春風、君を待つ

 机の上に乱雑に広げられたノートたちの隙間に、一冊のアルバムがそっと紛れ込んでいた。


 おそるおそるページをめくると、写真の中でにこにこと無邪気に笑う女性の姿が目に飛び込んでくる。それは写真越しでもはっきりと分かるくらい、心から楽しそうな笑顔だった。

「澄花、」


 愛おしいその名前を、静まり返った部屋の中でぽつりと言葉にしてみる。
 2割が訪れた景色の写真、1割が2人で並んだツーショット、そして残りの7割が純花のピン写真。
 そんな偏った割合で構成されたそのアルバムは、現像した当時、彼女から呆れたように怒られたものだった。


「ちょっとー私を撮りたいのは分かるけどさ?撮りすぎだよー景色の写真全然ないじゃん!」
 そのふくれっ面さえ、今はひどく懐かしい。


 僕は、このアルバムを年に一度、ちょうどこの季節にめくることにしていた。


 しかし、そのアルバムの下にある、澄花がずっと大切にしていた「旅行ノート」にだけは、どうしても手を出すことができずにいる。


 生前、いつも彼女は旅行ノートを自らブラッシュアップさせた「旅のしおり」を、僕にプレゼントしてくれた。
 だから、付き合う前に喫茶店で見せてもらったとき以来、旅行ノートの原本は一度も見ていない。


 見ようとしたことは何度かあったのだが、そのたびに彼女から「恥ずかしいからだめ!」と何度も釘を刺されていたからだ。


 このままここに置いておけば、
「見てないでしょうねー!」と、あの頃のように怒った顔をして、ひょっこり取りにくるのではないかな、なんてありもしない奇跡を今でも思ってしまう。


 僕は振り返り、誰もいない玄関をじっと見つめる。




ただ一言を待っている。


ただ一言を待たせている___。