このカクテルを、君と。

それから、少しずつ荷造りをして。
1日服1枚とかのペースで。
泣きながら段ボールに詰める日もあって。

「薫さーん、珈琲飲む?」
「あっ飲みたいです」
こんな日がいつまで続くだろうって。
続けられるだろう、って。
「あれ、薫さんのマグカップどこですか?」
とキッチンで棚の扉を開け閉めしている。

それは、もう段ボールの中だ…

「あれ、その辺にないですか…?」
私は、いつまで嘘をつくのかな。
いつまで、隠し続けるのかな。
「まぁいいや、今日はこれでいいですか?」
と冬眞さんのマグカップを差し出された。

しんどいなぁ…

「最近よく物消えてますよね?薫さんの服とか…」
珈琲の入ったマグカップを両手に持って、隣に座る。
「断捨離ですか?」
「…」
私は、いつまでこんな暮らしを…

「…薫さん?」
とティッシュを差し出してくれる。
手にぽつぽつと涙が落ちて、その冷たさを感じる。
「いっそのこと、話してみませんか…?」
と言われ、顔を上げると、冬眞さんは、虚しそうな顔で私を見ている。

話したら…なにもかも全部、私の手からこぼれ落ちる…

「そんなに、僕って頼りないかな…?」
ちがう、それはちがう…
涙が余計に溢れてきて、拭っても拭いきれなくて。
「そんなこと、ない…です…、」
「じゃあなんで…、そんなに泣くほどなのに…。一人で抱えて、苦しくない…?」
「…その苦しさより僕に話すほうが苦しい…?」

手を握られ、小さく頷いた。

「ごめんね…?」
と私を抱きしめ、頭を撫でた。
「…僕は、なにも解決できないかもしれないけど…いつか話せるようになったら、話してくれる…?」
なんでそんなことを頼むのかわからないけれど…とりあえず頷いておいた。
「僕じゃなかったら相談できそう…?例えば、高瀬とか…」

高瀬さん…だったら…
「…はい、」
「…そっか、じゃあ呼び出すね」
と電話をかけた。

気づけば、
「いぇーい薫さんやっほー」
と高瀬さんがやってきていた。

冬眞さんは奥の仕事部屋へ行き、この部屋には私と高瀬さんだけだった。
「で、冬眞からある程度聞いたよ、」
と向かいのソファに座り、お茶を飲む。
「いつでもいーよー」
と漫画を取り出した。

ぺらぺらとめくりだし、ケラケラと笑い出す。

「…」

「あー面白かった、冬眞の漫画取ってこよー」
とリビングからでていったかと思えば、漫画の山を抱えて戻ってくる。

再び漫画を開くと
「ん?大丈夫そう?」
と気にかけてくれる。

「…あの、もし私が…」
「ん?」

話すの緊張する…
うまく喋れるかな、話まとめられるかな…

「…冬眞さんに…」
自分の震えている手を眺めながら、言ってみる。
「もし…引っ越しを考えてる、って言ったら…」
ぱさっ、と本が落ちる音がした。

「…あぁ、ごめん、」
高瀬さんは拾い、再び読み始めた。
「…冬眞さんは、どう思うんですかね…?」
「と、冬眞、どう思うか、ねー、」
「…やっぱり、私なんて必要ないですよね…」
と言うと、返答に困ったような顔をする。

「…ごめんなさい…」
「あぁいや、いいんだよ?思ったことを口にする権利があるから、ね?」

「…俺は、冬眞が思ってること言えるけど、どうする?」

冬眞さんの気持ち…聞きたいけど…
「まずさ、なんで引っ越し考えてるか聞いてもいい?」

「…迷惑、かけてるから…それに、私は…いらないと思うし…、」
「うんうん」
「…私自身、怖くなってしまって…」
「怖い?」
「…冬眞さんとの生活が、楽しくて…、この先更に一緒にいたら…、私は一人では生きていけなくなってしまう…」
「そっかー、」

「私は、冬眞さんになにも返せないから…、私ばっかりもらって、申し訳なくて…」
「…冬眞は、薫さんに返してほしいなんて思ってないよ?というか、充分返してるよ?」
「え…?」
「冬眞、よく薫さんの話してるんだけど、いつもニコニコしてて、きっとパワーもらってるんだろうなぁって思うんだよね」

「で、だいたい、薫さんのあのご飯が美味しかった、とか、洗濯干してくれてた、だと思うじゃん?」
「違う、んですか…?」
「うん。冬眞は、薫さんが笑顔で、元気でいてくれるのが、なによりも嬉しいんだってさ」

「なによりも…?」

「そう。冬眞は、薫さんが出ていく、って決めたなら、尊重すると思うよ。でも、冬眞のために出ていく、ってのは嫌がると思う。」

「自分でどうしたいか考えていいんだよ?出る理由か、住む理由か、どっちかが揃ったらそっちにすればいいし」

「難しいって思うなら、俺に乗り換えてもいいと思うし」
「…えっ?」

「え?例えば…」
と席を立ち上がったかと思えば、私の隣に膝立ちをすると

私の顎を片手で鷲掴み、上を向かせた。

目線を合わせられて。
その目には光がなくて。
いつもの高瀬さんの笑顔の欠片もない。

何も言わず、ただ私の顔を覗き込む。
恐怖で瞬きも、口を開けることもできず。

“お前は黙って俺の言う通りにしとけばいいんだよ”

