君の前では隠せない。

 土曜日の映画館はすごい混雑で、フードを買うだけで三十分以上並んだ。
 俺はオレンジジュース、昼メシを食べてないからホットドッグにした。渡はファミリー向けのポップコーンを抱えている。

 「すげー。そんなに食えんの?」

 「古川くんと食べたくて」

 「え、何味?」

 「キャラメルと塩。ハーフにしたよ」

 「おぉ、ナイス」

 顔を隠していても分かる、渡の浮かれた笑顔。図体はデカいくせして、こういうところはやっぱり子どもみたいなんだよな。

 「ドリンクは何にした?」

 「アイスコーヒー」

 そこは大人かよ。

 「古川くんは?」

 「俺、オレンジ。コーヒー飲めねぇ」

 「ふふ、子どもみたい」

 逆に言われてしまった。

 「オレンジはうめーだろ」
 「確かにうめーね」

 真似された。

 両手が塞がっているから、肩を軽くぶつける。
 渡はなんだか嬉しそうに、よろけるふりをした。浮かれてる。こいつも俺も。
 家族以外と映画を観るのは初めてで、まるで、テーマパークにいるような気分だ。

 「13時30分からの『ゴースト・チェイサーズ』開場いたします。チケットをお持ちの方は――」

 ガヤガヤとしたロビーにアナウンスが響く。

 「渡、行こうぜ」

 そのとき――

 「純也?」

 背中から聞こえた高い声。

 純也?純也って誰だ?

 渡が先に振り向いて、俺もつられるように後ろを見る。その瞬間、渡の肩が強張ったのが分かった。

 そこにいたのは、めちゃくちゃきれいな人だった。ウェーブがかった長い髪に、胸元がヒラヒラした白いワンピースを着ている。カップを持つ指先は桜色に彩られ、キラキラと光を反射していた。

 ずいぶん大人っぽい人だけど……誰だ?
 答えを求めて、『純也』と呼ばれた渡を見上げる。目を見開いたその顔は、ホラー映画を観ると決めたときより、ずっと青ざめていた。

 思わず、渡と女性の顔を見比べる。女性は怪訝な表情を浮かべ、探るように視線を上下させていた。

 「純也、だよね?……何、そのメガネ。マスクも」

 渡は瞬きもせず、食い入るように女性の顔を見つめている。

 「なみちゃん……」

 呟くように言うと、左腕に抱えている馬鹿デカいカップから、三粒ポップコーンがこぼれ落ちた。渡はそれに気づきもしない。

 「久しぶり。卒業以来だね」

 女性はいたって冷静。いや、むしろ氷のような雰囲気をまとわせて、初めて隣の俺に視線を投げた。とたんに居心地の悪さを感じる。

 「あなた、純也の高校の友達?」

 まさか声をかけられるとは思わなかった。ドギマギしながら、小さく頷く。

 「相変わらず純也は優しいんだね。誰にでも」

 ……誰にでも?
 あれ?なんだろ。モヤモヤする。
 この人、ただの知り合いっていう雰囲気じゃない。

 『俺、ずっと好きだった幼馴染がいて、やっと付き合えたところだったんだ』
 唐突に、渡の言葉を思い出す。もしかして……元カノ?

 「ねぇ、何か言いなよ」

 詰め寄るように一歩、二歩と近づく女性。渡が半歩だけ後ずさりする。

 なぁ、助けてほしいなら助けてほしいって、合図しろよ。……いや、こんな状況で耳なんか触れるわけねぇか。

 その間にも近づく女性。

 俺はどうしたらいい?

