君の前では隠せない。

 とにかく、うるさい日だった。

 分厚いカーテンの向こうから聞こえてくる「ガシャン、ザザッ、ゴゴゴ」という音。続いて、その音に負けじと飛び交う、作業員たちの怒鳴り声。

 連日の夜更かしと朝寝坊を決め込んでいる俺の安眠を、これでもかと妨害していた。

 騒音の元となっている新築工事は、夏休み中に終わらせたいんだかなんだか、急ピッチで進んでいる。
 昨日までは「トンカントンカン」と少し響くくらいで、むしろそのリズムが子守歌みたいだったんだけど。
 今日はさすがに、窓を開けて「うるさい!」と叫びたいくらいだ。

 もちろん、屈強なおっちゃんたちに文句を言う勇気なんて、俺にはない。

 「今、何時だよ……」

 枕元にある目覚まし時計を見ると、9時25分。

 「マジか……」

 昨日は何時に寝たんだっけ?……全然覚えてない。

 重たい体を引きずるようにして、ベッドから出る。
 コトン、と落ちたのは読みかけの文庫本。栞を挟まないまま寝落ちしたらしい。

 「はぁ」

 拾い上げたところで、また外から「ガシャーン!」という音が響く。
 ―――今日はもう二度寝なんて無理そうだ。

 母さんに呼ばれて階段を下りる。

 「ちーくん、もう10時だよ」

 ピンクのエプロンをつけた母さんが言って、俺の寝癖に手を伸ばした。

 中学生にもなって親に頭をなでられるなんて、誰も見ていなくてもこっぱずかしい。とっさに頭をガードすると、母さんは生温かい目で俺を見てきた。

 「ちーくんは背が伸びないねぇ。お母さんに似たんだね」

 あぁ、うるさい。
 ほっといてほしい。
 わざわざそんなこと言わないでくれ。

 父さんは背が高くて、骨太、顔まで四角い。それに比べて俺は、チビでガリで丸顔だ。

 ふと、壁にかかっている鏡が目に入る。

 このぷっくりした唇。これが一番気に入らない。
 ……でも、背くらいはまだ伸びるはずだ。 中二の成長期はこれからなんだから。

 「夏休みなのに、どこにも行かないの?」

 「……午後から部活だから」

 「朝ごはんは?お昼はおそうめんでいい?」

 俺は黙ったまま頷いた。

 漂う味噌汁のにおいに腹が鳴ったけど、食べる気にはなれず、また階段を上がる。背中から母さんが「もう!」と文句を言うのが聞こえたけど無視した。



 冷たいそうめんをかき込んで玄関を飛び出すと、痛いくらいの日差しに目を細める。上空には、眩いほど白い入道雲が浮かんでいた。

 隣の敷地では、タンクトップ姿の作業員が必死にうちわを仰いでいた。俺の姿に気づいて、「おう、いってらっしゃい」と白い歯を見せる。
 会釈だけして歩き出す。

 容赦なく熱気を放つアスファルト。とぼとぼ歩いていると、フライパンの上で焼かれている気分だ。
 他に歩く人はいないし、車もほとんど通らない。逃げ込めるような日陰もない。
 こっちはぶっ倒れそうなほどなのに、元気なセミが大合唱していて……

 ああ、やめてくれ!
 うるさい、暑い、うるさい、暑い……

 頭の中でひたすら悪態をつきながら、学校へ向かった。



 やっと校舎が見えてきた。と思ったら、間延びしたような、高い声が響く。

 野球部が練習しているんだ。
 この暑い中、よくやるよな。

 砂ぼこりの上がるグラウンドを横目に、校門をくぐる。外水道の脇を通ったとき、ユニフォームを着た坊主頭が、頭から水道の水をかけていた。
 首元が濡れるのも構わず、バシャバシャと気持ちよさそうに水を浴びている。

 つい、足を止めて見入ってしまった。
 そいつが顔を上げて、目が合う。ああ、雅人(まさと)か。

 「なんだ、千歳(ちとせ)か。白い足だけ見えたから、おばけかと思った」

 雅人は無表情でそう言った。

 その顔はよく日焼けしていて、この暑さに、のぼせたように赤くなっている。さっきまで水をかけていた頭からは、ゆらゆらと蒸気が上がっていた。

 少し吊り上がった奥二重の目は、鋭く細められている。その目線の先が、俺の顔から足元へゆっくり下りていき、また顔に戻ってきた。

 不思議に思って、自分の腕を見下ろす。

 夏なのに、外にも出ない腕は、異質な白さだ。雅人の黒く日焼けした腕と見比べて、後ろで手を組んだ。

 同じクラスの川村雅人。小学校から一緒。
 といっても、ほとんどのやつがそうなんだけど。下手したら幼稚園、もっと下手したら産院から一緒だってやつもいる。

 「大変そうだな。野球部」

 俺がしゃべると、雅人の視線が俺の口のあたりでピタッと止まった。

 「こんなもんだろ。千歳はこれからお絵描き?」

 「その言い方やめろよ」

 明らかに馬鹿にした口調に、少し口を尖らせる。

 「美術部なんて、ただお絵描きしてりゃいいんだろ?」

 片側の口角を上げた雅人に、ますます口を尖らせる。

 雅人は俺の口から目を離さないまま、濡れた右手をそろりと伸ばしてきた。
 その手は一体どうするんだ?
 同時に、雅人の顔も近づいてくる。雅人の右手が、もうすぐ俺の頬に触れる。

 「雅人?」

 俺が首を傾げると、雅人はハッとしたように手をひっこめて離れた。

 「……んだよっ」

 上気した顔を俯ける。

 「気持ち悪ぃんだよ!女みてぇな顔しやがって」

 それだけ吐き捨てて、グラウンドへ駆けていった。

 残された俺は、硬直してその場に佇んだ。

 『女みてぇ』
 雅人の言葉が頭の中でリフレインする。
 自分の顔や日焼けしていない肌が、急に人の目にさらしてはいけないもののように感じて、自分の体を掻き抱いた。