見慣れない景色が続き、バイクは住宅地へと入っていく。しばらく進むと、古い家が立ち並ぶ一角にある小さな電気屋さんの前で、バイクは停車した。
「ちょっと待ってて」
バイクを降りると、楓は電気屋さんに入っていった。窓には日焼けした家電メーカーのステッカーが何枚も貼られている。
ヘルメットを脱ぐと辺りを見渡した。新しい家は見当たらず、木造の古い家が肩を寄せ合うように並んでいる。少し歩を進めると、メンテナンスが行き届いていない家が多いことに気が付く。雨どいが斜めにぶら下がっている家や、瓦屋根が崩れた平屋もある。割れたガラス窓に木を張り付けている家の庭は、雑草が背丈ほどの高さに伸びていた。一見すると人が住んでいるようには見えない建物が多々ある。でも、よく見ると、庭で野菜を作っていたり、玄関先にちょっとした花を飾っていたりする。そこには人々の営みが確かにあって、ここに住む人たちに合ったゆっくりとした時間が流れていた。
「美月」
楓の声に振り返る。いつの間にか随分と電気屋の前から離れていた。戻ろうとするわたしの動きを制するように、楓は手のひらをこちらに向けるとバイクを走らせた。
脇に停まると、楓はすぐ近くの家を指差した。
「今日は、そこの家の草むしりと二階の使ってない部屋の掃除だって」
よく分からず首をかしげた。
「ん?電気屋さんでバイトするんじゃないの?」
「あそこ電気屋っていうかなんでも屋なんだよ。ここら辺は年寄りが多くて自分じゃ出来ないことがたくさんあって、それを社長と俺が代わりにやってるの」
「それでいっぱいバイトしてるって、昨日」
「そう」
依頼先に行くと、楓はインターフォンを鳴らすことなくいきなりドアを開けた。
「おはようございます」
家中にテレビの音が響き渡っている。楓は「聞こえてないな」と靴を脱ぐと家の中に足を踏み入れる。その行動に驚いたわたしの手は、楓の腕を掴んでいた。
「勝手に入るのはまずいでしょ!」
「ここではこれが常識。美月も入ってきな」
楓はこともなげにそう話すと「来たよ」と大きな声を上げながら家の中に入っていく。わたしは慌てて靴を脱ぐと「お邪魔します」と自分にだけ聞こえる声で言うと楓の後ろに付いた。
返事のない家の中で、楓は更に大きな声を上げる。
「来たよ!」
それでも返事はなく、楓はテレビの音が聞こえる部屋の前に行くと戸に手を掛けた。木枠が歪んでいるのか何度か引っかかりながら戸を開くと、とても片付いているとは言えない小さな和室では、白髪のおばあさんが一人でテレビを見ていた。
「来たよ、今日は友達も一緒」
勝手に入って来たというのにまったく驚く様子はない。「よろしくお願いします」と会釈をするわたしに「ご苦労さん」とおばあさんはしわだらけの顔をほころばせた。
「じゃあ、始めよっか」
楓は何度もこの家に来ているようで、一階の洗面所の棚から洗剤や雑巾などを取り出すと、廊下の収納棚から掃除機を出し、わたしを二階に案内した。
「この家にはよく来るの?」
「一番仕事もらってるかな。ここのばあさん、一人暮らしで子供らも離れたところに暮らしてるから、頼れる人が誰もいないんだよ。すでに来月も夏服と冬服の入れ替え頼まれてるし」
一段上がる度に年季の入った音が鳴る階段を上がると、楓は廊下の突き当りにある部屋の襖を開けた。色褪せた襖は、意外にも滑るように開いた。
中に入ると、いかにも古びた匂いがする。畳の青さはとうに失われ、障子紙には大きな茶色いしみができている。押し入れには、紙袋や箱、使っていない旅行鞄など、捨てられないものが所狭しと詰め込まれていた。
「じゃあ、美月は掃除機かけてくれる?俺、窓掃除するから」
「わかった」
掃除機のスイッチを入れると楓が障子戸を開ける。陽の光が部屋を照らし、埃が銀色の粒になって舞う。隅に重ねてある座布団や寝具のしみやほつれがくっきりと浮かび上がった。それは、ゴミ置き場にあっても違和感のない佇まいで、でもおばあさんにとっては思い出の詰まった大切なものなのかもしれない。綺麗に重ねられた座布団の角や、きちんと畳まれた布団の端が、それを物語っていた。
部屋の掃除が終わると庭へ移動した。
青空の下、楓はその派手な姿で地面にしゃがみ、手袋をつけて草をむしる。それは、あまりにも似合わない。それでも、手元に視線を向ければ見方は一変する。
慣れた手つきで手際よく作業を進める楓。抜いた雑草はできるだけ土を落としてから脇に積んでいく。土を落としながらもう片方の手では別の雑草を抜いている。わたしは見よう見まねで草を取っていった。けれど、楓みたいに手際よくなんて無理で、作業終了後のゴミ袋は半分も埋まらなかった。
「わたし、役に立ったのかな……」
パンパンになった楓のゴミ袋三つと、自分のゴミ袋を見比べ自信喪失しているわたしを楓は笑った。
