このカクテルを、君と。



やば遅刻!

という思い込みで飛び起きて。

そういえば仕事に行かなくていいんだ、と思い再び布団に潜る。

隣の薫さんが僕に背を向けて眠っている。

メールを確認すると、今日のスケジュールが送られている。

10時からミーティング。
15時からレコーディング。
16時から収録。
終わり次第レコーディングの続き。

「…」

結局行くんじゃん…

ぼんやりと天井を眺めて、二度寝をしようと目を瞑る。



ほんの少しだけ眠って。
眠気の浮遊感のまま薫さんの方に手を伸ばすと、薫さんの腕にぶつかる。

すると、起こしてしまったのか腕を掴まれ抱きつかれる。

「…薫さん、?」


そっと声をかけてみるも反応はない。
顔を腕に埋められ、寝息が袖を掠める。

起こさないように髪を撫で、首筋に手を添え、その熱が下がってきていることを感じる。


よかった、

ふとスマホを見ると、9:58を示している。

「…ん?」

ミーティングって確か10時…

「やっべ…!」

リビングに駆け込み、慌ててパソコンを起動する。

ミーティングに参加すると

『冬眞はリモートでも遅刻かよ』
という声が聞こえる。

「すいません幸せに二度寝してて」

話を聞きながら櫛で寝癖を直す。

『今日奥様は?』

「奥様…?まだ寝てます」

おそらく薫さんのことだろう。
リビングから、寝室のドアの隙間を眺める。

このまま下がればいいけど…



そのままミーティングは続行して。

『_てな感じで。アルバムの方はどう?』
「今最後の曲作ってます。まだ歌詞が決まりきってないところもあって」
『おけ。』


「初披露は29日でいいんですよね?」

『そう、MVもその日に公開しようかと』

「それとファンクラブ特典も考えてて_」


こんなアーティスト全開な話ししてて。
まだ薫さん寝てたからいいけど。
こんな話薫さんに聞かれたら…

パソコンを閉じながら振り返ると、

薫さんがいた。

口を抑えて目を不自然にキョロキョロさせていて。

「聞い、てました…?」

「…ごめんなさ…っ、」
と全力で頭を下げられ、髪が床につく。

「…聞くつもりは、なくて…」
とよろよろと膝を曲げ、床にしゃがみこんだ。

「…さみしくて、くっつきに行こうと思って…そしたら聞こえちゃって、どうしたら…」
と嗚咽混じりに言われる。
息を整えても、整いきらなくて。

「いいんですよ、謝らないで?」
と頭にそっと手を添える。

目線を合わせるようにしゃがみ込み、涙を拭ってあげる。

「この際、ちゃんと話します」

もっと早く話していれば、薫さんにこんな表情をさせずに、済んだかもしれないのに。



ソファに座る薫さんに、温かいお茶をマグカップに入れて差し出す。

「…」

僕も隣に座り、その手を握る。

「…僕の仕事、なんですけど」

今更、迷ってしまって。
自分の弱さを痛感してしまう。

「…」

薫さんは何も言わず俯いている。

「音楽を、仕事にしてて…」

「シンガーソングライターで、歌ってて…」

「…」

カミングアウトって、よく聞く言葉だけれど、こんなに心臓に悪くて、こんなに怖くて、気まずいものだなんて。知らなかった。

もう、普通の僕には戻れない。

それが、吉と出るか、凶と出るか…。

「…だから」

「…だから、いつも朝早くて…、夜も遅くて…」
俯いたまま、噛み締めるように。
涙を拭うも、ぽろぽろと手の上に転がっていく。

「…はい、」

「…私、何して…」
ゆっくり立ち上がると、足がもつれ、壁に手を付き、寝室に行った。


「…」


◇ ◇ ◇


薫さんは、お昼はいらないとのことだったので、僕だけ一人で食べて。

出発の時間に、薫さんは寝ていたから。

メッセージを送っておく。

『仕事に行ってきます。帰りは読めないので、わかったら連絡します』

しゅぽん、と音を立て、ため息をつく。

玄関でサングラスを付けて、家を出る。

「…いってきます」


