君の前では隠せない

「……ああ」
渡がメガネに続いて、マスクに手をかけた直後、俺の口から思わず声が漏れていた。
ジロジロ見るなんて失礼だろ。
頭の中ではそう思っているのに、勝手に目が吸い寄せられる。
さっきよりもはっきり見える、アーモンド型の二重。
細い鼻梁に、ツンと高い鼻の頭。
自然に口角がカーブしている、薄い唇。
シャープな顎のライン。
父さんのような四角い顔とは違って、『美人』という言葉がよく似合う。
それでも、凛々しい眉毛や盛り上がった額が、ちゃんと『男らしさ』を醸している。
俺はこんな顔、雑誌やテレビの中でしか見たことがない。
「すごいな、お前」
小さく呟くと、渡は困ったように眉尻を下げた。
「ありがとう……って言えばいいのかな」
「いいんじゃねーの?」
「……うん」
俺は考えるように顎に手を当てた。
すげーイケメンだけど……
「でもさ、出来過ぎだろ」
渡は面食らったように瞬きをする。
「え?」
「なんか欠点がなきゃ、納得いかねー」
「……欠点」
「実は奥歯がないとか、鼻毛が出てるとか、目が濁ってるとか」
だって、完璧すぎる。
これで中身も完璧なら、こいつ、もはや人間じゃないだろ。
それこそ、『人形』だ。
ただ動いて喋るだけの。
戸惑うその顔を、観察するように見上げる。
「へぇ、目はちゃんと澄んでるな」
メガネを外しているからよく見える。
その黒目の奥には、透明に光る部分があった。
これが少女漫画だったら俺の顔が映ってるんだろうけど、よく分からない。
さすがに鼻毛は……うん、出てないな。
渡がふいに目をそらしたから、俺は腕を組んだ。
「なんかねーの?なんでもいいよ。歌が下手とか、足が臭いとか、ピーマンが食えねーとか」
そう言ったとき、渡が「ぶぶっ」と吹き出した。
お、今のはちゃんと人間ぽかった。
「ピーマンは苦手だね。にんじんも。足は……たぶん臭くないと思うけど」
その言葉に、ホッと息をつく。
「渡に限っては、欠点があるほうがいいな。そのほうが、お前って感じする」
渡はしばらく何か言いたそうに口をもごもごさせていたけど、サッと顔を俯けた。
耳が少し赤くなっているのに気づく。
「……俺なんて、欠点だらけだよ」
その声は、拗ねているのか、それとも照れているのか。 
口を開いたとき、「キーンコーンカーンコーン」とチャイムが鳴った。
「やばっ、予鈴だ」
「ほら、マスク!メガネも」
俺たちは大慌てで支度を整えて、階段に続くドアをくぐる。
振り返ると、屋上のドアは静かに閉まっている。
まるで、さっきまでの出来事を隠してくれているみたいだった。
俺たちは顔を見合わせると、ふっと笑って階段を駆け下りた。


午後の授業は驚くほど頭に入ってこなかった。
斜め前に視線を送ると、渡の丸まった背中が目に入る。
あいつ、屋上ではあんなんじゃなかったよな。
もっと、スッと立っていた。
俺より15センチくらい背が高いのか?
向かい合ったときのことを思い出して、天井の照明を見上げる。
それに、あいつの手、デカかったな。
指は細くて、関節がゴツゴツしてて。
でも、優しい手だった……
数学の教科書の上で、手のひらが見えるように指を開く。
俺のはずんぐりむっくりしている。
思わず眉をしかめたとき、隣の席のやつとコソコソ話していた遠藤が、チラッと俺を見た。
「古川、まだ足し算するのに指使ってんのかよ」
うるせー。
心の中だけで言って、無視を決め込んだ。