高瀬さんの顔が近づいてくる。
目の前が何重にも見えて、滲んで、歪んで、震えて。

思わず目を閉じた時。
「おい高瀬!」
「やっっべ」

高瀬さんはソファから転げ落ちるように慌てて退くと、冬眞さんが高瀬さんを突き飛ばした。

そして
「薫さん?大丈夫?」
と私を覗き込む。

「冬眞さん…」
来てくれた、という安心感なのか、頬を涙が伝う。

「ごめん、ほんっとごめん、俺が馬鹿だった、」
と私を抱きしめ、背中を擦った。

「こいつと二人きりにさせるんじゃなかった、僕が悪かった、ごめん、怖い思いさせたよね、」

「冬眞さぁ」
「黙れまじで」

私を抱きしめる腕が、震えている。

「だって俺」
「いいから黙れ」

「いいから…、怖いことすんなよ…!」
と震えた声で大きな声を上げる。

「…え?」
高瀬さんが、間抜けな顔をする。
やがて私をそっと離すと、
「高瀬ちょっと来い」
と奥の部屋に引っ張っていく。

「あ、はい」
と素直に連行されていく。

「…」
冬眞さん、あんな声出すんだ…
そういえば私…冬眞さんに“黙れ”って言われたことない…
誠にはあんなに言われてたのに…

どんなにつまらなくても。まとまりがなくても。
絶対に、黙れなんて言わない。
ちゃんと相槌を打ってくれるし、結論を急かしたりしない。

なんなら話を広げてくれて。
私のことも知ろうとしてくれて。

「ねぇ薫さん?」
と冬眞さんの声が聞こえ、振り返ると、冬眞さんの横しゅんとしている高瀬さんがいる。

「この人ね、薫さんを怖がらせたかったんじゃないんだって。」
「冗談だったんだって。じょーだん。なんともつまらない度が過ぎた冗談だよね。」
と皮肉に笑う。
「高瀬、言う事は?」
と言われ、土下座をした。
「この度は、度が過ぎた行動をとってしまい、申し訳ございませんでした。今後とも、お二人の良好な関係の手伝いに努めますので、どうか許していただけませんでしょうか」

「だってよ、薫さん。こいつのこと許してくれる?」
「…はい、」

少し、怖かったけど…
「一応罪は認めてるみたいだよ、」
とため息をつく。

「…そう、ですか…すみませんでした、」
「大丈夫、薫さんは謝られる側だからね?」
「今回悪いのは、高瀬さんだからね。あとで回らないお寿司奢ってもらおうね。一緒に行こうね。」
「はい…いくらでも食べてください…」

ー

「…そっか、引っ越し、ねぇ…」
高瀬さんが帰った後、隣に座る冬眞さんに話してみた。

「どうしたら、住む理由ができるんでしょうね」
「僕は、正直…、薫さんに住み続けてほしい。というか、僕が薫さんと住みたい」
私の手を取って、その純真な目を向けてくる。

「…え?」
「とかね。いいよ、僕のことは考えなくて」
と照れたように笑うと、キッチンに歩いていった。

「それって、本心ですか…?」
追いかけて、キッチンカウンター越しに立つ。

「…そうだよ。紛れもない、僕の欲だよ。」
と言い、冷蔵庫からお茶を出した。
「そんなこと言われたら…出ていけないじゃないですか…」
「だって、怖いのは、僕と住まなくなった時、でしょ?だったらずっと住み続ければいい。」
と意図も簡単に言ってみせる。

「でも…」
「正直僕は怖かった。高瀬が薫さんの顎を掴んだ時、高瀬はそんなことしないってわかってた。」
と淡々とお茶をコップに注ぐ。

「困らせるのはわかってるよ、ただ…僕は相当薫さんのことが好きみたいで、僕自身も困ってるんだよ…」
「…なにが、言いたいんですか…」
「出て行かないでほしい。」
とお茶の入ったコップを眺めた。

「わかってるよ、それは住み続ける理由には不十分だ、って。でも、僕とこの先住み続ける中でどうしても出ていきたい理由ができてからじゃだめなの?」
「僕のこと恋愛として見てなくてもいい。友達でもいい。セフレでもいい。そこに条件は求めない。でも、薫さんが、理由は何であれ、僕と住みたい、ここにいたい、って思ったのなら、それは僕の本望だよ」

本望…
「…もう少し、考えます…」
「そうだね、いいと思う」

冬眞さん、私のこと好きなんだ…
迷惑、じゃないんだ…
私は、誰かを必要とする私を、許せるのだろうか。
今は、迷惑をかけていなくても、今後、迷惑をかけることはあるだろうし。

ー

3日後

結局、少しずつがんばって進めた荷造りも、必要になった時に段ボールから出して、ほとんど空になっていた。

「やっぱ最近物戻ってきてるよね?笑」
と冬眞さんは嬉しそうに微笑んでいた。
「そうですね」
こんな生活も、案外悪くないんじゃないの?

