隣の席のキミとひみつの合図   ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~


《路地裏のココア、お揃いのポーズ》
駅近くの裏通りにある、
こぢんまりとしたお洒落なカフェ。


アンティーク調の木製のドアを開けると、
カランコロンと静かなカウベルの音が響く。


店内は温かみのあるランプの光に包まれ、
淹れたての珈琲やココアの
甘い香りが漂っている。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
という店員さんの声に、
羽瀬くんは「あ、あっちの奥の席にしよっか」
と、大きな窓に面した居心地の良さそうな
テーブル席を指さした。


私の歩幅を気にしながら、
自然と窓際の内側の席へと促してくれる。


そのさりげない男の子らしさに、
私は座る前から心臓が
小さくトクンと跳ねていた。


カバンを椅子の横に置き、
お互いに向かい合って腰掛ける。


「……なんか、すげー落ち着く店だな。
颯人のやつ、たまには有能な
情報持ってくるじゃん」


羽瀬くんが店内を少し見渡し、
ホッとしたように口元を緩めた。


「うん……すごく素敵。高城くん、
こういう可愛いお店知ってるの、
なんだか意外だね」


「あいつ、お姉ちゃんが二人いるからさ。
こういうお店、無理やり連れてこられて
無駄に詳しいんだよ」


「ふふ、そうなんだ……」


想像したらなんだか可笑しくて、
私が口元を袖で隠してクスッと笑うと、
羽瀬くんはメニュー表を見つめたまま、
ふっと視線を優しく和らげた。


小さな木製のテーブルを挟んで、
すぐ目の前にある彼の私服姿。


昼間の図書館のときよりも、
ランプのオレンジ色の光のせいで、
彼の綺麗な顔立ちや少し癖のある
黒髪が何倍も大人びて見えた。


「あ、これ。颯人が言ってたココア。
……白石さんも、これでいい?」


「うん。私もココアにする」


羽瀬くんが店員さんを呼んで、
「温かいココア二つで」と注文を終える。


店員さんが下がって、
二人の間にまた静かな沈黙が流れた。


「……でも、羽瀬くんもすごいよね。
いつもクラスのみんなを笑顔にしてて、
サッカー部でも頼りにされてて」


「え、俺? いや、俺はただ
楽しいのが好きなだけで……。
でも、白石さんにそう言われるの、
なんか照れるけどめちゃくちゃ嬉しいわ。

……あ、そうだ。次のテスト、
白石さんに教えてもらった成果、
部活のやつらにも見せつけてやんねーとな」


「うん、応援してるね。
……あ、ココア、来ました」


「お待たせいたしました」と
店員さんが運んできたのは、
ふわふわのホイップが乗った温かいココア。


そして、そのお皿の横には、
小さな『猫の形をした可愛いクッキー』が
ちょこんと添えられていた。


「わあ……っ! 見て羽瀬くん、
猫ちゃんのクッキーがついてる!
すごく可愛い……っ」


予想外のサプライズに目を輝かせた私は、
クッキーをよく見て、
ハッと嬉しそうに声を上げた。


「……あ、これ、
学校の茶トラにちょっと似てない?
ほら、このちょっと丸っこい
フォルムとか……!」


琉生はクッキーと乃愛を交互に見て、
ふっと目を細める。


「あー、本当だ。
まじで茶トラにそっくりだな」


「うん。最初に教室の窓から見つけたとき、
羽瀬くんが『放課後、一緒に見に行こう』
って誘ってくれたよね。

あのときから、
私にとってすごく大事な猫ちゃんだから
……ここで出会えるなんて、
なんだか嬉しいな」


懐かしそうに、
そして本当に愛おしそうにパタパタと
目を輝かせて笑う私を見て、
向かい側の羽瀬くんが、
とっさに口元を左手で隠して、
顔を真っ赤にしながら「っ……」
と短く息を呑む気配がした。


「……うん。
……ヤバい、マジで可愛い……」


「え? クッキー、ですか?」


「……いや、クッキーも。
……あーもう、颯人にマジで感謝だわ」


自分の何気ない一言
(放課後、一緒に見に行こう)を、
乃愛が『すごく大事な思い出』として
ずっと大切に覚えていてくれたこと。


そして、そんな思い出を楽しそうに語る
乃愛の笑顔が可愛すぎること。


その二つの不意打ちに
完全にノックアウトされ、
羽瀬くんはキャパオーバーして
格好つけきれずに照れまくっていた。


窓の外を見ると夕日が街並みを
ゆっくりとオレンジ色から茜色へと
染め変えていくのが見える。


そうだ、昨日、
自分の部屋のベッドの上で何度も何度も
書き直してカバンに仕込んできた、
あの一枚の『桜色の付箋』を渡さなきゃ。


「……あの、羽瀬くん」


「ん?」


「これ……今日、
お出かけに誘ってくれたお礼、です。
……よかったら、読んで、ください……っ」


私は震える指先で、カバンの奥から
彼の大好きなサッカー雑誌の
切り抜きを取り出すと、
その端に貼られた桜色の付箋を、
机の上を滑らせるようにして
彼の目の前へと差し出した。


