君の前では隠せない。

 二週間後に迫る文化祭に向けて、クラスの話し合いが始まった。
 こういうとき、陽キャたちがどんどん話を進めてくれるから、正直ありがたい。俺は甘んじて空気に徹する。

 お化け屋敷、劇、カフェ、ゲーム……。いろんな意見が出る中、遠藤が「はいはーい」と手を上げた。

 「カフェやるんならさぁ、コスプレしようぜ。俺のねーちゃんが衣装貸してくれるって言うし」

 とたんに教室内がざわつく。
 遠藤のお姉さんはコスプレイヤーなのか。

 「去年のクラスで使った猫耳カチューシャがあるから、それつけてコスプレ猫喫茶ってどうよ?」

 顔を見合わせて口々に喋るクラスメイト。俺はじっと黒板を見つめた。前のほうから声が上がる。

 「それ、面白そう」

 「遠藤のくせに、いいこと言うじゃん」

 「ほんとそれ、遠藤なのに」

 当の本人は照れたように頭をかいてるけど……。もうちょっと自分の扱われ方を冷静に振り返ったほうがいいぞ。

 あれよあれよという間に決まったコスプレ猫喫茶。

 まぁ、俺には関係ないか。どうせ接客なんてできないし、裏方に回されるだろ。

 「あ、でもねーちゃんのだから、女子しか着れないけどな」

 遠藤の後出しに、一部のクラスメイトの顔色が変わった。
 うちのクラスは38人中、女子が10人しかいない。てことは、下手したら全員着る必要があるのか。

 「あのー」
 教室の後ろからおずおずと手が上がる。

 「私、コスプレなんて嫌なんだけど」

 「私も」

 普段は大人しいグループにいる女子たちが発言する。

 あ、今すごい勇気出してるんだろうな。他人事ながら、がんばれ、と心の中で思う。
 そうだよ。誰にでも見せたくないものって、一つや二つあるもんだよな。

 なんて考えていたら……

 「古川なら着れるんじゃね?」

 誰かの声がした。無責任な男子の声だ。
 急に水を向けられて、マスクの下で「は?」と気の抜けた声が出る。渡が飛び上がるように俺を振り返った。

 「いいじゃん」

 「古川に着てもらおう」

 口々に勝手なことを言い出して、嫌な流れになった。

 このままじゃマズイ。人前で肌を出すなんて。無理無理無理、絶対に無理。

 でも、断りづらい空気をビシバシ感じる。
 渡が、そっと自分の胸を指差した。

 合図しろ、ということだ。何か策を思いついたのか?……ここは、さすがに助けてもらおう。
 おずおずと耳に触る。渡は『分かった』とばかりに頷いて、両足を後ろに引いた。

 「千歳は美術部だったから、看板とか内装の裏方をやらせたほうがいい」

 低い声は教室の一番後ろから聞こえた。その瞬間、場が静まり返る。誰だかは見なくても分かるけど、つい振り返ってしまった。

 ……間違いない。
 声の主は雅人だ。その顔がニヤッと笑うのを見て、背中に冷たいものが走る。

 「や、俺も古川のコスプレはさすがにシャバいと思うわぁ」

 遠藤が言うと、止まっていた時間が動き出したみたいに、またガヤガヤし始めた。

 ……シャバいって何?いや、それより、なんで?まさか、助けてくれた……?

 頭の中に浮かんだ考えを否定するように、首を横に降る。結果的に助けられただけだ。本人にそんな意図はなかっただろう。

 あの笑顔……。何を考えているのか分からない。怖い……怖すぎる……

 雅人は、俺が顔を隠し始めてから、話しかけてくることはなかったのに。この間といい、今日といい、得体の知れない恐怖に肩を震わせた。

 渡は立ち上がろうとした体勢のまま、じっと俺を見ている。

 なんで雅人に助けられてるんだよ。助けてもらうなら、渡がよかったのに。渡じゃなきゃ、嫌だ。

 話し合いはそのまま進み、衣装は派手じゃないものも用意することでまとまった。
 ……その後、渡は一度も振り返らなかった。俺はそれが、少しだけ寂しかった。



 放課後、教室に残った美術班は、俺と渡を含めて五人。いや、「よろしく」と律儀に挨拶だけして帰ったやつが一人いたから、一応、六人か。あとのやつらも一人、また一人と帰り、俺と渡だけが残った。
 他にも衣装班、大道具班、調理班などなど……。美術班は二人きりになったけど、教室はひっきりなしに人が出入りしている。

 『教室ではつるまない』がルールの俺たちは、さっきから押し黙ったまま、各自ポスター案のスケッチをしていた。確かにそのルールを決めたのは俺なんだけど……。

 なんとなく空気が重い。それに、文化祭の話し合いのあとから、ずっと目が合わない。俺に顔を向けようともしない。

 渡の横顔を盗み見る。
 ああ、まつ毛なげーな。……じゃなくて、イケメンの真顔、こえーんだよ。
 理由はなんとなく分かる。
 俺が初めて『助けて』の合図を送ったのに、あいつに邪魔されたからだ。要するに拗ねてるんだ。どんな策か知らないけど、はりきってたっぽいし。とにかく、俺はこのまま渡と気まずくなるのは避けたい。

 すーっと小さく息を吸って、マスクを浮かせる。

 「渡、教室じゃ落ち着かない。場所変えねぇ?」

 ルールがある手前、渡にだけ聞こえるよう耳元に口を寄せた。

 渡のシャーペンを持つ手がピタッと止まる。背中がビクリと固まり、大きな身体が一瞬だけすくんだ。
 ​かすかに息を呑む音。見ると、渡の耳の後ろがじわじわと赤くなっている。
 ゆっくりとこっちを向いた目は、俺を非難するように小さく歪められていた。
 妙に張り詰めた空気が、二人の間に流れる。