その問いに対して、まだ答えを出せていない。
「…どういう基準で決めたらいいか正直わからなくて…」
「…薫さんが出ていかないのはどうして?」
「…ぇっ、」
「だって、僕もこんな家も大っ嫌いって言うんだったら、人間すぐ荷造りできると思うよ?」

「そう、ですけど…」
「なのに、薫さんは、むしろ段ボールから出してるよね。なんでだろうね」

「なんで…、」
なんでなんだろう…
「…出て行きたくない、から…?」

「それはいい住む理由だね」
「…えっ、これでいいの…?」
「僕はいいと思うよ?どうぞ?」
冬眞さんから差し出されたコーヒーを嗜む。

私は、どこか難しく考えていたのだろうか。
やがて冬眞さんが隣に座ってきて、
「ふぅ、」
と一息ついている。

「このソファさぁ、ドイツで買ったんだけど結構良くない?笑」
「ド…!」
思いがけぬ発言に耳を疑う。

「えっ…ド、ドイツ…?」
「そう!」

「番組でドイツに行かせてもらった時に、僕の“一目惚れ”でね。」
と自慢げにクッションをさすっている。

「ドイツ…」
私は、日本から出たことがない。
そんな余裕なんてなかったし、考えもしなかった。

ー

その夜、

Ortusで、薫さんと、凛さんと、3人でのんびりお喋りをしていて。

「そういえばお二人ってどういうつながりなんですか、」
ふと気になったので、聞いてみた。

スプリッツァーを、一口。

「キャラメルっていうキャバクラで会って、意気投合して~って感じです」
凛さんの代名詞とも言える笑顔を浮かべ、教えてくれた。
「そこにいたホストの黒江って人に私_」
と凛さんがいいかけたところでOrtusのドアが開く。

「こんばんは、」
と薫さんが出迎えると、
「…黒江さん…っ、」
と目をまんまるにしていた。
「えっ、ほんとだ!黒江だ!」
と凛さんも駆け寄る。
「え、お前俺のこと知ってんの」
と薫さんを指す。

口悪ぅ。
「えっ、」
「黒江ひどーい笑 リサですよ笑」
と凛さんがフォローする。

リサ、って薫さんの名前…?
「えっ、まじか…髪黒っ…艶すげぇ」
と薫さんの髪を触っていた。
「あぁ、あの時は赤かったですもんね」
と薫さんが自身の髪を見つめる。

赤…?

「やばーい!めっちゃなつい!」
と凛さんが招き入れたところで僕と目が合う。
高身長黒髪イケメン。
そういえばさっきホストって言ってたな…
「あ!この人、薫さんの彼氏なんですよ」
「いや…」
と否定しようとしたところで
「まじか、はじめまして、黒江陸です」
と名刺を渡される。

Caramelの、店長…

「はじめまして…桐生冬眞です…」
「へぇ。」
とだけ言って僕の1つ空けた隣の席に座った。
「ここ二人の店だったんだ、」
「そーですよ、」
「ねーちゃんに最近話題の店あるから見てこいって言われてさ。どおりで。」

「まじで久しぶり。何年ぶりだ…?」
と指を折って数え、
「やばい、老いすぎて計算できん」
と頭を抱え指を曲げ伸ばししている。
「老いって笑 まだ33ですよね?笑」
と凛さんが手を叩いて爆笑している。
「…てか凛、明るくなったな。」

「…そうですね、あの時は本当に…」
「ひどい嫌がらせだったよな。薫も」
「…」

二人は途端に黙り、目を逸らした。
そんな空気とは裏腹に和気藹々と思い出話に浸って。
僕は完全に仲間はずれで。
耳を傾けるだけだった。

そして別れ際に、僕の肩に手を置いて、こう言った。

「薫は、俺の人生を変えた恩人なんだ。昔から、不器用で、負けず嫌いで、意味わからないくらい素直で、」
「…それは、すごくわかります」
「任せた。」
僕の肩をぽんっと叩くと
「じゃあ、」
とあっさりと退店していった。

「…あぁー、」
と凛さんが顔を覆ってため息をついて、呟いた。

「…また好きになっちゃいそう…」

ー

その次の日の夜。
高瀬さんと三人で約束のお寿司を食べに。
「今日はとことん罪を償ってもらおうねー高瀬さんねー」
とニッコニコの冬眞さん。

「今日は値段気にしなくていいんだよー。ね?高瀬さんね。カード持ってるよね?」
「はひ…」

部屋は完全個室で、私たちと大将だけがいる。
広がるヒノキの香りと、少し混じった醤油の香り。

「こんばんは~」
と冬眞さんが慣れたように靴を脱いで行く。

靴脱ぐんだ…
ここ置いておけばいいのかな…?
「ん、薫さんここね」
と冬眞さんの隣の席の上で手をぽんぽんと弾ませ、高瀬さんは反対側の隣でそわそわしている。

「こちら茶碗蒸しですね」
と蓋された小さめのお茶碗が目の前に出される。

こういうところ、来たことなくて。
いちいち二人の反応を気にしてしまう。
蓋を触ると、少し熱い。
開けようとしたところで
「あちっ!」
と高瀬さんが軽く跳ねる。
「え?笑」
「大丈夫ですか…?」
「まじで熱いんだって!」
「そんなに熱いんですか…?」
「高瀬が過度に猫舌なだけだから、大丈夫だよ」
と冬眞さんが私の茶碗蒸しの蓋を開け、湯気がふわりと立ち昇る。

「こちら真鯛です」
とカウンターの上に出される。
「真鯛…」
食べたことないかも…
「わぁこれすごい高そうだねー高瀬さーん笑」
と高瀬さんの方をつんつんしている。
「なんで冬眞のも払わなきゃいけないんだよ…」
「え?ついでだし?」

