誰に言ったのか、Cは最後に一言残していった。私は表面上、できる限り普通でいるように取り繕った。Aにさえ、ここまでを全て悟られてはいよいよ生きていけないような想いだった。平静を保ったように見せかけながら、私はAと共に博物館の二階にある講堂まで足を運んだ。その日の講演は、私に取って大いに有意義な講演になるはずだった。私は全てを忘れるために、必死にメモを残していたような気がする。人の脳の容量というのは、結局水を注ぎ続けるコップのようなものなのだ。いずれ入り切らなくなった水はこぼれ落ち、不要なものとして切り捨てられる。私はAとCについて、何とか忘れたいがために新しい記憶を定着させたがっていたのに違いなかった。持参したノートにペンを走らせ、途中でインクが出なくなったのに気がついたら携帯電話の機能を駆使してメモを残した。充電が切れそうになれば、休憩時間のうちにAに頼み込んで一本ボールペンを貸してもらった。ここで見聞きしたものは必ず持って帰る、そう決めていた。最後の質疑応答になれば、スタッフからマイクを譲ってもらい質問をした。
「今回のような調査研究をしている現場を、我々一般の人が見学する機会はあるのでしょうか。そして、今日のような学芸員から話を聞く講演が再び行われるとしたら、いつ、どこになるのでしょうか」
 そんな質問だったような気がする。一六世紀ごろに活躍した偉人の話は、私に取って大きな意味を持つ。それはAを忘れるための手段として、もっとも有効な手段でもあった。学芸員は答えた。
「現状、次回の発掘調査が行われるのがいつになるかは決定していません。よって講演会、座学会などの予定も組まれていないところです。もしより詳しいことを知りたいとお望みでしたら、Y村立博物館を訪れてみてください。そこに、今回のと関連した展示品を多く揃えています」
 私は礼を述べてスタッフにマイクを手渡し、再び席に座った。質疑応答は、予定されていた時間を目一杯使い、行われた。質問のための挙手が次から次に出てきて、司会者はいくらか迷惑そうにしながら半ば無理やり会を閉じた。来月に行われる、別の学芸員による博物館講座の案内がされた後、すぐに講演会は解散となった。二人で立ち上がって講堂を出、私とAとは駐車場まで歩いた。この後はAを同期の食事会が行われる場所まで送迎しなくてはならなかった。他でもない、私の提案で。
 Aは近くのカフェに行きたがっていたが、いまさらそんなこと叶うはずもなかった。私から丁寧に理由を並べて、いますぐに移動しなくては困ったことになるかもしれないと忠告した。Aは携帯電話に表示される時刻としばらくの間、見つめ合っていたがやがて決心したように私の提案を飲み込んでくれた。かくして二人を乗せた車は、四〇分もの時間、南向きに走った。