◇ ◇ ◇


「冬眞遅刻でーす」
とスタジオに入るなり高瀬がからかってくる。

笑いに包まれたスタジオも、
「…あぁ、うん。」
僕の一言で見事に静まり返った。

ソファに荷物を置いて座り、ジンジャーエールを開封する。
炭酸が喉を刺激して、ほんの少しひりつく。

ため息ばかりで。
スマホを見て。
まだ既読はついていなくて。
まだ寝ているのかなって。

「薫さん、なにかあった?」
高瀬が隣に座り、足を組む。

「…まぁ、」
スマホを閉じて、ぼんやりと手を眺める。

「…仕事を、明かした」

薫さんの、何も言えない、どうしようもないような表情。

ソファで俯いたまま、泣きじゃくる薫さん。

思い出してしまって、胸が痛くなる。

「…まじか」

「…言わないほうがよかったのかな」

高瀬はわかりやすく俯くと、僕の背中を叩いた。


◇ ◇ ◇


収録ではいつも通り笑って、いつも通り喋った。
それでも、頭の片隅には薫さんがいた。

終わった後、再びレコーディングを進める。

いつも通りブースに入って。
ヘッドホンをつけて。
自分で作った歌に文句をつけて、渋々歌い始める。

どうしても、言わなきゃよかったのかな、って考えてしまって。

「冬眞?」

ずっと、平穏な日々が続いたのかなって。

「冬眞?大丈夫?」

「ん?なにが?」
高瀬の方を見ると、その後ろにいるスタッフ全員が不穏な顔を浮かべている。

「なにが、って、急に歌わなくなるから…」
と高瀬の顔が険しくなる。

「…もう一回、お願いします」

いつも通り声を出して。
いつも通り歌っているのに。

歌詞は間違えるし。
メロディの音は外すし。
リズムは遅れるし。

「もう一回、もう一回だけ…」
と懇願する僕に、
「冬眞、今何時かわかってる?」
と高瀬は聞いた。

「19時とか…」
収録が終わったのが、18時とかだったから…

「25時だよ。」

にじゅう、ご…
深夜1時。

「もう明日やろう、というか今日だけどさ」
「冬眞は疲れてる。仕事以外のことを背負ってるでしょ。」

次々とスタッフにそう言われて、重い足取りでブースを出る。

「帰ってゆっくり休めよ」
と高瀬に肩を叩かれ、スタッフも少しずつ帰っていく。

「…」

帰りたくないなぁ…
スタジオのソファに倒れ込み、クッションに顔を埋める。

「冬眞くん今日は泊まっていく?」
とおじいちゃんスタッフに声をかけられる。

「…いえ、帰ります」
鞄を持ち上げて、炭酸の抜けたジンジャーエールを一口。

「…ありがとうございました」

出口に出るとマネが待っていた。

「送ってく。」
とだけ言って運転席に乗った。


◇ ◇ ◇


車を降りて、とぼとぼとエレベーターに乗り、部屋に向かう。

薫さんを起こさないように、そっと解錠する。

僕の散らかっていた革靴が綺麗に並べられていて。掃き掃除までしてある。

無理してないかな…

リビングに入ると、ダイニングで薫さんが寝落ちしている。

手にはマグカップが握られていて、まだお茶が入っている。

そのマグカップは、温かいお茶が入っていたとは思えないほど冷たくて。

ソファからブランケットを取ってきて、そっと肩にかける。

「…」

ラップがかけられたトマトパスタ。
コーンクリームスープ。

作って、くれたのかな…




レンジで回るパスタを眺めて、僕はなにをしているんだろうと、つくづくわからなくなる。

温めたパスタとスープを、薫さんの隣で食べる。

「…いただきます」

僕は、薫さんの手料理を、作りたてに食べてあげられない。
食べながら、美味しかった、と伝えられない。

こうして泣きながら。後悔に喰われながら。
今更一人でパスタを飲み込むことしかできない。



お皿をできるだけ静かに洗って。
シャワーを浴びて。
リビングの薫さんの小さな背中が目につく。


起こさないようにそっと持ち上げ、その軽さに驚く。

ベットに寝かせ、布団をかけ、熱を測る。

“37.8℃”

