人狼の花嫁はモダンガールの夢を見る

  ✻ ✻ ✻


 千夜の嫁入り支度はとんとん拍子に進んだ。
 大神からの結納の品々がすぐ届き、桜の頃と日取りが定められる。千夜は畑に出ることも禁じられた。神の花嫁となるのだから身を清め静かにしていろというのだ。

(本当は、夫婦のふりをするだけよ……)

 朔との約束を思い返し、千夜は申し訳なくなった。偽の結婚なのに周囲はとても浮かれている。
 今日はもう、村を離れる日だ。見たことがないような美しい白無垢をまとい、千夜は家を出るところだった。

「父さん、母さん、これまで育てていただいてありがとうございました」

 挨拶を交わし、表へ出る。大神からの迎えは屈強な男たちによる山駕籠だった。奥宮と呼ばれる隠れ里まで花嫁を歩かせるなど無理、ということらしい。
 見知らぬ男たちが現れたことで村人たちはこちらを遠巻きにしていた。でも見送りに出てきた小春は涙ぐむ。姉は自分をかばったとわかっているのだ。

「姉さん……」
「次は小春が幸せになるのよ」

 微笑んで山駕籠に座ると、花嫁行列は動き出した。

 いつも息を切らして上がっていた狼ケ峰神社の石段を、駕籠は軽々と行く。いったん降りて拝礼してから、奥宮へ。これまで見たことのない道へ連れていかれて千夜は首をかしげた。こんな場所があったなんて。
 そこからは急な山道だった。たしかに重たい花嫁衣裳で歩くなどできそうにない。しかし山駕籠はものともせずに進んでいった。

(人の力じゃない……? そうよね、この人たちも人狼なのだわ)

 千夜は身が引きしまる思いだった。もう、朔と約した「妻のフリ」は始まっている。

「間もなく、我らの里です」

 横を歩いていた者が告げると、すぐに木々が開けた。千夜の村よりも立派な家々が並んでいて、道に里人がわらわらと集まってくる。みな朔の花嫁が来るというので興味津々なのだった。
 進んでいくと、ひときわ大きな家と門が前方に見えた。あれが頭領の家なのだろうと思った時、鋭い視線が千夜の体に刺さる。憎しみにも近いようなまなざしに驚いてその主を探すと、美しい女が千夜をにらんでいた。

(……なに?)

 その女の前を、駕籠は歩調をゆるめず通りすぎる。胸に不穏が渦巻いた千夜だったが、聞き覚えのある声が迎えてくれた。

「――待っていたぞ、俺の花嫁」

 門の前に立っていたのは、凛々しい袴姿の朔だった。


「――千夜と申します。末永くよろしくお願いいたします」
「朔だ。こちらこそよろしく頼む」

 初対面をよそおった千夜と朔は、門の前でシレッと挨拶を交わした。
 迎え入れられた頭領の屋敷には祝言の支度がすっかり整っている。下界で人間がするのと変わらない式次第だったのは、千夜に気をつかったのかどうか。
 ともかく朔は、結婚に乗り気とも嫌がっているともわからない無表情を貫く。千夜も教えられた作法にのっとり、楚々として三々九度をこなした。


  ✻ ✻ ✻


 式と宴が済み、千夜が通されたのは家の離れだった。ここが惣領息子夫婦に与えられた場所らしい。
 磨かれた廊下、真新しい障子、畳の部屋。千夜にしてみればとても豪勢な造りだ。そして二人の寝所はぐるりと襖が立てられていて中をうかがえなくなっている。安心して励め、という一族の意思を感じて千夜は居心地悪かった。

「ひとつ所に寝ることになるのはすまん。だが夜ここへ近づく者はいないからな。こうしておけば……」

 そう言って、朔は敷かれていた二枚の布団をグイッと離した。さらに間に衣紋掛けを持ってくる。広げられた着物が互いの寝姿を隠してくれるはずだ。

「落ち着かないが、こればかりは慣れてくれ」
「はあ……」

 夜だ。
 婚礼の日の、夜。つまり初夜。
 寝所には灯りがともされ、千夜も朔も白い寝間着姿となれば落ち着くわけはない。いくら朔が「何もしない」と明言していても――いや、何かはするのか。夫婦の契りより微妙かもと千夜が感じる、アレを。

「ええと、千夜……」

 自分の布団の枕元に所在なく正座する千夜に、朔は少し迷う様子だった。だが千夜がどう思おうが、やるしかない。千夜の隣にいざってきた朔は、単刀直入に訊いた。

「どこがいい」

 千夜はうつむいた。かじられていい場所なんて、自分の体にあるものか。
 でもその行為は受け入れると約束したのだ。他にどうしようもないから。そっと左腕を動かす。了解した朔は、無造作に手首をつかんだ。
 持ち上げて、袖をめくる。灯明にほんのり照らされる肌が白かった。

「痛かったら言え」

 そう言った朔は腕に口を近づける。
 千夜はチラリと「夫」のことを見た。目が合う。慌てて顔をそむけた。恥ずかしい。
 朔はそんな「妻」の様子を注視しながら、口を開ける。
 かぷ。
 軽く立てた歯が、柔らかい肌に当たった。千夜がビクリとする。その腕を押さえながら、朔は困惑していた。

(――美味い、だと?)

 別に肌に傷はつけていない。腕を軽く口に含んだだけだ。なのに口中に芳しい香りが満ち、くらくらしてきた。

(あうっ)

 かじられた千夜は身をよじり、もれそうになる声をこらえていた。
 そんなに痛くはない。ただただ――男から初めて口づけられている事実に身もだえしそうになっているのだ。おそらくうなじが赤くなっているだろう。薄暗い灯りで見えなければいいと願った。
 だが朔には千夜の様子がしっかり見えている。夜目がきくので。耳まで赤くなりながら、ふるふると震えそうなのを耐えている千夜を試したい衝動に駆られた。

(もうひと口)

 もう少し肘の内側に近いところへ唇と歯を動かす。千夜の匂いがさらに立った。たまらずに力が入る。

「いっ……!」
「すまんっ」

 小さくもれた悲鳴に、朔は自制を取り戻した。立てそうになった牙を離す。吐息が熱かった。

「痛かったか。つい」
「ん……すこし」

 千夜は息も絶え絶えだ。なんの辱めだろう、これは。朔から逃げるように腕を引くが、朔は放さない。そっと指で腕をなぞった。
 怪我はさせていない。そっと鼻を寄せて確認すると、朔の匂いもいちおうした。

「加減がわからなかった……俺のものだという印をもう少し千夜に刻み込みたいのだが」
「え……」
「明日から、いろいろ試させてくれ」
「えええ……」

 真顔でのたまう朔のことを振り返り、千夜はとても情けない顔をしたと思う。

(じゃあこれから毎夜、あちこちをかじられる――ってこと!?)

 偽物夫婦の奇妙な日々は、こうして始まった。