君の前では隠せない。

 約束の休日。

 俺の家の最寄り駅で待ち合わせして服屋へ向かう。二人ともいつも通りのメガネとマスク姿。また前みたいな騒ぎになったら困る。

 渡は黒いカーゴパンツに黒いTシャツ、グレーのチェック柄シャツ。
 俺はグリーンのパーカーにブルーのデニム。
 渡が大人っぽすぎて、横に並ぶと中学生みたい。

 まぁ、いいや。どうせ着替えるんだし。

 「古川くん、ここ?」

 「おう。行きつけってほどじゃないけど、近所だから」

 「家、近くなの?」

 「すぐそこのマンション。歩いて5分くらいかな」

 「へぇー」

 なぜか渡が意味ありげな視線をよこした。

 「なんだよ」

 「だって、迎えにきてくれたってことでしょ?」

 一瞬言葉に詰まる。
 映画の日は渡が迎えに来てくれたんだっけ。あのとき、俺の心臓ずっと変だったんだよな。

 「お、お前がまたグラサンかけてこないか心配で。それに、場所分かりづらいから」

 「さすがにあれは懲りたよ。でも、ありがとう」

 「おう。……早く入ろうぜ」

 ドアを開けると、カランと乾いた音がする。若い男性店員が、「いらっしゃーせー」と、ちょっとだるそうな声で言った。
 そんなに頻繁に来るわけじゃないけど、いつもと変わらない雰囲気。この店のいいところは、店員が話しかけてこないところだ。
 それでもソワソワしてしまうんだけど、今日は隣に渡がいる。なんだか強くなれた気がするから不思議だ。

 「あ、古川くん、これとかどう?」

 整然と並ぶハンガーに滑らせていた渡の指が、ピタッと止まる。渡がラックから取り出したのは、白のゆったりしたポロカーディガンだった。

 「俺、こういうの着たことねぇよ」

 「絶対似合うって。古川くんの優しいイメージにぴったり」

 「優しいって……」

 つい口に出してしまい、気恥ずかしくなる。
 俺、そんなキャラでやってないんだけど。

 「じゃあ、渡はこれだな」

 ライムイエローのパーカーをハンガーから外して、渡の肩に合わせる。

 「うわぁ、きれいな色」

 「だろ?お前はいつでも爽やかくんだからな」

 「えぇー、俺って爽やか?」

 渡は何が不満なのか、顰め面のまま鏡を見た。

 「なぁ、着てみようぜ」

 試着室は一つしかない。俺が先に入ることになった。
 メガネとマスクを外して、バッグに仕舞う。渡が選んだ服に袖を通すと、なぜか緊張してきた。ボタンを留める手がぎこちない。
 試着室の姿見に映る俺は、いつもの地味な男とは違う。少しだけ背伸びしてるみたいでドキドキした。

 カーテンを細く開ける。

 「ど、どうかな?」

 外で待っていた渡が、はっと息をのむのが分かった。

 「……すごい……可愛い」

 俺が押さえていたカーテンを、いともあっさり全開にする。

 「めちゃくちゃ似合ってる!」

 「大げさ。次、お前の番だぞ」

 照れくさくて、渡の背中をグイッと押した。

 カーテンの向こうでガサガサと衣擦れの音がする。

 「古川くん」

 「ん?どうした?」

 呼びかけられて近づくと、いきなり渡の手が伸びてきた。そのまま俺の手首をひっつかむ。

 「お、おいおい!」

 試着室に連れ込まれてしまった。

 二人並んだ姿が映し出される。
 ライムイエローのパーカーを着た渡は、さっきよりも少し幼い。中身と見た目が揃って、年相応の高校生らしさが出てる。
 一方の俺も中学生から進化した。たぶんだけど。
 ちゃんと同級生って感じだ。

