境界線の向こうに眠る

 障子の張り替えは、昼食を食べて少し休んでから再開することにした。この前と同じ商店でパンを買って、この前と同じ公園で昼食を食べると隣の神社へと足を運んだ。

楓の後ろを付いていき、鳥居をくぐるとそこは神聖な空気に包まれていた。左右にそびえ立つ古木の枝が空を狭くし、辺りを薄暗くしている。ひんやりとした湿った風を感じながら階段を上り、苔がこびりついた石畳を進み、しばらく歩くと楓が足を止めた。

「ほら、あの木凄いでしょ」
「うわ、おっきい!」

限界まで首を反らせないとてっぺんを見ることができない巨木の幹は太く、粗くひび割れた樹皮が長い歴史を物語っている。目の前に立つとその存在感に気圧され、辺りを包み込む神聖な空気はこの巨木から放出されているのではないかと感じた。

 楓は木に触れると「かっこいい」と言って見上げる。わたしも真似をして木に触れてみた。するとあまりのエネルギーに恐怖すら感じる。

「なんか怖い」
「ぞくぞくする?」
「うん」
「俺も初めて見た時はそうだったけど、今はこの木に触れると元気が出る」

楓は両手で木に触れると深い敬意のこもった目で見上げる。そこには親しみも込められていて、長い時間を共に過ごし、築いてきた信頼関係があるように見えてくる。

 派手な楓と、そびえ立つ巨木の不思議なバランスに心を奪われていく。なんでこの人はこうなんだろうと、とりとめのないことを思う。

ふいに、さっきのおばあさんの言葉が頭をよぎった。

「楓――」

その名前を呼んで気が付く。木と仲良しな訳だ。

「どうした美月?やっぱり怖い?この木」

わたしは首を横に振ると、その背中にしがみついた。

楓の体温が伝わってくると途端に、なんでこんなことをしてしまったのだろうと焦り出す。言い訳を探して頭をぐるぐる動かしていると、楓の声が聞こえてきた。

「しばらく美月に捕まえられとこう」

慌ただしかったわたしの思考に、のんびりとした声が流れ込んでくる。言い訳なんていらないと言うように、体に回したわたしの手を楓がそっと握る。

 葉っぱの擦れる音と、鳥の鳴き声が重なる。楓の体温が心地よくて、ここにあるすべてのものに癒されていく。

 楓に気持ちを伝えたらなにかが大きく変わってしまう気がして怖かった。今まで信じてきたものが音を立てて崩れていく、そんな感覚があった。

 東風を目の敵にすることでわたしたち家族は繋がっていた。お姉ちゃんをバイクに乗せて事故を起こした五十川琉依その人が、あの悪名高い東風学園の生徒だったから尚更、東風を目の敵にすることは造作ないことだった。

 わたしたち家族は、お姉ちゃんを失った悲しみを怒りに変え、これまで生きてきた。なのに、なんでだろう――わたしは楓に出会ってしまった。何度も何度も関わらないと決めても、その一言で、その笑顔ひとつで、簡単にひっくり返された。きっとわたしは初めて会ったあの日からすでに、楓に惹かれていたのかもしれない。

 もう、楓が東風の生徒だとか、そんなことはどうでもいい。だから、楓に全部話そう。お姉ちゃんのことを。東風を憎んでいたことを。そして、すでに隠しきれていないこの気持ちを、思いっきり楓に伝えよう。

 覚悟はできている。たとえ両親に楓とのことを知られ、責められようと、この天を突くように堂々とそびえ立つ大木のように、どんなことにも屈しない。