もう少し…もうひと頑張りだよ、薫さん。

おでこに冷えピタを貼って。
抑えきれなくて。
手の甲にキスをする。

“ごめんね”と“ありがとう”を込めて。


◇ ◇ ◇


今日は、午前中は休みで。

割とのんびり目に起きて。
薫さんと一緒に朝ごはんでも…とスマホを開くと、薫さんからメッセージが来ている。

『朝から出かけてます。昼頃には帰る予定です』

熱、大丈夫なのかな…

キッチンには洗われたマグカップが干してあった。
ベットはもぬけの殻で、お気に入りのハイヒールがなかった。

『体調大丈夫ですか?無理しないでくださいね 僕も昼頃には仕事に行くので一緒にお昼食べませんか🍝』
とメッセージを返しておいた。

パスタを食べて、制作をする。
5分で飽きて。
冷蔵庫からジンジャーエールを取り出して流し込む。

それから、12時になっても。
出発する時間になっても帰ってこなくて。

玄関のドアを開けようとして。
リビングを振り返る。

「…」

帰ってきてほしかったな。

そんな願いも叶わず。
とぼとぼと家を後にするしかなかった。


◇ ◇ ◇


13:30

レコーディング


18:00
ミーティング


18:15
着替え メイク リハーサル


18:30
番組撮影


19:30
雑誌撮影 インタビュー


21:00
解散


「…」

夜の街をぼーっと眺める。
もうそろそろ春とは言えど、かなり冷え込む。

タクシーに乗って、薫さんのメッセージを確認する。

『急いで帰ったんですけど、もうお仕事行っちゃいましたか? 無理せずがんばってくださいね』

「…」

静かに画面を閉じて、タクシーに身を委ねた。


思いついた返事がしっくりこなくて、結局家についてしまう。


「…ただいま帰りました、」
リビングにそう声を放って。
そっと靴を並べて、そのまま座り込んだ。

「…おかえりなさい」
と声が聞こえ、振り返ると、お風呂上がりの薫さんがいた。

「…あぁ、」
としか言えなくて。

「…夕飯どうしました?」
「あっ今日はいいかなって…」

「…わかりました、」
と背を向けてリビングのドアを開けた。

「…ぇ、まって」
驚きの反動で、勢いよく立ち上がる。

「…髪、」

「…髪、切っ…」

思わず鞄を落とし、鈍い音が狭い玄関に響く。
口が塞がらなくなり、口が乾く。

薫さんの、長い、艶のある、黒髪。
僕の、大好きだった薫さんの髪。

長さが半分くらいになってて。
腰どころか肩甲骨までしかなくて。


ポケットのスマホが振動して、メロディを奏でる。
「…スマホ、鳴ってますよ」

「…あぁ、そうだね…」

電話はマネからで。
明日の急遽スケジュールの変更を知らされた。


電話を切って、ため息をつく。
僕のせい、なのかな。

薫さんの後を追うようにリビングに行くと、キッチンでビーフシチューの鍋をかき混ぜている。


「…つく、ってくれたの…?」
「…今日、寒いですし…私が食べたかっただけなので…」
と言って、唇を噛んで涙を堪えている。

「…一人で食べるので、お気遣いなく…」
と戸棚にお皿を取りに行った。

一緒にたべたい。
“いらない”なんて嘘だから。
薫さんのビーフシチューなんて食べたいに決まってる。

なのに。

「…シャワー浴びてくるね」

その一言しか出てこなかった。



妙に脱衣所が暑いな、と思い浴室のドアを開けると、湯船にお湯が張ってある。

“今日、寒いですし…”

