人狼の花嫁はモダンガールの夢を見る

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「はあ……」

 急転直下、結婚が決まってしまった千夜は梅の花の下でぼう然とたたずんでいた。
 大神のもとへ召し上げられるだなんて、そんな人生を想像したことはない。なんという運命のいたずらか。

(神さまへ嫁入り……そうなると町へ出てみるなんて、できないのかな。一度行ってみたかった……)

 近代化の恩恵は千夜の村へあまり届いていない。洋装のモガ(モダンガール)などが現れたら眉をひそめられてしまいそうな、野良着で田畑を耕す暮らしが根づく土地柄なのだ。この梅の木だって実を取るためのもので風流など二の次。

(私、変わる世の中を知ることはできないんだわ)

 そう思って泣きそうになった。

 この村に、千夜は飽き足らないのだ。
 世界は広い。村の外には不思議で新しいものが山とあるのに千夜が触れることは叶わないなんて。悲しくなって自嘲した。

(こうなったら、できるのは山の上から平野を見渡すだけね)

 狼ケ峰神社の奥宮というからには、そこそこの山の上に暮らすことになるはずだ。そんなところに大神の一族が住まっているとは村で聞いたこともなかったが。本当なのだろうか。

「ああ……私どうなっちゃうの……」

 はねっかえりの千夜でも、さすがにうめいた。
 その時だ。

「神託が選んだ花嫁とは、そなたのことか」

 梅の木の向こうから声がした。ハッとなった千夜が顔を上げると、木の陰から男が姿を現した。千夜は知らないが、神事を見守っていた青年――朔だ。
 銀鼠の着物に黒い羽織。端正な顔立ちで落ち着いた風体だが、その視線は鋭い。
 見知らぬ男に近づかれ、千夜は後ずさった。気づいた朔は足を止める。

「ああ恐れなくていい。俺は――そなたが嫁入る、相手だ」
「え――あなたが大神、さま?」

 立場を明かされて、千夜は息を飲んだ。
 大神さま、と呼ばれた朔は苦々しい顔になる。彼らは人狼だ。ただの人より力も強いし、耳も鼻も夜目もきく。しかし祀り上げられるような存在でもない。

「俺の名は(さく)という。新月という意味の字だ。そなたは?」
「……千夜(ちや)。千の、夜」

 たどたどしく名乗ったが、千夜はうつむいた。
 朔は人のように見える。でも大神で、狼なのだ。ひれ伏した方がよかったろうか。丁寧な口もきけなかったし、対応を間違えた気がした。

「ちや、か」

 だが朔は気にしないのか、千夜の名を味わうように口にし真剣な目をする。そして尋ねた。

「そなたは神託を受け、嫁入りを承諾したと聞いた。本当にそれでいいのか」
「……は?」

 千夜の声は、ややドスがきいてしまったかもしれない。
 いいも悪いも、断れない状況にしてきたのはそっちじゃないのか。千夜はキッと顔を上げた。

「……こちとら村ごと狼ケ峰神社の氏子なのよ。祀った神さまからのお言葉に逆らえると思うの? 親兄弟を村八分にするのは忍びないし、妹を差し出すくらいなら私が行くって決めただけだわ」

 啖呵を切って、千夜は朔をにらみ上げた。
 ずっと真顔だった朔が軽く目を見開く。口の端が薄っすら上がった。なかなか面白い娘だ。

「なるほど。俺の花嫁になるなど本意ではないと」
「あっ……ええと」

 千夜はちょっと怯む。怒らせただろうか。この朔はいずれ大神一族の頭領になると聞いた。そんな立場なら、心が強く苛烈な人柄かもしれない。
 ――しかし朔が言い出したのは、千夜の思いもよらないことだった。

