それが、あなたの幸せだとしても

いつか、精神科医の田所先生は私に言った。

「貴女まで海の底に落ちてしまったら、彼はこの先、光を見ることを諦めてしまう──何も考えなくていい。ただ、そのままの明るさで傍に居てあげてください」

私は彼に、光を与える存在。
部屋には観葉植物を置いて、朝には必ずカーテンを開け、部屋に陽の光を入れる。朝ごはんはきちんと食べさせて、夕食の時は明るく面白い話をする。

深い海の底に、彼が落ちていかないように。
しっかり手を握って、その手が離れないように力を入れる。
そうやって過ごす毎日の中で、事故後、彼が初めて笑った時は、泣きそうになるくらい嬉しかった。


11月に入り、いよいよ佐倉徹を担当することになった。
チームのみんなに見送られ、緊張しながらも、先生の自宅に伺った。

「やまなみ出版の木下蘭です!今日から佐倉先生の担当になりました!よろしくお願いします!」
「……」

元気よく挨拶をしたけれど、佐倉先生からは何も返ってこない。気まずい空気が流れ、部長が「癖のある人」と言っていた事を思い出した。

「あの……先生?」
「ああ、ごめんね、どうぞ座って」
「はい、失礼します」

佐倉先生は28歳で、伊月と同じ年齢。
売れっ子作家なのに私と年が2つしか違わないという事実と、入社して今まで、年配の作家さんばかり担当していたからか違和感しかない。

それに、このミステリアスな雰囲気に後退りしてしまいそう。覆面作家なのが勿体ないくらい綺麗な顔をしている。

「佐倉徹です。これからよろしく」
「こちらこそ、精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」
「蘭さんと呼んでもいいですか」
「あ、はい!呼び方はなんでも大丈夫です!……あの、早速なんですが、先生はなんでまた青春恋愛を書こうと思ったんですか?個人的にすごく気になっていまして……」

先生は立ち上がり、コーヒーを淹れながら応えた。

「僕は今まで人を好きになったことがなくて、小説の中だけでも恋がしたいと思ったんです。……こんな理由じゃ頼りないですかね」
「えっいや、素敵だと思います!」

……驚いた。
こんなにも綺麗な顔をしていて、今まで恋をしてきたことがないなんて。

「あ、でも、経験が無い、訳ではないですよ?付き合ったこともありますし」
「……?」
「恋をしたことがないだけ」
「あー……で、ですよね?!」
「28で経験なし?ってドン引きしてる顔かと思ったけど、違いましたか?」
「違います!こんなに綺麗な顔をしてるのに勿体ないなと考えていただけで……」

先生は私の正面の椅子に腰掛けながら少し呆れたように言った。

「寄ってくる人を、好きになる訳じゃないでしょ?」

言い寄られているという事実と恋愛をしているという事実は別物で、言い寄られたからと言ってその相手と恋愛をしている訳ではない。
遠い微かな記憶を辿ると、こんな私でも、先生の言いたいことが分かった気がする。

「……ですね!」
「うん。……君は?」
「え?」
「恋してるの?」
「私は、2年付き合っている恋人がいますよ」
「恋してるの?」
「……?はい、恋してるから付き合っているわけで……」

先生はまっすぐ私を見つめてきた。ミステリアスな瞳に吸い込まれそう。

「って、先生!私の話はいいんです。作品の話をしましょう!」
「……今してる」
「ん……?」

先生は私に資料を渡してきた。開けてみてみると、目を疑うものが書かれ、貼られていた。

「これって……」

今年の夏に起こった、トラックと自動車が衝突した事故の新聞記事。横には相関図が書かれていた。
市橋伊月の名前。その隣には、伊月の親友で、その事故で命を落とした、熊谷達也の名前が書かれていた。
そしてこの相関図の真ん中には、私の名前『木下蘭』と書かれている。

「君のことを……いや、君と彼のことを、小説に書かせてほしい──」

先生の言葉に息を飲み、心臓の鼓動が喉に響くように鳴り始める。この鼓動の速さが何を意味しているのかなんて、考えることもできず、私はただ先生から目が離せないでいた。

勢いよくカーテンが揺れる。冷たい風が一気に部屋に入ってきて、身震いを起こした。「ごめん、寒いですよね、閉めます」と先生は立ち上がる。そして窓を閉め、「で、どうですか」と、顔色一つ変えずに聞いてくる。そんな姿に、私は少しの憤りを感じた。

