「アリステア」
昼休み、教室を出ようとしたところでアーサー殿下に呼び止められた。
「……何か御用ですか?」
足を止め振り返ると、じっと見られる。
「君、クラリッサに勉強を教えてるよね?」
「……」
どうして知っているのか?
ゾクリとする。
王家と近しい令嬢ともなれば影がついているのかもしれない。
「どういうつもりなのかなぁ?」
「……ご本人から依頼されましたので」
「それ、最初に断ってたよね?」
「ええ……ですが、諦めて下さらなくて」
そう返しながら公爵令嬢のせいにしているようで、気分が悪い。
「別にそのまま断り続けてもいいんだけど?もし困ってるなら僕から言うよ?」
少し離れた位置から殿下の婚約者ベアトリス・ウェクスリーの視線も感じる。
あちらは殿下ほど感情が読み取れない。
いや、殿下の感情とてアリステアに見せているものと同じとは限らない。
アリステアは諦めた。相手は王族だ。下手な芝居は身を滅ぼしかねない。
「同じ天秤に乗せるぐらいは許しても良いのではありませんか?」
「天秤?」
「ええ。殿下の婚約者としての天秤です」
「……もう決まってるよ?」
「ですが、彼女は諦めていません」
「……彼女、ね」
(……しまった)
「失言です。ブランデルウッド公爵令嬢は……」
「学園では平等だ。クラリッサで問題ないよ」
「……それを額面通り受け取るほど愚かではありません」
「面白くないね」
「……面白さを求められても困ります」
「ま、いいや」
殿下の雰囲気が少し和らいだ。
やはりこちらを見定めていたのだろう。
「僕はベアトリス以外を婚約者にしようとは思ってないよ」
「……」
「だけど君は、クラリッサを天秤に乗せろというんだよね?」
「それくらいの可愛いわがままは許してもいいのでは?」
殿下の瞳が丸くなる。
何に驚かれたのか、アリステアは分からない。
不思議に思いながら次の言葉を待った。
「君の口から、可愛いという言葉が出るなんて思わなかったよ」
返す言葉を失った。
「そうか。まぁクラリッサは可愛いからな」
「ち、違います。殿下」
「うん?」
「我儘が可愛いのであって、そういうことではなく」
「あ~うん。そうだね。君はクラリッサの可愛い我儘を許してるだけだもんね」
「え……あ……はい?」
「うんうん。じゃぁ、僕の従妹の成績を頑張って上げてね」
なにか誤解をされたままな気がする。
ポンポンと肩を叩かれ、励まされた。
(……いや、違う。聞けよ人の話を!!)
あの公爵令嬢に、あの殿下。
確実に血の力を感じた。
* * *
「アリスさん?」
東屋に少し遅れてきたアリスさんは、椅子に座るなりお弁当を広げることもせず、ぐったりとテーブルに突っ伏した。
「……あ~疲れた」
「午前の授業が長引きましたの?」
「……特別授業が、な」
「まぁ、特進クラスともなるとそんなものが!」
驚いていると、アリスさんがもぞりと動いた。
腕はテーブルの上に伸ばしたまま、顔だけがクラリッサの方を向いた。
「アリスさん?」
「素直すぎるだろ」
「はい?」
「まぁいい」
そう言うとアリスさんは体を起こした。
そしていつものようにお弁当を広げつつ、クラリッサのノートを見た。
「だいぶ進みましたか?」
「……唐突に敬語に変わると気持ち悪いです」
「……」
「ほら、わたくしがアリスさんってお呼びしているのですから、その代わりアリスさんはわたくしに敬語なし、とすれば宜しいのではなくて?」
そう提案すると“うーん”と唸った。
これは受け入れがたい時の声だ。
「まぁ無理にとは申しませんわ。わたくし、わがままは厳禁としてますもの」
「別にそれくらいは……」
何かを言い掛けたアリスさんは、なぜか言葉を飲み込んだ。
「アリスさん?」
「いいから、先に進め」
とんとんとノートを示されて、クラリッサは意識をそちらへと向ける。
はぁとアリスさんがため息をついているのが聞こえた。
* * *
(……くそ)
可愛いと言い掛けた。
可愛い我儘だと思ったのだから、仕方ないのだが、殿下のせいで言えなくなった。
というか、自分たちは散々その可愛い我儘を受容しておいて、アリステアがそれを指摘したら、どうしてあのように揶揄われなくてはいけないのか。
アリステアは目の前の公爵令嬢を見る。
ふわふわとしたピンクブロンドの髪。
最近では勉強の邪魔と言い始め、東屋に来ると髪を一つに結うようになった。
ローズピンクの瞳は、じっと文字を追いかけている。
これを可愛いというのは普通ではないだろうか?