 「いいじゃん。渡っぽい。やっぱり背が高いから何着ても似合うな」

 「そう?俺、これにする」

 「俺も」

 「ねぇ、今日はこのまま顔出して行かない?」

 鏡越しに目が合って、俺は無意識に頷いていた。
 渡が俺に向き直る。俺も一歩動いて向かい合った。

 ほんとに背が高いな。俺の額と渡の口が同じくらいの高さだ。

 「あれ?古川くん、前髪切った?」

 「ん、ちょっとだけ」

 渡の長い指が、さらさらと俺の前髪を撫でる。俺の目がちゃんと見えるようにしたいのか、真ん中で分けるように手ぐしを入れている。

 「目、見えるほうが好き」

 「そうか?もうちょっと切ろうかな」

 「いいよ、このままで」

 ふっと笑う。
 目が見えたほうがいいとか、このままでいいとか、変なやつ。

 それでも、あまりにも優しい手つきに目を閉じて、されるがままされていた。

 「おでこ、可愛いね」

 「なんだそれ、意味分かんねぇ」

 それだけ言って黙る。

 渡の手、なんでこんなに気持ちいいんだろうな。温かくて、少しもどかしくて……。おまけに、いいにおいまでする。
 立ったまま寝れそー……。

 ――ふに。

 額に柔らかい感触がして、ゆっくり目を開ける。

 ん?なんだ、今の。

 ちょうど見上げたところに、渡の薄い唇があった。さらに視線を上げると、初めての瞳に見つめられる。熱っぽくて、ちょっとだけ苦しそうに歪んだ瞳。

 「今、何かした?」

 「いや、別に」

 前髪を撫でていた手は、いつの間にか俺の背中に回っている。

 「何かしただろ?柔らかいものが……」

 「……内緒」

 囁くような声が、妙に色っぽい。
 額に触れたところから、一気に熱が広がる。

 「お、お前、まさか……!今の……!」

 「ん?なぁに?」

 渡がこてんと首を傾げる。

 そんな純粋な目で見るんじゃねぇ。今のは絶対あれだろ。キ、キ、キ……

 俺は何も言えずに、震える手で渡の脇腹を思いきりつねった。

 「いたっ!痛い痛い!古川くん、痛いよ」

 「うるせぇ!お前、ほんとは何したんだよ」

 渡は涙目になりながら脇腹を押さえている。

 そんな可哀想なふりに騙されるか。こいつ、俺の心臓をまたおかしくしやがって。

 「ちょっと触っただけだよ。だって、おでこ可愛かったから」

 「だからってキス……!」

 口を滑らせた。男子高校生にはだいぶハードルの高い単語。
 鏡を見なくても分かる。俺の顔、真っ赤だ。
 渡は目を見開いたあと、口元を手で覆って、みるみるうちに耳の後ろまで赤くなっていく。

 「……気づいてたんだ」

 「そりゃ、気づくだろ」

 「……えへへ」

 「えへへ、じゃねーんだよ。笑ってごまかすな」

 また怒鳴りそうになるのを必死に堪える。
 ここは俺のお気に入りの店だ。店員に不審がられたら、俺もう来れないじゃん。

 「もういい!俺、会計してくるから」

 勢いよくカーテンを開けて、逃げるようにレジに向かう。

 「あ、古川くん、待って」

 背後から渡が慌ててついてくる気配がした。

 会計をしている間、男性店員がチラチラと渡の顔を盗み見ていた。

 やっぱりかっこいいんだよなぁ、こいつ。

 「ありがとしたー」

 「どうも」

 「……あの、お二人すごくお似合いっすよ」

 初めて店員に話しかけられた。

 「俺もそう思いまーす」

 固まってしまった俺の代わりに渡が返事をする。そのまま背中を押され、買った服を着たまま店を出る。

 「ねぇ、怒ってる?」

 「……別に」

 怒ってるわけじゃない。ただ恥ずかしくてしょうがないだけ。
 渡にされたことも、店員に言われたことも。だって、服だけじゃなくて、俺たちがお似合いだと言われたみたいで。
 そんな受け取り方をしてしまった自分すら殴りたくなってくる。

 「ほんとにごめん。次はちゃんと許可もらうから」

 「次とかないし、許可制じゃねーから!……もういいから、行こうぜ」

 そんな顔されたら怒る気なんてなくなるって。
 俺の言葉に、渡が嬉しそうに駆け寄る。

 「さっきのパーカーも可愛かったけど、俺が選んだの着てもらえるのっていいね」

 「それは……お互い様だろ」

 俺が選んだ服を渡が着て、渡が選んだ服を俺が着る。体中くすぐったくて、襟をそっと引き寄せた。
 渡の顔を見上げる。
 さっき俺の額に触れた渡の唇。どうしても目が行ってしまう。慌てて顔を背けると、渡がするりと俺の腕を掴んだ。

 「素顔なのもいいね」

 「……そうだな」

 一瞬、腕を振りほどこうと思った。でも、そのままにした。

 秋の涼しい風が通り抜ける駅までの道。冷めていく顔の熱とは反対に、渡が掴んだ俺の腕が、じわじわと熱を帯びていった。