隣の席のキミとひみつの合図   ~強い絆と恋の付箋。どれだけ離れても、君にだけ届く想いがある~


《図書館の勉強会、ご褒美のお弁当》
照れ隠しで少し早足になる
羽瀬くんの後ろをおいかけて、
図書館にたどり着いた。


図書館の重い扉を羽瀬くんが
「どうぞ」と照れくさそうに
優しく開けてくれる。


市立図書館の静かな学習室。
高い天井から柔らかい光が降り注ぎ、
休日の静寂が部屋全体を包んでいる。


広い学習室の、
奥にぽつんと置かれた二人掛けの長机。


そこに並んで腰掛け、
カバンから参考書やワークを取り出す。


いつも学校の教室では、
すぐ右隣の席から「白石さん、ノート見せてー」
なんて気さくに話しかけてくる彼なのに。


今日は遮る机がないせいか、
お互いに少しだけ背中を硬くして、
前を向いたままそわそわと
手元を動かしていた。


「……あの、羽瀬くん。
どこから、お勉強始めますか?」


私が小さな声で話しかけると、
羽瀬くんは「あ、えっと……」と、
ジャケットの袖を気にするように
少し言葉を詰まらせた。


「じゃあ、この前の国語の
小テストの直しからやるわ。
……颯人のメモ、まじで有能だったんだけど
ここの古文の現代語訳だけ、
解説読んでもイマイチ意味分かんなくてさ」


そう言って、
羽瀬くんが少し声を潜めながら、
私のノートのほうへと自分のノートを
すっと近づけてきた。


彼が、すぐ真横から覗き込んでくる。


(……っ、近い、です……)


学校の制服姿とは違う、
少し大人っぽいジャケットの生地が、
ほんの少し動くだけで
私のカーディガンの袖と
擦れ合いそうになる。


すぐ横から伝わってくる彼の体温に、
私は急に心臓がバクバクと鳴り響いて、
ペンを握る指先がじんわりと
汗ばんでいくのを感じていた。


「……ここはね、
この主語が誰なのかを、
前の文章から見つけるのがポイントなんだよ。
……ほら、ここに『を』ってあるでしょ?」


私が緊張で震える指先で
ペンを動かして教えると、
羽瀬くんはノートをじっと見つめたまま、
「あー……なるほど、そういうことか」と、
小さく感心したように声を漏らした。


