それが、あなたの幸せだとしても

「大丈夫ですか!救急車もう来ますからね!」

遠くから鳴り響くサイレン。車から出ている煙。

「こっちの人は意識あるみたい。そっちは!」
「こっちは……脈がほとんど……」
「そう、とりあえず救急隊待ちましょう」

ぐったりとしている男性2人のうち、運転席に座っている男がゆっくりと目を開けた。

「た……たつや……」

小さな声で、助手席にいる親友の名前を呼ぶ。その呼びかけに、彼は応えなかった。
救急隊が到着し、速やかに2人に駆け寄る。だが、助手席のシートベルトが外れない。
その時、1人の救急隊員が大きな声で叫んだ。

「っ離れろ!!爆発するぞ!」

大きな爆発音が鳴り響き、車体は、
彼と共に一気に燃え上がった。


*


頬にある痣と眉毛のスクラッチを入れたような傷を覆うガーゼ。彼の眠っている横で、私はそっと手を繋いだ。

「ねえ……起きてよ」

私の声にピクリと反応はするのに、目覚めてはくれない。まるで意地悪をされている気分。
あと何時間このままなんだろう。

「……いっくん?!」

頬を伝う涙を拭こうとした時、彼は突然目を開けた。

「いっくん、分かる?!」

急いでナースコールを押す。

「あの、彼が目を覚ましました!すぐ来てください!」
「いっくん……よかった……本当に良かった……」

彼は真っ直ぐ天井を見つめたまま、ゆっくり瞬きをした。

「伊月さん、気分はいかがですかー?」

駆けつけた看護師が声をかけ、彼は頷いた。

「……俺、なんでここに」

その一言に、胸が強く締め付けられる。

「なんでって……事故にあったんだよ、傷だらけでずっと眠ってて……」
「事故……」

私の言葉をなぞるように呟いた。

「伊月さん、昨日何をしていたか覚えていますか?」

看護師の問いかけに、彼は視線を泳がせる。

「……」
「自分の名前はフルネームで言えますか?」
「……いちはし、いつき」
「では彼女の名前は?」

私の顔を見る。ほんの一瞬だけ、間があいた気がした。

「……蘭ちゃん。きのした、らん」

彼の様子を見ていた看護師は少し考えて、

「うーん、ちょっと気になるわね。先生呼んできます」

そう告げて病室を出ていった。

「いっくん……昨日のこと覚えてないの……?」
「……俺、何してた?」

胸の奥が妙にざわつく。

「達也さんと、買い物に行くって出掛けて、それで……」

その名前を出した瞬間だった。

「……たつや」

彼の瞳が大きく揺れる。何かを思い出したかのように呼吸が荒くなった。

「っ、は……はぁ……」

震える指先で頭を抱え、苦しそうに目を細める。

「えっと……どこだ、ここ……」

さっきまで見ていたはずの目の前の景色を、見失ったかのように呟いた。

「いっくん、大丈夫だよ、ここは病院で───」
「違う、ちがう……っ」

さらに呼吸が荒くなる。視線も定まっていない。
バタバタと体が震えて、私ではどうにもできないほどの興奮状態。戻ってきた看護師と医者によって、彼は抑えられた。

「大丈夫です、伊月さん。ここは安全です!」

医者がそう言うが、届いてない様子だった。

「……たつや……!」

その名前だけを繰り返す。
そして───フッと糸が切れたみたいに力が抜けた。

「……あれ」

医者と看護師、そして私が見つめる中、彼はぽつりと呟いた。

「……俺、今何してた?」

私は、その言葉に何も返せなかった。
彼の中から、さっきまでの出来事が、まるでなかったかのように消えている。

この時起こった出来事が、私と彼の順風満帆だった日常の終わりを告げた、合図だった。