隣の席のキミとひみつの合図   ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~


《帰りの並木道、衝動の恋人繋ぎ》
夕方のカフェを出たあと、
駅へと続く静かな並木道。


空はすっかり美しい藍色に染まり、
街灯が優しく二人の足元を照らし始めている。


ハーフアップにした乃愛の髪が、
涼しい夕風に優しく揺れている。


カフェのテーブルでお互いの照れた顔を
写真に撮り合ってから、
私たちの周りの空気は、
朝の改札口のときよりもずっと、
熱くて甘いものに変わっていた。


羽瀬くんは歩きながら、
ジャケットのポケットから
自分のスマホを取り出して、
液晶画面をチラリと覗き込んだ。


その耳たぶが、
街灯の光に透けてほんのり赤い。


「……なぁ、白石さん」


「ん、なぁに?」


「これ、さっき白石さんが
おねだりしてから撮った俺のやつ。
……まじで俺、ダサい顔してんな。
恥ずかしすぎて今すぐ消したいんだけど」


羽瀬くんが少しぶっきらぼうに
画面をこちらに向けてくる。


そこには、
大きな手でココアのカップを包み込んで、
本気で照れくさそうにふっと
目を伏せている彼の姿が映っていた。


「ふふ、ダサくなんてないよ。
……私、すごくお気に入りだもん」


私が口元を袖で隠しながら小さく笑うと
「お気に入りとか言うなよ……」
と呟いて、慌ててスマホを
ポケットに仕舞い込んだ。


「じゃあ、俺が撮った白石のやつも、
まじで反則だからな?
コップを両手で持って
目ぎゅって瞑っちゃってさ……。
俺、これ家に帰ってからも絶対何回も見返すわ」
「ええっ⁉ み、見返すの……っ?」