「…」

薫さんが、入りたかっただけだよね、きっと。ね。


疲れ切った体をお湯に浸して。
心地よさはこの上ない。

上がったら、
「やっぱお腹すいた」
って。
「一緒に食べてもいいですか?」
って。
そう言えたらいいのに。


髪を拭きながら、リビングに戻る。
「お風呂、ありがとう」
「…いえ、」
1ミリもこちらを見ず、ビーフシチューをスプーンで掬っている。

「あの…さ、」

「…なんですか?」
そっと振り返り、マグカップのお茶を飲んだ。

振り返った反動の髪の動きが小さい。
それだけなのに。
目が離せない。

「…いや、なんでも…」


◇ ◇ ◇


仕事部屋の椅子で、なんとなくだるさを感じる。

うなだれることしかできなくて。
ぼんやりと天井を眺める。

「…」

パソコンの電源を入れて、画面を見つめる。

マウスまでが異常に遠くて、伸ばした手も重さで落ちる。

時計の針の音が妙に大きくて。
ため息が漏れる。


今日はもう寝よう…


◇ ◇ ◇


ふと目が覚めた。
なんの前触れもなく。

スマホを見れば、5時。

僕でも起きられるときは起きられるものだなぁ…と少しは感心する。

早く起きて。
いつもなら損した気分になるのに、全くそんなことはなくて。

二度寝という選択肢もなく、リビングに行き、コーヒーを淹れてみたり。

のんびりコーヒーを嗜みながらニュース番組を流し見する。


あっという間に8時になっていて、そろそろ準備するか、と立ち上がる。


歯磨きをして、洗顔して。
寝癖を直して、着替えて。

鞄を整理していると、
「…もういくんですか」
と薫さんに声をかけられる。

「おはようございます、今日も夜遅いかもで」
と言いかけて忘れ物を部屋に取りに行く。

服が積まれ、ゴミが入り混じり、足の踏み場のない部屋で物を探すのは一苦労で。

「あ、あった」

数十分かけて見つけることができた。

「じゃあ行ってきますね」
と鞄を持ち、玄関に歩く。

「…」
靴を履いて振り返ると、薫さんがなにか言いたげで。

「なにかありました?」

迷った末、口を開くと、
「…体調、悪かったら…、誰かに言わないとだめですよ…?」
どうやら心配をしてくれてるらしい。

「体調?少し寝不足なだけですよ。じゃあ、」
と玄関を出た。




いつも通りマネの車に乗って。
仕事を始める。

ミーティングをして。
撮影をして。
インタビューを受けて。

ソファでくつろいでいると
「冬眞熱あるなら言えよ」
と突然歩いてきたマネに言われる。

「えっ?」
手を首やおでこに当てて見ると、まぁ、たしかに熱いかも。

「さっきから顔真っ赤。声ガラガラ。厚着。」
と呆れたように腕を組む。

「まぁこんぐらい大丈夫っしょ!午後の予定なんだっけ?」

「ない」

「え?なにかあった気がするんだけど…」
「お前もう帰れ」
と経口補水液を渡される。

「いやそんな大したことじゃ…」

「さっさと帰って奥様に看病してもらえ~!」
と独身スタッフ達にいじられる。

「ほら送っていくぞ」
とマネに強引に手を引かれ車に乗せられる。

シートに身を預け、大人しく帰ることにする。

“…体調、悪かったら…、誰かに言わないとだめですよ…?”

