それから楓はいろんな話をしながら学校を案内してくれた。
お昼ごはんを食べる場所は廊下で、授業をサボる場所は非常階段。保健室はいつも寝たい人でベッドが埋まっていて、空いていたらラッキーだとか。北翠ではあり得ない話が次々と飛び出した。
二階の職員室の前を通り過ぎると、室札のない部屋があった。
「ここってなに室?」
「ここは謹慎処分になったやつが閉じ込められる部屋」
「えっなにそれ?」
楓がドアを開けると、そこはとても狭く物で溢れ返っている。左右に積み上げられた段ボール箱の間を、身体を横にして進むと、窓の前に机と椅子があった。
「謹慎になったやつは、ここで反省文書いたり教師に決意表明したりするらしいよ」
その口ぶりから、楓は謹慎になったことはないとわかる。
「一日だけ?」
「一週間とか」
「えっ毎日反省文書いて決意表明するの?」
「いや、それは一日だけで、あとはプリントやったり」
廊下に出ると今度は四階へ向かう。
「俺はやんないんだけど、四階のトイレはタバコ吸う場所になってる。教師は敷地の外で吸ってるのに」
「なんか……切ない。それで?先生にバレないの?」
「面倒だから知らないふりしてる。だからたまに俺がおどかしに行ってる。こらー!て」
四階に着くと、その煙草を吸う場所になっているトイレの前を通過し、突き当り手前の教室の前で楓は足を止めた。
「ここ部室」
「部活に入ってるの?」
「うん、活動内容はおしゃべり」
「それが部活なの?」
「てことにしてる」
到底部活動とは言えないのに部室があるなんて、本当に東風には驚かされる。
中に入るとそこには、教室と同じように黒板があった。だけど、広さは半分もない。無機質なグレーのデスクが四つ、四角く並べられ、空のペットボトルや、お菓子の箱が散乱している。あちらこちらに椅子が置いてあり、黒板にはなにやらごちゃごちゃと下手な絵や字が書かれている。楓の部屋とは正反対の散らかった場所だ。
黒板の中に楓の名前を見つけた。
【しゃべり部部長一ノ瀬楓】
「楓、しゃべり部の部長なんだね……」
目線を下に移すと【今日のテーマ】と書かれていて、部活らしいこともしているのかと思えばテーマは【1日だけ楓くんになれたらなにをする?】で、その下には、口にするのも憚られるような卑猥なことが書かれていた。イケメンを活かしていろんな女子と――みたいなことや、告白してきた女子全員と――みたいなことだ。
そしてまた、楓の名前を見つける。
【今月楓くんが告白された人数】
と書かれた下に“正”の字が二つ並んでいる。
楓は慌てた様子でわたしの肩を掴むと体を反転させた。
「楓ってモテるんだね」
なんとなく東風には男子のイメージがあったけど、ここは紛れもなく共学校。比率はわからないけど女子だっている。今まで考えたことはなかったけど、楓がモテるのは当然だ。
「あれは、後輩のいたずら。ていうか告白してきたのって全員男だし」
いつも予想できないことを言う楓だけど、これはなんか違う。力ずくというか強引と言うか無理やりだ。
「信じると思う?」
「きっと」
「そんな訳ないでしょ!まぁそりゃモテるよね。けど、まさか一ヵ月で十人とは驚きだけど」
それなのになんでわたし?と心の中で呟く。明日楓と離ればなれになった時、他の女子に目移りしてしまうのではないかと不安になる。それを口に出そうか迷っていると楓の声が聞こえてきた。
「でも俺、初めて美月を見た日から一度も誰かと付き合ったことはないよ。美月と一緒になりたかったから、その時がいつ来てもいいようにずっとフリーでいた」
その声には誠実さが含まれていて、だからわたしの不安は静かに消えて行った。
楓は黒板とは反対側の壁にライトを当てた。すると、そこには使い捨てカメラで撮った写真がたくさん貼ってあって、楓は壁際まで行くと一枚の写真を指差す。
「これが琉依」
わたしは、ゆっくりと近づいた。
「この人がお姉ちゃんの……」
そこには笑顔の五十川琉依がいる。髪の毛は金髪で、耳にはたくさんのピアス。つり目で細い目はいかにもやんちゃそうなのに、人懐っこそうな笑顔には人を惹きつける魅力がある。どことなく、なにか仕出かしてしまいそうな危うさを感じるのは、この後に起こることを知っているからかもしれない。