「おう。消すわけねぇじゃん。
……っていうか、今日の白石さん、
まじでずっと可愛い」


「――っ、」


不意に真っ直ぐな瞳で見つめられて、
私の心臓がドクンと大きな音を
立てて跳ね上がった。

夕風が並木道を吹き抜けていく。


駅が見えてきて、
今日の楽しい時間がもうすぐ
終わってしまうことを実感した、その時。


私は胸の奥に灯った寂しさを
どうしても隠しきれなくなって、
足を止めた。


驚いて振り返った羽瀬くんに、
私はギュッとカバンの紐を握りしめながら、
夕日の光に紛れて精一杯の言葉を紡ぐ。


「……羽瀬くん」


「ん?」


「……今日一日、
羽瀬くんといられてすっごく楽しかったです。
……もう帰らなきゃいけないと思うと、
寂しいなって……。

また一緒にお出かけできたら嬉しいな、なんて」


恥ずかしさで顔がはち切れそうだったけれど、
今度は逃げずに、
彼の真っ直ぐな瞳を見つめて伝えた。


その瞬間、羽瀬くんの少し垂れた瞳が、
大きく見開かれた。


「っ……」


並木道を吹き抜ける風の音だけが、
二人の間に流れる。


羽瀬くんは信じられないものを
見たというように固まり、
それから、何かを必死に堪えるように
グッと奥歯を噛み締めた。


クラスの完璧な
ムードメーカーの仮面なんて、
私のこの一言でもう一欠片も
残っていなかった。


彼のなかの「我慢」の限界メーターは、
とうに消し飛んでいたのだ。


――そんな可愛いことを言われて、
耐えきれるわけがなかった。


「……白石さん、それ、本気で言ってる?」


低く、かすかに震える声。


次の瞬間、
羽瀬くんの大きな一歩が
二人の距離をゼロにした。


驚いて息を呑む私の右手を
ごっそりと包み込むようにして、
彼の大きな手のひらが重なる。


「あ……っ、羽瀬、くん……?」


驚く私を置き去りにしたまま、
羽瀬くんの長い指が、
私の指の隙間に迷いなく滑り込んできた。


隙間なくぴったりと合わさる、
熱くて力強い、恋人繋ぎ。


「……もう無理。俺、格好つけるの諦める」


そう言って私の手をぎゅっと強く
握りしめた羽瀬くんは、
顔を耳の後ろまで真っ赤に染めながら、
とっさにもう片方の左手で
自分の顔を覆い隠した。


「俺だって、めちゃくちゃ寂しい。
……白石さんが可愛すぎて、
今日ずっと、手繋ぎたかった……。

だから、駅に着くまで、
このまま歩いちゃ、だめ?」


覆った指の隙間から覗く彼の瞳は、
余裕なんてこれっぽっちもないくらい熱く、
潤んでいた。


彼の手が微かに震えているのが伝わってくる。


彼も私と同じように、
心臓が爆発しそうなくらい緊張しているんだ
と分かった瞬間。


私の胸の奥の愛おしさが、完全に溢れ出した。


繋いだ手を振り払うなんて、
できるわけがなかった。


「……だめ、じゃない、です。
私も……このまま、歩きたい、です……っ」


私は顔を真っ赤に染めたまま、
カバンを抱える手に力を込め、
蚊の鳴くような声でお返事をした。


そして、
彼の大きな手のひらに応えるように、
私の小さな指先にも、
そっと熱を込めて握りしめ返した。


羽瀬くんが、本当に嬉しそうに、
でも照れくさそうにふっと笑った。


乃愛もその大好きな笑顔が見れて
愛おしそうに優しく微笑む。


繋いだ手を、お互いの歩幅に合わせて、
ゆっくり、ゆっくりと揺らしながら歩く。


歩くスピードが自然とゆっくりになる。


駅の改札口までのわずかな道のりが、
永遠に続けばいいのにと本気で願うほどに、
愛おしくて、切なくて、
どうしようもない幸福感に包まれていた。




駅の大きな時計の下。


朝、ドキドキしながら待ち合わせをした
あの場所へと二人は戻ってきた。


並木道で初めて手を繋いで
歩いた温もりが残る中、
いよいよ別れの時間が近づいている。


周囲には、家路を急ぐ人々が
忙しなく行き交っている。


駅の自動改札機が見えてくるにつれて、
私たちの歩くスピードは、
どちらからともなく
どんどんゆっくりになっていった。


帰り道の並木道で、
羽瀬くんが私の右手を
ぎゅっと包み込んでくれた、
あの手のひらの熱。


改札口の少し手前で、
彼は名残惜しそうに、でも優しく、
そっと私の手を離した。


離れた瞬間に夕風が肌に触れて、
急に寂しさが胸の奥から
ツンと込み上げてくる。


「……じゃあ、俺、こっちの改札だから」


「うん。……今日は、
本当にありがとうございました」


私は寂しさを隠すように、
カバンを胸元で強く抱きしめた。


今日一日で重ねてきた
特別な時間のせいで、
このままバイバイしてしまうのが、
どうしようもないくらい寂しかった。


お互いに一歩が踏み出せなくて、
でもどうしようもないくらい
愛おしい沈黙が、
駅の賑やかな雑音の中で流れる。


羽瀬くんは照れ隠しのように
前髪をくしゃっとかき上げると、
いつもの学校で見せる爽やかな笑顔で、
でもどこか寂しそうに微笑んだ。


「まじで、今日ずっと楽しかったわ。
……じゃ、また月曜日、学校でな」


「うん……。また、月曜日」


羽瀬くんが、
じゃあな、と小さく手を振って
自動改札機の方へと歩き出した。


人混みの中に、
彼の黒いジャケットの後ろ姿が
少しずつ小さくなっていく。


(……この時間が、
ずっと終わらなければいいのに)


生まれて初めて知った、
誰かを特別に想うことの、
苦しくて、切なくて、
どうしようもないくらいの幸福感。


カバンの紐をぎゅっと握り締めながら、
私は、人混みの中に消えていく
男の子の後ろ姿を、
盗み見るようにしてそっと視界に焼き付けた。


羽瀬くんが切符を通して
改札の中へと入っていく。


寂しそうに見つめていると、
人混みの中で彼がふと立ち止まり、
私の方へ振り返る。


二人の視線が真っ直ぐに重なり合う。


改札に吸い込まれていく彼を、
諦めきれない気持ちで見つめていたら、
人混みの中で羽瀬くんが、
ピタッと足を止めた。


そして、溢れる人波の中で、
私の方を真っ直ぐに振り返ったのだ。


遠く離れた場所。


声なんて絶対に届かない、駅の喧騒のど真ん中。


だけど、私を一瞬で見つけ出して、
真っ直ぐに固定された。


――俺の専用センサー、
ちゃんとついてるから。


あの国語の時間に
彼がノートに書いてくれた言葉が、
胸の奥で、まばゆい光になって
リフレッシュされる。


羽瀬くんは、
周りの誰にも見えないように、
自分のお腹の前でそっと右手を止めた。


そして、手首を二回、優しく、
でも力強く、「ぐる、ぐる」と回してみせた。


――気をつけて帰れよ。
月曜日、待ってるからな。


「――っ」


声には出さない。


だけど、私たちにはこの指先の合図がある。


それだけで、
離れてしまったはずの二人の心が、
何倍もの熱さで深く、深く繋がっていく。


私は顔をぽっと赤く染めて頷きながら、
お腹の前で、小さく、優しく、
二回手首を「ぐる、ぐる」と回し返した。


――羽瀬くんも、気をつけてね。
また、月曜日。


それを見届けた羽瀬くんは、
世界で一番大好きな、
太陽みたいな笑顔をパッと咲かせると、
今度こそホームへと向かう
階段へと走っていった。


私の心臓のバクバクは、
彼が見えなくなったあとも、
駅のホームの明かりに照らされながら、
いつまでも、いつまでも
鳴り止んでくれなかった——。