「ちょうどいい。ならば俺たちはしばらく夫婦(めおと)のフリをしよう」
「……どういうこと」

 千夜が訊き返したのも無理はないと思う。「嫁になれ」と命じたのは朔の方なのに、今度は「フリで」だなんて。

「こんなやり方で村の娘を娶るなど、俺はしたくなかった。命じたのは父――今の頭領だ」
「お父さまが? ならあなたは嫌だったの?」
「不服を申し立てたが押し切られた」

 朔は眉間に不機嫌なしわを寄せている。となると、おそらく今言ったことは真実なのだろう。千夜はおそるおそる確認した。

「じゃあ……私たちはどちらも、結婚など望んでいない……?」
「そういうことだ」

 短く答えて、朔は無表情に戻った。

「協力しろ千夜。三年間、俺の妻として過ごせ。その後は人里に帰すと約束しよう」
「三年……なぜ?」
「言うだろう? 嫁して三年、子無きは去れと。それぐらい経てば父も一族もあきらめる」

 一定期間経っても子宝に恵まれなければ、それは離縁の理由になるのが常識だ。だが、ということは。

「まさか子を産ませるためだけに、嫁を……?」
「……そうだ」

 怒ったように顔をそむけて朔は吐き捨てた。父ら、一族の大人衆の言い分にかなり腹を立てているのだ。

「我らの隠れ里では、近ごろ子が生まれにくい。だから一族の女を娶るより村の娘を、と」
「そんな……朔の一族というのは狼なのでしょ? 人との子なんて」
「いや、生まれる。人里へ出ていき、人と添った者は昔から幾人もいるんだ」

 朔たちは狼の力を宿しているが、人でもある。それが〈人狼〉なのだと朔は告げた。

「人狼……」
「人と(つが)った者はむしろ子だくさんなことが多くて、そこに父は望みをかけている。一族の先行きを案じてのことなのはわかるが、神として祀ってくれている人々を利用するようなやり方が俺は気に食わないんだ」
「でも私に子ができたらどうするの」

 さっき朔は「俺の妻として過ごせ」と言ったのだ。夫婦になれば孕むこともあろう。だが朔はひどく冷たいまなざしを千夜に向けた。

「夜伽など求めない」
「はい?」
「フリでいいとも言ったろう。名目上、俺は千夜を妻として遇する。表ではそう見えるよう睦まじく振る舞う必要があるが、寝所で手は出さないと誓う」
「はあ……」

 千夜は微妙な顔で考えた。
 うっかり子が生まれたら人狼の大人衆の思うツボとなる。その企てを潰したい朔としては、絶対に千夜を抱いたりしない、と。

(女として見られていないのはムカつくけど、ありがたい申し出だわ)

 千夜は幼い頃からずっと、誰かの妻になどなりたくなかった。
 嫁としてどこかの家に仕え、子を産み育て、隣近所とともに田畑を守る。村で当たり前とされるそんな人生じゃなくても、何か生き方があるのではと思っていた。町へ出てみたいというのは、その願いを叶えるひとつの手段。

「……ねえ。三年後に人里へというのは、この村に戻すってこと? 石女(うまずめ)だと言われたら私の立つ瀬がないのだけど」

 千夜は交渉をこころみた。
 朔の申し出に乗るのは文句がない。その後で千夜の思うような暮らしを手に入れることができるなら、三年ぐらい耐えてみせよう。だが、思うような暮らしなら(・・・・・・・・・・)、だ。だから今きちんと要求しておかなければ。

「ここは昔ながらの村だもの。子が産めないと評判の女なんて、ろくな扱いをされないでしょうね。帰ってくるなんてできない」

 キッと見上げる千夜の強いまなざしを、朔は正面から受けとめた。知らなかった村の事情に眉をひそめてしまう。
 無茶な話で千夜の人生をねじ曲げようとしているのは人狼一族の方なのだ。朔の誇りにかけて、千夜には幸せになってもらわねば困る。

「なるほど……それは思い至らなかった。ではどうすればいいのか、策はあるか?」

 そうこなくっちゃ。千夜はここぞと主張した。

「私、町へ出たいわ」
「町……」
「そう。町ならば女も働いて生きていくすべがあるようだから。すごくない? 足首を出した洋装でバスに乗る仕事が最新なんですってよ。あとは電話交換手、とか」

