元皇帝、二度目は悪徳辺境伯

 ゼブラが通路の脇に消えた刹那、背筋が泡立つ。
 殺気こそないが、鋭い刺すような視線は只者じゃあない。恐るべきことに視線の主は意図して俺に気が付かせるまで、まるで気配を感じなかったことだ。いつからいた? ゼブラと会話していたころからつけていたのか?
 正面きってやり合うとなれば、それなりの覚悟がいる相手だ。できれば、このまま戦わずに切り抜けたいところだが。
 相手の予想はついている。そう何人もこれほどの者がいるわけがないからな。
 視線は右斜め後方から。振り返らず前を向いたまま落ち着いた声で問いかける。
「闘技場からつけてきたのか?」
「そいつは想像に任せるぜ。俺はそんなに暇じゃねえがな」
「面白い奴だ」
「そうかねえ」
 声の主だとて黒仮面のことは知っているだろうにまるで緊張した様子もなく、まるで散歩にでも行くかのよう。
 人を食った態度に辟易するどころか逆に好感を覚えた。肝が据わっている者は得難い人材だ。単に俺など歯牙にもかけないほどの強さを保持しているだけなのかもしれんが、立ち振る舞いから俺と互角以上と見ているものの大きく実力が離れているとは思えない。
 ゆっくりと踵を返し声の主と対峙する。
 声の主は思った通り闘技場で俺に視線を送っていた男だった。
 男の背丈は俺と同じくらい。ボロボロの黒シャツの上から裾が擦り切れた外套を羽織っている。ズボンまで黒なのは彼もまた裏社会の人間であることを如実に示していた。外套で隠れているため、体格をハッキリと確認できないが、筋骨隆々のゴツイ感じには見えない。敏捷性を重視した痩せたタイプと見た。
 こいつは闘技場で俺の戦う様子を見ていたことから闘士だと思っていたが異なるのか?  闘士ならば黒ずくめの衣装はともかく外套まで羽織るなんてことはしないと思うのだ。体躯からしても、暗殺者や密偵なのかもな。
 彼が闘士だろうが密偵だろうがどちらでも構わない。
 仲間に誘うことができる人物かどうか見極めてやる。
「噂の黒仮面卿。宵闇はまだまだこれからだぜ」
「なんだ、俺と談笑したかったのか。いい飲み屋なら知っている」
「そいつは是非とも誘っていただきたいね」
 くく、と笑いつつ外套をドサリとその場で落とす男。続いて、鞘に納められたままの剣をこちらに投げる。
 一方の俺は視線を男から外すことはなく、地面にある剣には目も向けていない。拾おうとしたところをバサリといかれることもある。警戒すべき男と対峙し、油断するなどもってのほかだ。
「そいつは刃引きのなまくらだ。片手剣は使わねえんだったか?」
「俺が扱うに小さいな。片手剣にしてももう少し大振りなものが好みだ」
「木剣もあんなもんだろ。そいつじゃあ、実力を発揮できねえんじゃあ仕方ねえ」
「誰がそのようなことを言った」
 ククククク、という奴の低く唸るような笑い声につられ、俺も同じように笑う。
 笑い声が止まると急に男の顔が真剣なものとなって、腰から片手剣を引き抜く。剣は刃引きされたもので、お世辞にも品質が良いものではない。
 続いて男は剣を水平に構え、反対の手で剣の柄を弾き、もう一方の手で柄を握り直す。握り直した時、剣が垂直の位置になっていた。
 こ、これはまさか……。
「我が名はフクロウ。黒仮面に試合を申し込む」
 男――フクロウが名乗りをあげる。
 こいつは統一帝国流の正々堂々試合を申し込む時にされる儀式だ。試合ではなく一騎打ちの場合は、剣を垂直に向けず一騎打ちの申し込みをする。
 おもしろい。ならば、受けよう。
 地面に転がった剣を拾い、引き抜く。
 剣を水平に構え、手首を返し垂直に向ける。
「随分と行儀が悪い申し込みだな。まるで……いや、試合を受けよう。我が名は黒仮面。いざ尋常に」
 まるで前世の悪友のようだ、と言いかけ言葉を飲み込む。
「クク、お前さんはお前さんで教本みたいな所作だな。ちったあ自分を出しやがれ」
 悪態をつきつつも、フクロウが一歩前に出る。彼に続き俺も一歩前に。交互に歩を進めお互い剣を前に突き出し、剣が届く距離になったところで剣を打ち付けあい、大股で十五歩下がった。
 試合に至るまでのやり方も統一帝国時代のものと寸分狂いなく実行する。あの男……一体何者なのだ?
