《特別なお題、グラウンドの激走》
ダンスが終了し、
さらに熱気が増していくグラウンド。
他の学年の種目が終わり、
次に「ただいまより、
二年男子による借り物競争を行います」
とアナウンスが響く。
真っ白な体操服に
赤ハチマキをキリッと結んだ羽瀬くんが、
スタートラインに並んでいく。
その圧倒的な格好よさに、
一般生徒席や保護者席の女子たちから
黄色い歓声が上がっている。
クラス対抗ダンスが終わったあとも、
退場時に羽瀬くんから耳元で囁かれた
『まじで見惚れそうになった』
という言葉の熱が、私の胸の奥で
ずっと溶けずに残り続けていた。
右手首に結んだハチマキのリボンを
ぎゅっと握りしめながら、
私は一般生徒席の最前列で、
順番が回ってきたスタートラインに
立つ羽瀬くんの姿をハラハラと見つめていた。
「――位置について、よーい……ドン!」
パンッ!
と乾いたピストルの音が響き渡ると同時に、
羽瀬くんたちの塊が一斉に
爆発したように飛び出した。
サッカー部の副キャプテンらしい、
無駄のない美しいフォーム。
長い手脚をしなやかに弾ませて、
彼はあっという間にトラックの中央に
置かれた『小さなお題の箱』へと
一番乗りで滑り込んだ。
羽瀬くんは箱の中から、
付箋にそっくりな四角い
白い紙切れを一枚、シュッと引き抜いた。
走る勢いのまま、その紙を開いた瞬間――。
(あ、羽瀬くんが止まった……?)
いつもならどんな時でも
ひょうひょうとして、
スマートに笑っているはずの彼が、
その紙を見た瞬間に、
まるで時が止まったみたいに
ピタッと動きを止めた。
長い睫毛をパチパチと揺らし、
信じられないものを見たという風に
一瞬だけ目を見開いてフリーズしている。
お題に何が書かれているのかは分からない。
だけど、トラックの周囲を取り囲む
他クラスの女子たちが
「羽瀬くん、こっち!」
「私、何でも持ってるよ!」と、
一斉に手を振ってアピールを始めた。
それなのに、羽瀬くんは
その黄色い歓声を完全にスルーした。
彼は紙をギュッと握りしめると、
弾かれたように、一般生徒席の
最前列にいる私の方を
真っ直ぐに見据えたのだ。
ドクン、と私の心臓が
今日一番の大きさで跳ね上がる。
羽瀬くんは私を見つめたまま、
意を決意し、
地響きのような土煙を上げて、
私の元へと一直線に激走してきた。
「え……っ、わ、私……っ??」
パニックになって座席の後ろへと
縮こまろうとする私の両肩を、
隣にいた結衣とひまりが、
力強くパッと後ろから支えてくれた。
「乃愛、逃げちゃダメ!
行ってきなさいっ!」
「うん、乃愛。
羽瀬くんのあの専用センサー、
真っ直ぐ乃愛だけを捉えてるよ。
信じて走って!」
二人の親友の熱くて優しい応援が、
私の背中を力強く、
まっすぐに押し出す。
私が一歩前へ踏出すのと同時に、
羽瀬くんが全校生徒の目の前で、
私の目の前へと激しい砂煙を上げながら
急ブレーキをかけて滑り込んできた。
「――っ、はぁ、はぁ、白石さん……っ!」
息を切らせ、前髪から汗をきらきらと
輝かせた羽瀬くんが、
私の目の前に立ちはだかる。
少女漫画のヒーローみたいに
圧倒的に格好いい彼の姿に、
周囲の全校生徒たちが。
「えっ、羽瀬が白石さんのところに⁉」
「お題何なんだろ⁉」
と一斉にザワつき始めた。
「羽瀬くん……っ、でも、私、
お題が何か分からないよ……っ」
私がパニックになりながら、
手首のハチマキリボンを
胸元で握りしめる。
羽瀬くんは私の言葉を遮るようにして、
自分の大きくて温かい右手を、
私の目の前へと真っ直ぐに、
男らしく差し出してきた。
「いいから! 俺の隣は、
白石さんじゃなきゃだめなんだ。
……頼む、一緒に来て!」
「――っ、あ……」
胸の奥が、愛おしさと熱さで
張り裂けそうになる。
『俺の隣は、
白石さんじゃなきゃだめんだ!』
何千人もの全校生徒や先生、
保護者が見つめる、体育祭の大舞台。
付き合う前の、
名字で呼び合うじれったい学校の日常。
なのに、彼は誰の目も気にしないで、
私の手首のハチマキリボンの上から、
大きくて温かい手でギュッ!!
と優しくでも強い力で握りしめた。
手が繋がっているわけじゃない。
だけど、布越しに伝わってくる
彼の指先の熱と、
必死に走ってきた力強い鼓動が、
私の全身へと流れ込んできて、
私の足は自然と彼の隣へと
一歩を踏み出していた。
「……っ、うん、行く……っ!」
「よし、走るぞ!」
羽瀬くんが私の歩幅を気遣うように、
でも力強く私の腕を引いて、
二人並んでトラックへと飛び出した。
「キャー! 羽瀬くん頑張れーっ!」
と、私の隣の席だった結衣とひまりの
大興奮の悲鳴が聞こえてくる。
全校生徒の視線が、
走っている私たちに一斉に突き刺さる。
男子が苦手で、いつもクラスの
隅っこで縮こまっていた私。
そんな私が今、学校のヒーローである
羽瀬くんのすぐ隣で、
彼の温かい手に腕を引かれながら、
青空の下を、胸がいっぱいに
なりながら一緒に駆け抜けている。
ゴール手前、お題をチェックする検印係の
先生の前に二人の足が止まる。
「羽瀬、お題の紙を見せろ」
先生に言われ、羽瀬くんは
私が覗き込もうとするよりも早く、
長い指先でパッと紙の文字を
隠すようにして先生にだけ差し出した。
「はい、先生!
