僕が君を愛した証

 六月六日、もも子は退院出来なかった。しかし、先生が一日だけ外出を許してくれた。
 朝、化粧を母に手伝ってもらい、白のお気に入りのワンピースに着替えた。髪もカールしてふわふわにしてもらい、ハーフアップにして淡い黄色の大きなリボンをつけた。
 母と一緒にタクシーに乗り込み、星陵駅へ向かった。

 久しぶりの外は気持ちよかった。
 駅には待ち合わせの五分前に着いた。母と手を繋ぎ、駅の正面に向かった。
 風弥は駅前に立っていた。すらっとした身長で、黒縁眼鏡をして、帽子をかぶり少し長い前髪で目が隠れるほどだった。
 もも子は手を振りながら近づいた。
 風弥は母にお辞儀をした。
「初めまして、桃瀬風弥と申します」
「初めまして、もも子の母です。今日は、よろしくお願いします」
 母はそう言って、ポケットから紙を出して風弥に渡した。受け取った風弥は、その紙をじっと見つめて、「これって…」と言いかけた。
「私の電話番号、何かあったらすぐに電話して欲しいの。お願いね」
 風弥の言葉を遮るように、母が言った。
「分かりました。約束します」
 風弥は真剣な表情で母に言った。手紙には、電話番号と『痣を見つけても気づかないふりをしてください』と書かれていた。
 母とは別れ、二人で電車に乗り遊園地へ向かった。
 駅を出ると、目の前に遊園地の賑やかな音が聞こえた。
 初めてのデート。好きな人と並んで歩く道。少し手が触れそうになる距離。すべてが新鮮だった。
「もも子さん、何が乗りたい?」
 風弥はもも子に優しく問いかけた。
 もも子は周りをキョロキョロして、ジェットコースターを指さした。
「あれ、乗りたい!」
「いいよ、行こう!」
 風弥はもも子の手を握ると、小走りでジェットコースター乗り場まで連れて行った。手を握っていることに心臓が爆発しそうだった。
 初めてのジェットコースターは怖さもあったが、風弥が手を握ってくれていて、幸せな気持ちになった。
 二人は、メリーゴーランドやコーヒーカップ、ゲームや射的もして、クレープとハンバーガーも食べた。自然と距離も縮まった。もも子は体調のことも忘れ、本当のカップルのようだった。
「プリクラ撮りたい!」
 もも子は提案した。
「いいね!」
 風弥も喜んで応えた。二人の初デートの記念だった。
 風弥は帽子と眼鏡を取り、顔が分かるようにした。
「眼鏡外すと、また違く見えるね。どっちもかっこいい」
 風弥はもも子の言葉に少し恥ずかしくなった。もも子は近づいた風弥の顔をちらっと横目で見た。少しだけ、誰かに似ている気がした。
 二人はピースしたり、ウサギのように頭の上で手で耳を作ったり、顔を近づけたり、ドキドキしながら撮った。初めてのプリクラは、笑顔の絶えない空間だった。
 シールを二人で分けて、もも子はさっそく携帯の後ろに貼った。風弥はポケットにしまった。

 あっという間に夕方になり、辺りが薄暗くなってきた。
 最後に二人で観覧車に乗った。
 隣に座り、もも子は緊張した。遠くの山が夕焼けで色づいていた。
「綺麗だね」
 二人で静かに景色を眺めた。
 風弥は帽子と眼鏡を取った。
 もも子が風弥の方を見て、もっと緊張した。プリクラを撮った時はあまりじっくり見れなかったが、とても綺麗な顔だった。鼻筋が通っていて、目は綺麗な二重。赤くぷくりとした唇に、すっとした顎。こんなにきれいな顔の人は見たことないってくらいの横顔に、もも子は見惚れた。
 風弥がもも子の方を見て、二人は目が合った。
「やっと、自分の顔を見せられた」
 風弥がニコッと笑う。もも子はその笑顔が眩しくて、恥ずかしくなり目を逸らした。
「もも子さん、今日は本当にありがとう。人生で一番楽しい一日だった。感謝してる」
 もも子がもう一度、風弥の顔をゆっくりと見る。
「わ…わたしも、人生で一番楽しかった!」
「ふふふっ」
 風弥は、もも子の手を握った。もも子は心臓が飛び出そうだった。
 風弥は真剣な表情でもも子を見つめた。
「桃瀬風弥は、桜井もも子さんが好きです。付き合ってくれませんか?」
 一瞬、時が止まったように感じた。
 人生でこんなことが起こるなんて、もも子はまったく予想してなかった。頭がパニックだった。
「もも子さん、僕の彼女になってくれませんか?」
 風弥がもう一度聞いてきた。
 もも子は風弥の目をじっと見つめる。これは夢じゃない、現実だ。
「はい、お願いします」
 もも子は声を振り絞って返事した。
「マジ?」
 風弥が驚いたようにもも子の顔を見て確認する。
「うん」
 もも子は少し恥ずかしそうに答える。
「やったー!」
 風弥は喜んで、もも子をぎゅっと抱きしめた。
 もも子は急な事態にドキドキしていた。好きな人に抱きしめられることが、こんなにも幸せなことを生まれて初めて知った。二人はお互いのぬくもりを大切に感じていた。
 観覧車が一番上に到達するとき、二人は見つめ合った。
 そして、二人の影が重なった。
 もも子にとって、間違いなく人生で幸せの絶頂だった。
 二人の距離が少し離れ、二人は顔を見合わせて笑いあった。
「恥ずかしいね」
 もも子は嬉しさと恥ずかしさでいっぱいだった。少し目線を下に向けた。
 風弥はもも子の姿をとても愛おしく思っていた。観覧車の中の二人の時間は、特別な瞬間となった。
 現実に戻らないで欲しいと、二人は同じことを思っていた。
「帰りたくないな…」
 もも子は少し寂しそうにつぶやいた。
「うん」
 二人はぎゅっと手を強く握った。
 観覧車が下まで行くと、夕焼けがさらにきれいに広がっていた。もう帰る時間が来ている証だった。

 門を出た途端、もも子は足を止めた。数メートル先に、母が迎えに来ていた。二人とも寂しさがこみ上げた。風弥は、駐車場に迎えの車が来ているのに気付いた。風弥はもう一度もも子の方を見た。
「もも子ちゃん、今日は本当にありがとう。僕にとって、最高の一日だった」
「私もだよ。今まで生きてきて、一番楽しかった。ありがとう」
 二人は見つめ合って、もう一度手をぎゅっと握った。
「また会えなくなるけど、手紙書くね」
「うん。私も書く。またロッカーにね」
 もも子の笑顔がひまわりのように明るく輝いていた。二人はゆっくりと手を離し、別れた。
「ばいばい、風弥君」
「もも子ちゃん、大好きだよ」
「私も大好きだよ」
 もも子は顔を赤くして頷いた。

 もも子は母の元へ足早に歩いた。母は、もも子を心配そうに抱きしめた。きっと頑張ったのだろうと母は思った。
「楽しかった?」
「うん、すっごく楽しかった。お母さん、ありがとう」
 そう言うと、なぜかもも子の目には涙が流れてきた。なんとなく、次会えないんじゃないかと不安が押し寄せてきた。
 母がもも子の顔を見ると、右頬に痣が出ていた。母はもも子の背中を優しくさすった。
 その様子を遠くから風弥が見ていた。風弥は母に向かって一礼し、迎えの車に乗り込んだ。
 ゆっくりと車は出発した。風弥は、窓からタクシーに乗り込むもも子の姿を見えなくなるまで見ていた。
 風弥の初めての休日が終わった。