先入観でもっと怖い感じの人なのかと思っていたけど、好奇心旺盛で素直なのがその目に現れていて、想像よりずっと親しみやすそうな人だった。だから、お姉ちゃんがこの人を好きになったことを意外には感じなかった。
五十川琉依が写っている他の写真にも目を向けた。変顔で写る写真に、トナカイの角を付けて真顔で写る写真。おかしな眼鏡をかけてキメ顔をしている写真や、仲間の背中に乗ってピースをする写真。ここに来る前に楓が言っていたように、たしかにここに五十川琉依がいて、写真から、彼がどんな人だったのかが伝わってくる。
楓に肩を寄せ、満面の笑みを浮かべる五十川琉依。上がった口角の左側に八重歯が見える。憎かった筈なのに、その笑顔を見ていると、もうこの人がこの世にいないということが、どうしようもなく悲しく思えた。
「楓、五十川琉依はお姉ちゃんのことが大好きだったんだよね」
「それはもう」
少し前までは、わたしたちに内緒で東風の男子と付き合っていたお姉ちゃんを心のどこかで軽蔑していた。でも今は、お姉ちゃんが恋をしていたことを嬉しく思う。
わたしは壁の前に置かれたボロボロのソファーに座ると、ここに来る前から決めていたことを楓に話した。
「楓、わたし、ちゃんと家に帰るよ。両親に謝って仲直りする。しっかり勉強して大学に入って、両親を安心させる。楓と一緒にいることを認めてもらう為に、わたしにできることをするよ。しばらくの間離ればなれになっちゃうけど……」
込み上げてくるものに言葉を阻まれる。泣かないで、ちゃんと伝えたいのに今、声を出したら震えてしまうのがわかる。ゆっくり息を吸い、気持ちを落ち着かせていると楓が隣に座った。
「絶対に週に一度は会いに行くし、電話は毎日するから」
やっぱりわたしの気持ちを落ち着かせてくれるのはいつだって楓だ。手に持ったスマホに目を向けた。
「これがあれば、いつでも楓の声が聞けるんだね」
「そう。初めて成人の権利を行使したのが選挙じゃなくて、美月に渡すスマホの契約でよかったよ」
そういえば楓は成人なんだなと思いつつ、誕生日も知らなかったことに気が付く。
「楓の誕生日っていつ?」
「九月三日。美月と商店街で初めて会った日」
「えっ!あの日、誕生日だったの?」
なんて言ってはみたものの、あの時それを聞かされていたとしても、「おめでとう」の一つも言わなかったかもしれない。楓はわたしの顔を覗き込むと「知ってたらプレゼントくれた?なんてね」そう言って笑顔を見せるとくすっと笑う。
「あの日、目の前に美月が現れた時、俺、本気で思ったんだ、神様からの誕生日プレゼントだって」
サンタさんを信じる子供みたいに、楓の笑顔は純粋で可愛くて、やっぱりこの人が好きだなと思う。楓はその綺麗な目を輝かせながら言葉を続けた。
「だから、一生大切にしようって思った。付き合えなくても、友達でもいいから美月の傍にいて、美月になにかあった時は必ず助けようって思った。美月と初めて商店街で会った時、なんて話し掛けていいかわからなくてさ、とっさに飲みかけのジュース「飲む?」とか言って。案の定拒否られて。もうさ、引き留めるのに必死だった」
「全然、そんな風に見えなかったよ」
「見せないようにするよそりゃ。怖いでしょ?知らない奴が目の前で必死になっていたら」
思わず吹き出すと、楓も一緒になって吹き出す。
「雨が降ってきた時、美月が傘持っていなかったのはラッキーだった。貸した傘返しに来たら、次はどうやって美月を引き留めようか考えてた。喫茶店に誘って、そこで美月に好きなやつがいるの知ってさ、あの時はマジで地獄だったけど、いいやつじゃなかったから安心してさ。いや、普通逆なんだけどね。それから美月を夜のドライブに誘って、半ば無理やりバイトにも誘って。美月と会う理由探すのに俺、いっつも頭の中フル回転させていた」
楓の話を聞きながら、その時のことを思い出す。楓はいつもマイペースでゆったりしていて、自由で自然体で。でも、そう見せていただけだった。あの時も、あの時も、楓は必死だったのだと思うと、嬉しいのに胸が苦しかった。