食べたいなぁ…
食べていいのかな…
なんか待つみたいなマナーあるのかな…

「そのまま召し上がれますよ」
と大将が微笑んでくれる。
「だって俺冬眞になにもしてなーい」
「盛大に精神的ダメージ受けたよ?」

「薫さん食べよっか。こんなやつ置いといてね」
と真鯛を指す。
おしぼりで手を拭いて、手でひょいと口に入れた。
「ん…!おいしい…っ!さすが大将!」

「真鯛苦手?」
「あ、いや…、食べたことなくて…」

「大丈夫だよ、毒とか入ってない」
と私の前の箸を指す。

「いただきます…」
と恐る恐る口に運ぶ。
「ん…!」
上品な甘さ…
「おいしい…」

「ね?」
と首を傾げて笑った。

「続いて中トロですね」
と先ほどと同じようにカウンターに置かれる。

冬眞さんは
「うわ、おいしそ…!」
と目を輝かせていて。

高瀬さんは
「高そ…」
とわなわなと震えている。
「僕が食べようか?」
「なんでだよ!」

一口食べると、口の中でとろける。
「…すごい…、」
と自然と笑みがこぼれ、
「ね!おいしいよね」
冬眞さんは私を見て満足そうに笑った。

ー

夜も更けて。
気づけばお皿は空っぽで。
舌は充分なほど満たされて。

「ふぁあ…」
と薫さんが冬眞の隣であくびをする。
「ふふ、眠いですか?」
って。
俺には見せないような顔して。
完全に二人の世界に入り込んでいる。

「お会計お願いします」
「こちらですね」
と伝票を渡される。

「ゴマ…!!」
と慌てて口をふさぐ。

「うぉ、おつかれ〜笑」
と冬眞が俺に寄りかかり脇腹をつんつんしてくる。
カードを大将に預け、レシートとともに返ってくる。
「高瀬ごちでーす」
「ごちそうさまです…!」
とご丁寧に頭を下げてもらっちゃって。

「すごい美味しかったです…!また来たいです…!」
って。目を輝かせていて。
冬眞の気持ちが少しわかったりして。
「じゃあまた高瀬に奢ってもらおうね〜」
「なんでだよおい!」

ー

帰りの車も高瀬に罪を償ってもらうっていう建前で運転してもらって。

僕らは後部座席で肩を寄せ合う。
「帰り寄るところは?」
高瀬がバックミラー越しに話しかけてくる。

「あっ僕コンビニ寄りたい」
「おけおけ」
とカチカチとウィンカーを出して右に曲がる。

「ジンジャーエール?」
「いやまだ2Lが3本冷蔵庫にある」
「えっそんなにあるんですか!?」
「まぁ冬眞の結婚相手はジンジャーエールだからね」
「…えっ、」
「おいそれ言うなよ!」
それ本気で信じられたら薫さんと結婚できないじゃんか、

「ほいとーちゃーく」
とコンビニの近くに車を止めた。
「なんかアイスたべたくてさー」
とアイスコーナーに直行。
薫さんは
「あっ!」
と目を輝かせてなにかを手に取った。
「いちごミルク好きなんですか?」

「大好きです!」
もやぁ…
えっ俺今いちごミルクに嫉妬した?
そんなまさか。まさかねぇ。

「僕は、どーしよっかな」
とラインナップをざっと眺める。
「フルーツヨーグルト味…」
美味しそう…

薫さんのアイスを預かって、レジに持っていこうとすると
「あっ、私が…!」
と慌ててくっついてくる。
「いいの、今日は僕が払う」
とカードを店員さんに出して。

車に戻る。

「えっアイス!?俺のは!?」
「ない」
「はぁ!?」
「うそだよ、笑」
とお気に入りのチョコミント味を渡す。

「お!さんきゅ!」
これミント強めでおいしいんだよね、とか言いながら開封している。

薫さんも隣でアイスを開封し、木のスプーンで掬う。

「ふふ、」
と嬉しそうで。

「食べますか?」
と僕のを開封して差し出す。

「いいんですか?」
「もちろん」

一口控えめにかじると、
「ヨーグルトリキュール…」
と呟く。

「なんですか?それ」
「お酒の種類です。まさにこの味ですね。」
やっぱバーテンダーなんだなぁ…
「薫さんって修行とか積んでるんですか?」
「琥珀って名前のお店で一応…」
「へぇー、琥珀…」
スマホを取り出し、検索してみる。

都心から少し外れた、裏路地みたいなところで。
正直治安は良くなさそうだった。

ー

家に着くなり、冬眞さんはソファに倒れ込んだ。
「はぁー、満足…」
力の抜けた声とともに大きく伸びをする。
その幸せそうな顔に、自然と笑みがこぼれる。

駆け寄ってきたこむぎときなこを撫でていると、
「薫さん」
と起き上がり私の方に歩いてきた。
「今日は来てくれてありがとう」
そう言って、ふわりと抱き寄せた。

肩に額が触れ、冬眞さんの柔軟剤の香りがする。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「うん。」
そう言って髪を梳くように撫でた。

ー

お風呂上がり。髪を櫛で梳かしながら、ソファでテレビを見る冬眞さんの元へ向かう。

「あ、おかえり」
冬眞さんは当たり前のように、声をかけてくれる。
「ただいまです、」
「じゃあ僕もシャワー浴びてこよーっと」

なんだか今日は冬眞さんが上機嫌に見えて。
ご機嫌な鼻歌が遠ざかっていった。

ソファでテレビを見ながら髪を触っていると、冬眞さんの足音が近づいてくる。
「あー、生き返った」
と言いながらソファ越しに抱きしめられる。

「…ぁ、」
と思わず息が漏れる。

肩に顎を乗せられ、その重みと共に肩に雫が落ちる。
ほんの少し顔を冬眞さんに向けると、その近さに思わずドキッとする。

冬眞さんの視線が私の唇に止まり。

「…?」

「いやごめ…っ!」
と慌てたように離れ、、
「髪乾かしてくる!」
と慌てて洗面所に出ていってしまった。
髪から雫だけを置いて。
耳はなんとも赤かった。

「どう、したんだろう…?」

ー

慌てて洗面所に駆け込み、
「…っ、」
顔を両手で覆う。

恐る恐る鏡を見れば耳まで真っ赤で、
見ているこっちが恥ずかしくなる。

薫さんの、火照った頬。
髪のシャンプーの香り。
なにも知らない、無防備な目。
気づけば吸い寄せられ。

キス“してしまいそうになった”

