俺たちの素顔同盟。

週明けの月曜日。
あの薄暗かった映画館が嘘みたいに、教室は朝の容赦ない光と、いつもの雑音に満ちている。
……いつもの、と言ったらちょっと違うかも。
長い前髪の隙間から見える光景に、俺は小さくため息を吐いた。
「――でさ、その子が言うわけよ。遠藤くんといると何も考えなくていいから楽、って。古川、これってどう思う?」
ノートを写させろ、という横暴をひたすら無視していたら、いつの間にか遠藤の恋バナを聞かされている。
陽キャってこえー……
誰にでもプライベートな話できるんだな。
恋愛のことなんて、ぜんっぜん分かんないのに、なんで俺に聞くのか。
「何も考えなくていいって何?俺はあれやこれや考えてんのにさ。男だったら普通だろ?」
「………」
「俺的には、もっと危険を感じさせるような男になりたいんだけど」
「……いや、安心するにこしたことはないだろ」
つい口から出ていた。
しめた!とばかりに、さらに身を乗り出してくる遠藤。
「でもさぁ、優しすぎる男ってどうなん?つまんなくない?」
だから、なんで俺に聞く?
机の下で、組んだ指をそわそわと動かしながら、少し考える。
「……俺はいいと思う」
優しい遠藤なんて、一ミリも想像できないけどな。
むしろ、俺や渡に絡むところを見たら、普通に引かれると思う。
このクラスの女子は、「またやってる」なんて面白がってるけど、彼氏としてはナシだろ。
ナシ寄りのナシだ。
「でもな〜、いまいち進展がねぇっつうか」
「はぁ」
無意識に斜め前を見る。
俺の視線に気づいたように、渡が振り向いた。
これは……合図を待っているんだろうか。
俺は『大丈夫』という気持ちをこめて、メガネのブリッジを押し上げた。
渡が目を細める。
今のは……笑ったのか?
無理やり視線をそらして、遠藤の顔を見据える。
「……分かんねぇけど、言わなきゃ伝わんないんじゃないか」
「それができたら苦労しねぇんだよ」
遠藤はため息混じりに天井を見上げた。
「なぁ、男として意識してもらうにはどうしたらいい?」
いい加減、この実りのない会話を終わらせたい。
そもそも、俺に相談をするのが間違ってる。
遠藤のやつ、俺に恋愛経験があるとでも思ってるのか?
渡はまだこっちに顔を向けている。
やっぱり、耳を触ろうか。
そう思ったとき――
「遠藤」
低い声に、反射的に体を強張らせた。
膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめる。
「おう、雅人」
遠藤が片手を上げた。
雅人はそのまま横を通り過ぎ、遠藤の前に立つ。
下を向いた俺の頭に「千歳」という懐かしい響きが降ってきた。
肩が跳ねそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死に堪える。
「こいつの話、真面目に聞かなくていいから」
それはあの日、「気持ち悪い」と言い放った声とは違っていた。
なのに……怖い……
呼吸が浅く、細くなっていく。
なんで今さら話しかけてくるんだ。
俺が何も答えずにいると、遠藤の抗議の声が聞こえてくる。
「なんでだよ!俺は真剣なんだっつーの」
「いいからこっち来い」
「ちょっ、引っ張んなよ」
ドタバタと足音が遠ざかっていった。
ようやく教室に、いつものガヤガヤとした静けさが戻る。
俺はしばらく動けずにいた。
呼吸がうまくできない。
マスクの中が熱い。
下を向いたまま、ひたすら机の傷を数えることしかできない。
……視線を上げれば、渡が心配そうに見ている気がした。
でも、顔を上げることはできなかった。

……秋晴れってやつか。
屋上のコンクリートに寝転ぶ。
さっきまで胸の奥に残っていた嫌なざわつきが、清々しい風に少しずつ流されていく。