お昼ごはんを食べる場所は廊下で、授業をサボる場所は非常階段。保健室はいつも寝たい人でベッドが埋まっていて、空いていたらラッキーだとか。北翠ではあり得ない話が次々と飛び出した。
二階の職員室の前を通り過ぎると、室札のない部屋があった。
「ここってなに室?」
「ここは謹慎処分になったやつが閉じ込められる部屋」
「えっなにそれ?」
楓がドアを開けると、そこはとても狭く物で溢れ返っている。左右に積み上げられた段ボール箱の間を、身体を横にして進むと、窓の前に机と椅子があった。
「謹慎になったやつは、ここで反省文書いたり教師に決意表明したりするらしいよ」
その口ぶりから、楓は謹慎になったことはないとわかる。
「一日だけ?」
「一週間とか」
「えっ毎日反省文書いて決意表明するの?」
「いや、それは一日だけで、あとはプリントやったり」
廊下に出ると今度は四階へ向かう。
「俺はやんないんだけど、四階のトイレはタバコ吸う場所になってる。教師は敷地の外で吸ってるのに」
「なんか……切ない。それで?先生にバレないの?」
「面倒だから知らないふりしてる。だからたまに俺がおどかしに行ってる。こらー!て」
四階に着くと、その煙草を吸う場所になっているトイレの前を通過し、突き当り手前の教室の前で楓は足を止めた。
「ここ部室」
「部活に入ってるの?」
「うん、活動内容はおしゃべり」
「それが部活なの?」
「てことにしてる」
到底部活動とは言えないのに部室があるなんて、本当に東風には驚かされる。
中に入るとそこには、教室と同じように黒板があった。だけど、広さは半分もない。無機質なグレーのデスクが四つ、四角く並べられ、空のペットボトルや、お菓子の箱が散乱している。あちらこちらに椅子が置いてあり、黒板にはなにやらごちゃごちゃと下手な絵や字が書かれている。楓の部屋とは正反対の散らかった場所だ。
黒板の中に楓の名前を見つけた。
【しゃべり部部長一ノ瀬楓】
「楓、しゃべり部の部長なんだね……」
目線を下に移すと【今日のテーマ】と書かれていて、部活らしいこともしているのかと思えばテーマは【1日だけ楓くんになれたらなにをする?】で、その下には、口にするのも憚られるような卑猥なことが書かれていた。イケメンを活かしていろんな女子と――みたいなことや、告白してきた女子全員と――みたいなことだ。
そしてまた、楓の名前を見つける。
【今月楓くんが告白された人数】
と書かれた下に“正”の字が二つ並んでいる。
楓は慌てた様子でわたしの肩を掴むと体を反転させた。
「楓ってモテるんだね」
なんとなく東風には男子のイメージがあったけど、ここは紛れもなく共学校。比率はわからないけど女子だっている。今まで考えたことはなかったけど、楓がモテるのは当然だ。
「あれは、後輩のいたずら。ていうか告白してきたのって全員男だし」
いつも予想できないことを言う楓だけど、これはなんか違う。力ずくというか強引と言うか無理やりだ。
「信じると思う?」
「きっと」
「そんな訳ないでしょ!まぁそりゃモテるよね。けど、まさか一ヵ月で十人とは驚きだけど」
それなのになんでわたし?と心の中で呟く。明日楓と離ればなれになった時、他の女子に目移りしてしまうのではないかと不安になる。それを口に出そうか迷っていると楓の声が聞こえてきた。
「でも俺、初めて美月を見た日から一度も誰かと付き合ったことはないよ。美月と一緒になりたかったから、その時がいつ来てもいいようにずっとフリーでいた」
その声には誠実さが含まれていて、だからわたしの不安は静かに消えて行った。
楓は黒板とは反対側の壁にライトを当てた。すると、そこには使い捨てカメラで撮った写真がたくさん貼ってあって、楓は壁際まで行くと一枚の写真を指差す。
「これが琉依」
わたしは、ゆっくりと近づいた。
「この人がお姉ちゃんの……」
そこには笑顔の五十川琉依がいる。髪の毛は金髪で、耳にはたくさんのピアス。つり目で細い目はいかにもやんちゃそうなのに、人懐っこそうな笑顔には人を惹きつける魅力がある。どことなく、なにか仕出かしてしまいそうな危うさを感じるのは、この後に起こることを知っているからかもしれない。
