境界線の向こうに眠る

 わたしたちはスマホのライトを消すと、窓から差し込む月明かりだけを頼りに、お互いの表情を見つめていた。

「ねぇ楓?楓って中学生の時、そんなに悪かったの?」

前は知るのが怖かった楓のもう一つの顔。それが今ではどんなことでも知りたくてこんな質問をしている。

「えっ?なにその話?」
「聞いたよ葵くんとアヤセって人から。それとヒロさんからも」
「やっぱり、葵のことは知ってたんだ。家近いから知ってるかなとは思ったけど……」
「子供の頃はよく遊んでたけど、中学生になってから別人みたいになっちゃって。ずっと話したことなかったんだけど、この前たまたまコンビニの前で会って、その時楓のこといろいろと聞かされて」
「でも、たぶんきっとおそらくそれ全部嘘」

言葉が取っ散らかっている。楓は反応を伺うようにこっちをちらっと見た。

「じゃあ、バイク盗んだっていうのは?」
「それは⋯⋯本当かも」
「かもってなに?バットで車壊したのは?」
「本当?」
「なんで疑問形?傷害事件で警察に連れて行かれたは嘘?」
「ごめん、本当」
「自分の思い通りにならないとすぐ人ぶん殴るし、しかも人からお金取るって言ってたよ」
「前者は本当で後者は嘘」

ここまで悪いことをしている楓に、掛ける言葉が見つからない。唯一いいところを上げるなら、過去に自分がやった悪事を、武勇伝のように語ったりはしないところ。

「お年寄り騙したお金でバイク買ったっていうのは?」
「それは、大嘘」

それが嘘で安心した。でも、まだ一つ気になっていることがある。次の質問の答えは、嘘に決まっている。楓をまったく疑ってはいない。ただ、わたしに楓を誤解させようとする意図を知りたい。

「アヤセっていう人から、楓にレイプされたでしょ?て聞かれたよ」

楓は顔をしかめると「いかにもあいつっぽいな」そう言ってアヤセくんについて話し始めた。

「アヤセとは高校は別だったんだけど、お互いバイクの免許取ってからつるむようになったんだ。それから俺の周りのやつらがも、次々とバイクの免許取ってさ。最初はみんなでいろんなところに行って、普通に楽しんでいた。けど、いつの間にか暴走族みたいになってきて。あの時、アヤセが一番面倒起こしてたから「暴走族やりたかったらこっから抜けろ」て言って。そうしたらもう、次の日からあいつの趣味は、俺のあることないこと言いふらすことになっちゃってさ」
「葵くんも楓のこと酷い言い方してたけど」
「葵と話すようになったのは、高一の一学期が終わった頃で、あの頃あいつ、住んでるところが桜雅ってだけでこわっぱみたいな扱いされて孤立しててさ。なんか気の毒で仲間に入れてやったんだけど、あいつ凄い高そうな革ジャンとか盗んできて自慢するから怒ったら拗ねちゃって」
「す、拗ねっちゃったの?」
「そう、本当に、引く程拗ねちゃって。しかも、何回やめろって言っても言うこと聞かなくて、挙句、仲間と一緒にいる時にグミ万引きして、万引きGメンから捕まって。一緒にいたやつらまで調べられてさ。さすがにもう仲間にしておけないなって思って『抜けろ』って言ったら学校やめて。それからはアヤセと趣味が一緒になっちゃって、今では仲良しってわけ」

楓は「はぁ」とため息をつくと、話を続けた。

「仲間がたくさんいると、それだけ話題もあって楽しいんだけど、中には変な方向に行くやつもいてさ。中学の頃、散々なことをしていた俺が偉そうに言うなって話なんだけど。でも、だからこそ、人に迷惑掛けないで仲間だけで楽しめることをしたいって思ったんだよ。その為には、どうしても切らなきゃいけないやつが出てきて。なにかやらかす度に他のやつらまで疑われて、事情聴取とかされてしまうから。だから、仲間に迷惑を掛けるやつは切るしかなくて。それで、あの日琉依と喧嘩になったんだよ。琉依が仲良くしていたやつが恐喝で捕まって、俺がそいつを切るって言ったから」

 深い沈黙が降りる。わたしはどんな言葉を掛けようかと考えるけど見当たらない。楓は悪くない。間違ったことをしたとは思えない。仲が良かった人を切ると言われて怒る琉依くんの気持ちもわからなくはない。二人とも仲間を思う気持ちから喧嘩になった。ただ、それだけのことなのに、琉依くんは死んでしまった。楓は自分のせいだと責任を感じて苦しんでいるけど、そんなことを言ったらどこまでも遡ることができる。喧嘩をしたせいで。友達が恐喝をしたせいで。バイクの免許を取ったせいで。東風学園に入ったせいで――と。生まれるところまで遡れてしまう。

