僕が君を愛した証

 木曜日、早く終わるはずの仕事が長引き、時間は夜九時を指していた。
 佐々木が風弥を呼びに来て、急いで車に乗り込んだ。
 待ち合わせの時間には三十分くらい遅れてしまう。大好きなもも子に、少しだけでもいいから会いたい。待っていて欲しいと願った。

 もも子の布団に、こっそり春菜が潜り込んでいた。
 もも子は洋服に着替えて、八時半に看護師さんが見回りに来るのを待っていた。
 トントンー
 ノックする音が聞こえた。
「もも子ちゃん、大丈夫かな?」
 看護師さんが部屋のドアを開けた。
「大丈夫です。今日はもう寝れそうです」
 もも子は首のところまで掛け布団をかけていた。
「じゃ、電気消すね」
「はい、お願いします」
「おやすみ、いい夢見てね」
「おやすみなさい」
 看護師さんが電気を消して出て行った。
 歩く音が遠くなるのを聞き、もも子は布団を上げて春菜を出した。
「春菜、大丈夫?」
「はあ~、苦しかった~」
 春菜の髪の毛が乱れていた。もも子は春菜の髪を手で直してあげた。
「よし、行こう!警備員さんがいるから、視界に入らないようにそっと出るからね」
 春菜の中では抜け出す方法が頭に浮かんでいるようだ。
 もも子は淡いピンクのワンピースを着て、しっかりと立った。ゆっくり息を整えて、「よしっ」と自分に言い聞かせた。体力が落ちているのも自分で分かっていた。
「春菜、お願い」
「うん、行こう!」
 二人は手を繋ぎ、ドアを開け部屋を抜け出した。

 病院からタクシーで駅に着いた。ちょうど九時だった。
 二人は急いでロッカーへ向かった。しかし、風弥の姿は見えなかった。
「まだ来てないね」
 春菜がもも子を見ると、少し息が上がっていた。
「もも子、座って待ってよう」
 ロッカー前のベンチにもも子を座らせた。もも子は右手で胸を抑え、息を整えた。
 もも子のおでこに痣が出ているのが見えた。春菜は心配だった。
 しばらくしても、風弥はなかなか現れなかった。
「もも子、私外見てくるね。ちょっと待ってて」
「うん」
 春菜はそっともも子の手を離し、駅の外へと行った。
 時間は九時半になった。
 すると、目の前に一台の黒いワゴン車が停まった。
 ドアが開くと、帽子を被った風弥が出てきた。
「ユウタ…」
 春菜は思わず口に出した。
 風弥は急いでこちらに向かって走ってきた。
 風弥が春菜に気づき、真剣な顔で近寄った。
「あの、もも子さんは」
 春菜は笑顔で応えた。
「来てるよ、ベンチで待ってる」
「ありがとうございます」
 風弥はお辞儀をするとベンチの方に行こうとした。
「ちょっと待って!」
 春菜は風弥を呼び止めた。風弥は振り返り、春菜の方を見た。
「風弥君にお願いがあるの」
 風弥は何だろうと思った。
「もも子、おでこに痣が出来てて…言わないであげてくれる?」
「大丈夫です。もも子さんを傷つけるようなことは絶対にしません。僕を信じてください」
 春菜が微笑んで安心した表情になっていた。
「ありがとう風弥君。もも子をお願いね」
 風弥はもも子に走って会いに行った。
 駅に入ると、もも子がベンチに座っていた。もも子はデートの時よりも痩せているのが、見てすぐに分かった。
「もも子ちゃん」
 風弥が声をかけると、もも子がハッとして振り向く。
「風弥君!」
 もも子の可愛い声が聞こえる。風弥は笑顔でもも子に近づいた。もも子はその場に立って、風弥にゆっくりと近づく。
 風弥はもも子の細い体を優しく包み込んだ。もも子も風弥の背中に手をまわした。
 幸せな二人だけの空間。
 もも子は風弥の胸に顔をうずめ、自分のドキドキした感覚を感じた。
「もも子ちゃん、待たせてごめんね」
 もも子の耳元で風弥が囁く。
 もも子が首を振る。
「すごく会いたかった」
「私も、すごく会いたかったよ」
 もも子が顔を上げ、風弥を見つめる。二人で見つめ合い、微笑む。
「風弥君忙しそう。体調大丈夫?」
 風弥は、人を心配してくれるもも子をとても愛おしく感じた。
「僕は全然大丈夫、もも子ちゃんは?体調は大丈夫?」
「うん、元気だよ」
 もも子のおでこから目の上にかけて、痣が広がっていた。
 風弥はもも子の頬を右手で撫でた。
「もも子ちゃん、可愛いね。ずっと見ていたい」
 もも子はフフっと笑って、恥ずかしそうにした。もも子も右手を風弥の頬にあてた。
「風弥君は、いつもかっこいい。綺麗な顔だね」
 風弥も優しく微笑む。
 二人はゆっくりと距離を縮め、唇を重ねた。

 二人はベンチに座り、手を握り合っていた。
「時間が止まればいいのにな」
 もも子が可愛くつぶやく。
「ずっと一緒にいたいな。ずっともも子ちゃんの隣に居たい」
 幸せな時間だった。お互いの存在がとても大きくて、お互いに大切にしたいと思っていた。
「もも子ちゃん、次はどこに行きたい?」
「うーん、水族館とか行きたい」
「いいね、次は水族館にしよう。行ったことないから、もも子ちゃんと初めてを経験出来て嬉しいな」
「私も、水族館は小さい頃家族で行ったけど、ほとんど覚えてないし。私も風弥君と初めてのこといっぱいしたいな」
 もも子は幸せだった。
「次の休みが決まったら教えるね」
「うん、楽しみにしてるね。私もまた手紙書くね」
「ありがとう。もも子ちゃんは、学校頑張ってね」
「風弥君、無理しないでね。私ずっと応援してるからね。風弥君がどこにいても、私はずっと風弥君の幸せを願ってるよ」
 二人はもう一度ハグをした。お互いのぬくもりを忘れないように、お互いの匂いを忘れないように、ぎゅっと力強く抱きしめた。
「もも子、そろそろ行かないと…」
 春菜が来て、申し訳なさそうに言った。
 二人共とても残念に思ったが、帰らなければいけなかった。
「風弥君、今日は会えてよかった。ありがとう」
「もも子ちゃんこそ、来てくれて、待っててくれてありがとう。もも子ちゃん、大好きだよ」
「風弥君、私も大好きだよ」
 二人は後ろ髪をひかれながらも体を離し、もも子は春菜の元へと行った。もも子がタクシーに乗るのを見送り、手を振った。