そこには、私の細い文字で、
精一杯の気持ちが残されていた。


羽瀬くんがそれを受け取り、
乃愛の綺麗な文字で書かれた
メッセージに目を落とす。


『今日はお出かけに誘ってくれて、
ありがとうございました。
羽瀬くんの私服、すっごく格好よかったです。
テスト勉強、一緒にできて嬉しかったです』


「——ッ」


読み終えた瞬間、
羽瀬くんの喉が小さく鳴った。


見る見るうちに、彼の頬が、
そして耳たぶまでが夕日以上の
赤さに染まっていく。


長い睫毛が夕暮れの光の中で
かすかに揺れている。


静かなカフェの中に、
私の心臓のバクバクという音が
響いてしまいそうなくらい、
もどかしくて愛おしい数秒間が流れてる。


「……白石さん、
対面でその付箋渡すの、
まじで心臓に良くないんだけど」


 羽瀬くんは片手で口元を覆い、
視線を斜め下へ逸らした。


もう片方の手で、
宝物を扱うようにその切り抜きを
カバンの中へと仕舞い込む。


「……俺、嬉しすぎてヤバい。
……白石さんの顔、まともに見れねぇ」


羽瀬くんの、少し低めの、
でも凄く真っ直ぐな声。


いつもクラスの真ん中で
余裕そうに見える彼が、
私の仕込んできた小さな付箋一枚で、
完全に言葉を詰まらせて
男の子の本音をぶつけてくれている。


胸の奥がジーンと痺れて、
今度は私がパニックになってしまった。

でも、隠しきれない嬉しさが
喉の奥まで込み上げてきて、
私は首を少しだけ傾げながら、
彼を優しく覗き込んだ。


「ふふ。……私の気持ち、
ちゃんと、羽瀬くんに届きましたか?」


学校の教室では
恥ずかしくて絶対に言えない、
私なりの精一杯の言葉。


それを聞いた瞬間、羽瀬くんは。


「――ッ」


再び言葉を失ったまま息を呑んで、
今度は顔全体を両手で覆ってしまった。


指の隙間から覗く耳たぶが、
一瞬で真っ赤に沸騰している。


「……届きすぎて、パンクしそう」


そんな彼の反応を見たら
急に恥ずかしくなってしまって、
私は大急ぎで温かいココアのカップを
両手で抱え、ぎゅっと目を伏せて
下を向いてしまった。


こんなリンゴみたいに真っ赤になった顔、
これ以上見られたら心臓がもたない。


「……なぁ。テスト終わってもさ、
またこうやって二人でどっか行こ。
俺、白石さんと色んなとこ行きたい」


さらに真っ赤になって縮こまる私を見て、
羽瀬くんが小さく焦ったような声を漏らした。


「あー、待って。今のまじで反則」


ポケットからスマホを取り出す
気配がしたのと同時に、
カシャ、と静かなシャッター音が響く。


「ちょっと、羽瀬くん……っ⁉」


慌てて顔を上げると、
羽瀬くんはスマホの画面を見つめたまま、
自分の顔まで赤くしていた。


「ごめん、白石さんの反応が可愛すぎて、
どうしても我慢できなかった。
……ほら、これ」


見せてくれた画面には、
夕日に照らされてカップを両手で持って
必死に目を伏せている、
自分でも見たことがないくらい
女の子らしい私の姿が映っていた。


恥ずかしくて小さく唇を尖らせながらも、
私は午前中の図書館での、
あの無防備に机に突っ伏して
眠っていた彼の姿を思い出した。


いつもドキドキさせられてばかりの彼に、
ほんの少しだけ背伸びをしたくなって、
私はカバンから自分のスマホを
両手でぎゅっと握りしめて構えた。


「……羽瀬くん、ずるいです。
私ばっかりそんな顔。……お返しに、
羽瀬くんも同じポーズしてください」


「え? 俺も?」


「はい。
羽瀬くんもそのカップを両手で持って
……目を伏せてください。
そしたら、おあいこです」


いつもならカメラを向けられたら
余裕でピースして笑えるはずの羽瀬くん。


私のおねだりを聞いた瞬間、
「まじかよ……」と呟くようにして、
急激に顔を赤くした。


観念したように、
大きな手でココアのカップをそっと包み込み
少し照れくさそうにふっと長い睫毛を伏せる。


いつも完璧な彼が見せる、
私の前だけでしか見せない、
少し不器用で愛おしい無防備な姿。


胸がきゅーっと苦しくなるほどの
愛おしさに包まれながら、
私は指先にそっと力を込めて、
静かにシャッターを切った。


——カシャ。


「……よし、これでおあいこです。ふふっ」


「……お前、まじで今日調子狂うわ。
……今の、絶対誰にも見せんなよ?」


羽瀬くんは顔を上げると、
前髪をくしゃくしゃとかき回しながら、
本当に照れくさそうに、
でも最高に優しい笑顔で私を
真っ直ぐに見つめてくれた。


私のスマホの中に、
世界で一番大好きな男の子の
『内緒の特等席』が、
また一つ新しく刻まれた瞬間だった。


夕風にカーテンが優しく揺れる中、
私たちは冷めかけたココアを飲みながら、
さっき撮ったお互いの不器用な写真を
何度も見せ合って、
何度もクスクスと声を殺して笑い合った。


学校の誰も知らない、
二人きりの特別な夕暮れの時間。


私たちの世界は、
もう誰にも邪魔できないほど甘く、
深く、確かに溶け合い始めていた——。