《放課後の約束、俺たちの隠れ家》
五時限目の予鈴が鳴る少し前。
賑やかな昼休み。
教室の中で私は自分の席に座って、
次の授業の教科書を机の上に並べていた。
ふと、右隣の席からガタッと
椅子が引かれる音がする。
部活の仲間たちと廊下で
大笑いしていた羽瀬くんが、
教室に戻ってきて自分の席に腰掛けたのだ。
ほんの少しだけ香る、
制服の洗剤の匂いと、彼のみずみずしい熱。
隣同士になってから一週間が経つというのに、
彼がすぐ隣に座るだけで、
私の心臓はいまだに
小さな緊張の音を立ててしまう。
羽瀬くんはカバンからノートを取り出すと、
ふと、窓の外のほうへと視線を向けた。
私たちの席は、三階の窓際の一番後ろ。
外の景色が一番よく見える特等席だ。
羽瀬くんが窓へと移動し、窓枠に肘を突いて、
頬杖をつきながらグラウンドの隅っこを
見下ろしたかと思うと、
パッと表情を明るくして、
私の方へと身体を少しだけ乗り出してきた。
「白石さん!」
また、クラスのざわざわに紛れるような、
低い声で名前を呼ばれた。
心臓がドキン、と跳ね上がって、
私は慌てて羽瀬くんの方を向いた。
二人の距離が、
肩が触れ合いそうなくらい近くなる。
「あ……。羽瀬くん、どうしたの?」
彼は窓の外を顎で小さくしゃくりながら、
私だけに聴こえる、内緒話をするような
少し掠れた声で言った。
「ほら、見てみ。今日もあのノラ猫、
備品倉庫の裏にいる。
相変わらずあそこのトタン屋根の上、
気に入ってんだな」
「え……? あ、本当だ……っ」
羽瀬くんに促されるようにして
窓の外を見下ろすと、
古い木造の備品倉庫の、
錆びついたトタン屋根の上に、
オレンジ色の小さな塊がぽつんと見えた。
ふっくらとした、あの茶トラのノラ猫だ。
五月の心地よい日だまりの中で、
丸くなって本当に気持ちよさそうに
眠っている。
「ふふ、またお昼寝してるね。可愛い……」
「な? あいつ、毎日あそこにいんのかな。
……白石さん、前にあいつがここで
静かにしてるの見てると落ち着くって
言ってたっしょ」
「あ……うん。
猫ちゃんかわいいし静かだから……」
席替えをして間もない頃、
私が彼にこぼした小さな本音。
クラスの人気者の羽瀬くんには
きっと理解できない暗い話だと思って、
すぐに後悔したのに、
彼はその言葉をちゃんと
覚えていてくれたのだ。
俯きかけた私の横顔を、
彼はすごく優しい、
温かい目で見つめていた。
「だからさ、今日の部活、
ちょっと早く終わる予定なんだ
……白石さん、今日の放課後、
あいつ近くで見に行ってみね?」
「え……っ? いっ、いっしょに……?」
私は驚きのあまり、
言葉を失って目を丸く見開いてしまった。
「誰も来ないし、
俺たちの秘密基地にしよーぜ。
——ど、行く?」
悪戯っぽくニカッと笑う、
あの太陽みたいな無敵の笑顔。
隣の席の遠い「憧れ」だったあの人が、
私の世界に一歩、
踏み込んできてくれたような気がした。
胸の奥が甘酸っぱく締め付けられて、
私は小さく、だけど勇気を振り絞って深く頷いた。
「……うん。いっしょに、行きたいです……っ」
「よっしゃ、約束な!
五時間目始まったら俺、
寝ないで頑張るわ(笑)」
その瞬間、キーンコーンカーンコーンと、
五時間目の始まりを告げるチャイムが
鳴り響いた。
先生が前方のドアから入ってくる。
琉生くんはパッと前を向いて
教科書を開いたけれど、
その口元はまだ嬉しそうに緩んだままだった。
自分のノートを見つめながら、
私の心臓は、
さっきの羽瀬くんの言葉の残響で、
いつまでもドクドクと
愛おしく暴れ狂っていた。
始まった授業。
先生が黒板にチョークを走らせる音すら、
今の私の耳には届かない。
(放課後、羽瀬くんと、二人きりで……っ)
その約束を頭の中で反映するだけで、
胸の奥が痛いくらいに熱くなる。
彼と同じ世界に行ける喜びと、
おしゃべりが苦手な私なんかで
大丈夫かなという大きな不安。
楽しみと、怖さが、
胸の中で交互に押し寄せて、
ノートの文字が全部ぼやけてしまうくらい、
私の頭の中は完全にパンクしていた。
熱くなった頬を両手で押さえながら、
私は窓の外をもう一度見下ろした。
トタン屋根の上では、
あの茶トラの猫がまだ手首を
ぐるぐると愛らしく回していた——。