土曜日はあんなに暑かったのに、たった二日でガラッと空気が変わった。
「……ふふ」
一人思い出す。
芸能人だと思われて囲まれてたとき、あいつ相当焦ってたな。
声なんか震えちゃって、イケメンが台無しだろ。
俺の後ろをちょこちょこついてきたときも。
犬飼ったことないけど、あんな感じなんかな。
……それから、あのきれいな人。
映画のあと、ファミレスで教えてくれた。
あの人はやっぱり渡の幼馴染で、元カノだった。
渡の五股の噂を信じて、散々もめた挙句、別れを告げられたらしい。
そりゃショックだよな。
ずっと好きだったんだもんな。
……思い出して泣くほど。
「なんか、やっぱり変……」
胸の奥に締め付けられるような違和感がある。
ダメだ。
深く考えちゃいけない。
ぎゅっと目を瞑って、あの日見た映画のことを考える。
そのとき、ガチャ、と扉が開く音がした。
「古川くん、お待たせ」
顔を横に向けると、ランチバッグを持った渡が走ってきた。
「おう」
勢いをつけて起き上がる。
俺と同じようにメガネとマスクをはぎとって、隣に座った。
この顔も見慣れた。
美人は三日で飽きるなんて言うけど。
……違うな。
飽きるんじゃない。
慣れるんだ。
そういえば渡は、俺の顔を見ても何も言わなかった。
「古川くんってさぁ」
「ん?」
「ここではいつも足出してるよね。袖もまくってるし」
そう言われて自分の腕を見る。
渡と比べてみても、明らかに白い。
ここ数ヶ月の俺の頑張りは何だったんだ……
そして改めて思う。
俺って、渡にはなんでも見せてるんだよな。
まぁ、見られた、って言ったほうが正しいか。
「うん、日焼けしようと思って」
「日焼け?なんで?」
純粋な疑問をぶつけられて、箸を握りしめる。
一呼吸置いてから、おもむろに口を開いた。
「だって俺の肌、気持ち悪ぃだろ?」
口を噤んだ俺を、渡はぽかんと見つめている。
「全然そんなこと思わないよ」
張り詰めた空気……だと思っていたのは俺だけだったらしい。
真っすぐな否定に、一気に心が解けていく。
それから、渡は照れたように笑った。
「むしろ、きれいだなって」
「は?」
きれいって……
何言ってるんだ?
きれいなのはお前だろ。
骨格も筋肉のつき方も、自然に日焼けしているその肌も、何もかも俺とは違う。
「だからいつも長袖なんだね。もしかして、顔を隠してるのも、それが理由?」
「……まぁ、それもある」
それっきり黙って弁当をつつく。
渡は俺が話し始めるのを待ってたみたいだけど、それ以上話す気にはなれなかった。
渡も無理には踏み込まない。
その優しさが嬉しくもあり、少しもどかしくも感じた。
なんて、すげー自分勝手じゃん、俺。
渡はちゃんと自分のことを話してくれたのに、俺はまだ隠している。
また逃げている。
「遠藤くんに相談されてたね」
ふいに渡が話題を変えた。
口の中のものを、ゴクリと飲み込む。
「うん、俺に相談しても意味ないっつーのに」
「そう?けっこういいこと言ってたよ。俺には響いた」
「マジか……」
どの立場から言ってんだ、って感じの意見だったけど、渡の心に響いたんなら良かったのか?
こいつの頭の中にはそのとき、誰かの顔が浮かんでいたんだろうか……
「ねぇ」
「ん?」
渡が少し俺のほうに体を寄せた。
「男として意識してもらうにはどうしたらいい?」
やけに色っぽい目で見つめられて、背中にじわっと汗をかく。
でも、その視線の先は俺じゃない。
映画館で食い入るように元カノを見つめていた渡を思い出す。
「……何、言ってんだよ」
「遠藤くんが聞いてたじゃん。古川くんは何て答えるの?」
「俺の意見なんか聞いたってしょうがねぇじゃん」
「いいじゃん、教えてよ」
「そんなの、分かんねーし」
「……ちぇ、残念」
渡の拗ねた横顔に、さっきと同じ違和感に襲われそうになって、俺は考えるのをやめた。