「……無理です!無理、絶対無理」
「なんで?」
「いや、なんでって……私と彼の人生は売り物じゃないからですよ。と言うか、何故私達を書かせて欲しいなんて」

先生はやはり顔色一つ変えない。ふざけている訳でも、からかっているわけでも無さそう。真面目に、仕事の話をしているということは伝わってくる。

「君たちの話を、中川さんから聞きました」
「もう……部長ってば……」
「担当が変わるにあたって、君のことを知っておきたかったから僕が聞いたんです。君がどんな人かって」
「そうしたら彼の話が出てきて。恋をしたことがない僕からしたら、君の行動がさっぱり分からなかった」
「……ん?と、言うと?」
「精神疾患持ちの彼を支えて、これからもずっと一緒に生きていく、なんて、僕からしたら綺麗事にしか聞こえない」
「……」

顔が歪んでいく感覚があった。
作家の発言は、大抵の事は多めに見なくてはいけない。入社当時に部長に教えてもらったことを、私は心の中で復唱した。

「心配事があると昼休みの時間を削って家に帰る。休みの日の友達との遊びは全部断って、彼に尽くす。常に明るい話題で盛り上げて、彼の笑顔を引き出す。どうせ、些細な愚痴すら言えてませんよね?」
「……」
「それって本当に彼のためですか?彼が本当に壊れてしまった時の、自分はこれだけ支えたっていう事実が欲しいんじゃないんですか?だから、保険みたいに尽くしてるんじゃないんですか?」
「……っ」
「僕は君の、彼を支えるって言う名目で、自分の人生を犠牲にしている愛し方が理解できない」
「……っ」

なにかの糸が切れた音がした。
作家と編集者という理性を保たないといけない相手。
まさにその糸だった。

…もう、我慢の限界。

「っあんたなんかに!理解、できてたまるか───!!」

私は立ち上がり、拳を握りながら叫んだ。

「自分の時間削って、彼に尽くすことの何がいけないの!何がダメなの!」
「ちょ、ちょっとまって蘭さんっ……」
「ああ?精神疾患持ちがなによ!関係ないの!私は伊月が好きだから……っ、だから一緒にいるの!支えるなんて大それたことしてない!ただ一緒にいて、私がいるから大丈夫って思って欲しいの!!もう一度将来の話を笑ってしたいの!!」
「わ、わ、分かったから……っ落ち着いて下さい」

カッと熱くなった頬と震える体。
私は深呼吸をして、促されるまま、また座った。

「君と彼を侮辱してる訳では無いんです。ただ、純粋に僕の経験からは理解ができない。だから、これが君の言う恋で、愛だと言うなら、小説を書いたらこんな僕でも何かわかるんじゃないかと思ったんです」
「……私はともかく、彼のことは、先生の仕事道具には絶対にさせません。今日の所は興奮が冷めないので帰ります。先程の御無礼申し訳ございませんでした。失礼します」

私は勢いよく飛び出し、部屋を後にした。
歩いて帰っていると、会社に戻る頃には、自分が口にした作家への言葉遣いに、冷や汗が出るほどだった。

やってしまった。もちろん、これは先生が悪い。
けど私も、純粋に知りたいと言ってくれた先生を、カッとなって突き放してしまった気がする。次会った時謝らないと……。

この誰かにぶつけたい苛立ちと失敗を、やっぱり伊月には話せなかった。今日はどうやら調子が悪いみたいで、何を話しても作り笑顔だったからだ。

夕食を食べている時、不覚にも先生に言われた言葉を思い出してしまった。

───どうせ、些細な愚痴すらも言えてないですよね

その通りよ。
私が愚痴を話すと、伊月は負の気持ちになるじゃない。
そのまま戻って来れなくなったらどうするの。
私は、伊月と2人で明るい未来に行きたいのに、私のせいで沈んだらどうするのよ───。