「初めてにしては上出来。俺はこんなの数えきれないくらいやってるからさ」
時間は十二時半を回り、家主のおばあさんから預かったお金を持って電気屋に戻ると、通りかかったおじいさんが楓に声を掛けた。
「こんにちは」
楓がヘルメットを脱ぎ挨拶を返すと、おじいさんは「あのね」と話を始めた。
「いつからかはっきりはわからないんだけど、去年あたりからだったかな、なんか変な音が鳴ってね。まぁ古いから仕方がないんだけど、最近になってからその音が酷くなって、バンって閉まるようになっちゃって」
おじいさんは自分の頭の中だけで話を進めている為、こちらには何のことを話しているのか、さっぱりわからない。
「あれ全部交換するってなると、かなりお金掛かるよね?ネジを締めて直ればいいんだけど」
結局、最後まで物の名前は出てこなかった。
わたしは楓の顔を見た。おじいさんの話を聞いた楓は、頷くように頭を縦に振る。
「ネジ締めるとかじゃないよそれ。見てみないとわかんないけど、多分交換かな」
「全部かい?」
「いや、おそらくドアクローザーの交換。ちょっと中で用を済ませたらすぐ行くから、家で待っていてくれる?」
おじいさんの話を理解していた楓に驚いていると「こんにちは」と、おばあさんが声を掛けてきた。
楓と一緒に挨拶を返すと、おばあさんは世間話を始めてしまった。
「楓君、なに今日は彼女と一緒かい?」
「友達だよ」
「そうお友達、今日も綺麗な色だね髪の毛。ピアスもおしゃれだし似合ってる!遠くから見てもすぐにわかっていいよその頭。黒はね、当たり前で面白くないからそのまんまがいいよ。ねぇ」
おばあさんは、おじいさんに賛同を求める。
「そう、若いうちはいろんなことをした方がいい。年を取るとなくなるから」とおじいさんが薄くなった自分の頭を撫でると、おばあさんは大笑いし、「あっ」となにか思い出したように楓を指差した。
「そうだ、いつでもいいから階段の電球交換しに来てくれない?社長さんにじゃなくて、楓くんに来て欲しいから会った時に話そうと思っていたの!」
「そのくらいなら今すぐやるけど?」
「ちょっと今、玄関が散らかっているから来週にでも」
「わかった」
「助かるわ。ねぇ彼女、楓くんはなんでもやってくれて本当に助かるのよ。ここら辺の人はみんなこの子に助けられているの。なんでもできるし顔もいいし、話はおもしろいし、こんないい子いないよ」
おばあさんは嬉しそうにそう言うと、手を振って帰って行った。
「ちょっと待ってて」
バイクを降りると、楓は電気屋さんに入っていった。窓には日焼けした家電メーカーのステッカーが何枚も貼られている。
ヘルメットを脱ぐと辺りを見渡した。新しい家は見当たらず、木造の古い家が肩を寄せ合うように並んでいる。少し歩を進めると、メンテナンスが行き届いていない家が多いことに気が付く。雨どいが斜めにぶら下がっている家や、瓦屋根が崩れた平屋もある。割れたガラス窓に木を張り付けている家の庭は、雑草が背丈ほどの高さに伸びていた。一見すると人が住んでいるようには見えない建物が多々ある。でも、よく見ると、庭で野菜を作っていたり、玄関先にちょっとした花を飾っていたりする。そこには人々の営みが確かにあって、ここに住む人たちに合ったゆっくりとした時間が流れていた。
「美月」
楓の声に振り返る。いつの間にか随分と電気屋の前から離れていた。戻ろうとするわたしの動きを制するように、楓は手のひらをこちらに向けるとバイクを走らせた。
脇に停まると、楓はすぐ近くの家を指差した。
「今日は、そこの家の草むしりと二階の使ってない部屋の掃除だって」
よく分からず首をかしげた。
「ん?電気屋さんでバイトするんじゃないの?」
「あそこ電気屋っていうかなんでも屋なんだよ。ここら辺は年寄りが多くて自分じゃ出来ないことがたくさんあって、それを社長と俺が代わりにやってるの」
「それでいっぱいバイトしてるって、昨日」
「そう」
依頼先に行くと、楓はインターフォンを鳴らすことなくいきなりドアを開けた。
「おはようございます」
家中にテレビの音が響き渡っている。楓は「聞こえてないな」と靴を脱ぐと家の中に足を踏み入れる。その行動に驚いたわたしの手は、楓の腕を掴んでいた。
「勝手に入るのはまずいでしょ!」
「ここではこれが常識。美月も入ってきな」
楓はこともなげにそう話すと「来たよ」と大きな声を上げながら家の中に入っていく。わたしは慌てて靴を脱ぐと「お邪魔します」と自分にだけ聞こえる声で言うと楓の後ろに付いた。
返事のない家の中で、楓は更に大きな声を上げる。
「来たよ!」
それでも返事はなく、楓はテレビの音が聞こえる部屋の前に行くと戸に手を掛けた。木枠が歪んでいるのか何度か引っかかりながら戸を開くと、とても片付いているとは言えない小さな和室では、白髪のおばあさんが一人でテレビを見ていた。