 「――渡、もう始まる」

 渡の肩を押すと、弾かれたように俺を見た。その目の奥には、はっきりと恐怖が浮かんでいる。

 「う、うん」

 向きを変える前に、一応会釈だけしておく。

 「ちょっと!」

 女性がタタッと駆け寄った。

 「ごめん、もう行かないと」

 渡は曖昧な笑顔を浮かべて、そのままチケットブースを通り抜けた。



 チケットの数字とにらめっこしながら、薄暗いシアターの通路を歩く。自分たちの席を見つけて座ると、ふーっと長く息を吐き出した。

 「ごめん、勝手に」

 ポップコーンを抱えたままの渡が首を振る。

 「俺のほうこそ、ごめん」

 「大丈夫か?」

 「んー……」

 しばらくの沈黙の後、ガサガサと音がする。次の瞬間、俺の肩を抱くようにして、体が引き寄せられた。ポスッと渡の肩に俺の頭が乗る。力強いその腕に、心臓がドクリと鳴る。

 「お、おい」

 「だって、怖いときはひっついていーんでしょ?」

 いたずらっぽい言い方に、離れようともがくけど……

 「お願い。少しだけ」

 次に聞こえてきたのは切実な声。抵抗する気力も失くなって、渡のしたいようにさせることにした。

 「俺、今は誰にでも優しいわけじゃないから」

 「……うん、知ってる」

 遠藤にパシられそうになっても、ちゃんと断れるもんな。ちょっと弱いけど。

 「ねぇ、分かってないでしょ」

 「何が?」

 「……なんでもない」

 「なんだよ」

 俺の前髪に渡の息がかかった。
 ……良かった。少しだけど笑えてる。

 「なんか俺、今ならホラーでもなんでもいける気がする」

 「ほんとかよ」

 俺もふふっと笑うと、肩の重みがなくなった。ゆっくり頭を上げる。

 「ね、取ろうよ」

 口元を指差しながら言う渡に、俺も頷いた。

 「そうだな」

 今日の目的は、メガネとマスクを外して遊ぶこと。公開されてから二日目とあって、それなりに観客はいるけど、この暗さなら大丈夫だろう。

 渡にならうように、俺も鎧を外す。二人とも素顔になった。ちょっとだけ怖かったけど、渡の目をじっと見ていると、それも薄らぐような気がした。

 スクリーンの光に照らされた渡の素顔。いつも屋上で見ているものとは違って見える。妖艶ささえ感じる渡の瞳の奥が、キラッと光った。

 俺を見つめるアーモンド型の目に、吸い寄せられるように顔が近づく。

 「劇場内のマナーを守りましょう!」

 突然の大音量に、文字通り飛び上がった。

 「上映中はスマートフォンの電源をお切りくだださい!――」

 シアターのマスコットキャラクターがスクリーンに映し出されている。映画が始まる前にいつも流れる、注意喚起の映像だ。

 「は、始まるな……」

 「う、うん……」

 座席に深く座り直し、ドキドキとうるさい胸に手を当てる。

 なんだ、今の。なんか妙な雰囲気だったんだけど。……いや、深く考えるのはやめよう。今日は思いっきり楽しむんだ。

 渡のほうを向けないまま、映画が始まった。



 「あー、マジで面白かった!」

 「だね……」

 がっくりと肩を落とした渡が、弱々しく言う。

 「だね、じゃねーよ。お前、結局ずーっと俺にひっついてたじゃん」

 「だって、怖かったんだもん」

 もん、って……

 「でも、笑えるところもあっただろ?」

 「うん、主人公がバナナの皮踏んでも滑らなかったところは、かなり笑ったね」

 「だろ?あれ、傑作だったよな!それにおばけがドアの隙間に挟まったところも」

 「ぽよんぽよんしてて可愛かったよね」

 「人間の体はすり抜けるのにな」

 そのとき、ぐうううぅぅ〜と俺の腹が鳴った。ホットドッグを食べて、さらにあれだけのポップコーンを食べたのに。男子高校生の体は燃費が悪い。
 渡が笑ったままスマホを見た。

 「五時か。まだ話したいし、ごはん食べて帰る?」

 「おう、そうしようぜ」

 映画館のすぐ近くのファミレスに入る。

 『変わりたい』と言ってた渡は、やっぱり逃げなかった。怖がりながらも、映画はちゃんと最後まで観てたし。

 それに、あの女の人と会ったときも……。渡は最後まで逃げ出そうとはしなかった。逃がしたのは、また俺だ。
 あれで良かったのかは分からない。 でも、あのまま渡を置いていくなんて、俺にはできなかった。