境界線の向こうに眠る

 バイクは橋の上を走っていく。夜、十一時を過ぎた九月の終わり。冷たい空気に全身が冷やされているのに、体は楓の体温を感じ取ることに一生懸命でそのことに気が付かない。信号は不親切に青、青、青と続き、あっという間に家のすぐ傍のコンビニまで来てしまった。そこの角を曲がれば数秒で家に着く。バイクが角を曲がり、別れを惜しむように楓の体に回した手に力を入れた瞬間、目に飛び込んできた赤。呼吸が止まり、心臓がバクバクと音を立てる。

「ねぇ…楓……」

楓はスピードを落とす。

家の前にはパトカーが停まり、赤色灯が断続的に辺りを照らしている。両親と二人の警察官の姿が見え、バイクのライトに気が付くと全員の目がこちらに向けられた。

「通報されちゃったかな」
「えっ!」

母が警察官に訴えかけるようにわたしたちを指差す。その様子を見て、なにが起きているのかをようやく理解した。

 バイクを停めると楓はヘルメットを脱ぐ。わたしもそれに合わせてヘルメットを脱いだ。父が物凄い剣幕でわたしたちの元へ足を踏み出すと、警察官が「ちょっとお父さん」と手の平を父の方に向けた。

わたしたちはバイクから降り、楓は両親に深く頭を下げる。警察官が駆け寄り、わたしの名前を確認した。

「小川美月さんですか?」
「はい」

返事をするとわたしと楓を引き離すように「ちょっとこちらに」と誘導される。楓の前には別の警官が立つ。その背中からは、絶対にわたしに近づけさせないと言った強固な意志を感じる。楓の顔を見ると“大丈夫”というようにわたしにしかわからない程度に頷いた。

「ご家族から連絡がありまして、まずはお怪我はないですか?」

腰を低くしわたしに目線を合わせ、いたわるような優しい口調でそんな言葉を掛けられ変な気持ちになる。わたしが怪我をしているように見えるのだろうか?そう思って警察官の目を見るけれど、硬い制服に身を包み、完璧に訓練されたその人の感情の在り処を探ることなどできやしない。

「怪我なんてしてないです」

そう答えるとすぐに次の質問が飛んでくる。

「なにか困ったことは?」

わたしがなにか困っているように見えるのだろうかとまた、思う。けれど、わたしを見つめるその目は“大丈夫だからなんでも話して”と言っている。こんな風に見つめられたらなにか困っている気になってくる。感情は読み取らせないけど、信号は送ってくる。油断をしたら飲み込まれてしまいそうだ。

「ありません」

次の質問も端から準備されていたかのようにすぐに飛んできた。

「帰りたいと言ったら帰れる状況でしたか?」

この警察官は完全に、誘拐事件として扱っている。楓は犯人で、わたしは被害者。楓はどんなことを聞かれているのだろう。声は聞こえて来るけれど、話の内容までは聞き取れない。ただ、質問に対して丁寧に答えているのはその様子を見ればわかる。

「彼と一緒にいたのはわたしの意志です」

もう、いい加減にしてほしかった。わたしが自分の意志で楓のところに行ったことをわかっているのに、こんなことまでしてわたしたちを引き離そうとする親にうんざりした。楓を犯罪者にでも仕立て上げようとしているのかと思うと許せない気持ちでいっぱいになった。

「彼に脅されたり、暴力を振るわれたりはしていませんか?」

その質問はわたしの心をかき乱した。思いつく限りの汚い言葉を投げつけてやりたかった。でも、その顔に張り付いた誠実な表情も、低く腰を下ろし寄り添うように話す口調も、準備されていたかのような質問も、今やすべてが儀礼的に見える。怪我をしてるように見えようが見えまいが、困っているように見えようが見えまいが、とにかく準備されたものを淡々と消化していくしかない。この人にとってこれは、ただの作業。それなら、彼にとって必要で、わたしにとっては無駄なこのやり取りを、さっさと終わらせてやろう。任務に捕らわれた気の毒な大人に、協力してやるしかない。

「はい。そういったことはありませんでした」
「自分の意志で彼と一緒にいた、それで間違いないですか?」
「はい、間違いないです」

質問は以上となり、楓と話していた警察官と、わたしと話していた警察官が、両親へと報告する。それもまた儀礼的だった。

 警察からの説明が終わると、わたしは二人に謝った。

「お父さん、お母さん、心配かけてごめんね。もう、こんな心配掛けないから」

 本当は、怒鳴りつけてやりたかった。それでも、わたしは笑顔を作った。楓は「ご迷惑をお掛けしました」と深く頭を下げるとバイクに跨った。

 用意された選択肢が少ない学生のわたしたちは、その選択を間違わないように細心の注意を払わなければならない。もしも間違った選択をしてしまえば、容易に潰され壊され引き裂かれてしまうのだから。哀れで脆弱な生き物だ。けれどその分わたしたちは、親の目を盗むことに長けている。

 ポケットの中でスマホが震える。楓と目が合った。

 社会人になってしまえば金髪もピアスもバイクもなんの問題もなくなるのに、学生というだけで親たちは大騒ぎをする。東風と聞けば顔をしかめ、悪い奴と決めつける。楓が高校を卒業して起業した時、仕事を依頼した人が「あなた高校はどこ?」と聞き「東風学園です」と答え「じゃあ、結構です」なんて滑稽なやり取りある筈がない。でも、それは未来の話で、今は違う。東風だの金髪だの、そんな些細なことが子を持つ大人達にとっては、大問題なのだ。一緒になって大問題として捉えてやるのも親孝行の一環なのかもしれない。だから今しばらく付き合うことにしよう。わたしを心配してじたばたする、親というかけがえのない存在を愛おしく思いながら。

***

 ベッドの中でスマホを開いた。

[おやすみ]

同じ言葉を返信すると目を閉じた。