「なにしてんだよまじで…」
ちゃんと順番はあるし。守らなきゃいけないし。

気持ち伝えて。付き合って。その先だろ。

薫さんが嫌がることだけはしたくない。
大切にしたいって思ってるのに。

ドライヤーをしているうちに火照りも引いてきて、それでも思い出すたびに頬が染まる。
完全に乾く頃には涼しげな顔をできるようになっていた。

ちゃんと薫さんの顔見れるかな…
と、不安を抱えドキドキしながら、リビングのドアを開けると。

つけっぱなしのテレビ。
テーブルの上のお茶。
そして、ソファですやすやと眠る薫さん。

「…ねてる、」

振り回されてたの、僕だけか…と思わず笑う。
ふぅ、と息をついて、薫さんの足元の方へ、そっと腰を下ろす。

ソファが沈み、
「…んぅ、」
と薫さんが身じろぎする。
そっとテディベア柄のブランケットをかけて。
「…おやすみ」

ー

翌日

いつもの慣れた道を歩く。
冬眞さんと。

こちらを向いて話しかけてくるたびに手が当たり、お互い、避けるわけでもなく、衝撃に心打たれている。
「大掃除、って時期外れすぎてません?」  
「できればいつでもいいんですよ、たぶん」
「たぶんって、笑」

「ついでに何か飲んでいきますか?」
「僕は真っ昼間からお酒飲む趣味ないですよ笑」
「作ってくれるとしたら、何作ってくれるんですか?」
と聞いてきた。

その表情が、なぜか赤く見えて。
「えっと、そうですね…、今が時期の…」
と果物を思い浮かべていると、手に違和感が。

つい目をやると、冬眞さんが小指を絡ませていた。
「…ぇ」

「あっ、ごめん、いやでした…?」
と手を離される。

「いや…、び、っくりした…、という、か…」
自分でもびっくりするほどのカタコトで。
目を見ることもできずに。
「じゃあ、遠慮なく」
と、小指を絡められる。
さっきよりも温かい気がする。

「何の話でしたっけ、」
と照れ隠しをするように話を振る。
冬眞さんを見上げると、耳が赤くなっている。
「なんでしたっけね、」
と冬眞さんは笑みを浮かべた。

ー

ドアを開けると、見慣れた光景が広がる。
「とりあえず、掃除進めましょ」
とはたきを渡す。

棚の上や、テーブルの上。
高いところは冬眞さんに頼み、私は壁を拭いていた。

「最近、祠を導入しようか考えているんです」
「祠?ってなんでしたっけ」

「囲い?みたいなやつで、こう、カウンターを仕切って2人だけの空間にできるんです」
「なるほど…?」
休憩がてら座ると、冬眞さんも隣に座ってくる。
「つまり、こうやってお酒を飲むわけだ」
とグラスを持つ仕草をしながら、真剣な顔を近づけてくる。

近い。

私のすぐ後ろは壁で、逃げ場がない。
頭のすぐ横の壁に手を着かれ、視界が冬眞さんで埋まる。

顔に影がかかり、目はピクリとも動かず、ハイライトがない。

吐息が震え、声が出せなくなる。
左頬に手を添えられ、間が10cmもなくなった。
えっ、え、キス…される!?
息を止め、思わず目を瞑った。

冬眞さんの震える吐息が聞こえ、頬に触れる。
でも、それ以上変化はなく、恐る恐る目を開けると
「こうやって仲良くキスしたりしちゃったり。いいじゃないですか」
と、にやりと笑うその顔は、完全に私を弄んでいる。

今にも高い笑い声が飛んできそう。

「おふたりって付き合ってるんでしたっけ」
と上から声が聞こた。

「え」
まさか凛さんがいると思わなくて。
「えっと、どうして…いるの…、」
胸に手を当て、息を整えながらも尋ねる。
「薫さんお一人で掃除大変かな…と来てみたらこの通りで…」
とカウンターにいる凛さんは気まずそうに目を逸らした。

「で、付き合ってるんですか?」
と凛さんは前のめりで目をキラキラさせた。
「どーなんですか、薫さん」
と冬眞さんにあざとく首を傾げられる。
「えっ…なんで私に聞くんですか…!?」
なんて答えれば…、
「…、付き合ってないです、」

顔が熱くなるのを感じながら冬眞さんを見ると同じように赤くなってるわけで。

「え…っと、」
「冬眞さんはどーなんですか?」
と完全に面白がってる凛さん。
「付き合ってるわけないじゃないですか笑」
と半分笑われながら言われる。

まるで、この関係は遊びだったみたいに。
胸になにかが刺さったような。

「…いや、」
笑っていた冬眞さんは、すん、と真顔になり、言った。
「付き合ってないです。まだ。」
まだ。

心臓が分かりやすく跳ねる。

冬眞さんに目線を向けると、椅子の上に体育座りをして手で顔を覆っていた。
耳は、見事に赤い。
「…こっち見ないで」
「え、」
見たことのない姿に二人して呆然としてしまう。