 統一帝国時代の風習などこの街には残っていないし、元々学問には積極的でなかったフェンブレン辺境伯領はヨハンの治世になってから加速度的に廃れている。彼が統一帝国式のやり方を完全に再現できる資料なんて入手不可能だ。
 王都か隣国の主要都市から取り寄せた? わざわざ試合のやり方を知るために膨大な資金を投じるなんてこと、この男に限ってあり得ないだろ。
 思考を巡らせつつも、剣を天に突き上げ構える。
 対するフクロウも同じように剣を上にやってから降ろす。構えはなく、自然体で腕を下へ伸ばしたまま剣をブランブランと揺らしていた。
「構えたら始めるぞ」
「これが俺の構えだ」
 あのふざけた構え。構え方まで『あいつ』そっくりじゃないか。
 当初浮かんだ感情は前世の悪友を侮辱された怒り。しかし、怒りはすぐに疑問に変わる。
 『あいつ』と同じならこれを受けてみろ。
 大きく息を吸い込み、止める。無呼吸のまま、一息に懐へ潜り込み低い体勢から剣を切り上げる。
「ほお」
 対するフクロウは倒れ込みそうなほど膝から頭の先まで後ろに傾け剣の一閃を躱す。
 続いて膝のバネだけで上体を戻すだけでなく、剣を持った方の腕を鞭のようにしならせ横へ剣を薙ぐ。
 剣は正確に俺の首に狙いを定めていた。
 その動きを読んでいた、いや、期待していた俺は既に剣を構えており奴の剣を受け止める。
 キイイイイン。
 金属と金属を打ち合わせた澄んだ音が響き、お互いに距離を取った。
 疑問が歓喜に変わる。
 奴もまたにいいいっと口角をあげトントンと剣の腹を手のひらに打ち付けていた。
「おもしれえ。なら、こいつはどうだ」
「ふん」
 無造作に一歩踏み出したかと思ったら、目と鼻の先に奴の姿が。僅か一歩で目の前に来るなどあり得ない、と虚をつかれ倒れた戦士は数知れず。あれは見る者の感覚に歪みを与える縮地という技術だ。
 『あいつ』との腕比べで何度これにやられたことか。だが、もはや誤魔化されん。
 キイイイイン。
 再びの剣と剣が打ち付け合う音。
 この隙に右足で蹴りを入れるが、バックステップで躱される。
「さすがに騙されねえか」
「今度は俺から行くぞ」
 次の俺の攻撃もまた奴に読まれており、三度距離を取ることとなった。
「ククク。お次は俺から行くぜ、『グル・カン』」
「はは。ジャダラン族の剣術は最強なんだ」
「言ってろ。俺の方が勝ち数が多いだろうが」
「最初だけな。我流の『メルキト』の動きに戸惑っただけだ」
 お互いに名乗りを上げた名と異なる名を呼ぶも、否はない。
 あの動き、人を食ったような態度、そして、減らず口。あの男は前世の我が悪友メルキト・アシン以外あり得ない。
 そして、フクロウもまた俺のことをグル・カンであると確信している。
 しばらく遊びに夢中な子供のように剣を打ち付け合い、試合は引き分けで終わった。
「はあはあ……こんなもんで勘弁してやる」
「お前さん、体がなまってんじゃねえのか」
「そいつは否定できない」
「珍しく素直じゃねえか」
 フクロウが壁に背を預け座り込む。俺もまた彼の隣に座り、息を整える。
「フクロウ……いやメルキト。お前も死んで前世の記憶を取り戻したのか?」
「前世、ああ、そんな考え方もあるのか。まさか、やんごとなき人がグル・カンだったとは驚きだぜ」
 黒仮面でストリートキッズたち以外にも資金を回していたり、と忙しなく動いていたからな。
 それが噂になり、黒仮面はとある貴族の忘れ形見であるとか、実は王族なのではないか、とか豊富な資金と立ち振る舞いを理由に噂されたいた。俺としても利になることだったので、噂を否定せず、逆に噂が広がるように動いている。
「メルキトは闘士をやっているのか?」
「いんや。細々と暮らしているぜ」
 首を振って否定したメルキトの目がすううっと細くなった。
「んで、辺境伯様として、何をするつもりだ?」
「バレないよう振舞っていたつもりだったが……」
「心配すんな。お前さんの抱えているメイドと俺以外には漏れてねえさ」
「メルキトだから見抜かれたと思っておくよ。お前、今は情報屋か何かか?」
 否定せず、さあな、を首を回すメルキトである。
 怪しげな情報屋フクロウってのが今のメルキトの生業か。
 まさか、今世でかつての悪友に出会えるとは思っていなかった。彼がメルキトならば、迷いなどない。
「メルキト、頼みがあるんだが」
「いいぜ」
「まだ何も言ってないだろうが」
「言わずとも分かる。ここではなんだ。アジトはねえのか?」
 そうだな、路地裏のスラムで人通りがほぼ無いが外は外。壁の向こうで誰が聞き耳立てているかも見えない。
「いくつかセカンドハウスがある。行こうか」
「おう」
 今いる場所、時間を噛みすると四番下がいいか。残念ながら酒類は置いてないがね。