王太子妃になりそこねた公爵令嬢は、我儘をつき通す

さくさくと落ち葉の上を歩く。
季節はあっという間に過ぎ、十一月の定期試験まで、あと一か月。

(今度こそ十位以内に入れるかしら……)

少しでも良い点を取りたい。
そのためにずっと頑張ってきた。
でも、だからこそ目標が高いことにも気づいてしまっている。

(地理と歴史は大丈夫。政治学もなんとかなるかもしれないけれど)

問題は数学だ。
もっと前からアリスさんに教えてもらっていれば。
もっと前から……

(一年生の頃のアリスさんって……)

あの前髪も、猫背の姿も、見かけたことは何度もある。
常に首席のアリスさんだと知っていた。

(でも、知らなかったわ)

クラリッサは足を止め、空を見上げた。
真っ青な空。
それからサマーホワイトの木。
葉は緑から褪せた白へと変わり、琥珀色の実をつけている。

(そろそろ、祈りの実を……あ!そうだわ!!)

とても素敵なことを思いついて、クラリッサは駆け出した。
アリスさんがいる東屋へと。


* * *


「アリスさん!」

突撃するようにやってきた公爵令嬢は、持っていたお弁当と鞄をテーブルの上に勢いよく置くと、座っていたアリステアの腕を掴んだ。

(は?)

腕を掴む手に力が入っている。
だが突然のことでアリステアは状況が分からない。
呆然としていると、彼女は腕に腕を絡ませようとしてきた。


「待て!」

強い言葉で制止する。

「あ……」

ようやく自分のしでかしたことに気づいたらしい。
パッとアリステアから離れ、恥ずかしそうに頬を染めた。

(……くそっ!)

可愛らしさに悪態しか出てこない。

「ご……ごめんなさい」

微妙なイラつきは彼女にも伝わってしまったらしい。
彼女のせいだけではないと言いたいが、かといって、あんな無防備な振る舞いは良くない。
アリステアは敢えて不機嫌さを強めた。

「で?」
「……その……サマーホワイトの実を」

しゅんとしながらアリステアに説明する様子にちょっとだけ胸が痛い。

(いや、甘やかすな。今のは絶対に彼女が悪い。淑女の取るべき態度ではない)

だが、アリステアの強硬な態度も彼女の次の発言で崩れた。

「アリスさんに『守りの実』を選んでもらおうと思って」

ローズピンクの瞳がねだるように向けられ。
アリステアの喉はぐっと鳴りそうになった。


* * *


怒られてしまった。
でも、しょうがない。
クラリッサはアリスさんに触れてしまったのだ。

(……淑女としてはダメだわ)

アリスさんに『守りの実』を選んでもらおうという名案に冷静さを欠いてしまった。

(恥ずかしいわ)

はしたない令嬢だと思われてしまったら嫌だ。
ちらりとアリスさんを見れば、大きくため息をつかれた。

(うう……)

「話は分かった」
「……はい」
「令嬢の取るべき態度ではなかったと思われますが?」
「……はい、ごめんなさい」
「……」
「嫌な気分にさせてごめんなさい」

謝ったらアリスさんの口元がへの字に曲がった。

「嫌とかそういうことではなくて……」
「……?」

アリスさんにしては珍しく口ごもっている。

「嫌ではありませんでしたの?」
「……」

アリスさんの沈黙が長い。
なんだか妙にドキドキする。
アリスさんを直視しづらくて、床を見る。
硬質な石の床。

(……触ったら冷たいかしら?)

火照る頬のせいか変なことを考えてしまう。

しばらくして、アリスさんがようやく口を開いた。

「……その質問も良くない」
「え?」
「俺が淑女に触れて嫌ではないのか?と訊いたとして、どう思う?」

アリスさんを見る。

(……アリスさんが、触れて?)

そんなことしないと反論しようとしたが、論点はそこではないのだと気づいた。

(えっと……アリスさんが触れて……)

――嫌ではないのか?