「私、大丈夫そうなので帰ります…」
と肩からトートをかけ、昼間の日差しの中に消えていった。
「冬眞さん…、大丈夫ですか?」
「…恥ずかしい、」
と震えた声で眉を八の字に下げた。
「そんな日もありますよ、ね?私先に作業始めてますね」
と布を持ち、椅子を立ったとき、手首を掴まれた。

私の白い手首とは対照的な、赤くて、血管が浮き出てる冬眞さんの手。
顔は、酔ってる?ってくらい赤くて。

「…今じゃないかもしれないんですけど…」
と伏し目がちに不安そうな顔で喋り始めた。

「…、僕…薫さんと…」
「…はい、」
「僕…ちゃんと…、付き合いたいです…」

付き合ってほしい、って言われたことはある。
“薫さんに一目惚れして…”
“ずっと前から好きで…”

どうしても、人を信じられなくて。
嘘なんじゃないか、って。
どうせ裏切るんじゃないか、って。

「薫さん…?」

嬉しいのに。
期待してしまう自分が怖くて。

“薫なんかじゃなくてあたしにしなよ”
何度も、彼氏が派手な女子に言い寄られてるのを見た。
2人で並んで、今にも手を繋ぎそうで。
“そうだな、✘✘の方が可愛いし。”
嘘告だ、って知ってた。
私でも、誰かに好いてもらえるんじゃないかって、思いたかった。

「…遊びだったら、やめてほしいです」
聞こえるか、聞こえないかの声量で、息を吐いた。

手首を引っ張って、冬眞さんが掴んでいたところを自分で掴む。
足元しか見ることができなくて。
そんなこと言ってしまったことが申し訳なくて。

「遊びじゃないです。」
冬眞さんは立ち上がって、私の手を取り。私を抱き寄せた。
「遊びだったら、一緒に住みたいなんて言ってないです」
それすらも、嘘なんじゃないか、って疑ってしまう自分が嫌になる。

「…付き合ったら、またああなるんじゃないかって…怖くて…」
震えながら、冬眞さんの背中に手を当てる。

「ああなる、って…?」
何も言わずに、きつく抱きしめた。
「…私も、誰かと愛し合えるんじゃないか、って…」
背中の服をつかんで、顔を肩に埋める。

「勝手に勘違いして…、」
声が震え、目に涙が滲んでくる。
「結局好きだったのは私だけで…」
私たちが付き合っていても尚、2人は別れたと。そしてその派手な女子と付き合い始めた、と、すぐに噂は広まった。

自分の居場所を、価値を、失っていく感覚。

“もうお前といるの無理だわ。”
“好きなところなんて一つもなかった”

「うぇえん…、ぐすっ、」
嗚咽を零しながら、子供のようにわんわんと冬眞さんの肩で泣くと、背中を宥めてくれる。

冬眞さんは、何も言わなかった。
日の光が当たるOrtusで、私の声だけが響く。

「…私には…っ、冬眞さんに好いてもらえる価値なんてないから…、だから…、」

だから…

「ごめ…っ、なさ…」
「いや…、」
「…薫さんに、そんな思いさせた人が悪いですよ」
髪を撫でながら、そう言ってくれる。

信じたいけど、
“あいつのどこが好きになるんかわからん”

手をきつく握りしめて。
静かに首を振った。

「…今は、ごめんなさい…、」
言えた…っ。

溢れる涙を髪で隠しながら拭う。
「全然大丈夫です。」
「急かした僕が悪かった」
と、冬眞さんの温かい手が肩に触れる。

その袖を、そっとつかんだ。
「…ごめんなさい…っ、」
と思わず口から漏れると、唇に人さし指を添えられる。
「“ごめんなさい”は禁句です」
と言われ、顔をあげると、にやりと笑っている。

「ね?謝る必要なんてないんですよ。」

ー

それから。
のんびりおしゃべりをしながら掃除を進めて。
気づけば日も沈んでいた。

「すみません、せっかくのお休みをお掃除に…」
「いやぁ、楽しかったよ?」
街灯に照らされる、冬眞さん。

早くも遠くの方にふやけた月が昇っている。
「僕は、嬉しいんです」
柔らかい、落ち着きのある声。
顔に影が落ちても、なんとなく笑っているのがわかる。

「そう、なんですか…?」
「そうです。」
その微笑んだ顔を見ると、何も言えなくて。
少しだけ空を見上げて。
「今日はよく眠れそうです」

ー

次の日

季節の果物を直売所に向かう途中。

「…リサ?」

久々に聞いたその名に、思わず振り返ってしまう。

「気の所為か…」

冬眞さんは、朝早くからお仕事。

お見送りできなかったことだけが心残り。
もう春だからか、たくさんの苺が並んでいる。
手に取り、どの品種にしようか考えていると
「あれ、」
と声をかけられる。
「薫じゃぁーん」
嫌な、耳につく声。
「元気してた?付き合ってた時ぶりだねー」

「…」
持っていた苺をそっと置いた。
ここにいると、私も、苺も腐ってしまう。
「なー、今ならアリじゃね?また付き合おうや」

相変わらず金髪で。
ピアスまみれで。
チャラい。更にチャラくなってる。雅斗。

「さらに美人になったでしょー。」
「…浮気相手と仲良くしてればいいじゃん」
ため息混じりに。
「浮気?なんのこと?」
と本気でわかっていなさそうな顔をする。
「✘✘のこと」
「あー、浮気っていうか、遊びやん」

そのなにが違うのか全くわからない。
「もう一回本気でやり直さね?」
「むり」
「なんでー。どうせ彼氏いないんだし」
何も言い返せない。
昨日、冬眞さんと付き合ってたらこうはならなかったのかな。
こいつと付き合ったら、どうなるかなんて。
私が一番と言っていい程よく知っている。

