それが、あなたの幸せだとしても

「大丈夫ですか!救急車もう来ますからね!」

遠くから鳴り響くサイレン。車から出ている煙。

「こっちの人は意識あるみたい。そっちは!」
「こっちは……脈がほとんど……」
「そう、とりあえず救急隊待ちましょう」

ぐったりとしている男性2人のうち、運転席に座っている男がゆっくりと目を開けた。

「た……たつや……」

小さな声で、助手席にいる親友の名前を呼ぶ。その呼びかけに、彼は応えなかった。
救急隊が到着し、速やかに2人に駆け寄る。だが、助手席のシートベルトが外れない。
その時、1人の救急隊員が大きな声で叫んだ。

「っ離れろ!!爆発するぞ!」

大きな爆発音が鳴り響き、車体は、
彼と共に一気に燃え上がった。





頬にある痣と眉毛のスクラッチを入れたような傷を覆うガーゼ。彼の眠っている横で、私はそっと手を繋いだ。

「ねえ……起きてよ」

私の声にピクリと反応はするのに、目覚めてはくれない。まるで意地悪をされている気分。
あと何時間このままなんだろう。

「……いっくん?!」

頬を伝う涙を拭こうとした時、彼は突然目を開けた。

「いっくん、分かる?!」

急いでナースコールを押す。

「あの、彼が目を覚ましました!すぐ来てください!」
「いっくん……よかった……本当に良かった……」

彼は真っ直ぐ天井を見つめたまま、ゆっくり瞬きをした。

「伊月さん、気分はいかがですかー?」

駆けつけた看護師が声をかけ、彼は頷いた。

「……俺、なんでここに」

その一言に、胸が強く締め付けられる。

「なんでって……事故にあったんだよ、傷だらけでずっと眠ってて……」
「事故……」

私の言葉をなぞるように呟いた。

「伊月さん、昨日何をしていたか覚えていますか?」

看護師の問いかけに、彼は視線を泳がせる。

「……」
「自分の名前はフルネームで言えますか?」
「……いちはし、いつき」
「では彼女の名前は?」

私の顔を見る。ほんの一瞬だけ、間があいた気がした。

「……蘭ちゃん。きのした、らん」

彼の様子を見ていた看護師は少し考えて、

「うーん、ちょっと気になるわね。先生呼んできます」

そう告げて病室を出ていった。

「いっくん……昨日のこと覚えてないの……?」
「……俺、何してた?」

胸の奥が妙にざわつく。

「達也さんと、買い物に行くって出掛けて、それで……」

その名前を出した瞬間だった。

「……たつや」

彼の瞳が大きく揺れる。何かを思い出したかのように呼吸が荒くなった。

「っ、は……はぁ……」

震える指先で頭を抱え、苦しそうに目を細める。

「えっと……どこだ、ここ……」

さっきまで見ていたはずの目の前の景色を、見失ったかのように呟いた。

「いっくん、大丈夫だよ、ここは病院で───」
「違う、ちがう……っ」

さらに呼吸が荒くなる。視線も定まっていない。
バタバタと体が震えて、私ではどうにもできないほどの興奮状態。戻ってきた看護師と医者によって、彼は抑えられた。

「大丈夫です、伊月さん。ここは安全です!」

医者がそう言うが、届いてない様子だった。

「……たつや……!」

その名前だけを繰り返す。
そして───フッと糸が切れたみたいに力が抜けた。

「……あれ」

医者と看護師、そして私が見つめる中、彼はぽつりと呟いた。

「……俺、今何してた?」

私は、その言葉に何も返せなかった。
彼の中から、さっきまでの出来事が、まるでなかったかのように消えている。

この時起こった出来事が、私と彼の順風満帆だった日常の終わりを告げた、合図だった。