王太子妃になりそこねた公爵令嬢は、我儘をつき通す

(いよいよか……)

学園に行く支度を整え、アリステアは机へと向かう。
机の上には小皿。
公爵令嬢が拾った『祈りの実』が置かれている。
あれからもう、一か月が過ぎた。

(長いと思ったのに、試験まであっという間だったな)

琥珀色の実を、そっとひと撫でしてから、アリステアは部屋を出た。


* * * 


クラリッサは万年筆入れの中に、ころんと守りの実を入れた。

(……アリスさんが見守ってくださいますわ)

とうとう、この日が来た。
十一月、定期試験。
やれるだけのことはやった。

琥珀色の実を見れば、不思議と気持ちが落ち着く。

(やっぱりアリスさんは凄いですわ)


* * *


クラリッサは答案と成績通知書を鞄に詰め、東屋までの道を歩く。

(ダメでしたわ……)

正直、この結果は分かっていた。
勉強すればするほど足りなさが見えて焦りそうになって、その度にアリスさんが、

――焦ったところで意味がない。ひとつひとつやるだけだ

そう、クラリッサを落ち着かせてくれた。

(ふふ……運が良ければ、とも言われましたわ)

鞄の持ち手につけた紫色の『守り袋』が揺れる。
アジサイが刺繍された袋を見つけた時には、運命だと思った。

(ここで運を使ってしまったんですわ、きっと)

悔しいなと思った。
でも、アリスさんの言う通り、ひとつひとつ、きちんとやって、そしてその結果がこれなのだ。

クラリッサはゆっくりと歩いていた足に力を入れた。

(アリスさんを待たせてはいけないわ)

冬はもうすぐそこ。
冷たい空気がクラリッサの肌を刺す。
それでも、負けじと走った。


* * *


いつもより遅い。
それだけで心臓がバクバクと音を立てている。

(……くそっ!!)

悪態をつき、膝に置いた手をぎゅっと強く握った。
そうしていないと、みっともなく東屋をウロウロとしそうだった。
落ち着かない。とにかく落ち着かない。

入り口に固定されそうな視線を無理やり外し、鞄の中から本を取り出した。
必死にその活字を追いかけるが、内容なんて入ってくるわけもない。

諦めて本を閉じた時だった。

「アリスさん」

静かな声だった。

今まで見たことのない表情で、彼女はアリステアの前に立っていた。

泣きそうな、それでいて微笑んでいるような。

それを見て、アリステアの体が勝手に動く。

立ち上がり、腕が彼女へと伸びる。

「ふふ、やっぱりだめでしたわ」

まっすぐに響く声。
その純粋さに、アリステアの腕はなんとか動きを止めた。


* * *


一枚、一枚、アリスさんの前に答案を並べていく。
礼法百点、帝国語九十点、歴史八十点、地理八十四点、政治学が七十点、数学は六十二点。
成績通知書に記載されているのは、礼法が一位、帝国語は五位、歴史が十位、地理は大健闘の七位、政治学は二十五位、そして数学は三十位。

「……総合十五位、か」

アリスさんの声はいつも以上に静かで、そして穏やかだった。

「頑張ったな」

クラリッサの手が震える。
目頭が熱くなる。
泣かないでいようと思った。
ありがとうございます、って。
言おうと思ってたのに。

アリスさんの声がやさしくクラリッサの心を溶かす。

ふぅっと息が漏れる。

アリスさんは何も言わない。
動きもしない。

でもそれでよかった。
だってそれがアリスさんだから。
いつもそうやってアリスさんに助けてもらってきたから。

クラリッサは溢れる気持ちのまま、涙を零した。


* * *


目の前でぽろぽろと泣かれて。
静かに泣かれて。
胸が痛い。

けれどアリステアには見守ることしかできない。
ただ、ひとりで泣いているのを見ていることしかできない。

(……泣く必要なんてない)

そう言いたくても、言葉は喉の奥で詰まって出ない。
抱き締めたくても、腕を動かしてはいけない。

彼女が泣き止むのを、じっと待った。
たとえ午後の授業が始まろうと、そんなのどうでもいいと思った。

でも、彼女はしばらくして、顔を上げた。
真っ赤な目元には、まだ涙が残っている。
それでも、笑った。
先ほどよりも、もっと、ずっと、綺麗に。

「わたくし、頑張りましたわ」


* * *


「そうだな」

アリスさんが頷いた。
いつものように、短い言葉で。
相槌で。

でも、その声がいつもよりずっと低くて。
震えているような気がしました。