「…」

薫さんなりに気にかけてくれてたんだなぁ…

ふと鞄の中を見ると、見覚えのないジップロックがある。

その中には。

風邪薬。冷えピタ。

あの忘れ物を探した数十分か…

「…あぁ、薫さんには敵わないなぁ…」


◇ ◇ ◇


「…ただいま、」
もしかしたら出かけてるかな…

家に入った途端、力が抜け、床に倒れ込んでしまう。

冷たくて気持ちいい…

もう少しこのまま…


意識を手放そうとした時、
「…えっ、」
という薫さんの声で繋ぎ止められる。

「えっ、死ん…」
「生きてます…」

「あっあぁ…よかった…、」
と崩れるようにしゃがみ込み、
「…」
僕の首に手を当て、
「やっぱ熱上がりましたよね、歩けますか?」
手を差し出される。

「歩けます。」
と手を借りて立ち上がり、一歩踏み出した途端、力が入らず、そのまま膝をついた。

「歩けてないですよ。」

いつも落ち着いている薫さんの声が、少しだけ震えていた。

肩を貸してもらい、二人三脚でリビングに向かう。

ソファにたどり着けば、倒れ込み、動けなくなってしまう訳で。


せかせかと薬を出して、コップに水を汲んで。
ゼリーやら経口補水液やらをテーブルに並べていく。

ブランケットをかけられ気づけば温かいスープを差し出されていた。

そっと受け取るとおでこに冷えピタを貼られる。

「つめたっ」
思わず顔をしかめ、スープをこぼしそうになる。

わかめと、ごまが入った、鶏ガラスープらしい。

「…何から何まで…ありがとう」
と僕が一口飲んだのを確かめると、安堵したように息を吐いた。

飲みきったところで薬を飲まされ、ソファに横に倒され。
スマホを没収され、アイマスクをされ。

「あっちょ…」

「病人は寝てなんぼです。おやすみなさい」

そして薫さんの冷たい手が首に触れたかと思えば、肩から首、頭皮まで、手がゆっくりと動く。

様々なツボをぐりぐり押され、叫ぶ気力もなくなる頃には安らかに眠っていた。


◇ ◇ ◇


冬眞さんが寝息を立て始めたのを確認して、そっと手を離す。

雫さんに教えてもらった技術がここで活きるとはなぁ…

青い髪。
ハイヒール。
かなり強めのカクテル。

元気にしてるかな。
あの人だったら、なんていうのかな。

“男に愛着持ち始めたら終わり”
とか。よく言ってたっけ。

黒江さんも元気にしてるかな…

寝室の戸棚を開けて、折り重なる段ボールを眺める。

いずれやらなければいけないけれど。

「もう少し…」

もう少し。冬眞さんが元気になるまで。
それまでは、せめてここにいさせて…?