この日の私は、伊月と同じぐらいの、
歪んだ作り笑いをしていたと思う。





次に佐倉先生に会いに行ったのは、それから3日後だった。きちんとした菓子折りを持参して、深々と頭を下げる覚悟を決める。

「佐倉先生……っ、先日は大変失礼致しました」
「僕も、すみませんでした。言い方が、悪すぎました」

先生は菓子折りを受け取りながら謝ってきた。歯切れの悪そうな顔。謝ることに慣れていない中学生みたいだった。

「これ」

差し出されたのは、タイトル未定の原稿用紙。

「え、これって……」
「まだ序章程度です。試しに書いてみました」
「私、謝りましたけど許したわけでは……っ」
「分かってますよ、だからこれを読んだ上で、改めて判断をして欲しいです。これでやっぱり嫌だと思ったら、潔く違う題材を考えます」
「……分かりました」

編集者として、作家の原稿を読まないわけにもいかない。
サラッと読んで、やっぱり嫌ですと言えばいい。
絶対に、伊月の人生を仕事道具にはさせない。

「……っ、」

読み始めると、いつの間にか小説の中にのめり込んでいる自分がいた。心臓を素手で握られているような感覚。
主人公の気持ちが、行動が、切なくなるほど理解できる。小説の中にいたのは、私そのものだった。

私そのものだからこそ、これ以上先に進みたくないと思った。
どの終わりに繋がっているのか、あまりにも自分と重なりすぎて、それ通りに事が進んでしまう気がして怖くなった。

「どうでしたか?素直な感想をください」

こんなことを言いに来たんじゃない。今日は、小説に書かないでほしいと言いに来たのに。

「……っ素直に言いますと、すごく先が気になる作品になってると思いました。私たちの人生を書いたという事実を抜きにしたら、やはり佐倉先生は天才なんだと思ってしまうほど、言葉遣いやストーリー展開が、まだ序章なのに入り込める小説になってます」
「おお、かなり手応えのある感想ですね?」

やっぱり、伊月の人生は渡せない。でも、編集者としては、佐倉徹のこの作品は、かなり手応えがある。だから──

「やっぱり、伊月の、彼の人生は書かないで欲しいです」
「というと?」
「キャラクター設定とか、関係性はこのままでも良いとして、彼がやる事、又はやってしまう事は、先生の創作でお願いします。代わりに、私の想いや行動は書いてもらって大丈夫です。私は編集者として、リアリティを求めることにします」

私の反応が意外だったのか、先生は少し驚いた顔をして、そして微笑んだ。

「……そう、分かりました。蘭さんはなんて言うか、意外と逞しい人間ですね」
「え……?」
「いや、違うか。初めから、彼のことになると弱々しくなるだけなのかも」
「っ、それどういう意味で……」
「じゃあ、これで書き進めますね」
「……はい、よろしくお願いします」

先生はさっそく続きの創作に取りかかった。
生き生きとした表情でパソコンに向かう姿は、私が編集者として働く上で、作家の一番好きな姿。
佐倉先生のその眼差しは、つい見とれてしまうほど美しいものだった。



先生の家から直帰してもいいと許可が出て、16時には家に着いた。夕日に向かって帰ってきたからか、いつもより気分が良かった。

「ただいまぁー!……あれ、いっくーん?」

いつも「ただいま」と言うと、伊月がリビングから顔を出すのに、今日はそれがない。
代わりに、お風呂場から水の流れる音が聞こえる。
外はまだ明るいはずなのに、部屋の中が一段と暗く見えた。