「教えるのマジで上手すぎ。
俺、学校の先生の授業の百倍くらい
すんなり頭に入ってくるんだけど」


「ふふ、そんなの、嘘ばっかりです……っ」


「嘘じゃねぇって。
まじで白石さんが先生なら、
俺、毎日居残りしてでも勉強するわ」


いつもクラスの中心にいて
完璧そうに見える彼が、私のすぐ横で、
少し首を傾げながらそんな風に
ストレートに私を褒めてくれる。


学校でのあの『教科書筆談』とは違う、
誰にも邪魔されない、
二人きりの特別な勉強の時間。


彼が真剣な目でワークを見つめて
シャープペンシルを動かしている
綺麗な横顔を、私は教科書の陰から、
息をするのも忘れるくらいそっと盗み見ていた。


「……よし、国語の直しはこれで完璧。
次、国語のワークやっつける。
また分からなくなったら教えて」


「うん、いいよ。
……羽瀬くん、すごく頑張ってて偉いね」


私が少しだけお姉さんぶって
クスッと笑うと、
羽瀬くんは「――ッ、」と声を詰まらせて、
慌ててシャープペンを握る手に力を込めた。


「偉いとか言うなよ……。
白石さんにそんなこと言われたら、俺、
次のテストまじで点数下げらんねぇじゃん」


前を向いてワーク開き始めながらも、
彼の耳たぶが、
午前中の爽やかな光の中で
ほんのり赤く染まっていくのが、
すぐ横からでもはっきりと見えた。


時計の針が規則正しい音を立てて進んでいく。


並んでシャープペンシルを
動かす二人の世界だけは、
誰にも邪魔されない優しくて
甘い特等席の空気で、
どこまでも満たされきっていた——。




午前中の二時間、
羽瀬くんは本当に集中して
私の教えた古文のワークを解いていた。


お昼のチャイムが鳴り、
「白石さん、
ちょっと外のベンチで飯にしない?」
と誘われて、私たちは図書館の裏手にある
小さなテラスへとやってきた。


爽やかな秋の風が吹く中、
羽瀬くんがカバンから
コンビニの袋を取り出す。


「白石さんは、お昼どうすんの?
途中でコンビニ寄ってねぇよな」


「あ……うん。
私はね、これ……持ってきたの」


私は緊張で心臓をバクバクさせながら、
カバンの奥から、
今朝早く起きて自分の家で何度も詰め直した、
タッパーを二人分取り出した。


「え……? 
これ、白石さんが作ってきてくれたの?」


「うん、羽瀬くんと一緒に
食べようかなって思って……。
よかったら……一緒に、食べませんか……?」


ほんのり桜色のトーンの巾着袋から
それを取り出すと、
羽瀬くんが長い睫毛をパチパチと揺らして、
驚いたように目を丸くした。


「……うわ、まじで⁉
これ、最高のご褒美じゃん!俺、
午前中の勉強がんばって本当によかった!」


男子にお弁当を差し出すなんて
人生で初めてで、
私の顔は一気に真っ赤に染まっていく。


「……まじ、嬉しい。ありがと!」


羽瀬くんはごくりと息を呑むと、
ゆっくりとタッパーの蓋を開けた。


中身は卵焼きと、
ちっちゃなタコさんウインナー、
それから彼が好きだって
部活のプロフに書いてあった唐揚げ。


「――ッ、うわ、やべぇ」


羽瀬くんはタッパーを見つめたまま、
一瞬で耳たぶまで真っ赤に染め上げると、
片手で口元を思いきり覆って視線を泳がせた。


「羽瀬くん……?
あ、もしかして苦手なの入ってた……っ?」


「違う! 違うって!
むしろ、その……嬉すぎて感動なんだけど。
お前、唐揚げとか
……俺の好物ばっかじゃん……」


羽瀬くんは覆っていた手をゆっくりと下ろし
「いただきます」と言って、
箸を持つ手が少し震えているのを
隠すようにして、唐揚げを一つ、口に運んだ。


「……どう、ですか?」


「……すげー美味い。
っていうか、今まで食った唐揚げの中で、
まじで一番美味いんだけど」


羽瀬くんが、
本当に嬉しそうな、
私を溶かしてしまいそうなくらい
優しい笑顔を咲かせた。


いつもクラスの女子たちから「格好いい」
って言われている彼が、
私の作ったお弁当をこんなに大事そうに、
美味しそうに食べてくれている。


その姿がたまらなく愛おしくて、
私は胸の奥がギューッと甘く締め付けられた。


「よかった……。
羽瀬くん、たくさん食べてね」


「おう。残すわけねぇじゃん、
これ全部俺のだからな。」


羽瀬くんはそう言って、
愛おしそうにタッパーの中を見つめた。


「……てかさ。
俺が唐揚げ好きなの、よく知ってたな」


「え……っ?」


不意を突かれて、
私は持っていたお箸をピタッと止めた。


「だって、部活のプロフのプリント、
学活の授業の時に書いてたやつだろ?

あんとき俺のプリントの裏に
『小テストの範囲ここだよ』って
付箋貼ってくれたじゃん。
……あのとき、プロフの好物の欄、見えた?」


(――っ、見られてた……っ!)


心臓がトクンと大きく跳ねる。


そう、中間テストの前、
彼に少しでも点数を取ってほしくて
付箋を貼ったとき、彼が書いた
『好きな食べ物:唐揚げ(おかんのやつ)』
という男の子らしい文字が
どうしても目に入ってしまって、
胸の奥にずっと大切に閉じ込めていたのだ。


「あ……う、うん。
その、たまたま、目に入っちゃって……。
ごめんなさい、勝手に見ちゃって……」


恥ずかしさでまた下を向いて
縮こまる私を見て、
羽瀬くんは「なんで謝るんだよ」と、
本当に嬉しそうにクスクスと
声を殺して笑った。


「謝ることねぇだろ。
むしろ、そんな前のこと覚えてて、
今日わざわざ作ってきてくれたんだって
思ったら……俺、まじで今、
嬉しすぎてどうにかなりそうなんだけど」


羽瀬くんはそう言うと、
少し照れくさそうに自分の
黒いジャケットの襟元をパタパタと仰いだ。


「……おかんの唐揚げより、
白石さんのやつの方が、何倍も美味いわ」


「ふふ、お母さんに怒られちゃうよ?」


「まじで秘密な。……あ、」


そう言って、
嬉しそうに今度は卵焼きに箸を伸ばした
羽瀬くんだったけれど、
あまりにも緊張して手が震えていたせいか、
ツルッと箸を滑らせて、
卵焼きをお弁当の隅っこで
派手に転がしてしまった。


「……あ」


「あ……っ」


綺麗に巻いたはずの卵焼きが、
タッパーの端っこでゴロゴロと転がって、
少し形が崩れてしまっている。


羽瀬くんは「あ、やべ……っ」と
硬直したあと、耳たぶまで真っ赤にして
慌ててそれを口に放り込んだ。


「ごめん!
せっかく綺麗に作ってくれたのに……っ。
いや、なんか、まじで美味そうすぎて
箸が滑っただけだからな⁉」


サッカー部の副キャプテンでいつも
運動神経抜群でスマートなはずの彼が、
私の卵焼きを前にして、
小学生みたいに分かりやすく
焦って言い訳をしている。


その姿がなんだかすごくおかしくて、
愛おしくて、私は口元を袖で隠しながら、
ふふっ、と小さく笑ってしまった。


「う……笑うなよ。
俺、今日まじで調子狂うわ……」


羽瀬くんは照れ隠しに、
自分の持ってきたおにぎりを
大急ぎで口に放り込むと、
そのまま前を向いてモグモグと動かし始めた。


学校の教室の隣の席では、
いつも私をドキドキさせてばかりの彼なのに。


この静かなテラスのベンチの上では、
私の作ったお弁当一つで、
こんなに不器用になって
男の子らしく照れてくれる。


木漏れ日の中で
並んで卵焼きを食べる
私たちの周りだけは、
世界で一番甘くて優しい、
二人だけの特等席の空気で
満たされきっていた——。