 夢見るような千夜の話に、朔は重々しくうなずいた。この偽装結婚をするにあたり、それが千夜の示す条件ならば応えてみせよう。

「わかった。町の暮らしに関する知識は浅いが、そなたを送り出す三年後までに学ぶ。千夜が独り立ちできるよう助けると約そう」
「……あ、ありがとう」

 千夜はややたじろいだ。
 朔の態度はあまりに誠実で、祀り畏れていた大神の印象とかけ離れている。ただの人間としても尊敬できる相手なのかもしれないと期待した。

「だが――」

 と、そこで朔が難しい顔をした。

「夫婦の契りは結ばなくとも、ひとつ受け入れてもらわねばならないことがある」
「え……な、なに?」

 千夜の胸に不安が広がる。そんなに真面目な声色で相談されるなんて、いったい何を言われるのだろう。朔は真剣なまなざしで言った。

「千夜のことを――かじらせろ」

 その言葉は、千夜の頭の中で空回りした。

(かじる……かじる? かじるって?)

 目が点になった千夜を見て、朔がため息まじりになる。これはまったく変な意味ではなく、必要なことなのだ。

「我ら人狼の一族は鼻がいい。千夜に俺の匂いをつけておかないと夫婦の契りを交わしていると信じさせることができないんだ。だからそなたに少々噛みつくなり、舐めるなりしないと」
「へ、ヘン、ヘンタイッ!!」

 千夜は盛大な悲鳴をあげた。朔が飛びかかってその口を押さえる。

「馬鹿者、黙れっ」

 ささやきで叱りつけた。
 朔は姿を見られたくないのだ。内密に偽装結婚の相談に来ているのだから。千夜の家はすぐそこ。娘の叫び声が聞こえたら誰かが様子を見に来るかもしれないじゃないか。
 モゴモゴ言う千夜を腕にかかえ、朔は鋭い視線をあたりに配った。人の動きはないか。村外れで助かった。

「んー、んー!」

 千夜の手が、朔の腕をペチペチ叩く。足がふらりとよろけた。ハッとして朔が拘束を解く。
 自由になった千夜は大きく息を吸い、咳込んだ。朔の手が背をさすってくれる。

「すまない、つい力が入った。苦しかったか」
「ちょっとだけ」

 千夜は胸を押さえながら、自分をのぞき込む朔を見上げた。すぐ近い瞳が千夜を案じているのがわかった。

(なによ……優しいところもあるのね)

 今のは乱暴でしたわけではなく、人の耳を警戒してのことだ。千夜が悲鳴をあげたから悪いのであって――、

(ううん、悲鳴ぐらいあげるわよね!?)

 悪くない。千夜は断じて悪くない。だって「舐める」なんて言われたのだから。思い出してパッと朔から体を離した。

「あの、その」

 千夜はうろたえていた。
 なんだろう、普通に夫婦になるより「かじる、舐める」の方が恥ずかしくないか? 耳が火照ってきた千夜なのだが、朔の方は大真面目だった。

「かじると言っても、傷になるほどは噛まない。たとえば……腕でも駄目か? 一族をごまかすため、これは飲み込んでもらわねば困るのだが」
「あ……う……だからぁ……」

 追い詰められますます真っ赤になる千夜のことが理解できず、朔は怪訝な目で見つめていた。なぜこんなに嫌がるのか。自分が人の世にうとい自覚はある。話の持っていき方を間違えたかと反省している朔だった。

(人と我らの感じ方の違いかもしれん。しかし……この娘、不思議といい匂いだった)

 それはさっき抱きしめて口をふさいだ時のこと。腕の中の千夜からは、なんとも甘くやわらかい香りがしたのだ。
 その千夜に、親しさの証として朔の匂いもつける。この上なく夫婦っぽくて良い案だと、朔は思っていた。