***
昼休み、わたしは一人で図書室に来ている。玲香ちゃんは今日、熱を出して学校を休んだ。いつもなら彼女を含めた女子五人と過ごしている。でも、玲香ちゃんをきっかけに、後からグループに加わったわたしは、彼女がいないとどうしてもその輪に入りづらい。
本を一冊選び窓際の席に行くと、机の上に空のペットボトルが取り残されていた。ラベルに印刷されたいちごのイラストが目に入ると、途端に楓の顔が頭に浮かぶ。
まだ、心の整理が付かないでいる。五十川琉依を恨んでいたのに、その人は楓の仲間で、お姉ちゃんの恋人だった。しかも、楓と五十川琉依があの日喧嘩をしなければ、お姉ちゃんは死んではいなかった――でも、だからといって楓のせいになるのだろうか。事故で命を落としたからといって、生き残っている人を責めるなんて、おかしい。そんなことはわかっている。それでも、二人が喧嘩をしなければと考えてしまう。そして、五十川琉依のことも、楓のことも、家族に内緒でこそこそと東風の人たちと遊んでいたお姉ちゃんのことも、許せない気持ちになっている。心は壊れた方位磁石のように、常に間違った方を指していた。
***
部活に参加する気になれず、学校が終わると真っすぐ家に向かった。途中、やっぱり図書館に行こうかと足を止めるけど、自転車にベルを鳴らされたのをきっかけに足は家の方へと向かった。
ゆるい坂を上り、コンビニの前に差し掛かると聞き覚えのない声に呼び止められた。
「おい」
低く唸るような声に振り返ると、そこにいたのは子供の頃よく遊んでいた、でも中学になってからすっかり変わってしまった瀬戸葵くんの姿があった。葵くんはわたしの一つ年上で、東風学園を一年で中退している。そして、隣には首にタトゥーが入った男子がいた。
もう何年も会話をしたことのない彼に声を掛けられ、平常心でいることは難しかった。お姉ちゃんが死んだ時も、彼がお線香をあげに来ることはなかった。
「葵くん……」
何年ぶりに名前を呼んだだろう。喉の奥が居心地悪い。
こっちに来るように手招きをする葵くんの手には煙草が挟まっている。シルバーに染まった髪の毛と、じゃらっと音が鳴りそうなネックレスが鈍い光を放ち、薄く青色が入ったサングラスの奥の目は底知れない非情さを秘めている。怖くて足がすくみそうになるけれど、もう何年も口を利いていないわたしを呼び止める理由が気になって一歩踏み出した。
「なに……」
葵くんは煙草をふかすと、突然楓の名前を口にした。
「なんでお前、最近楓とつるんでんの?」
一緒にいるところを見られていたことに一瞬動揺したけれど、葵くんがそのことをうちの両親に話す筈がない。
「たまたま、知り合って……いろいろと助けてもらって」
「助けてもらった?はぁ?あの鬼畜に?」
聞き間違いだと思った。でも、それが聞き間違いではないことは、その不快に歪んだ顔を見ればわかる。どう言葉を返していいかわからずにいると、葵くんの隣の彼がわたしに顔を近づけてきた。
「楓にレイプされたでしょ?」
衝撃的な言葉に頭の中が混乱していて、なに一つ言語化できない。それなのに情報だけは次から次へと増えていく。
「あいつに関わるのはやめた方がいいよ。本物のクズだから。自分の思い通りにならないとすぐ人ぶん殴るし、しかも人から金取るし」
「最近では、年寄りから騙し取った金でバイク買ってるらしいじゃん」
別の人の話を聞いているようだった。葵くんが煙草を消すと、今度はタトゥーの彼が煙草に火を付けた。わたしは白く広がる煙を見ながらようやく言葉を声にした。
「見たことあるの?楓が暴力振るうところとか、人からお金を取るところとか」
質問に答えたのはタトゥーの彼だった。
「見るもなにもやられたことあるからね。俺あいつと中学一緒でさ、まぁ酷かったよ。バイク盗んだり、駐車場に停めてある車片っ端からバットで壊したり、傷害事件起こして警察に連れて行かれたり。悪いことは全部やってたな」
「本当なの……それ」
「こんな嘘ついて俺らになんの得があんの?なぁ葵」
