きっかけを思い出すと言うのは、案外容易な作業でない。原因と結果と、二つで一組のそれを探し出そうとすると、人は往々にして行き場のない迷路を彷徨う羽目になる。これが原因であるかもしれないと手に取った、例えばそれは砂丘の中に埋もれたビー玉だとしよう。砂丘はこの場合において、関係のない物事の例えだ。砂丘から『原因』と思しきビー玉を手に取って、対になる『結果』と言うビー玉を探す作業に取り掛かる。苦労するのはここからだ。
 砂丘と呼ぶからには、そこには大量の砂がある。砂はあくまで砂であり、風に舞って移動し、積もって山となる。刻々と顔を変えるこの大量の砂からたった一つの物体、目当てのビー玉を探り当てるのは困難を極めるに違いない。これを読んでいるあなたも、そう感じるのではないだろうか。『結果』のビー玉を、砂に手を突っ込んで探し始める。目では見えない砂の中から硬いものに手が触れた感触があって、もしやと思い引き抜くとそれは全く異なる物体である。ハズレと、人が呼ぶものだ。もちろん、この場合においてだが。
 それは羽子板かもしれないし、有名なメーカーが発売した小型のワイヤレススピーカーかもしれない。あるいはもっと別の、たとえば使い古されたメガネケースであるかもしれない。捜索者は落胆して、別の場所に手を突っ込み始めるに相違ない。
 別の地点では、今度こそビー玉が発見された。しかし今度は、期待が胸に押し寄せた後に絶望が波となり捜索者の心を飲み込んでしまう。発見されたのが、全く別の用途のビー玉であったからだ。ぱっと見ただけでは『結果』のビー玉である。であるのだが、よくよく仔細に観察すると、傷の入り方が違う。一度は見逃していた傷の入り方が、ここにきて急に気になり出す。あのビー玉に入っていた傷はこんなに短い傷じゃないし、こんなに浅い傷ではない。そう、お分かりかもしれないが『結果のビー玉に見間違えてしまうビー玉』という代物が、この砂丘には広がっているのだ。それも全体的に、満遍なく。