「来たよ、今日は友達も一緒」
勝手に入って来たというのにまったく驚く様子はない。「よろしくお願いします」と会釈をするわたしに「ご苦労さん」とおばあさんはしわだらけの顔をほころばせた。
「じゃあ、始めよっか」
楓は何度もこの家に来ているようで、一階の洗面所の棚から洗剤や雑巾などを取り出すと、廊下の収納棚から掃除機を出し、わたしを二階に案内した。
「この家にはよく来るの?」
「一番仕事もらってるかな。ここのばあさん、一人暮らしで子供らも離れたところに暮らしてるから、頼れる人が誰もいないんだよ。すでに来月も夏服と冬服の入れ替え頼まれてるし」
一段上がる度に年季の入った音が鳴る階段を上がると、楓は廊下の突き当りにある部屋の襖を開けた。色褪せた襖は、意外にも滑るように開いた。
中に入ると、いかにも古びた匂いがする。畳の青さはとうに失われ、障子紙には大きな茶色いしみができている。押し入れには、紙袋や箱、使っていない旅行鞄など、捨てられないものが所狭しと詰め込まれていた。
「じゃあ、美月は掃除機かけてくれる?俺、窓掃除するから」
「わかった」
掃除機のスイッチを入れると楓が障子戸を開ける。陽の光が部屋を照らし、埃が銀色の粒になって舞う。隅に重ねてある座布団や寝具のしみやほつれがくっきりと浮かび上がった。それは、ゴミ置き場にあっても違和感のない佇まいで、でもおばあさんにとっては思い出の詰まった大切なものなのかもしれない。綺麗に重ねられた座布団の角や、きちんと畳まれた布団の端が、それを物語っていた。
部屋の掃除が終わると庭へ移動した。
青空の下、楓はその派手な姿で地面にしゃがみ、手袋をつけて草をむしる。それは、あまりにも似合わない。それでも、手元に視線を向ければ見方は一変する。
慣れた手つきで手際よく作業を進める楓。抜いた雑草はできるだけ土を落としてから脇に積んでいく。土を落としながらもう片方の手では別の雑草を抜いている。わたしは見よう見まねで草を取っていった。けれど、楓みたいに手際よくなんて無理で、作業終了後のゴミ袋は半分も埋まらなかった。
「わたし、役に立ったのかな……」
パンパンになった楓のゴミ袋三つと、自分のゴミ袋を見比べ自信喪失しているわたしを楓は笑った。
「初めてにしては上出来。俺はこんなの数えきれないくらいやってるからさ」
時間は十二時半を回り、家主のおばあさんから預かったお金を持って電気屋に戻ると、通りかかったおじいさんが楓に声を掛けた。
「こんにちは」
楓がヘルメットを脱ぎ挨拶を返すと、おじいさんは「あのね」と話を始めた。
「いつからかはっきりはわからないんだけど、去年あたりからだったかな、なんか変な音が鳴ってね。まぁ古いから仕方がないんだけど、最近になってからその音が酷くなって、バンって閉まるようになっちゃって」
おじいさんは自分の頭の中だけで話を進めている為、こちらには何のことを話しているのか、さっぱりわからない。
「あれ全部交換するってなると、かなりお金掛かるよね?ネジを締めて直ればいいんだけど」
結局、最後まで物の名前は出てこなかった。
わたしは楓の顔を見た。おじいさんの話を聞いた楓は、頷くように頭を縦に振る。
「ネジ締めるとかじゃないよそれ。見てみないとわかんないけど、多分交換かな」
「全部かい?」
「いや、おそらくドアクローザーの交換。ちょっと中で用を済ませたらすぐ行くから、家で待っていてくれる?」
おじいさんの話を理解していた楓に驚いていると「こんにちは」と、おばあさんが声を掛けてきた。
楓と一緒に挨拶を返すと、おばあさんは世間話を始めてしまった。
「楓君、なに今日は彼女と一緒かい?」
「友達だよ」
「そうお友達、今日も綺麗な色だね髪の毛。ピアスもおしゃれだし似合ってる!遠くから見てもすぐにわかっていいよその頭。黒はね、当たり前で面白くないからそのまんまがいいよ。ねぇ」
おばあさんは、おじいさんに賛同を求める。
「そう、若いうちはいろんなことをした方がいい。年を取るとなくなるから」とおじいさんが薄くなった自分の頭を撫でると、おばあさんは大笑いし、「あっ」となにか思い出したように楓を指差した。
「そうだ、いつでもいいから階段の電球交換しに来てくれない?社長さんにじゃなくて、楓くんに来て欲しいから会った時に話そうと思っていたの!」
「そのくらいなら今すぐやるけど?」
「ちょっと今、玄関が散らかっているから来週にでも」
「わかった」
「助かるわ。ねぇ彼女、楓くんはなんでもやってくれて本当に助かるのよ。ここら辺の人はみんなこの子に助けられているの。なんでもできるし顔もいいし、話はおもしろいし、こんないい子いないよ」
おばあさんは嬉しそうにそう言うと、手を振って帰って行った。

