君の前では隠せない

机と椅子を全部後ろに下げて、俺たち美術班と大道具班がせわしなく動いている。
「古川のはイーゼルでいいよな?」
「……あ、うん」
「めっちゃいい感じだよね。可愛い」
「……あ、ありがとう」
文化祭を明日に控え、ようやく全部のポスターが仕上がった。
俺が書いたやつは、教室入り口に置かれたイーゼルに飾られることになった。
「おーい、できたぞ」
大道具班の松本くんが、宣伝用のプラカードを作ってくれた。
そこには渡の『雪だるま猫』の絵。
「やっぱりいいよなぁ、これ」
「うん、見れば見るほどクセになる」
「きもかわいいって」
めちゃくちゃ好評だ。
渡は照れたように首の後ろをかいて、「えへへ、嬉しい」と笑った。
俺もつられて口元が緩む。
あいつ、自分が褒められるとすぐ顔に出るんだよな。
他のメンバーのポスターも、教室内をカラフルに彩っている。
それから、天井からぶら下がるガーランドと、写真撮影スポットの背景。
これは美術班全員で力を合わせた最高傑作だ。
「やった!とうとう完成したね」
山崎さんが両方の手のひらを俺に向けた。
一瞬どういう意味か分からなかったけど、ハッと気づいて、俺も同じように手を出す。
「パァン」
鈍い音が響く。
不思議と気持ちがスカッとする音だった。
それをきっかけに、美術班全員とハイタッチ。
ついでに、大道具班の松本くんとも。
最後に渡と手を合わせる。
パン、と音が鳴った――と思ったら、渡の手はそのまま俺の手をぎゅっと握った。
一拍遅れて、するりと離れる。
なんだったんだ?今のは。
ハイタッチのせいなんだろうけど、俺の両手はいつまでもジンジンと熱かった。

放課後、飾り付けの最終チェックをして玄関を出るころには、あたりはすっかり暗くなっていた。
「古川くんと渡くん、ばいばーい」
「二人ともまた明日な!寝坊すんじゃねーぞ」
「うん、また明日。……がんばろうな」
手を振り返して応える。
精一杯の笑顔のつもりだけど……
メガネとマスクをつけてるから、伝わったのかどうかは分からない。
それでも、姿が見えなくなるまで手を振ってくれたからよしとしよう。
……今まで知らなかった。
いや、知ろうともしなかった。
クラスメイトが、こんなに温かい人たちだったなんて。
自分が空気になろうとするあまり、周りの人たちを空気みたいに扱っていたんだ。
これからは少しだけ、自分を出せるかもしれない。
「古川くん、帰ろう」
「おう」
俺がそう思えたのは、こいつが隣にいてくれるからだ。
少なくとも、一人だった頃の俺なら、こんなふうに笑えてなかった。
「古川くん、今日楽しそうだったね」
「うん、すげー楽しかった」
「いつもより喋ってたもんね」
「お前もな」
顔を見合わせて、ふっと笑う。
なんとも言えない達成感に満たされた。
「俺さ」
「ん?」
「こういうの、初めてかもしれない」
「何が?」
「誰かと一緒に何か作るの。楽しいもんなんだな」
渡がメガネの奥の目を少しだけ目を伏せた。
「……そっか」
「なんだよ」
「いや、よかったなって」
笑ってる、よな?
なのに、なんでだろう。
ほんの少しだけ寂しそうに見えた。
「そんな顔すんなよ」
「え?」
「文化祭が終わっても、みんな変わんないって。たぶんだけど」
「……えっと、ちょっと違うかも」
「違うって?」
「……いや」
渡は何かをごまかすみたいに、バッグを持ち替えた。
なんだよ。
渡の考えてることって、時々分からなくなる。
でも……
「でもさ」
言葉は勝手に口から出ていた。
「うん……」
「やっぱり渡と一緒にいるのが一番いいな。落ち着く」
どんなにクラスメイトと打ち解けても、俺は渡の隣がいいんだよな。
「うーん」
両手を上げて伸びをする。
満天の星空が、馬鹿みたいにきれいだ。
……ん?
渡、疲れてるのか?
返事がないのが気になって、隣を見上げる。
渡はマスクの上から口を押さえて、小さく呻いていた。
「お、おい!吐きそうなのか?……なんか顔赤くないか?」
思わず肩を掴む。
渡は、はーっと息を吐き出して、手を下ろした。
「もう……違うってば」
「なんだよ」
「古川くんのせい」
「は?」
「なんでもない。……古川くん、文化祭は俺と一緒に回ろう。いいでしょ?」
「お、おう」
最近は二人でいてもそんなに不審がられることはなくなった。
それに、せっかくの文化祭。
俺だって、渡と一緒に楽しみたい。