バッチリ合ってます!
早く判定してください!」
「……これ、本当にお前、
あ……いや、うん。そうだな、羽瀬。
完全に行き着くところに着いてるな。
合格! 行け!」
先生がニヤニヤしながら、
みんなにはお題は言わず、
手元のメガホンで
「二年二組、羽瀬、合格――っ!」と叫んだ。
「っしゃあ! 白石さん、行くぞ!」
羽瀬くんはそう叫ぶと、
再び私の腕を強く引き、
二人で一緒に真っ白なゴールテープを
一位で駆け抜けた。
わぁぁぁ――っ!!
と、グラウンド全体から
割れんばかりの大きな拍手と
大歓声が巻き起こる。
「はぁ、はぁ、
やった……一位、だね……っ」
私が体操服の胸元を押さえながら
息を切らしで見上げる。
羽瀬くんはポケットに
そのクシャクシャのお題の紙を
大切そうに仕舞い込みながら、
私を溶かしてしまいそうなくらい
本当に嬉しそうな、
最高の太陽みたいな笑顔を咲かせた。
「おう、白石さんのおかげで一位。
まじでありがとな」
「ううん……っ。
……あの、羽瀬くん、
お題、何が書いてあったの……?」
私がポニーテールを揺らしながら、
不思議そうに下から覗き込むと、
羽瀬くんはバッと動きを止めて、
一瞬で耳たぶまで真っ赤に染め上げた。
そして照れ隠しのために、
咄嗟に片手で口元を思いきり覆って、
視線をあちこちへと激しく泳がせた。
「……内緒。まじで今は言えねぇ」
「ええっ、いじわる……っ」
私が少しだけ唇を尖らせると、
羽瀬くんは顔を覆った手の隙間から、
もの凄く熱くて真っ直ぐな瞳で私を見つめ、
すぐ耳元で小さく囁いた。
「いじわるじゃねぇって。
……今日の夜、LINEで絶対に
教えてやるから。だから、
今はそれまで楽しみにしててよ」
「――っ、あ……」
夜のLINEの約束を現実のグラウンドで
届けてくれる彼の言葉が、
まぶしすぎて、愛おしすぎて。
「……じゃ、俺、列に戻らなきゃだから。
白石さんも、ちゃんと水分補給しろよ?」
「うん……っ。羽瀬くんも、頑張ってね」
羽瀬くんは照れくさそうに
自分の赤ハチマキの端を
きゅっと引っ張ると、
クラスの列へと戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、
私は自分の右手首に結ばれた
ハチマキのリボンをそっと胸元に引き寄せた。
「おーーーい! 乃愛ーーーっ!!」
すぐ後ろから、
文字通りすっ飛んできた結衣が、
私の背中に思いきり抱きついてきた。
「ひゃあ……っ、結衣⁉」
「ちょっと乃愛! 何あれ!
何あの少女漫画の最終回みたいな激走!
羽瀬くん
『俺の隣は白石さんじゃなきゃだめなんだ』
って全校生徒の前で叫んでたよ⁉
耳爆発するかと思った!」
「結衣、だから声が大きいですってば。
みんなこっち見てる……ふふ、でも乃愛、
本当に格好よかったね、羽瀬くん。
あの検印係の先生のニヤニヤした顔、見た?」
ひまりもすぐに合流して、
私の真っ赤になった両頬を、
冷たいスポーツドリンクのペットボトルで
優しく「ピトッ」と挟んで冷ましてくれる。
「あ、ありがとう、ひまり
……冷たくて気持ちいい……っ。
……でも、お題、本当に教えてくれなくて。
夜のLINEまで内緒だって、
羽瀬くんにいじわるされちゃった……っ」
私がパフパフと頬を手のひらで
仰ぎながら呟ると、
結衣とひまりは顔を見合わせて、
これ以上ないほど温かい、
優しい笑顔を咲かせた。
「いじわるなわけないじゃん!
2人だけの『内緒』を、
夜のLINEの特等席まで
大切に持って帰りたいだけでしょ?」
「うん。学校の中じゃ、まだ『白石さん』
って呼んで格好つけなきゃいけないからね。
羽瀬くんも、夜の画面の裏側で
乃愛にだけ答え合わせをする瞬間を、
今から待ちきれないんだよ。
……ね、結衣?」
「そうそう! だから乃愛、
今日の夜はスマホ握りしめて
覚悟しときなさいよー!」
二人の親友の頼もしすぎる、
そして愛おしすぎる言葉が、
私の胸の真ん中に熱く、深くしみ込んでいく。
男子が苦手で、いつもクラスの隅っこで
小さく縮こまっていた私。
そんな私が、何千人もの大歓声の中で、
大好きな人に腕を引かれて
ゴールテープを駆け抜けた。
私の右手首で揺れる赤ハチマキのリボンと、
彼のポケットの奥にある紙切れは、
誰にも言えない
秘密の特等席の熱を抱えたまま、
どこまでも深く、深く、繋がっていた——。