スマホを見れば、業者からメールが来ていて。

『内見の件ですが…』

既読を付けずに、そっと画面を閉じた。


冬眞さんには、私なんかじゃなくて。
もっと"普通"の人が合うと思う。

トラウマなんてなくて。
SNSも普通にやっていて。
芸能人だからって戸惑わなくて。

_冬眞さんの負担にならない人。


「…」

私はわかってる。
私はとっくに、“終わっている”んだ、って。


◇ ◇ ◇


薫さんのお陰で、久々に熟睡できて。
ぼんやりと目が覚め、下腹部が妙に重たくて。

何が乗っているのかと、アイマスクを取って見ると、

「…んぅ…、」

倒れるように薫さんが寝ていた。

すぅすぅと寝息を立てるたびに、肩が上下している。

「…ありがとう」
久々に、その髪を撫で嗜む。

やっぱり僕は薫さんの髪が好きだなぁ…

薫さんが切りたいと思ったのなら。
きっと、なにか理由があるんだよね。


薫さんといると、愛しさや幸せについて考えさせられることが多くある。

かわいいと思う感情。
抱きしめたいと思う衝動。
大切にしたい、幸せにしたいと思う使命感。

それが、薫さんにとって幸せなのかはわからないけれど。


「…すきだよ、」
きっとこの気持ちは届かないけれど。
迷惑だけれど。

僕の心にしまっておくくらいは、許してよね。


◇ ◇ ◇


マネにはスケジュールの調整をしてもらった、というか、された。

別に働けたのに。

今日1日は休んでおけ、って。

「…ねぇ、」
リビングのソファで本を読む薫さんに、声をかける。

「なんですか?」
本から顔を上げ、髪を耳にかける。

「…隣、座ってもいい…?」
と言うと、ぱちぱちと瞬きをされる。

「…いや、寂しいのと…少し寒くて…、」
本当は、側にいたいだけだけど。

「どうぞ…?」
とクッションをどかしてくれる。

「ありがとう…」
と腰を下ろし、その距離を縮めていいのかわからなくなる。

「…あと、さ…?」
「なんですか?」
薫さんの方を見れずに。
自分の手ばかり眺める。

「抱きしめても、いい…、かな…?」
聞くと、テーブルに本を置き、
「いいですよ」
腕を広げた。

その腕に甘えて、背中をよしよししてもらう。
「…ごめん」
と言うと、頭をぽんぽんとされ、肩に頭を預けられる。

背中に腕を回すと、
「…人間誰しも、そんなときはありますよね」
と僕の弱さを抱きしめてくれてる気がして、目頭が熱くなる。

「…ごめん、僕は…、なにも…」

薫さんに何もできていない。

「…ごめんね」

泣きながら謝ることしかできなくて。

そんな僕に何も言わず背中を撫でてくれる。

「…ごめん…、」

「…ほんと、ごめん…」

体が震える。
寒気なのか、恐怖なのか、わからないけれど


「…一旦、寝たほうがいいですよ…また熱上がってるますし…」

わがままを言いたい。
このまま一緒に寝てほしいって。
そばにいてほしい、って。

「…そうだね…」
ため息をついて、薫さんから離れる。
それでも裾は掴んだまま。
離れた瞬間、一人になる気がして。
君がいなくなっちゃうんじゃないかって。

「どうしたんですか…、」

困らせてる…
わかってるのに…

怖くて仕方がない。
君を失うのが、とてつもなく怖くて、怖くて仕方がないんだよ。

「…ごめんね…、少し寝てくるね…」
と自分の本能を無視して無理やり離れる。
寝室に歩き、体を纏う寒さから、腕をさする。


ベットに倒れ込むと、他のことなんてどうでもよくなってしまう。

カチカチと時計の針が進み、どこかでスマホに通知が来る。

「冬眞さん、」
と声をかけながら薫さんが寝室に入ってくる。

顔をドアの方に向けると
「…もしよかったら…、なんですけど、添い寝…しましょうか…?」
と目を逸らせて言った。

よく見たら、服装も、パジャマに着替えている。

「…いい、んですか…?」

「…はい、他にすることもないので…寝ることは好きですし…」
さっきまで本読んでたのに…

「ありがとうございます…」
薫さんがそう言ってくれたのなら、素直に甘えようかな。

二人でベットに潜り、
「…ねぇ、抱きしめたい…」
と眠気に襲われながら、薫さんに手を伸ばす。

「どうぞ」
と僕の方に体を向け、僕の腕に頭を乗せると目を閉じた。

その背中に腕を回して、額に頭を傾ける。

僕はなにをしているんだろう。
薫さんに甘えている自分が、とてつもなく弱くて、惨めで、情けない。

好きなのに。
僕は、君を守ってあげられないんじゃないかって。
寂しくさせてしまうんじゃないかって。

こんな僕が、隣にいていいのかなって。


髪を撫で、薫さんの寝顔を眺める。
ぎゅっと抱きしめて、目を閉じた。


◇ ◇ ◇


目が覚めたのは、だいたい19時くらいで。
腕の中に薫さんはいなくて。
ベットの端まで手を伸ばしても、その温もりはない。

重い体をベットから持ち上げてリビングを覗く。

薫さんは、キッチンで鍋をかき混ぜていた。

その背中を抱きしめ、肩に額を乗せる。


「お目覚めですか?今スープを作ってて…」

「…ごめんね」
と言って、さらに強く抱きしめる。

君がいないと、寂しくて、怖くて、仕方がないんだよ…

「…もっと、このままでいたい…」

どこにもいかないでよ…
お願いだから僕の側に…

薫さんは、火を止め、手を僕の手に重ねた。

そして、小さな、掠れた声で
「…ごめんなさい、」
と呟いた。

「…謝るのは、ほんとうに僕の方だよ…」

「僕は…、」

薫さんには相応しくないんじゃないかって。


◇ ◇ ◇


ほんとうに私は、引っ越すのかな。
引っ越せるのかな。

荷造りも何も進んでいないし、内見だって行けていない。

一人で暮らす家をどういう視点で選べばいいのかわからない。

このキッチンだったら、二人で並びやすいかな。
この部屋は冬眞さんの仕事部屋かな、なんて。

私は一人で住むのに。

冬眞さんに、言われたらどうしよう。

“引っ越すの?”
“ここにいてほしい”

