アプリケーションを用いて彼女にアポイントメントを取り付けた。『映画を観に行きませんか』と。彼女はものの三分ほどで返信を寄越した。『是非ご一緒させてください』ということだった。不安を抱えてはいたが、彼女の前向きな返答にはいくらか心を落ち着かせる効能のようなものがあった。まだ決定したわけではないのだという、自己暗示のようなものまで始まった。Aはまだ、Cとは付き合っていないかもしれない。Aの方から働きかけて食事に出かけ、水族館に行き、そしてバーに行ったというのは全部Cの作り話だという可能性もある。或いは彼が誇張して私に話したか、或いはAの一時の気の迷いからそういう流れになっていったのではないか。貝殻で海を測るような見通しだったが、あの時の私はそんな甘い目算に縋るよりなかった。私は信じた、いや自分で自分を騙した。愚かしい行為だったと、今思い返して呆れている。
 Aは結局、映画には来なかった。彼女から上映の二時間前になってキャンセルの連絡が入った。メッセージには偏頭痛のためとあった。疑う根拠もなかったので、私はこれを額面通り受け取ったのだが、今にして思えば全くの嘘八百なのだろう。その日AとCは二人ともが休日だったから、会っていたのに違いない。私との約束の後にCから連絡が入って、そのため上手い言い訳を考えた結果が偏頭痛ということなのだ。
 私は一人きりで映画を鑑賞した。人気の映画だったために事前にチケットを購入して席を確保していた。私の隣にはぽっかりと空席ができ、人々は不自然な空白にいくらかとまどったようであった。ほとんど満席の中にある、一つだけの空席。誰かがそこに座るのだろうと当初予想していたが、上映が始まっても一向に着席する気配がない。人々は二時間の間に悟っただろう。「ああ、この人は約束をすっぽかされ、一人きりの映画を楽しんでいるのだ」と。いよいよ泣きたくなった。この時点での私の心境としては、心を悪い方にも良い方にも流されてはいなかったと思うのだが、それでやはりも少しずつ、離岸流に乗って流される時のように悪い方へと思考が寄っていたのかもしれない。彼女がCと二人で食事に出かけ、バイクに跨って国道を走り抜け、そして最後には家まで送り届けてもらう。想像を膨らませていくと、悪い考えばかりが脳に宿っていく。結局私はその日、映画をあまり楽しめなかったと思う。どんな内容だったのか、感動したのか幻滅したのか、感想を話せと言われればそれらしいものを述べることだってできる。それでも胸の中からはすっぽりと抜け落ちていくような感覚があった。頭には残っているのに、胸からはこぼれ落ちていく。おそらくは、心の中にはすでにAのことでいっぱいになっていたのだ。頭の中では割り切れていたことが、心では処理できていなかったのだ。限界に近いところまで、やってきたのかもしれなかった。