめんなさい」
ヒロさんは顔だけこちらに向けると「責任感じてるなら絶対に楓のこと起こして。わたしたちの楓を連れ戻してよ」と目に涙を浮かべると、それが零れる前に正面を向き、足早に歩いて行った。その背中には寂しさの影が濃く滲んでいた。
楓にはたくさんの仲間がいて、今、仲間たち全員が悲しんでいる。“わたしたちの楓を連れ戻してよ”ヒロさんの言葉はずっと頭から離れなかった。
楓の傍に戻るとその手を握った。
「楓、起きてよ、ねぇ楓、楓」
返事が返ってくることはなかった。
駅を出ると父が待っていた。病院に着くと父は「駐車場で待ってるから」と言って、忙しいことを示唆するように腕時計に視線を落とした。
病院では、意外にもあっさりと楓の病室を教えてもらえた。エレベーターに乗ると途端に不安と緊張に襲われ、早く傍に行きたいのに、どんな姿でいるのかと思うと怖くなってしまう。こんなわたしにいつものように楓の方から駆け寄ってきてくれることはない。自分の足で、そこまでたどり着くしかない。
病室の前に着くと、名札を確認した。
【一ノ瀬楓】
わかってはいるのに、本当に楓がここで眠っているのだと思うと信じられない気持ちになる。いつも自由にあちこち飛び回る楓がそこで大人しくしているなんて想像もつかない。なにかの間違いかもしれないなどと思えてきて、間違いであることを確認しなくてはと病室に入った。
四人部屋では、窓際のベッドだけカーテンが閉じられていた。一つは空きベッドで、ほかの二つのベッドでは、二人の老人が寝息を立てて眠っていた。
窓際に行くとカーテンに手を伸ばす。カーテンに触れた瞬間、そこに楓がいることを強く感じた。全身が楓の空気に包まれ、わたしは引き寄せられるようにカーテンを開けた。
「楓、会いにきたよ」
楓は静かに眠っている。周りには楓の命を繋ぐものが整然と置かれていた。
椅子に座ると、布団の上から楓の体にそっと触れた。胸がゆっくりと上下しているのを感じると途端に涙が溢れた。
楓の状態を理沙ちゃんから聞いていた。意識が戻るかはわからなくて、もし戻ったとしても記憶障害や運動麻痺、失語症、視覚や聴覚の障害など、いろんな障害が出る可能性があると。
「楓、起きてよ楓……」
楓はまったく起きようとしない。眠りから抜け出す気配すらない。遠い世界に行っていて、わたしがここにいることに気が付いていないようだ。なにか話そうにも、もうそれ以上言葉が出てこず、楓の腕に突っ伏した。少しすると誰かが入って来た足音が聞こえ、カーテンが開く。顔を上げるとそこにいたのはヒロさんだった。
「どういうつもり?」
ヒロさんはわたしの腕を掴み、その場に立たせた。けれど、すぐにその手から力が抜ける。わたしから顔をそむけるように俯き、唇を強く噛んだ。そして再び腕を掴むと、今度は椅子に座らせるように下へ引っ張った。
「楓の傍にいてやって、目覚ますかもしんないから」
そう言葉を残しヒロさんは病室を出て行った。わたしにそれを言うのが、どれ程辛かっただろう。ヒロさんは楓の為ならどこまでも自分の感情を押し殺した。わたしはヒロさんを追った。
「待ってヒロさん」
ヒロさんは振り返ることなく立ち止まった。
「わたし、なにもわかってなかった。楓をあんな目に遭わせてしまって本当に……ごめんなさい」
ヒロさんは顔だけこちらに向けると「責任感じてるなら絶対に楓のこと起こして。わたしたちの楓を連れ戻してよ」と目に涙を浮かべると、それが零れる前に正面を向き、足早に歩いて行った。その背中には寂しさの影が濃く滲んでいた。
楓にはたくさんの仲間がいて、今、仲間たち全員が悲しんでいる。“わたしたちの楓を連れ戻してよ”ヒロさんの言葉はずっと頭から離れなかった。
楓の傍に戻るとその手を握った。
「楓、起きてよ、ねぇ楓、楓」
返事が返ってくることはなかった。