脳内でアリスさんの声が静かに響く。

「は、破廉恥ですわ!!」

クラリッサは思わずそう叫んでしまった。


* * *


「そ、それでアリスさんに選んでもらいたいんです」

(さっきの破廉恥だってのはいくらなんでも酷いだろ)

アリステアはショックを受けていた。
彼女に自覚を持ってもらおうと思って説明したつもりが、まさかの返しが『破廉恥』。

(まぁ言った本人が一番衝撃を受けているような気はするが……)

公爵令嬢はしどろもどろと自分の行動について説明している。
そして『破廉恥』発言を含め、反省しているようだ。

「この辺にも実は落ちていますし、その……守りの実を選んでもらえませんか?」

東屋から三段の階段をとんとんと下り、あちこちを指で示している。

その可愛すぎる我儘にアリステアは困った。
一年を共に過ごす『祈りの実』を選んでほしいと言われなかっただけ、良しとするべきなのか。
だが『守りの実』だってそれなりに重い。
アリステアが選んだ実を、彼女が『守りの実』として、いつまで……いや、今の話を聞く限りは試験までだが、それでも、ずっと持っているのかと思うと落ち着かない。

しかし、ここで断れるほどアリステアは強くない。

仕方なく椅子から立ち上がり、なるべく意味を持たせないように、すぐ目についた実を拾う。

小さな実が琥珀色に輝く。

それがこのサマーホワイトの実の性質だと分かっているのに、手の中のきらめきが特別なものに思えて、ため息が出る。

タッと公爵令嬢が駆け寄ってきた。
アリステアは思わず一歩後ずさってしまう。
だが、彼女はアリステアの手の中を見ようとさらに一歩詰めてくる。

「……手を出してください」

その距離から逃れたくて、彼女にそう伝えると、素直に両の手が目の前に差し出された。

白く、ほっそりとした手首。
受け皿のように丸められた掌が、いつもより柔らかく見える。

(…………)

何もかもがアリステアを攻撃してくる。

「……これで」

拾った実を、ころりとその掌に落として、すぐに彼女から離れた。

とにかく今は彼女を見たくない。

こんなテキトーに選んだとも言えない実を、彼女がどう思うのか。
がっかりするのか。
それなら、それでいい。
いや、それがいい。

近づいてしまいそうな距離が、アリステアを追い詰める。
離れることができれば、昔に、何も知らなかった頃に戻るはず。

アリステアは東屋へと戻り、弁当を広げた。
陽が射しこまないこの場所が、いつも以上に心地よい。

すべてを忘れて、彼女の気配を遮断して。
そうして。

「アリスさん!!」

いつものように、飛び込んでくる。

陽の差さないこの場所では。
彼女こそが光。

「はい、お返しです」

テーブルの上に、ころりとそれが置かれた。

琥珀色の実。

「わたくしは来年の祈りの実をもう用意してしまったんですけど、アリスさんは?」

まだ、だった。
アリステアは、それほど祈りの実というものに思い入れはない。
毎年テキトーに。
ギリギリになって、その辺の実を拾って持ち帰るだけ。
さきほど、彼女に渡した時と同じように。

もう、持っている。そう嘘をつこうと思った。
そうしなければ、この流れでは。

「アリスさんの一年が、素敵な一年になりますようにって祈りを込めましたわ」

――でも、祈りの実でも守りの実でも、どちらでもいいですわ

そう朗らかに笑う。
彼女にとってその祈りは、アリステアとは違って軽やかなものなのだろう。
特別だと感じることさえないほどの、軽くて、ささいなもの。

「ふふ、アリスさん、ありがとうございます」

嬉しそうにアリステアが選んだ実を握りしめている。
あんなにもテキトーに選んだというのに。

「それでいいのか?」
「え?アリスさんが選んでくださったのに?」
「……あれを選んだというのか?」
「そうですわね……でも、アリスさんのご利益がありますわ」

純粋すぎるそれが痛い。

アリステアは、彼女が選んだ実を手に取った。

「決め手はアリスさんらしさですの」
「……分からん」
「説明しましょうか?」
「要らない」

そう返すと不満そうに唇を尖らす。

頼むからもうこれ以上踏み込まないでほしい。

「……もしかして、余計なことでした?」

そして、追い詰めないでほしい。

「いや、貰う」

ポケットからハンカチを取り出し、サマーホワイトの実を包む。
そして胸のポケットにしまい込んだ。