隣の席のキミとひみつの合図 ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~


【雨上がりの花火、繋いだ約束】
数日後の夜、地元の花火大会。


あの日以来、
二人は一通の連絡も交わしていなかった。


乃愛の様子が心配になり、
結衣とひまりは夏祭りに誘った。


二人に背中を押されて浴衣を着てみたものの、
お祭りの賑やかな声は乃愛の耳には届かない。


乃愛は、夏休み前に琉生が
淡いブルーの付箋で約束してくれた
『花火はあの河川敷の
大きな一本木の下で見よう』
という言葉を思い出していた。


喧嘩してしまったけれど、
やっぱり一緒に見たかったな。

ぼーっと歩いていてお祭りの中、
結衣たちとはぐれてしまっていたが、
自然と琉生との約束の場所へと
足が動いていた。


乃愛が空を見上げると、いつの間にか
頭上には厚い雲が広がっていた。


「私……何やってるんだろう……」


ぽつりと呟いた、その直後だった。


——ポツン。頬に冷たい雨粒が落ちた。


次の瞬間――。


大粒の雨が地面を叩きつけ、
視界が白く煙っていく。


急いであの木の下に避難した。
思ったよりも近かった。


激しい雨風は木の葉をすり抜けて、
乃愛の浴衣を濡らしていく。


だが、冷たい雨に打たれている方が、
自分の情けなさに泣きじゃくる声を
隠してくれる気がして、
乃愛はただ膝を抱えて小さくなっていた。


(大好きなのに、
困らせたいわけじゃないのに。
私、本当に可愛くないな……)


