境界線の向こうに眠る

 部活が終わり、家に帰ってくると、わたしはリビングに両親を呼んだ。ちゃんと話を聞いてもらえるかはわからない。けど、両親がわたしを大切に思ってくれているのであれば、きっと話を最後まで聞いてくれる。そう信じた。

 二人は黙ったまま椅子に座った。なにを言われても認めないという目でわたしを見ている。その視線に耐え切れず、最初に口から出たのは、考えていたものとは違う言葉だった。

「二人がお互いを好きになったように、わたしも楓のことが好きなの」

自分でも、こんなことを口にするとは思っていなかった。けれど、両親は顔色一つ変わらない。わたしは少し冷静になって話を続けた。

「会って話がしたいの。この前、ずっと待たせてしまったことも謝りたいし、それに伝えたいことがあるの」

父は「その必要はない」と言って咳払いをすると話を続けた。

「あの後すぐにメッセージは送っておいた」
「えっ?なんて?」
「もう二度と会うつもりはない。そう送っておいた」

 あの日、わたしは何度もベランダに出た。待ち合わせ場所に姿を現さないわたしの様子を見に、楓は必ず来てくれると思った。でも、楓が来ることはなかった。もしかしたら朝になってもずっとそこで待っていたのかもしれないと思った。約束を破ったわたしを嫌いになったかもしれないとも思った。でも、父がメッセージを送ったのなら、それを見た楓はすぐに帰ったに違いない。待っていなくて良かった。けれど、メッセージを見て、どんな気持ちで帰ったのかを想像すると胸が苦しくて仕方がない。

「わたしが送ったみたいにしたのはどうして?美月の父親ですって書かなかったのはどうして?」

込み上げる怒りを抑えて質問をしたわたしに、父は悪びれる様子もなくさらりと言った。

「その方が効き目があるから」

なんとも不愉快な響きに心が乱れそうになるのを、必死に抑えた。

「効き目?なにそれ?」
「これで、もうあいつはお前に近づかないだろ?本人に断られているんだから」
「なんで楓を傷つけるようなことするの?」
「悪い奴だから」
「知らないでしょ楓のこと」
「東風に入るようなやつだ。それだけで十分。いいか美月、まともなやつは東風には入らない。絶対にだ。つまり東風に入るやつはまともではないということだ」
「楓は中学三年生の時にお母さんを病気で亡くして、それからずっと一人暮らしをしているの。生活のためにアルバイトをいくつも掛け持ちしていて、一日も休まずに働いている。それでも遅刻せずに毎日学校に行っている。これのどこがまともじゃないっていうの?」
「その、毎日通ってる学校は東風だろ?」
「それでも、毎日バイトをしながら学校に通うのは凄いことだよ。それに、楓のやっていることは人を助けることなの。お年寄りが多い町に行って、障子の張替えをしたり、玄関ドアを直したり、草むしりをしたり。頼まれたことはなんでもやるの。楓はみんなに感謝されている。楓の周りにはいつも人が集まってきて、楓と話す人たちはみんな笑顔なの。誰も東風だとか気にしていない。目の前にいる楓だけを見ている。わたしも一緒」

ずっと黙って話を聞いていた母が口を開いた。

「人を助けるってお金をもらっているからでしょ?いいように言わないで、ただアルバイトをしているだけじゃない」
「そうだけど、でも、楓はアルバイト以上のことをしてるよ。楓のアルバイトに付いて行った時、そこの家のおばあさんがわたしに話してくれたんだ。楓は頼んでないことまでやってくれて助かるって」

 本当は、わたしが母の傍にいるようになった理由も言いたかった。けれど、今の母にそれを言っても、東風の男子に家族の話を勝手にされたという思いの方が強くなってしまう気がした。

 長い沈黙が続き、最初に言葉を口にしたのは父だった。

「一回だけだ。一回だけ会ったら彼のことは忘れなさい」

冷ややかな口調だった。これだけ楓のことを話しても、わかってはもらえなかった。わたしの気持ちを大切にはしてくれなかった。

「一回だけってどうして……なんで楓のこと忘れなきゃいけないの?」
「東風学園に入るようなやつだからだ」

それ以外答えはないと言ったようにはっきりそう言うと、父は椅子から立ち上がった。

「会うならその場所まで送っていく」
「ちょっと待ってお父さん。一回しか会えないならせめて、一人で行かせて」

すると母が口を開いた。

「駄目、お父さんと一緒に行って。美月まで帰って来なくなったらお母さん……」

わたしはお母さんの隣に行った。小さく震えながら泣くお母さんの肩を擦りながら、無感情でその言葉を口にした。

「ちゃんと帰ってくるよ、だって、お父さんとお母さんに会えなくなるの嫌だもん」

それは、楓に会う為に口にした、心にもない言葉。本当はもう、こんな家に帰って来たくはない。

「だからお願い、お父さんお母さん、一人で会いに行かせて。一回会ったらもう二度と会わないから」

父は返事をする代わりに「会社に行ってくる」と言ってリビングを出て行った。