彼女の容姿は優れて可愛いのだから、その事実を口にするのはおかしなことではないはずだ。
(……謀られた気分だ)
勝手に拡大解釈され、動揺した。
アリステアは静かに息を吸い込む。
それからお弁当を食べながら、いつものように彼女の文字を見る。
間違いだらけの、文字を。
「そこ、違う」
「え?ええええ!!」
「どうしてですの?わたくし完璧だと思いましたのに」
「代入をどこからもってきたんだ?」
「ここからですわ?」
「なんでそうなった?」
「え?なんで?わたくしの方こそ、どうしてこれじゃないのか知りたいくらいですわ?」
数学に関しては恐ろしいほどに頓珍漢だ。
嫌いだから徹底的に避けてきたらしい。
仕方なく一年の教科書からやり直しをしている。
「むずかしい……難しすぎますわ」
「いや、勝手に難しくしてるとしか思えない」
「そうですの?」
うぐぐと、唸り声。
自分のノートとそれから教科書をじっと見つめている。おそらく答えを探しているのだろう。
「……全然、分かりませんわ」
一通り眺め終えてから、アリステアに答えを求めた。
この令嬢はすぐに答えを訊かない。
自分で一度考えてから、それから訊いてくる。まぁ結局、いつも訊いてくることになるのだが。
とんとん、と答えの箇所を示す。
するとじーっとそこを見つめて、それからペンを動かし始める。
書きにくそうだなと、ペンの持ち手の太さが気になった。
彼女らしい、ピンクで可愛らしい万年筆。
金色の縁取りで鮮やかな花柄が刻まれている。
(まぁ……持ち物は個人の自由だしな)
アリステアは弁当へと意識を戻す。
食べやすさを重視して、片手で食べられるものばかりを用意してもらっている。
向かいを見れば、時折、サンドイッチに手を伸ばし、もぐもぐして、それからまた問題を解き始める。
――アリスさんのお弁当、とても食べやすそうですわ
公爵令嬢は効率性に気づいたらしい。
その翌日から彼女のお昼はサンドイッチに切り替わった。
(……ほんと、素直だよな)
これは確かに公爵家ひいては王家が心配するのも当然かもしれない。
(けど、俺は勉強を教えているだけなんだけどな)
はぁ、とアリステアはもう一度ため息をついた。
昼休み、教室を出ようとしたところでアーサー殿下に呼び止められた。
「……何か御用ですか?」
足を止め振り返ると、じっと見られる。
「君、クラリッサに勉強を教えてるよね?」
「……」
どうして知っているのか?
ゾクリとする。
王家と近しい令嬢ともなれば影がついているのかもしれない。
「どういうつもりなのかなぁ?」
「……ご本人から依頼されましたので」
「それ、最初に断ってたよね?」
「ええ……ですが、諦めて下さらなくて」
そう返しながら公爵令嬢のせいにしているようで、気分が悪い。
「別にそのまま断り続けてもいいんだけど?もし困ってるなら僕から言うよ?」
少し離れた位置から殿下の婚約者ベアトリス・ウェクスリーの視線も感じる。
あちらは殿下ほど感情が読み取れない。
いや、殿下の感情とてアリステアに見せているものと同じとは限らない。
アリステアは諦めた。相手は王族だ。下手な芝居は身を滅ぼしかねない。
「同じ天秤に乗せるぐらいは許しても良いのではありませんか?」
「天秤?」
「ええ。殿下の婚約者としての天秤です」
「……もう決まってるよ?」
「ですが、彼女は諦めていません」
「……彼女、ね」
(……しまった)
「失言です。ブランデルウッド公爵令嬢は……」
「学園では平等だ。クラリッサで問題ないよ」
「……それを額面通り受け取るほど愚かではありません」
「面白くないね」
「……面白さを求められても困ります」
「ま、いいや」
殿下の雰囲気が少し和らいだ。
やはりこちらを見定めていたのだろう。
「僕はベアトリス以外を婚約者にしようとは思ってないよ」
「……」
「だけど君は、クラリッサを天秤に乗せろというんだよね?」
「それくらいの可愛いわがままは許してもいいのでは?」
殿下の瞳が丸くなる。
何に驚かれたのか、アリステアは分からない。
不思議に思いながら次の言葉を待った。
「君の口から、可愛いという言葉が出るなんて思わなかったよ」
返す言葉を失った。
「そうか。まぁクラリッサは可愛いからな」
「ち、違います。殿下」
「うん?」
「我儘が可愛いのであって、そういうことではなく」
「あ~うん。そうだね。君はクラリッサの可愛い我儘を許してるだけだもんね」
「え……あ……はい?」
「うんうん。じゃぁ、僕の従妹の成績を頑張って上げてね」
なにか誤解をされたままな気がする。
ポンポンと肩を叩かれ、励まされた。
(……いや、違う。聞けよ人の話を!!)