 ……なんかごめん。それについては、ほんと、俺が悪かった。

 心の中で手を合わせる。
 それでもコクリと頷いたから、スケッチブックと缶ケースを持って立ち上がった。

 渡は俺の一メートル後ろをついてくる。廊下にも生徒がいるから、俺はあえて話しかけないまま、美術室のドアを開けて中に入った。

 「で?――」

 何怒ってんの?と続けようとした言葉が、喉の途中につかえる。

 ドアが閉まる音がして振り返ろうとしたとき、背中に何かが当たる感触があった。

 え?と思った次の瞬間には、硬く張りのあるものが俺の肩に回っていて……。

 これって、渡の腕、だよな?なんで俺、渡に抱きつかれてんの?
 背中、あっつ……
 その熱が俺の中に入り込んで、俺の心臓をおかしくする。
 締め付けられてるわけじゃないのに、息、苦しいんだけど……。

 「ちょっ、なっ、渡!」

 「言っとくけど、古川くんが悪いから」

 囁くような声。
 渡の息が耳に当たる。
 ぞくぞくする感覚が、耳から背骨を走った。なのに……これは不快感じゃない。なぜか、嫌じゃない。でも、このままでいるとマズイ気がする。
 心臓の音まで混ざり合うような感覚に、ぎゅっと目を瞑る。

 「わ、渡!とりあえず離れろ!」

 白旗を上げるような気持ちで両腕をタップすると、するりと解けて離れていった。

 「これで、俺の気持ち分かった?」

 振り返ると、渡はそう言って目を細めた。

 俺に耳元で話されたの、そんなに嫌だったのか?それは分かったけど、なんでわざわざ……。ぜんっぜん分かんねぇ。
 つーか、あちーんだよ!マスク外したいけど、今は無理だ。

 「……分かるか!」

 「なんで?」

 「急に抱きつくやつがあるか!」

 「古川くんだって、急に耳元で喋った」

 「あれは悪かったって。でも、仕方ねーだろ」
 「俺も仕方なかった」

 「もう!分かった!分かったから!俺が全部悪かったよ」

 「ほんとに分かってる?」

 こてんと首を傾げる渡に、俺は額の汗を拭った。

 「ていうか、そもそも拗ねてたのそれじゃねーだろ?」

 「……うん、まぁ」

 「俺もなんで雅人があんなこと言ったのか分かんねーし」

 「……雅人」

 「次は、もっと早く合図出すから!な?」

 「んー……まぁ、いいよ。それで」

 「俺だって渡に助けられたかったんだからな!」

 「……へぇ」

 渡はくるっと背中を向けて、「あっつ…」なんて言いながらマスクを外した。俺もその隙に、マスクを顎までずらして、手で風を送る。
 しばらく黙ったままそんなことをしていて、やっと落ち着いたころ。

 「ていうか、どうやって助けるつもりだったんだよ」

 メガネも外して素顔になった渡が、振り返った。

 「えっと、俺が着るって言おうかな、と」

 「……はぁ?!」

 「女子が嫌なら、一人くらい男子が着ても」

 「お前、それ本気で言ってんの?」

 「俺、背高いから目立つし」

 「そこじゃねぇ!」

 「え、なんで?」

 「ふっ……」

 たぶんそれ、普通に無理だから。遠藤のお姉さんの衣装、渡の身長じゃまず入らないだろ。

 フリフリの衣装、色はピンクかな。何重にもかさねられたミニスカートに、ニーハイソックスなんか履いちゃって。それを渡が着たら、きっとパツパツに……。

 「ふっ、やばっ、ふはははは!」

 二人だけの美術室に、俺の声が響く。渡が照れ隠しみたいに笑って、俺のメガネに手を伸ばした。

 「あ、やっと笑った顔、ちゃんと見れた」
 ​
 アーモンド型の目が、至近距離で真っすぐに俺を見つめている。前髪の隙間からじゃなく、メガネのレンズ越しでもない。お互いの素顔が、こんなに近くにある。
 心臓がまたうるさくなって、俺は慌てて渡の手からメガネを奪い返した。

 「……見んな。続きやるぞ」

 「あ、照れた」

 「照れてねーし」

 あんな距離で見つめられたら、まともに息なんてできるわけがない。

 俺はそそくさと机に向かい、スケッチブックを開いた。缶ケースから鉛筆を取り出す。
 渡は面白くなさそうに口をとがらせて、俺のすぐ隣に椅子を持ってきて座った。

 だから、近ぇんだっつーの。

 「わっ!古川くん、やっぱり上手だねぇ」

 「そうか?」

 渡が自分のスケッチブックを傾けて、俺に見せてきた。

 「えっと、これ何?」

 雪だるまから、ヒゲみたいな棒が四本生えてい
 る。これは、耳っぽいな。ちょんちょんちょんと、三つの点があって……

 「猫だよ。これが頭と体。これが足」

 ……なるほど。ヒゲだと思ったものは、猫の足だったらしい。

 「ふっ、これはこれで味があっていいんじゃないか?」

 「もう、笑わないでよ」

 「いや、ずっと見てたら可愛く思えてきた」

 「ほんとかなぁ」
 少し機嫌が良くなった渡が、またスケッチブックに向き直る。

 「ねぇ、古川くん」

 「ん?」

 「笑った顔、可愛かった」

 「……うるせ」

 放課後の美術室。
 紙にペンを走らせる音が、穏やかに流れた。