私には、どうしたらいいかわからない。
本気で、ここにいたいと思ってしまうから。

出ていかなきゃいけない。
冬眞さんのためでもあるし、私のためでもあって。

迷惑をかけているのもあるし、そもそもここは私がいていい場所じゃない。そんなこと、分かりきっている。


◇ ◇ ◇


次の日


澪の店で、休憩がてらコーヒーを飲む。


冬眞さんは、仕事に行った。
朝から、マネージャーさんに、これ以上は休めないんだ、って引っ張られて。
渋々仕事に行っていたけれど。

“帰ってきたら薫さんの手料理が食べたい”
それを条件に、とかなんとか…


「また、なにか悩んでるでしょ」
と向かいに座る澪がニヤリとする。

「ただの考えごとだよ…」

「話してみなよ、ほらほら」
と前のめりになり、上目遣いで見上げてくる。

「…前、SNSで見たんだけど…、なんか流れで同居してた異性が、自分が知らなかっただけで、超有名人だったって発覚したの。」

「ぇー、同居する前に気付く気がするけどなぁ」
うーん、と考えて、コーヒーを一口飲む。

「そしたら澪は、一緒に住み続ける?」

「うん。楽しそうだし?」
と即答する。

「私だったらどうすると思う?」

「えー、もしその相手の人が好きなら、支えることを選びそう。偏見だけどね。」

「支える…?」

「でも迷惑だからーとか、そういうこと考えて出ていきそうな感じはあるけどね。私だったらその芸能人好きになっちゃうだろうなー、」
と夢見る乙女の顔でカフェの庭を眺めている。

「…そっか」

「でもきっと暮らしづらいだろうなぁ。私と芸能人が釣り合う訳ないし、ましてや恋仲になんてなったら二人で外も歩けない」

「…やっぱそう考えるよね」


「…もし、その芸能人が、添い寝を頼んできたら?料理してたらバックハグしてきたら?」

「私は、どうしたらいいの…?」
目に涙が滲んで、ぽろぽろとテーブルに丸く留まる。

「どうしたら、って…薫は、どう思ったの?添い寝して、ハグされて、どうだったの?」

「嬉しかった…なのに、私でいいのかなって思っちゃって…」
余計に涙が止まらなくなって、まともに喋れなくなる。

澪が、席を立って私の背中を撫でてくれる。

「…私は、幸せになってしまった…もう、取り返しがつかなくて、今更一人で住みたくない…でも…迷惑かけてるから…、私は…っ、」

「澪だったら、どうする…っ、?」

「私だったら…そんなに泣くほど離れたくないなら、住み続けるかな。そもそも嫌いな人に抱きつく人なんていないし。その人がそう行動するってことはそれが答えなんじゃない?」

