隣の席のキミとひみつの合図   ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~


《青空のステージ、重ねたキミとの成果》
一歩校舎の外。


そこには吸い込まれそうなほど
真っ青で雲ひとつない
初夏のまばゆい青空が広がっていた。


五月下旬の爽やかな風が
グラウンドを吹き抜けて、
ハーフアップから結い直した
私のポニーテールの毛先を優しく揺らす。


「うわ、高二の体育祭まじで人ヤバいね。
緊張してきたかも……」


結衣が、全校生徒や保護者席で
埋め尽くされたスタンドを見上げて、
小さく息を呑んだ。


グラウンドの四方からは、
ブラスバンド部が演奏する
入場行進の華やかなマーチや、
応援団が打ち鳴らす和太鼓の
地響きのような音が、
お腹の真ん中にまでドクドクと響いてくる。


腕に結ばれたリボンの心地よい重みと、
そこに込められた羽瀬くんの言葉。


それを何度も確かめるように
そっと触れているうちに、
私の特別な朝は、あっという間に
熱を帯びた本番へと溶けていった。


「――ただいまより、
体育祭を開幕しますっ!!」


マイクのハウリング音と共に、
グラウンド中に響き渡った
ファンファーレの音。


五月の眩しい太陽の下、
割れんばかりの歓声が
青空へと突き抜けていく。


他学年の白熱した競技を見守り、
自分たちの学年種目である綱引きで
思いきり汗を流している間も、
私の意識はどこか上の空だった。


ふとした瞬間に、腕に結ばれたリボンの
心地よい重みへと手が伸びてしまう。


そこに書かれた
『一番カッコいいところ、見てて』という
彼の文字に触れるたび、
私の特別な朝は、
熱を帯びたままお昼前へと溶けていった。


『続いてのプログラムは、
二学年によるクラス対抗ダンスです――』


アナウンスが響き、心臓が跳ねる。


午前中の最後を締めくくる、
私たちの居残り練習の成果を
見せる時が来た。


「乃愛、次うちらの番だよ! いこっ!」


「うん……っ!」


結衣に手を引かれ、
私はグラウンドの中央へと一歩を踏み出す。


トラックの上には、
真っ白な体操服に身を包んだ
二年二組の生徒たちが一斉に整列している。


乃愛は手首の赤ハチマキのリボンを触り、
少し緊張した面持ちで
自分の列に立っていた。


隣の列を見ると、そこには羽瀬くんの姿。


赤いハチマキをきりりと
頭に巻いた羽瀬くんが、
私を見て、悪戯っぽく微笑んだ。


パン、パンーー。


大きなピストルの音が響き、
グラウンドの大きなスピーカーから、
アップテンポで爽やかな
ダンスナンバーが一斉に鳴り響いた。


体育祭の前半、プログラム第三種目。


クラス別で踊る『クラス対抗ダンス』
の本番がついに始まった。


『ワン、ツー、スリー、フォー……』


私は心の中で必死にカウントを数えながら、
真っ白な体操服の体を動かした。


朝、教室で自分の右手首に
丁寧にリボン結びにした、
真っ赤なハチマキが、
腕を動かすたびに風にさらさらと揺れている。


何千人もの大観衆に
見守られていると思うだけで
足がすくみそうだった。


けれど、右手首に残る
ハチマキの柔らかな感触が、
羽瀬くんとのぐるぐる合図を思い出し、
小さな勇気を与えてくれていた。


曲のテンポが速くなり、
いよいよ放課後の無人の教室で
必死に練習した、
あのサビのパートへと差し掛かる。


(左足を引いて……手は、胸の前……っ)


上履きとは違う、慣れない運動靴。


だけど、あの夕暮れの教室で、
羽瀬くんが後ろから私の体を優しく支えて、
私の開いていた指先の上に、
自分の大きな指を一本ずつ重ねて
教えてくれたあの感覚が、
今も指先に鮮明に残っている。


『こう。指先ちょっと丸めて、
カップ包むみたいにすんの。
……ほら、土曜日のカフェのとき、
俺にやらせたあの形』


すぐ耳元で聞こえた、
あの少しぶっきらぼうで
熱い彼の声を思い出しながら、
私は指先を少しだけ内側に丸めて、
手のひらの中に綺麗な丸い空間を
作るようにして、
丁寧に手を斜め上へと伸ばした。


その瞬間だった。


「――白石さん!」


音楽の雑音を突き抜けて、
すぐ隣の列から、あの低くて
大好きな声が私の名前を呼んだ。


ハッ、として踊りながら目線をずらすと、
二メートルほど離れた隣の列の最前列で、
誰よりもスマートに踊っている
羽瀬くんの姿が視界に飛び込んできた。


羽瀬くんは、
自分の完璧なダンスのステップを
一ミリも崩さないまま、
顔だけをすっと私の方へと向けた。


そして、私の指先の形
(あのカフェのカップの持ち方)
を見つめると、
私を溶かしてしまいそうなくらい
本当に嬉しそうな、
太陽みたいに眩しい笑顔を
パッと咲かせたのだ。


その、どこまでも真っ直ぐで
優しい笑顔を見た瞬間。


『白石さん、ちゃんと見てるよ』


彼が声には出さずに、その瞳だけで、
私にそう語りかけてくれているのが
はっきりと分かった。


放課後の教室で
『本番も自信持てって。
隣の列からずっと見ててやるから』
と言ってくれたあの約束。


それを、この広いグラウンドの真ん中で、
彼はちゃんと守ってくれている。


胸の奥がぎゅーっと熱くなって、
パニックになりそうだった心が
一気に温かい安心感で満たされていく。


私は踊るステップをそのままに、
心の中で、大好きな彼の笑顔に
向かってそっとお返事をした。


(――うん。
羽瀬くん、私も……私もちゃんと、
羽瀬くんのこと、見てるよ……っ)


お互いに交わした小さな笑顔のせいで、
この広い運動場の真ん中が、
一瞬で放課後のあの誰もいない教室と同じ、
二人だけの特別な特等席に
変わっていくのが分かった。


青空の下、
大歓声のグラウンドの中で、
私たちは誰にも内緒で、
目線だけでどこまでも深く、
深く、心の温度を繋ぎ合っていた。


やがて曲の最後の音が響き渡り、
ダンスが終了すると、
全校生徒や保護者席から割れんばかりの
大きな拍手が送られた。


「白石さん、お疲れ」


退場の列へ移動するどさくさに紛れて、
羽瀬くんが私の隣へすっと
歩幅を合わせて並んできた。


「……っ、羽瀬くん、お疲れ様」


私がハラハラしながら
周囲を気にしていると、
羽瀬くんは誰にも聞こえないような
小さな声で、
でも最高に誇らしげにふっと笑った。


「さっきのサビの形、まじで完璧。
めちゃくちゃ綺麗に踊れてんじゃん」


「本当……? 私、間違えないように
すっごく緊張しちゃって……っ」


「おう、百点。俺、隣でまじで
見惚れそうになったから」


「――っ、あ」


自分の席に戻るために列が
二つに分かれる直前、
羽瀬くんは耳たぶをほんのり
赤くしながら、ぶっきらぼうに
そう言い残して自分の列へと駆けていった。


ポニーテールを揺らしながら、
赤くなった自分の胸元を
ぎゅっと押さえる。


あんな風に、みんなの前で
さらりと特別に褒めてくれるなんて。


列に戻っていく彼の後ろ姿を、
愛おしそうに見つめている。


廊下での親友たちのハラハラを乗り越え、
グラウンドの熱気はさらに上昇していく——。