「…彼氏がいたら?」
「いたらいたで二股すればいいじゃん」
「…嫌だよ」
そんな器用なこと、私にはできない。
したくない。

「何?ニ人暮らしとか?」
持っていたカゴを覗かれる。
明らかに、一人暮らしではない量。
慌てて後ろに隠しても、見られた事実は消せない。
「ふぅん。一緒に住んでて付き合ってないとかそいつ覚悟ないんでしょ」

今、冬眞さんのこと、侮辱した…?
「覚悟ないのは、私の方だから…」

冬眞さんは、何も…
何も悪くない…
「へぇー。じゃあ、今夜だけ俺と遊ぼうよ。」
「で、俺の方がよかったら俺と付き合う。」
「…遊びじゃないから」

「あっそ。俺と遊んでから言いなよ」
と近づいて腰に手を当てられる。

その手に、体がビクリと固まる。
それを見抜かれたのか、
「そいつと、こういうことはしてなさそうだね」
とニヤつく。

体に力が入らなくて、冬眞さんの時とは違って、恐怖が体を支配してる。
こいつが、私に触れていることがすごく嫌で。

その腕を振り払って、レジに走った。
手が異常なほど震えていて。
財布の中の小銭が音を立てていた。

ー

夜の、9時過ぎ。

仕事がやっと終わって。
薫さんに会いたい気持ちを抑えながら玄関のドアを開ける。
「ただいま~」
足元に雑に脱がれた薫さんのヒールが目につく。

それに倒れたエコバッグから転がったにんじんに、はみ出たパイナップルに。
財布に、ポーチに。スマホ。
そして玄関から見えるリビングは、電気がついていない。

転がった物たちをバッグの中に戻して、置いたままリビングのドアを開けた。

いた。
ソファの足元で、小さく蹲っている。

きなこも、こむぎも、心配したように手を舐めている。

「薫さん…?」

なにか、あったんだ。
鞄を静かに床に置いて、薫さんの横に座るとわずかに肩が揺れている。
きなこが膝の上に乗ってきて、頬を擦り寄せてくる。
僕の上に乗ったまま、薫さんの耳を舐めた。

「そうだね。心配だよね。」

どうすればいいのかと、思考を張り巡らせていると、どこからか電話の着信音が鳴る。
僕、じゃない。
きなこを抱えたまま玄関の薫さんのスマホを見に行くと、僕の知らない、人だった。
薫さんのもとに持っていってみる。

「電話来てますよ…?雅斗って人」
とスマホを差し出すと、顔を伏せたまま受け取り、床に投げつけた。

やがて着信は切れ、メッセージが送られてくる。
薫さんはさらに小さく縮こまると、小さな声で言った。

「…付き合って…、」
「…へ?」

付き合って、って言った…?

「…私と、付き合って…。」
訳がわからない。
こんな状況で、僕と付き合う余裕なんて…

「…お願いします…、」
伏せたまま、震えた声で。
「…えっと…、どうして…?」

変だ。異常すぎる。
昨日までは、怖くて、付き合えないって…

「今日、元彼に…、」

元彼?
「…俺と遊ぼうよって…。やり直したいって…」
「馬鹿にされて…、私…っ、冬眞さんと付き合ってれば、もっと…っ、」
「もっと…、」
涙ぐんだ、籠もった薫さんの声。
思わず、肩に腕をまわした。
「何も、されませんでした…?」

首を小さく横に振った。
なにか、された…
腕に、薫さんの震えが伝わってきて、ただただ心臓が締められる。
薫さんにブランケットをかけて立ち上がり、買ってきた食材を冷蔵庫に移す。

この果物たちはきっとOrtusで使うんだろうなぁ、と考えていると、肩になにかが乗り、裾を引っ張られる。
やがて嗚咽が聞こえ、ゆっくりと振り返り、頭に手を添えると、薫さんが差し出したスマホからメッセージが見える。

今にもスマホを落としそうな薫さんの手からスマホを受け取り、画面を凝視する。
さっきの…
『付き合ってた時から更にブスになっててびっくりしたw』
『どうせ薫のこと大事にしてくれる奴なんていないんだから俺と遊ぼうよ』
『その一緒に住んでる奴、どうせ薫のこと邪魔だと思ってるよ』

ひどい。
「僕に見せてくれてありがとうございます」

「ちなみに僕は邪魔だと思ったことないし薫さんの事美人だとしか思ったことないので」
と言うと、腕を背中に回され、服を掴まれる。
「この人に自分はもったいないなって思うなら
ブロックしたり、距離置いていいんですよ」
「…ブロック、する…」
「じゃあ、僕がやっちゃいますね。」
ブロックする前に、こいつにメッセージを送っておく。

『どう考えてもあなたと薫さんは釣り合いませんよね。僕がご丁寧にお預かりします』
すぐに既読がついた。
返事が来る前に、急いでブロックする。
「これで完全に、縁切れましたよ」
「…ありがとう、」
「いえいえ。薫さんのためなら、どうってことないですよ」

薫さんの艶髪に手櫛を通し、僕自身も落ち着こうとする。
「モテるって、大変ですね」
と息を潜めると、
「…冬眞さんといられるだけで充分なのに…」
と、独り言のようにつぶやいた。

僕と、いられたら、充分…?
ほんとに…?
「そんなっ、良くないですよ?笑」

僕のこと、期待させないでよね。

「え…っと、聞かなかったことに…」
と頬を赤らめながら見上げられる。
「いやっ、それはちょっと申し訳ないです笑」
ずっと、心の中で。
好きなのは僕だけなんじゃないかって。
このまま好意を持ち続けたら傷つけてしまうんじゃないかって。

否定できずにいた。
そんなに可愛いこと言われて、忘れるなんて。
「もったいないですよ~笑」
僕といられたら充分、なんて。
僕が好きってことジャン…!?