――やっぱり、事故が起きてしまったのは運転手の責任なんだ。

 静寂を楓の声が小さく揺らす。

「琉依がいなくなってからも、自分の判断が間違っていたとは思えなくて。あいつのことは切るしかなかったし、そうなれば琉依がキレるのも必然で。だから、あの喧嘩はどうしたって起きてしまうことだった。でも、俺は最大の失敗をした。あの時、琉依の気持ちを落ち着かせてから、静花のところに行かせるべきだった」

楓の後悔は、わたしが考えていたものとは違った。そう言えば、前にも楓はそう話していた。でも、あの時はショックが大きくて、ちゃんと理解していなかった。今はわかる。楓の後悔しているところが、やっぱり楓だなと思う。“あの時、喧嘩をしなければ”なんて、そんな簡単な答えを出したりはしていなかった。どんなに悲しくても、芯がぶれることはなかったんだ。もしも楓が悲しみに溺れて、恐喝した人を切ったことを後悔したり、琉依君と喧嘩したことを後悔するような人だったら、きっと仲間はついてこない。なにかがあった時、考えがぶれてしまうような人ではないから、みんな楓を信用して付いて行くんだ。そして、楓はどこまでも人を大切にする人で、だから、仲間を切って一番辛かったのは楓だったのだと思う。

「もう、苦しまないでよ。楓が苦しいとわたしも辛いから」

楓はわたしの頭をそっと撫でると家族の話をした。それは、頭の中にある光景から心を切り離したような、淡々とした口調だった。

「俺、中学の頃、毎日イライラしていて、誰か殴ってるか、もの壊してなきゃどうにもならなくてさ。うち、父親が相当ヤバいやつで、仕事しないくせにギャンブルはするし、おまけに酒乱で母親に暴力振るうっていう絵にかいたようなクズでさ。そんな父親が子供の頃は怖くて仕方がなかった。殴られてる母親を守るどころか背中に隠れていた。でも、中学になって格闘技始めて。あっさり父親倒して。それから父親は俺を怖がるようになって。犬みたいに尻尾振って機嫌を取るようになったんだよ。それが自分の父親だと思うとイラついて仕方がなかった。格闘技はあっさりやめて、それからかな、人に暴力を振るうようになったのは。しかも、そんな最中母親に癌が見つかって。もう自暴自棄になって暴れまくってた。母親を守りたかったのに悲しませて、そんな自分にまたイラついて。悪循環ってやつ。母親が死んでからも、暫くそんなんだった」

 子供の頃から楓は暴力がある環境で育ってきて、いつしかその暴力を使う側になった。コントロールできない衝動に自分自身が振り回され、他人と自分、どちらも傷付ける日々はどれ程辛かっただろう。

「よく、乗り越えたね……」

そんな言葉しか出せなかった。

「乗り越えたっていうか、東風入ったら俺よりも酷い環境で育ったやつがゴロゴロいてさ。なんか腐ってるのがアホらしくなって」
「じゃあ、東風に入ったおかげだ」
「そういうことになる」

わたしたちは目を合わせると、ふっと笑った。

「そういえば、&loopって古着屋さん知ってる?わたし葵くんたちの言うことが信じられなくて、そうしたら、アヤセって人がそのお店に楓のヤバい動画があるから見せてもらいなって言ってたけど」

余程見られたくないものでもあるのか、一気に空気が変わったのを感じる。緊迫したような、冷たい空気。

「まさかそこまで落ちぶれてたとは。あいつら」
「どういうこと?」
「&loopは表向きは古着屋だけど、素人捕まえてAV撮影して金儲けしている店なんだよ。美月がそこに行けば、葵たちはその取り分をもらえたってわけ」

あの時、二人が何か企んでいるような顔をしていたことを思い出した。

「なんか企んでそうではあったんだけど、そういうことだったんだ――えっ!じゃあ、楓のヤバい動画ってその……男優的な?」
「バカ!んな訳ねぇだろ!」

初めて楓にバカと言われた。

「あっごめん。いや、でも、わたしはAVなんて当然断っていたよ」
「ごめん、思わず言葉汚くなった。それでも行ったら最後、抵抗すればレイプものとして売るんだよ」

“奈落街”どこまでも醜い町だ。

「あいつらマジふざけあがって。美月との約束破る訳いかないから、俺があいつら抑える係やるから、美月はぶん殴る係やってくれない?」
「それ、いいかも」
「でしょ!」
「冗談だから!」