嫌な予感がする。何かが違う。

一瞬で感じ取った感覚のせいで、今日の朝の伊月の顔が頭に浮かんだ。今朝の私は、仕事のことに気を取られていた。

……あれ、私、ちゃんと伊月のこと気にかけてたっけ。
これ、もしかして……

急いで洗面所のドアを開ける。お風呂場には人影が見えた。

「いっくん、お風呂入ってるの……?」

反応が無く、やけにシャワーの音が大きく聞こえる。私は慌ててお風呂場のドアを開けようとするけれど、ロックがかかって開かない。

「いっくん!!開けて!!ねえ!!ちょっと!あけて!!ねえ!伊月!!」

思いっきり肩でぶつかると、勢いよく扉が開いて、そこには、服を着たままずぶ濡れになっている伊月の姿があった。

「伊月……!」

手首を見ても傷はない。血が流れてる形跡もない。
ただナイフが床に落ちて、伊月が濡れているだけ。
これが何を意味しているのか、伊月の顔を見ればすぐに分かった。

私は濡れている伊月を強く抱きしめて、あまりの突然起こった光景に驚きを隠せず、泣いてしまった。
すると、伊月も私を強く抱き締めて、子供のように泣き出した。

「……っ大丈夫、大丈夫だよ──」

伊月を抱きしめ、シャワーに打たれながら、私は何度も同じことを思った。

私がいるよ。ずっとそばに居るよ。

私がいるじゃない。こんなに傍に、毎日一緒にいるのに。


……私がいるのに、なんで。なんでこうなっちゃうの───……



あの後伊月は、ベッドにいくと一気に力が抜け、気を失ったかのように眠ってしまった。私はびしょ濡れのまま、眠ってしまった伊月の髪の毛を乾かした。

──保険みたいに尽くしてる

佐倉先生の声がフラッシュバックのように聞こえる。

そんなんじゃない。
自分のためじゃない。
そうじゃなきゃ、困る。

私は何かに向かって、そう言い訳をしていた。


朝目覚めると、彼はいつもの伊月に戻っていた。昨日のあの出来事は、記憶からすり落ちているみたいで、とても呑気な顔で、「昨日いつ帰ってきたの?」と聞いてきた。

その顔を見て、忘れてしまっているんだと苦しくなる。
今までとは訳が違う。
あんな事があったのに、何も覚えていないなんて。

私は、仕事でトラブルが起きて遅くなったと答え、“私が帰った頃には、既に伊月は寝ていた“ということにした。
そういう事にして、伊月の心を守った。


幸い、今日が通院日だから、私はこの事実をひとりで受け止めずに済んだ。伊月が検査に行っている間に、昨日あったことを田所先生に話す。

「そう、そんなことが……」
「日が経つにつれて、興奮状態が酷くなっていってるのは……これは、どうしたら……」
「うーん……彼の場合は、当時を思い出してしまうと、脳がそれを消そうと働いて記憶が飛んでしまうわけで。言わば、その興奮状態の時の人格って、彼自身じゃない可能性もあるんだよね」
「人格が違うってことですか……?」
「そう、事故のショックによる、感情のはけ口になってる人格。日が経つにつれて酷くなっていってるのは、もしかしたら、達也さんを思い出す回数が増えていってることが原因かもしれない」

達也さんを思い出す回数……
それじゃあ伊月は、親友を思い出す度にあの状態にならないといけないということ……?
死者を思い出すことは、何も悪いことでは無いのに。
自分を苦しめなければ、親友を想うことも許されないの……?

「人間はどうしても、時間が経つと些細な記憶から消えていくだろう。だから少しも忘れないように、彼自身も無意識に親友を、いや、あの事故を思い出しているのかもしれないね」
「どうしたら、いいんですか……」
「正直、止める方法はない。彼自身がショックに打ち勝つしか、改善の方法はないんだ」
「彼の中でも戦っているから、木下さんは今まで通り見守ってあげて下さい」

また、進展もなく通院が終わってしまった。

家に帰ると、綺麗な夕日が部屋の中を照らしていた。
通院した日は、私の心は楽になるけど、伊月は居心地が悪いみたいで、いつも元気がない。
食卓に座り、ただぼーっとしている。そんな彼を、私はそっと抱きしめた。


あの日から私達は、私が、抱きしめる側になった。


恋人未満だった最後の日。
鎌倉のデート中に “彼を振り向かせる仕草〇選”を、片っ端からやったのに全く効き目がなくて、夕日と共に海に沈んでやろうと落ち込んでいた時、初めて彼から抱きしめられた。

「えっ……?!」

私が驚いた顔で見上げると、彼はなんだか照れていて。

「いや、ごめん俺、意地悪した!」
「……?」
「必死さが可愛くて、つい……」
「え、え、もしかして気づいてた?」
「うん。俺の勘違いじゃなかったら、両思いだよ」
「……!勘違いじゃない!え、うそ、嬉しい……」

