王太子妃になりそこねた公爵令嬢は、我儘をつき通す

「クラリッサ、ちょっといいかしら?」

お母様がクラリッサを公爵邸の庭園へと呼んだ。

庭園にあるサマーホワイトの木は白い花をつけ、陽の光を受けて淡く輝いている。

(アリスさんの領地でもたくさん咲いているのかしら?)

サマーホワイトの木の下で、妹さんに抱きつかれて必死にはがそうとしているアリスさんの姿が浮かぶ。

「クラリッサ?」
「あ、ごめんなさい。お母様」

庭園の東屋でお母様と向かい合って座る。
テーブルの上にはアップルパイと紅茶が用意されていた。

「お部屋で話そうかとも思ったのですけれど、貴女最近外に出ない日が多かったでしょう?」
「お勉強をしていますの」
「頑張っているのね」

にこりと微笑まれて、クラリッサは嬉しくなって元気よく「はい」と返す。

「定期試験の結果も良かったのでしょう?」
「はい!アリスさんが教えてくださったおかげです」

そう返すと、紅茶を優雅に飲んでいたお母様の手が止まった。

「アリスさん?」
「あ、……アリステア・ペンフォードさんです」
「アリスさんって呼んでいらっしゃるのね?」
「その……お名前を間違えて覚えてしまって……」
「……クラリッサ」

人の名前だけは間違えないようにと、お母様には厳しく言われていた。先ほどまでのやわらかい雰囲気が、一変して冷たいものへとなる。

「うう……ごめんなさい」
「まぁ……いいでしょう」
「気をつけます」
「ええ、ちゃんとしなさい……それで、名前が分かってもアリスさんと呼んでいらっしゃるの?」
「え?……はい、アリスさんも今更だって仰って」
「……いまさら……」
「……一か月以上、アリスさんと勘違いして呼んでたので」
「……そう」

お母様はしばらく何かを考え込んでいるようだった。
そうして、おもむろに。

「アリスさんとは夏休みはお会いするのかしら?」

そう訊いてきた。

「いいえ、アリスさんは領地に帰ってらっしゃるので」
「約束はなにも?」
「はい」
「……それは、寂しいわね」

その言葉にクラリッサは反応した。

「そうなんです!寂しいんです!……それなのにそう伝えたらアリスさんってば冷たくて」
「……伝えたの?」
「はい」
「……そう」
「嘘でも寂しいですって言ってくれてもいいと思いませんか?」
「……嘘でもいいのかしら?」
「う……それは……」
「で、アリスさんは貴女になんて言ったのかしら?」
「一か月もすれば会えるって……そうなんですけど!!」
「そうね」
「……毎日会ってたのに」
「寂しいわね」
「お母様はさすがです。分かってくださいます」
「ふふ、ありがとう」

お母様は怖いこともあるけれど、こうしてクラリッサの気持ちを穏やかにしてくれる。

「ところで、貴女を呼んだのはね」
「はい」
「来年の蕾の夜のドレスについてよ」
「……蕾の夜」
「ええ、いよいよね」

クラリッサの気持ちが高まる。
成人して初めて迎える蕾の夜。夜会デビューだ。

「あ……どうしましょう」
「どんなドレスがいいかしら?」
「どんな……」
「色は白を基調とするのが基本だから、デザインで勝負ね」
「……デザイン」

クラリッサの脳裏に学園の東屋が浮かぶ。
雨の日のしっとりとした穏やかな空気。

「そう、可愛らしいのと綺麗なのどちらがいいかしら?」
「綺麗な方ですわ!」
「……そう?」
「アジサイみたいに綺麗な感じがいいです」
「アジサイ?」
「はい、青と紫のアジサイがとっても綺麗だったんです。こうしっとりして、涼やかで……わたくしそういう感じのドレスが」

頭の中の映像をなんとかデザインに活かせないかとお母様に伝える。
しかし。

「……デビュー向きではないわね」
「あ……」
「でも、そうね。アジサイのような綺麗さはいいかもしれないわね。しっとりは次の夜会用にとっておきましょう」
「……はい!」

ワクワクする。
アジサイのようなドレスがどんなデザインになるのかクラリッサには浮かばないけれど、きっと素敵なドレスに違いない。
それを着て夜会に出て、踊って。

(……アリスさんも踊るのかしら?)

礼法が五位なのだから、踊れないということはないだろう。
でも、踊る姿が想像つかない。
ずっと壁際で立っているだけな気がする。

「ふふ……」
「クラリッサ?」
「あ、はい。すみません」
「何か面白いことがあったの?」
「いえ、あの……」
「ん?」
「アリスさんだったら、踊らないんだろうなぁって」
「……そう」

じっとお母様がクラリッサの目を見る。

「あの、なにか?」
「いえ、とても大事なお友達なのねと思って」
「はい、アリスさんは大事なお友達です」
「……ダメだわ。我が子ながらどっちなのか読めないわ」
「え?お母様?」
「ひとり言よ。……そうだわ。クラリッサ、貴女勉強もいいけれど、たまには本も読みなさい」
「え?……はい」
「あとでわたくしが厳選した本を持っていきますから、一日五分、いえ十分、なんなら三十分でもいいから読みなさい」

お母様の勢いは凄かった。

そして、その夜届いたのは。


「……あなたと夢見る五日間? 令嬢は王子を探して旅に出る?」
「恋愛小説です。お嬢さま」
「……お母様、こんなにたくさんどこから持って来たのかしら?」
「……気になさるところはそこですか?」
「え?」
「いえ、なんでもありません」

クラリッサの日課に『恋愛小説を読む』が追加された。