いいの!?

そんな、好意受け取っていいんデスカ…!?
「…冬眞、さん?」
「んぁっ、はい」

「…、」
口をつぐんで、なにか言いたそう。

口をそっと開いたかと思えば。
「…ありがとう、ございます…。」
と、頬を赤らめて。

「こちらこそですよ。寝ましょ」
と手を引いた。

ー
 
ベッドの布団に潜るなり、いつもはすぐ寝る薫さんが、珍しく喋った。
「…冬眞さんも、元カノとかいるんですか…?」
と言われ、情景が浮かぶ。

「…うん」
“今日会社でさー!”
“…そうなんだ”

“もっと明るく話せないの?陰キャじゃん!笑”
薫さんとは対称的と言っていいほど、眩しくて。
そういう笑顔が好きだったのかもしれないけど。

仕事に対して理解してもらえなかったりとか。
口が軽い彼女に、仕事のことを相談できずにいたりとか。
それが信用されてないと取られ、
不規則な生活で会えなくてさみしいと言われ、
話してて楽しくない、と一方的に振られた。

「…若い頃はがんばってたよ。ほんと。」
「…私より若いくせにそんなこと言うんですか」
「そうですね。笑」
「僕自身未熟で、仕事と上手く両立ができなくて。大人になったなぁ、って感じるだけです」
「…今は、大丈夫なんですか、?その、お仕事とか…」
「あぁ、今は全然大丈夫ですよ。」

薫さんのお陰で、ちゃんと切り替えができてる。
薫さんの存在が、たしかに僕の休暇になっている。

「元カノさ、すごく明るくて。僕自身も照らされるような心地だったの。」
「…そうなんですね…、」
と、ふにゃふにゃな眠そうな声。
「眠かったら、無理に僕の話聞かなくても…」
「…いえぇ…、すぅ…」

寝た…。
そんな薫さんに布団を深くかけてあげて、僕自身も眠りについた。

ー

朝起きて、洗面所でうがいをしていると、薫さんが洗面所にやってくる。

「冬眞さん!おはよ!」

その変貌ぶりに、思わず吹いてしまう。

「…え?」
と目をやるとリビングに歩いてく背中が見えた。
口元を拭って後を追いかけると何やら卵を割ってフライパンに流し込んでいる。
「薫さん…?あの…、」
「私料理得意なので任せてください」
と振り返ってドヤ顔をする。
「はい、どーぞ!」
とスクランブルエッグが出てくる。
「ありがとう…」
僕別に明るい人が好きなわけじゃないのに…

スクランブルエッグを口の中に入れ飲み込み、
「ごめん僕もう仕事行く…」
荷物を持って、
「あっ、そーなの?」
靴を履いていると、
「行ってきますのキスは?」
と駆け寄ってくる。

どこで覚えたのその文化…
「…うん、」
と、ほっぺにキスをしてあげた。
「いってらっしゃい!」
可愛い。可愛いんだけど…!
昨日の話、最後まで話さなかった僕が悪いな…。

しかも、今日、雨…

ー

「冬眞朝から体調悪そうだけど大丈夫?」
「気圧?」
と、マネと高瀬。

「…それもある、」
雨だからか、朝から目まぐるしく急かされたからか。
耳がキーンとして頭が痛い。
「今日一日雨だしなぁ…薬は?」
「…家」
「んー、じゃあもう今日は帰ろう」
「…いや…っ、」
この状態で家に帰ったら…

「え、珍しい。薫さんに会える!ってるんるんで帰ろうとするじゃん」
と、高瀬。
「家にいると、脳がパンクするんだよ…」
朝のテンションの薫さんと、一緒にいられるか…

「でも薬ないと仕事にならないんだから帰って大人しく…」
「…わかったよ。じゃあ帰るよ」
あー、イライラする。

この体質。
この雨。
家に薬を忘れた自分。

全てにイライラする。

「ほら、ついたよ。大人しく寝るんだぞー」
マネの言葉も無視して、エレベーターで部屋に向かう。

薫さんに気づかれないように、そっと鍵を開けて…

「え!帰ってくるのはやい!おかえりなさい…!」
ほら…。

ドアを開けるとニコニコして僕を出迎えてくれる。
「どうしたの?もう私に会いたくなっちゃった?」
「ごめん…今は…」

「一緒に映画とか見たいです…!」
「ポップコーン食べながらとか…!」

「あの…、今は…」

「あと私冬眞さんとお昼食べたいです…!」
「今から買い物に行こうかと…!」

「今はそういうんじゃないんだよ…!」

声を荒げて、思わずハッとする。
「あ、いや…、」
「…そう、ですよね…」
目を丸くして。
僅かに涙が滲んでいる気がして。
しゅんとして、早足でどこかへ行ってしまう。

追いかける気力は、なかった。

そのまま足をずるように部屋に向かって、ベッドに身を投げ出す。
「あ゛ぁ、っ…!」

手のひらで顔を覆って、後悔ばかり吐き出す。
優しく言いたかっただけなのに。
不器用で上手く言えなくて。
声を荒げるしかすぐ方法が思いつかなくて。

「最低だ…」
枕に顔を埋めて無理やり眠りについた。