「お前が危ないやつと一緒にいるから、俺とアヤセが親切に教えてやってんのに疑ってんじゃねぇよ」
アヤセと呼ばれていた彼が葵くんの顔を見る。目が合うと二人は言葉を交わすことなく口角だけを上げた。なにか企んでいる、そんな雰囲気を感じた。
アヤセという人は煙草の煙を長く吐き出すと「俺らの言ってることが信じられないなら、奈落街にあるアンドループって古着屋に行ってみな。そこのオーナー、楓のヤバい動画持ってるから見せてもらいなよ。アンド、ループ」そう言って空中に&loopと指で描く。なにか企んでいるように見えたその表情は、“ヤバい動画”に対するものだったようだ。葵くんは「それと」と言ってわたしに鋭い目を向けると、ポケットから煙草を取り出す。煙草に火を付けるとゆっくりと吸い込み、空に向かって煙を吐き出すと「楓は人も殺してるよ」そう涼し気な顔で言った。おそらくバイク事故のことを言っているのだと思いながら、次の言葉を待った。
「しかも、二人も。琉依とお前の姉ちゃん」
楓以外の人もそう思うのかと考えていたのも束の間、葵くんの口からは衝撃的な事実が明かされた。
「琉依は楓に切り捨てられたんだよ。俺も同じ目に遭ったからわかる。東風では楓が作った集団が一番大きくて力を持っていて、だから追放されたら他に行くところなんてない。つまり、居場所を失うってわけ。わかってる癖にあの鬼畜野郎は簡単に仲間を切るんだよ。琉依も俺みたいに学校をやめれば良かったんだけどショックだったんだろうね、自殺を選んだ。つまり楓は、琉依とお前のねえちゃん、二人殺したってこと」
「自殺……」
そんなこと楓は一言も言ってはいなかった。
「そう、自殺」
***
夜、十二時を過ぎても眠れなかった。頭の中で何度も二つの楓がぶつかり合い、そして、笑顔の楓が砕けていく。葵くんの言葉が頭から離れない。
「楓は、琉依とお前の姉ちゃん、二人殺したってこと」
アヤセという人の言葉が頭から離れない。
「レイプされたでしょ?」
わたしが見てきたあの人は一体――誰だったのだろう。
昼休み、わたしは一人で図書室に来ている。玲香ちゃんは今日、熱を出して学校を休んだ。いつもなら彼女を含めた女子五人と過ごしている。でも、玲香ちゃんをきっかけに、後からグループに加わったわたしは、彼女がいないとどうしてもその輪に入りづらい。
本を一冊選び窓際の席に行くと、机の上に空のペットボトルが取り残されていた。ラベルに印刷されたいちごのイラストが目に入ると、途端に楓の顔が頭に浮かぶ。
まだ、心の整理が付かないでいる。五十川琉依を恨んでいたのに、その人は楓の仲間で、お姉ちゃんの恋人だった。しかも、楓と五十川琉依があの日喧嘩をしなければ、お姉ちゃんは死んではいなかった――でも、だからといって楓のせいになるのだろうか。事故で命を落としたからといって、生き残っている人を責めるなんて、おかしい。そんなことはわかっている。それでも、二人が喧嘩をしなければと考えてしまう。そして、五十川琉依のことも、楓のことも、家族に内緒でこそこそと東風の人たちと遊んでいたお姉ちゃんのことも、許せない気持ちになっている。心は壊れた方位磁石のように、常に間違った方を指していた。
***
部活に参加する気になれず、学校が終わると真っすぐ家に向かった。途中、やっぱり図書館に行こうかと足を止めるけど、自転車にベルを鳴らされたのをきっかけに足は家の方へと向かった。
ゆるい坂を上り、コンビニの前に差し掛かると聞き覚えのない声に呼び止められた。
「おい」
低く唸るような声に振り返ると、そこにいたのは子供の頃よく遊んでいた、でも中学になってからすっかり変わってしまった瀬戸葵くんの姿があった。葵くんはわたしの一つ年上で、東風学園を一年で中退している。そして、隣には首にタトゥーが入った男子がいた。
もう何年も会話をしたことのない彼に声を掛けられ、平常心でいることは難しかった。お姉ちゃんが死んだ時も、彼がお線香をあげに来ることはなかった。
「葵くん……」
何年ぶりに名前を呼んだだろう。喉の奥が居心地悪い。