「気が向いたらな」なんて言ったくせに、放課後、俺は黙って渡の後ろを歩いていた。
靴を履き替えて玄関を出ると、立ち止まって待ってくれている。
「悪ぃ、待たせて」
すぐに追いついて横に並ぶと、渡は首を横に振った。
「俺が一緒に帰りたかったんだし」
「……そうかよ」
こいつの言葉はストレート過ぎて、背中のあたりがムズムズする。
少し時間をずらしたわけだけど、校門近くに5〜6人の女子生徒が固まっていた。
学年も何も分からないけど、同じクラスじゃないことは確かだ。
俺たちが横を通り過ぎるとき、ぎょっとしたようにこっちを見ていた。
さすがに、不審者然とした男が、連れ立って歩いているのは目立つんだろう。
そもそも、渡が目立つんだ。
教室の椅子に座っているときとは違って、今は背筋がシャキッと伸びている。
気にして見てみれば、足だって長い。
制服も、浮かない程度には着崩してるし。
一番上まできっちりボタンを留めている俺とは違う。
「ねぇ、あれ……」
「やばい」
「やっぱり……」
なんて言葉が、背中のほうから飛んできた。
渡は聞こえているのかいないのか、平然と空なんか見上げている。
こいつ、実は目立つの、慣れてるのか?
顔を隠し始めたのは高校からだと言っていた。
中学じゃ、相当モテてたんだろう。
一度素顔が分かってしまえば、メガネとマスクだけじゃ隠しきれないイケメンオーラが漂っている。
「なぁ、俺のこと探してたって言ってたけど、昼メシ食ったのか?」
「ん〜?今日、弁当忘れてきちゃった」
「なんだよ。コンビニでも寄ろうぜ」
渡が「いいの?」と言って、俺が頷く。
俺もちょうど、アイス食いたかったし。
俺はオレンジシャーベット、渡はツナマヨおにぎりを買って、すぐ近くの公園に向かう。
『生首公園』なんて名付けられたその場所には、猫一匹すらいない。
管理されているとはとても思えない、鬱蒼とした木々に囲まれ、遊具の周りには背の低い雑草が生えている。
こんなところにいたら、マジで通報されそうだ。
でも、日陰が心地良いし、教室にいるときよりは息がしやすかった。
ちょっと虫が多いけど。
「さっき校門で、目立っちゃってたね」
そう言ったのは渡だ。
「なんだ、気づいてたのか」
ベンチに座り、それぞれ、アイスとおにぎりにかじりつく。
今はマスクの片側だけ外していた。
「あれは気づくでしょ」
「お前、全然平気そうだったから」
「あーいうときは、無視するんでしょ?」
渡がいたずらっぽく笑う。
俺は親指を立ててみせてから、またアイスをかじった。
「……古川くんだから言うけど、俺ね」
渡は唐突に話を切り出した。
「中学のとき、いろいろあって」
「いろいろ……」
「ほら、こういう顔だからさ」
困ったように笑って、自分の顔を指差す。
そんな卑下するような言い方をしてしまうのがこいつらしい。
渡は一旦口を噤んでから、またゆっくり開いた。
「そのせいでトラブルが絶えなくて。女の子が殴り合いのけんかしたり、ストーカーになっちゃったり、勝手にSNSに写真載せられたり」
うわ、いきなり重い。
中学生でそれはキツすぎるだろ。
「それに俺、頼まれると断れなくてさ。相談に乗ってただけなのに、『特別扱いしてる』って言われたり」
「笑って話しただけで勘違いされることも多かった」
「挙句、五股かけてるなんて噂になっちゃった」
やっぱり、馬鹿みたいにお人好しなんだよ、こいつは。
「それが、顔を隠す理由か?」
一瞬の沈黙。
渡は食べかけのおにぎりをじっと見つめたまま、小さく息を吐いた。
「そう。それと……」
渡の声が震えた。
「俺、ずっと好きだった幼馴染がいて、やっと付き合えたところだったんだ」
どんな顔をすればいいのか分からない。
ストーカー、勘違い、五股の噂、好きな人……
溶け出したアイスが、指の間を不快になぞった。
「でも、すぐダメになっちゃった。俺のこと、信用してもらえなかった」
心臓に重りをつけられたみたいだ。
俺は誰かを好きになったことがない。
それでも、こいつがものすごく傷ついたことだけは分かる。
渡は、仰ぐように空を見上げて笑った。
その顔は、一見すると晴れやかにも見えた。
でも、そんなはずない。
今も傷ついたままなんだろ?
だから、顔を隠してるんだろ?
思わず、渡の腕を掴む。
「お前、俺の前で我慢して笑うな。辛いときは辛いって顔してりゃいいんだよ」
渡は一瞬目を見開いた。
それから、ほんとの素顔をのぞかせるように顔を歪めた。
「古川くんって、すごいよね」
その声は揺れている。
渡は片手でメガネを外して、そのまま手の甲で瞼を押さえた。
「すごくなんかねぇよ」
それだけ言って、俺たちはしばらく口を閉ざした。

次に口を開いたのは、渡が赤くなった目を上げたときだった。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
渡はメガネをかけ直して、残ったおにぎりをひょいっと口に放り込んだ。
「あのさ……」
「うん?」
「俺ら、お互いの素顔見ちゃったじゃん?」
渡はゴクンと喉を鳴らして「そうだね」と答えた。
薄い唇に、彫刻のように整った鼻。
その鼻の先も、ちょっと赤くなっている。
つい微笑むと、渡が照れくさそうに首の後ろをかいた。
「だから、このことは秘密にしよう。誰にも言わない」
「もちろん」
「それでさ、渡」
そう言って、少しだけ考えるように宙を見る。
すっかり溶けきったアイスの棒を、ぎゅっと握りしめた。
「俺ら、同盟組まねぇ?」
俺の言葉に、渡がパチパチと瞬きする。
まつ毛の先にまだ残っている水滴が、キラキラと光を反射した。
「……それは、秘密を守る同盟、ってこと?」
「そう!」
思わず身を乗り出した俺に、渡はふっと笑った。
「なんか、古川くんらしいね」
「そうか?」
「いいよ、やろう。俺たちの素顔同盟」
「よし。じゃあさ、ルール決めようぜ」
―――誰もいない公園に、俺たちの弾んだ声が響く。
鬱蒼として見えた木々も、さっきまでの静けさも、今はなんだか味方してくれている気がした。