空を見上げる。
昨夜はあんなにきれいな星空だったのに、今朝は太陽さえ見えない。
灰色の雲が、空一面を覆っている。
11月に入ると一気に寒くなって、制服のジャケットの下にベストを着込んだ。
せっかくの文化祭なのに、天気予報は午後から雨らしい。
去年までの俺だったら、こんな日はホッとしていたと思う。
でも、今年は――
「古川くん、早く行こう」
渡が笑った。
駅から学校までの道。
まだ早い時間だから、人はほとんどいない。
俺も渡も、マスクを顎までずらしていた。
なんでこんな早く学校に行くのかというと、俺がガーランドの重さを心配したから。
温かみが出るから、と布で作ったガーランドは、そこそこの重さがある。
昨夜の帰り道、それが外れて落ちてしまっていないか、という話をした。
すると渡が、「じゃあ、早めに行って確認しよう」と言ってくれて……
そんなわけで、俺は初めて渡と登校している。
時間をずらして一緒に帰ることはあっても、生徒でごった返す朝の道は避けていた。
一応「つるまない」っていうルールだし。
正直、もう崩壊しかけてるんだけど……
「今日、雨だって。渡、傘持ってきた?」
「うん、持ってき……てない」
「どっちだよ!……しょうがねーなぁ、帰り雨だったら、駅まで入れてやるよ」
「ありがとう」
朝からにこにこしちゃって。
よっぽど文化祭が楽しみなんだな。
まぁ、俺も同じようなもんだけど。
「楽しみだな、今日」
「うん、すっごく楽しい」
「あ!やべぇ」
後ろを見ると、うちの制服を着た生徒が遠くに見えた。
「渡、マスク上げろよ」
「ん」
「ん?」
渡は俺のほうにかがんだ。
「古川くんがやって」
「なんでだよ」
「いいじゃん。早くしないとこっち来る」
「ったく、子どもかよ」
両手をそろーっと渡の顔に伸ばす。
顎の下にあるマスクの両端に、人差し指を差し込む。
渡がピクッと動いた。
くすぐったかったらしい。
「ちょっと我慢しろよ」
「……うん」
ぐいっと目の下まで引き上げて、人差し指を引き抜く。
最後に、その高い鼻のワイヤー部分を、片手でぎゅーっとつまんでやった。
「痛い……鼻折れたかも」
「そんくらいで折れるかっつーの」
「古川くん、顔赤いよ?」
「普通にハズいだろ、これ」
呆れながら自分のマスクを直そうとした手を、渡が素早く掴んだ。
「今度は俺の番」
「いいって!」
「いいから!俺にやらせて」
あーあ、渡って言い出したら聞かないんだよな。
こういうときは、好きにさせるしかない。
俺は、返事の代わりに目を閉じた。
何も見えない中、渡の指が俺の顎を掠めた。
うん、これは想像以上にくすぐったい。
マスクの下にそっと差し込まれる指。
そのまま、頬を優しく撫でるようにゆっくりと上がっていく。
もうちょっと……もうちょっと……
スススと口を覆っていくマスクと、渡の指の感触が、やけにはっきり感じられた。
なんでだ?
首の後ろがムズムズする。
ようやく指が引き抜かれた、と思ったら、渡の両手が俺の頬を包んだ。
ハッとして目を開ける。
すぐ近くに渡の澄んだ瞳があって、左右に視線が揺れる。
美術室のときよりも、近い。
つい見入ってしまうと、ふいに渡の手が離れた。
そのまま、くるっと背中を向ける。
「ヤバい、これほんとにハズいね」
「……だ、だから言っただろ」
さっきからずっと心臓だけうるさい。
渡が触れていた頬に自分で手を当てると、その熱さに驚いた。
それに、渡の首も耳も真っ赤だ。
それが、俺の心臓をもっとうるさくさせた。
しばらく黙って歩く。
校門が見えてきて、渡を振り返った。
その顔はいつも通りだ。
「ほら、早く行こうぜ」
「えー、ゆっくり行こうよ」
「なんだよ、最初と言ってることちげーじゃん」
渡が「えへへ」と笑った。
文化祭本番は、そんな空の下から始まった。