こっちに来るように手招きをする葵くんの手には煙草が挟まっている。シルバーに染まった髪の毛と、じゃらっと音が鳴りそうなネックレスが鈍い光を放ち、薄く青色が入ったサングラスの奥の目は底知れない非情さを秘めている。怖くて足がすくみそうになるけれど、もう何年も口を利いていないわたしを呼び止める理由が気になって一歩踏み出した。
「なに……」
葵くんは煙草をふかすと、突然楓の名前を口にした。
「なんでお前、最近楓とつるんでんの?」
一緒にいるところを見られていたことに一瞬動揺したけれど、葵くんがそのことをうちの両親に話す筈がない。
「たまたま、知り合って……いろいろと助けてもらって」
「助けてもらった?はぁ?あの鬼畜に?」
聞き間違いだと思った。でも、それが聞き間違いではないことは、その不快に歪んだ顔を見ればわかる。どう言葉を返していいかわからずにいると、葵くんの隣の彼がわたしに顔を近づけてきた。
「楓にレイプされたでしょ?」
衝撃的な言葉に頭の中が混乱していて、なに一つ言語化できない。それなのに情報だけは次から次へと増えていく。
「あいつに関わるのはやめた方がいいよ。本物のクズだから。自分の思い通りにならないとすぐ人ぶん殴るし、しかも人から金取るし」
「最近では、年寄りから騙し取った金でバイク買ってるらしいじゃん」
別の人の話を聞いているようだった。葵くんが煙草を消すと、今度はタトゥーの彼が煙草に火を付けた。わたしは白く広がる煙を見ながらようやく言葉を声にした。
「見たことあるの?楓が暴力振るうところとか、人からお金を取るところとか」
質問に答えたのはタトゥーの彼だった。
「見るもなにもやられたことあるからね。俺あいつと中学一緒でさ、まぁ酷かったよ。バイク盗んだり、駐車場に停めてある車片っ端からバットで壊したり、傷害事件起こして警察に連れて行かれたり。悪いことは全部やってたな」
「本当なの……それ」
「こんな嘘ついて俺らになんの得があんの?なぁ葵」
「お前が危ないやつと一緒にいるから、俺とアヤセが親切に教えてやってんのに疑ってんじゃねぇよ」
アヤセと呼ばれていた彼が葵くんの顔を見る。目が合うと二人は言葉を交わすことなく口角だけを上げた。なにか企んでいる、そんな雰囲気を感じた。
アヤセという人は煙草の煙を長く吐き出すと「俺らの言ってることが信じられないなら、奈落街にあるアンドループって古着屋に行ってみな。そこのオーナー、楓のヤバい動画持ってるから見せてもらいなよ。アンド、ループ」そう言って空中に&loopと指で描く。なにか企んでいるように見えたその表情は、“ヤバい動画”に対するものだったようだ。葵くんは「それと」と言ってわたしに鋭い目を向けると、ポケットから煙草を取り出す。煙草に火を付けるとゆっくりと吸い込み、空に向かって煙を吐き出すと「楓は人も殺してるよ」そう涼し気な顔で言った。おそらくバイク事故のことを言っているのだと思いながら、次の言葉を待った。
「しかも、二人も。琉依とお前の姉ちゃん」
楓以外の人もそう思うのかと考えていたのも束の間、葵くんの口からは衝撃的な事実が明かされた。
「琉依は楓に切り捨てられたんだよ。俺も同じ目に遭ったからわかる。東風では楓が作った集団が一番大きくて力を持っていて、だから追放されたら他に行くところなんてない。つまり、居場所を失うってわけ。わかってる癖にあの鬼畜野郎は簡単に仲間を切るんだよ。琉依も俺みたいに学校をやめれば良かったんだけどショックだったんだろうね、自殺を選んだ。つまり楓は、琉依とお前のねえちゃん、二人殺したってこと」
「自殺……」
そんなこと楓は一言も言ってはいなかった。
「そう、自殺」
***
夜、十二時を過ぎても眠れなかった。頭の中で何度も二つの楓がぶつかり合い、そして、笑顔の楓が砕けていく。葵くんの言葉が頭から離れない。
「楓は、琉依とお前の姉ちゃん、二人殺したってこと」
アヤセという人の言葉が頭から離れない。
「レイプされたでしょ?」
わたしが見てきたあの人は一体――誰だったのだろう。