そこで私は初めて彼の体の大きさを知ったし、温もりも知った。
いつも彼から私を包み込んでくれて、この人がいたら、私は何も怖くないと思わせてくれる。

同棲し初めの頃、棚の上にある物を取ろうとして手が滑って落ちてきた時は、すかさず彼が抱きしめて守ってくれた。
担当作家が賞を受賞した時、彼はマンションの前に立って大きく手を広げ、強く抱きしめてくれた。
洗い物をしていると、後ろから甘えたように抱きついてくれた。
映画を見る時はいつも、優しく肩を抱いてくれた。
そんな彼が、そんな伊月が、特別で大好きだった。





目覚ましの音で目覚める。隣を見ると、伊月は静かに眠っていた。
雨音が聞こえ、カーテンを開けると、バルコニーに置いてある植物たちが、雨にうたれて揺れていた。
どんよりとした空気が、聞こえる雨音が、行き場のない寂しさを自覚させようとしてくる。
すぐ隣に彼はいるのに、この世で1人になってしまった気分だった。

お昼は愛花にランチに誘われ、迷った末、出かけることにした。特に何も変わりがなく、調子の良さそうな伊月を家に置いて、雨の中有名なレストランに来た。

「あーあ、雨さえ降ってなかったらここからの景色絶対綺麗なのにな〜」

愛花はスマホで外の景色を納めようとして、文句を言いながら諦める。

「蘭さ、何かあった?」

さっきまでスマホを握っていたのに、私の顔を覗くように見つめてきた。

「ん?何も無いよ?」
「あーっ嘘ついた」
「嘘じゃないよ〜」
「蘭は嘘つく時、右の耳を触る癖がある!」
「え……うそ、そうなの?」
「知らなかった?だから、蘭は結構わかりやすいよ」
「今触ってた?」
「触ってた〜、んで、何があったの、言いたくない事だったら無理には聞かないけどさ」

愛花はいつも、私のことも伊月のことも気にかけてくれる。あの事故があった日、私は愛花と一緒に居て、お義母さんからの電話で酷く取り乱した。そんな私を助けてくれて、一緒に病院まで付き添ってくれた。

あの時の愛花はとても頼もしくて、今思い出しても心が温まる。そんな人柄の愛花には、一昨日起きた出来事を話してもいいのかもしれないけれど、嘘を見抜かれた上で、やはり他人にペラペラと話す気にはなれそうにない。

「大丈夫、私といっくんの中だけで留めておきたいことだから」
「……そう。ならもう聞かないっ」
「うん、ありがとう」

料理が届き、黙々と食べ進める。ここのパスタを楽しみにしていた愛花は、とても満足そうに食べていた。
すると急に手を止めて、「あのさ」と口にする。私はパスタを口に運びながら「ん?」と合図地をした。

「何も言わないって言ったから、聞かないけど、これだけは言わせて」
「……?」

愛花は、水を飲んで一呼吸し、ゆっくりと口を開いた。

「蘭は、蘭の人生を生きてもいいんだからね」
「……?私は、私を生きてるよ……?」
「……うん、そうだよね。こうさ、上手く言えないんだけど……」
「……?」
「今の蘭を見てたら、彼の事を守る役割でさ、それって蘭自身の人生を止めちゃう事になってないかなって……心配で……」

なにそれ。
確かに、今は伊月のことを守る側だよ。
だって、自分のことなんて犠牲にできるくらい伊月のことが───……

「それって本当に彼のためですか?彼が壊れた時の、自分はこれだけ支えたって言う事実が欲しいんじゃないんですか?だから、保険みたいに尽くしてるんじゃないんですか?」

佐倉先生に言われたことが、頭の中を流れる。
彼を支えて、守って。
……私は今、伊月の人生を生きてる?
それとも、“伊月が壊れた後の私”を生きてる……?

支える側は、私が欲しい事実で、自分の人生を生きれていない……?

「……っ」

言葉が出ない。何も考えられなくなった。

「っごめん!出しゃばりすぎたよね……」

慌ててそう言葉にする愛花に向かって、私は首を横に振った。

「蘭が伊月さんのこと大好きなの知ってるから、私は2人を応援してるよ。ただ、支える側を背負ってる蘭を見てると、なんだかモヤッとするの。なんでかわかんないけど……」

愛花は消えそうな声になりながら言った。
本当に私のことを心配してくれていて、私がパンクしてしまわないように、伝えてくれたのだと思う。
それでも私は、その言葉たちを、上手く受け止めることが出来なかった。