「ぇっ桐生冬眞さんですか!?」
レジの方で、そう声が聞こえた。

「本物!?」
と澪の目が見る見る輝いていく。

いつも通りの帽子。
サングラス。
黒いTシャツ。
ツヤツヤの革靴。

「すごいブランド物まみれ…」
「肌綺麗すぎる…」
「かっこいい…」
周りの人も、頼んだ飲み物なんて忘れて冬眞さんに注目している。

そうか…、周りが冬眞さんを見る目はこんな感じなのか…

「あの、コーヒー…」
レジの人が完全に固まっちゃって、冬眞さんも苦笑いしている。

「私代わります」
慌てて涙を拭って、レジに駆け寄る。

腰までしかない扉を通り過ぎ、カウンター越しに冬眞さんの前に立つ。
「コーヒーですか?みかんのパイはいりませんか?」
「あぁ、今日は大丈夫…」

周りをキョロキョロと気にして、鞄を漁っている。
「いつもこんな感じなんですか?」
「ここまで派手なのは久しぶりだね…」
と苦笑いをする。

コーヒーをカップに注いでいる間に、握手やらサインやらの対応をしている。

「…」

「…どうぞ」
「ありがとう、」
と受け取って、手を振りながら車に乗っていった。


なんで自分で来るんだろう。
マネージャーさんに頼めばいいのに…


「えっねぇなんで話せるの!?」
席に戻ると澪に問い詰められる。
「なんで、って…」

「私も話したかったぁー、」
「どうせまた来るよ、」

「なんでそんなに桐生冬眞に無頓着なの!あの桐生冬眞だよ?貴方今すごいことしたんだよ!?」

「なにもすごくないよ、」 

澪のこの興奮具合から、相当凄いんだろうなぁ…
周りの人も冬眞さんの話題で持ち切り。


「そっか、そんな人だったんだね。だからあんなに忙しいんだ…きっと慕われてるんだろうね」

もう澪が冬眞さんと暮らせばいいのに…

そしたら、きっと、もうなにも悩まないんだろうね。


◇ ◇ ◇


“そもそも嫌いな人に抱きつく人なんていないし”

「…」

フライパンの中の肉が、じゅわじゅわと音を立てている。

まぁ、たしかに澪の言う通りなのかもしれないけど…


冬眞さんの、ライブ映像を見てみることにした。

カフェのほとんど全員が知っていて、ワクワクした目で眺めて。

どんな人か、気になったから。

おそるおそる、震えた指で再生ボタンを押す。

“行けるかアリーナぁ!”

毎日見ている人とは別人で。
寝ぼけてマネージャーに叩き起こされている、派手な寝癖がついている、あの人とは別人で。

圧倒的歌唱力。
すべての人の目線を集めるカリスマ性。
光り輝く衣装。

「…」

私は、こんな人と…
なにをしていたんだろう…


「あれ、珍しい」
と背後から声をかけられる。

何万人の前に立つ人が、いつも通り。私の前に現れる。

「ごめんなさい…っ、まだ肉じゃができてなくて…今すぐ作るので…!」
とキッチンに駆け込む。

慌てて火をつけ、まな板と包丁を取り出す。

「いいよ、ゆっくりで。なにか手伝おうか?」
「いえ、ソファでのんびりしててください」

じゃがいも、にんじん、玉ねぎを切って、鍋に入れ、水を入れる。

「すごい、肉じゃがってこうやって作るんだ…覚えてるの?」
「まぁ、ほとんど暗記ですね。」

「そっか、カクテルも暗記してたもんね」
へぇーと感心したような声を出す。

鍋が溢れて激しい音を立てたところでハッとする。
手、止まってた…

「すごいいい匂い…実家に帰ったみたい」
「…」

“実家”

「薫さん?」
「…いえ、」

“俺にはお前を殴ることも、怒鳴ることも、殺すことも。権利がある。”
“でも俺がなぜお前を殺さないのかよく考えろよ”

「…なんで殺さないのか、か…」
「えっ?」

「…冬眞さんが、私を殺さない理由って、なんですか?」
「えっ、なんで…、って…」

なんでそんなこと聞くの?とでも言いたげで。
目がまんまるで。

「殺さない理由…って、考えたことないな…」
と顎に手を当て、熟考し始める。

「殺すとか選択肢にないし…なんで殺さなきゃいけないんだろうって思うし…殺したくないから、かな?」

「…殺したくない、から…」

「そう、お母さんとか、お父さんとか、殺したくならないでしょ?それと一緒だよ」

「…」

「じゃあ僕お風呂行ってくるね?」
とリビングを後にした。


お母さんとか、お父さんとか…
そっか、そうだよね…


◇ ◇ ◇


薫さんの肉じゃが、すごく美味しくて。
肉じゃが自体、久々に食べて。

じゃがいもがほろっと崩れて、お肉の味がよく染みている。

僕としては幸せ、なんだけど…

「…」

薫さんは浮かない顔で、一口も食べていない。

「…どうしたん、ですか…?」

下を向いて、ただ箸を握っていて、静かに首を振った。

「…お風呂、入ってきます…」
とだけ言って出ていってしまった。


僕、もしかしてなにか言ってしまったのだろうか。
もしかして薫さんは僕に殺してほしかったとか…!?
むりだよ、出来っこない…
僕はそんな性癖持ってないのに…


◇ 次の一杯 ◇

「断捨離ですか?」