寒さと寂しさで身体をガタガタと震わせ、
涙を流す乃愛。


その時だった。


「乃愛……っ!」


激しい雨音を突き破って、
自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


恐る恐る顔を上げると、
雨のスクリーンの向こうから、
泥だらけになって必死に土手を
駆け上がってくる、
びしょ濡れの琉生の姿があった。


「っ……、琉生、くん……?」


声にするよりも早く、
琉生は泥を跳ね上げながら
乃愛の元へと滑り込んだ。


そして、冷え切った乃愛の身体を、
両腕でぎゅっと強く抱きしめた。


「ごめん……! ごめんな乃愛……っ。
俺、自分のことばっかで、
乃愛が寂しい思いしてるの、
全然気付けなくて……っ!」


雨の音に負けないように、
一生懸命に声を張り上げる琉生。


琉生もまた乃愛に会いたくて
一筋の希望をあの付箋の約束に託して
この場所に向かっていたのだ。


「邪魔なわけないだろ……!
毎日会いたくて、乃愛の顔見たくて、
それだけで俺、
きつい練習も頑張れてたんだよ。
勝手に一人でいなくなろうとするな……!」


「うん……っ、うん……!」


激しい夕立の中、
二人は泥だらけのまま、
お互いの存在を確かめ合うように
何度も強く抱きしめ合った。


言葉にできなかったすれ違いが、
雨の中でようやく一つに溶けていく。


その時、ズゥゥゥン……!
と、お腹の底に響くような
重い音が鳴り響いた。


びっくりして二人で顔を上げる。


夜空を遮る激しい雨のカーテンを
突き破って、ドカン!
と、信じられないほど鮮やかな
大輪の火花が夜空に咲き誇った。


雨はまだ凄く降っているのに、
花火の打ち上げが始まったのだ。


木の下をすり抜けて降ってくる雨粒が、
夜空の火花の光を反射して、
まるでダイヤモンドの粉が
二人の周りにきらきらと
降り注いでいるかのようだった。


服も濡れていて冷たいはずなのに、
琉生が乃愛の手をぎゅっと
握りしめてくれたから、
不思議とちっとも寒くなかった。


一発、また一発と花火が上がるたびに、
激しかった雨の勢いが
不思議と和らいでいく。


あんなに荒れていた黒い雲が、
嘘のように少しずつ薄れていって。


そして、ひときわ大きな金色の花火が
夜空を埋め尽くし、その光が
ゆっくりと消えていくのと同時に──。


ピタッと、雨が止んだ。


雨上がりの澄んだ空気の向こうから、
嘘のように鮮やかな満天の星空が
浮かび上がってくる。


先ほどまでの激しい雨風が嘘のようだった。


まるで、
すれ違っていた二人の心の曇り空を、
冷たい雨がきれいに洗い流して
くれたかのような静寂が、
河川敷の大きな一本木の下を包み込む。


琉生は、びしょ濡れのポケットから、
一枚のクシャクシャになった
紙切れを取り出した。


それは、あの日乃愛が図書室の机に
置き忘れてしまった、
ひまわり色の付箋だった。


「これ……」


乃愛が小さく息を呑む。


自分の筆箱の奥に、
誰にも見られないように
ひっそりと隠していたはずの宝物。


それが今、
琉生の少し大きな手のひらの上で、
星明かりを浴びて静かに光っていた。


琉生は濡れて破れそうになった付箋を、
壊れ物を扱うように慎重に、
ゆっくりと指先で広げていく。


水滴で少し滲んでしまった
乃愛の優しく綺麗な文字を、
愛おしそうにそっとなぞった。


そこに綴られていたのは、
内気な乃愛が胸の奥底に
ずっと溜め込んでいた、
嘘偽りのない純粋な恋心そのものだった。


『毎日遅くまで部活お疲れ様です。
がんばってる姿、ずっと応援してるよ。

夏休みの間、本当は会いたくて会いたくて
仕方なかったから……

今夜、大好きな琉生くんの隣で
一緒にきれいな花火を見られて、
本当に本当に嬉しいです。 乃愛』


まだお祭りが始まる前。


花火の日に渡そうと、
乃愛がひとりで書いた言葉。

『会いたくて仕方なかった』
その一文が琉生の胸の奥に何度も突き刺さる。


乃愛はずっと、
自分に会いたいという気持ちを抱えながら、
それを「部活の邪魔をしたくない」
という言葉に変えて、
一人で我慢していたのだ。


図書室であいつを傷つけ、
突き放すような冷たい苗字で
呼んでしまった自分が、
どれほど愚かだったかを思い知らされていた。


乃愛はこれほどの想いを胸に、
自分と過ごすはずだった今夜を
心待ちにしていたのだ。


「図書室でこれ見つけたときさ……」


琉生の声が、
静かな夜の空気に低く響いた。


「俺、自分の格好悪いところばっか気にして
乃愛がどれだけ俺のこと考えてくれてたか
全然分かってなかったなって
……本当に反省した。

こんなに真っ直ぐ想ってくれてるのに、
冷たくして、本当にごめん。……もう、
絶対に寂しい思いはさせないから」


星明かりに照らされた琉生の瞳が、
真っ直ぐに乃愛を見つめている。


そこには、「白石」と呼んだときの
冷たさはどこにもなかった。


「二学期が始まったらさ……
今度はちゃんとみんなの前で言うから。
乃愛は俺の彼女だって。絶対に約束する」


琉生はそう言うと、乃愛の目の前に、
右手の小指をそっと差し出した。


「琉生くん……うん、約束ね」


乃愛は涙を拭って小さく微笑みながら、
自分の小指を彼の小指にそっと絡ませた。


カチッと結ばれた二人の小指の向こうには、
雨上がりの満天の星空と、
遠くで優しく瞬く花火の残り火が、
まるで祝福の絵画のように広がっている。


「よし、約束な」


琉生が優しく微笑む。


結んでいた小指がゆっくりと、
名名残惜しそうに滑りながらほどけていく
──その瞬間、琉生は乃愛の右手を
下から包み込むようにして、
すべての指を深く深く絡ませた。


息が止まるほどの、力強い恋人繋ぎ。


繋いだ手のひらから伝わる温かい体温に、
二人の胸の真ん中がじんわりと熱くなる。


「うん……っ! ずっとずっと隣にいるね」


雨上がりの冷たい夜風が
二人の髪を優しく揺らし、
一本木の葉が擦れ合ってサワサワと
祝福の拍手のように鳴り響く。


星明かりと花火の淡い残り火に
照らされた世界で、
二人は繋いだ手のひらから伝わる
確かな体温を確かめ合うように、
何度も指をきゅっと握り直した。


涙の痕が残る頬を
ほんのり林檎色に染めた乃愛が、
弾けたような最高の泣き笑いを見せると、
琉生もまた、愛おしさを
噛みしめるように悪戯っぽく、
だけど誰よりも優しい不敵な笑顔を返す。


満天の星空が広がる
広大な河川敷の真ん中で、
しっかりと手を結び合って
笑い合う二人のシルエットは、
どんな暗闇も照らし出せるほど、
眩しく、そして固く結ばれていた。


離れていた時間が嘘のように、
二人の影がひとつに重なっていた。


これから先も、
きっと何度だって迷うことがある。


それでも今度は、
ちゃんと言葉にして伝えよう。


そんな想いを胸に、
二人は繋いだ手をそっと握り直した――。