あの公爵令嬢に、あの殿下。
確実に血の力を感じた。
* * *
「アリスさん?」
東屋に少し遅れてきたアリスさんは、椅子に座るなりお弁当を広げることもせず、ぐったりとテーブルに突っ伏した。
「……あ~疲れた」
「午前の授業が長引きましたの?」
「……特別授業が、な」
「まぁ、特進クラスともなるとそんなものが!」
驚いていると、アリスさんがもぞりと動いた。
腕はテーブルの上に伸ばしたまま、顔だけがクラリッサの方を向いた。
「アリスさん?」
「素直すぎるだろ」
「はい?」
「まぁいい」
そう言うとアリスさんは体を起こした。
そしていつものようにお弁当を広げつつ、クラリッサのノートを見た。
「だいぶ進みましたか?」
「……唐突に敬語に変わると気持ち悪いです」
「……」
「ほら、わたくしがアリスさんってお呼びしているのですから、その代わりアリスさんはわたくしに敬語なし、とすれば宜しいのではなくて?」
そう提案すると“うーん”と唸った。
これは受け入れがたい時の声だ。
「まぁ無理にとは申しませんわ。わたくし、わがままは厳禁としてますもの」
「別にそれくらいは……」
何かを言い掛けたアリスさんは、なぜか言葉を飲み込んだ。
「アリスさん?」
「いいから、先に進め」
とんとんとノートを示されて、クラリッサは意識をそちらへと向ける。
はぁとアリスさんがため息をついているのが聞こえた。
* * *
(……くそ)
可愛いと言い掛けた。
可愛い我儘だと思ったのだから、仕方ないのだが、殿下のせいで言えなくなった。
というか、自分たちは散々その可愛い我儘を受容しておいて、アリステアがそれを指摘したら、どうしてあのように揶揄われなくてはいけないのか。
アリステアは目の前の公爵令嬢を見る。
ふわふわとしたピンクブロンドの髪。
最近では勉強の邪魔と言い始め、東屋に来ると髪を一つに結うようになった。
ローズピンクの瞳は、じっと文字を追いかけている。
これを可愛いというのは普通ではないだろうか?
彼女の容姿は優れて可愛いのだから、その事実を口にするのはおかしなことではないはずだ。
(……謀られた気分だ)
勝手に拡大解釈され、動揺した。
アリステアは静かに息を吸い込む。
それからお弁当を食べながら、いつものように彼女の文字を見る。
間違いだらけの、文字を。
「そこ、違う」
「え?ええええ!!」
「どうしてですの?わたくし完璧だと思いましたのに」
「代入をどこからもってきたんだ?」
「ここからですわ?」
「なんでそうなった?」
「え?なんで?わたくしの方こそ、どうしてこれじゃないのか知りたいくらいですわ?」
数学に関しては恐ろしいほどに頓珍漢だ。
嫌いだから徹底的に避けてきたらしい。
仕方なく一年の教科書からやり直しをしている。
「むずかしい……難しすぎますわ」
「いや、勝手に難しくしてるとしか思えない」
「そうですの?」
うぐぐと、唸り声。
自分のノートとそれから教科書をじっと見つめている。おそらく答えを探しているのだろう。
「……全然、分かりませんわ」
一通り眺め終えてから、アリステアに答えを求めた。
この令嬢はすぐに答えを訊かない。
自分で一度考えてから、それから訊いてくる。まぁ結局、いつも訊いてくることになるのだが。
とんとん、と答えの箇所を示す。
するとじーっとそこを見つめて、それからペンを動かし始める。
書きにくそうだなと、ペンの持ち手の太さが気になった。
彼女らしい、ピンクで可愛らしい万年筆。
金色の縁取りで鮮やかな花柄が刻まれている。
(まぁ……持ち物は個人の自由だしな)
アリステアは弁当へと意識を戻す。
食べやすさを重視して、片手で食べられるものばかりを用意してもらっている。
向かいを見れば、時折、サンドイッチに手を伸ばし、もぐもぐして、それからまた問題を解き始める。
――アリスさんのお弁当、とても食べやすそうですわ
公爵令嬢は効率性に気づいたらしい。
その翌日から彼女のお昼はサンドイッチに切り替わった。
(……ほんと、素直だよな)
これは確かに公爵家ひいては王家が心配するのも当然かもしれない。
(けど、俺は勉強を教えているだけなんだけどな)
はぁ、とアリステアはもう一度ため息をついた。