先入観でもっと怖い感じの人なのかと思っていたけど、好奇心旺盛で素直なのがその目に現れていて、想像よりずっと親しみやすそうな人だった。だから、お姉ちゃんがこの人を好きになったことを意外には感じなかった。
五十川琉依が写っている他の写真にも目を向けた。変顔で写る写真に、トナカイの角を付けて真顔で写る写真。おかしな眼鏡をかけてキメ顔をしている写真や、仲間の背中に乗ってピースをする写真。ここに来る前に楓が言っていたように、たしかにここに五十川琉依がいて、写真から、彼がどんな人だったのかが伝わってくる。
楓に肩を寄せ、満面の笑みを浮かべる五十川琉依。上がった口角の左側に八重歯が見える。憎かった筈なのに、その笑顔を見ていると、もうこの人がこの世にいないということが、どうしようもなく悲しく思えた。
「楓、五十川琉依はお姉ちゃんのことが大好きだったんだよね」
「それはもう」
少し前までは、わたしたちに内緒で東風の男子と付き合っていたお姉ちゃんを心のどこかで軽蔑していた。でも今は、お姉ちゃんが恋をしていたことを嬉しく思う。
わたしは壁の前に置かれたボロボロのソファーに座ると、ここに来る前から決めていたことを楓に話した。
「楓、わたし、ちゃんと家に帰るよ。両親に謝って仲直りする。しっかり勉強して大学に入って、両親を安心させる。楓と一緒にいることを認めてもらう為に、わたしにできることをするよ。しばらくの間離ればなれになっちゃうけど……」
込み上げてくるものに言葉を阻まれる。泣かないで、ちゃんと伝えたいのに今、声を出したら震えてしまうのがわかる。ゆっくり息を吸い、気持ちを落ち着かせていると楓が隣に座った。
「絶対に週に一度は会いに行くし、電話は毎日するから」
やっぱりわたしの気持ちを落ち着かせてくれるのはいつだって楓だ。手に持ったスマホに目を向けた。
「これがあれば、いつでも楓の声が聞けるんだね」
「そう。初めて成人の権利を行使したのが選挙じゃなくて、美月に渡すスマホの契約でよかったよ」
そういえば楓は成人なんだなと思いつつ、誕生日も知らなかったことに気が付く。
「楓の誕生日っていつ?」
「九月三日。美月と商店街で初めて会った日」
「えっ!あの日、誕生日だったの?」
なんて言ってはみたものの、あの時それを聞かされていたとしても、「おめでとう」の一つも言わなかったかもしれない。楓はわたしの顔を覗き込むと「知ってたらプレゼントくれた?なんてね」そう言って笑顔を見せるとくすっと笑う。
「あの日、目の前に美月が現れた時、俺、本気で思ったんだ、神様からの誕生日プレゼントだって」
サンタさんを信じる子供みたいに、楓の笑顔は純粋で可愛くて、やっぱりこの人が好きだなと思う。楓はその綺麗な目を輝かせながら言葉を続けた。
「だから、一生大切にしようって思った。付き合えなくても、友達でもいいから美月の傍にいて、美月になにかあった時は必ず助けようって思った。美月と初めて商店街で会った時、なんて話し掛けていいかわからなくてさ、とっさに飲みかけのジュース「飲む?」とか言って。案の定拒否られて。もうさ、引き留めるのに必死だった」
「全然、そんな風に見えなかったよ」
「見せないようにするよそりゃ。怖いでしょ?知らない奴が目の前で必死になっていたら」
思わず吹き出すと、楓も一緒になって吹き出す。
「雨が降ってきた時、美月が傘持っていなかったのはラッキーだった。貸した傘返しに来たら、次はどうやって美月を引き留めようか考えてた。喫茶店に誘って、そこで美月に好きなやつがいるの知ってさ、あの時はマジで地獄だったけど、いいやつじゃなかったから安心してさ。いや、普通逆なんだけどね。それから美月を夜のドライブに誘って、半ば無理やりバイトにも誘って。美月と会う理由探すのに俺、いっつも頭の中フル回転させていた」
楓の話を聞きながら、その時のことを思い出す。楓はいつもマイペースでゆったりしていて、自由で自然体で。でも、そう見せていただけだった。あの時も、あの時も、楓は必死だったのだと思うと、嬉しいのに胸が苦しかった。

