元皇帝、二度目は悪徳辺境伯

 黒仮面として行動をはじめ早くも一か月が経とうとしている。
 夜の街を歩いてすぐ分かったことだが、フェンブレン辺境伯領の領都フェンブレンは魔都といって差支えない状態になっていた。
 街のおよそ7割が裏社会の支配下になっている体たらくである。警備は行き届かず、夜の街は極一部を除き無法地帯となるのだ。
 違法ギャンブル、人身売買、偽札、裏社会同士の抗争など定番のものから、領都の管理下にない隠れ作物の流通などなんでもござれとなっている。
 街の中で最も大きな面積を占めるのがスラムだ。老朽化して打ち捨てられた廃屋、日中でも太陽の光が届かぬジメジメしたゴミ山、大通りを一歩入れば大なり小なりこういったスラムがある。スラムにはゴミの中で老人が横たわり、ストリートキッズらが盗品の成果を自慢し合っていた。
 対する宮廷は完全に放置するだけじゃなく、裏社会から賄賂まで受け取っている始末。これじゃあ、腐敗が進むばかりで街の発展など望むべくもない。
 だが、現状を憂いて何になる? 一歩でもいい、行動を起こさねば進むものも進まん。
「黒仮面殿、出番だ」
「もう出番か」
 そんな俺が目を付けたのは裏闘技場である。俺は闘技場の出場者として、控室で出番を待っているところだった。
 ガシャン、ガシャン。
 暗い回廊に鎧の擦れる音だけが響く。
「現在十連勝中の黒仮面! 入場だああああ」
 場を盛り上げる狂言回しの絶叫に歓声が沸き上がる。
 ワアアアアアア。
 簡素な木材で組み上げた円形の闘技場にびっしりと人が詰めかけている。皆、握りしめた木片を振り回しながら声を張り上げていた。木片はどちらが勝つかの賭け事に使うもので、赤色の線が入った木片が俺に。青色の線が入ったものが対戦者に賭けているってな具合だ。
 入場し木剣を掲げると一際大きな歓声が起こる。
「対するは35戦34勝、一引き分けのパワーファイター。ザガロだあああああ!」
 ワアアアアア。
 ザガロ、ザガロと彼の名を絶叫する観戦者たち。
 対戦相手ザガロは筋骨隆々な2メートル近くもある大男で丸太のようなこん棒を握りしめていた。
 裸の上半身で胸を叩き、観戦者にアピールをしている。
「現在、経験豊富なサガロが七対三で優勢と出ているが、果たしてどうだ」
 経験豊富? たった35戦で何を言ってるんだか。
 ザガロの立ち振る舞いを見ている限り、街の喧嘩自慢程度の圧しか感じない。
 真の手練れは得も言われぬオーラのようなものを持っているものだ。
 その時、背筋にひやりとしたものが流れる。
 観戦者席の前から二列目、視線だけで只者ではないと告げていた。
 ブオン。
 観戦者席に注目していたらこん棒が振り下ろされ、上半身を逸らし回避する。
 ブオンブオン。
 続いて二撃、三撃とこん棒が振り回されるが、分かりやすすぎる軌道を難なく躱す。
 打撃が途切れたところで首元へ突きを入れ、寸でのところで止める。
「勝負あり! 勝者、黒仮面!」
 狂言回しの宣言に歓声と怒号が入り混じった。言うまでもないが赤色の木片を持っている者が歓声をあげている。
 右手をあげ歓声に応じつつも、意識は先ほどの視線を探していた。
「いないか……」
 あれほどの実力者ならばいずれ闘技場で相まみえることとなるだろう。その時まで楽しみに待つとするか。
 俺は別に戦闘が好きというわけではない。闘技場で戦うこと自体に何ら楽しみなど覚えていないのだ。充実感はあるがね。
 闘技場で闘士として出場しているのにはもちろん理由がある。
 闘技場は自らの身一つで賞金を稼ぐことができ、裏社会へ顔を売るもっとも手っ取り早い手段なのだ。
 連戦連勝、実力者だと認められれば闘士の姿を模した木版が飛ぶように売れる。道行く人からも注目され、そして、各裏組織からの接触もあるんだ。
 闘技場は裏社会で類を見ないほど人気の競技で、常に満席、人気の闘士が出場するとなると席を巡って血みどろの争いになるほど。
 幸い、ヨハンは自らの肉体美に拘りを持っていたため、多少動くことができる体をしていた。もっとも、ヨハンの体では見た目こそ及第点なのかもしれないが、戦うには不足も不足だったのだ……。ここ一か月で肉体は以前より多少マシになってきた。
 前世グル・カンは一対一の闘いに決して強いわけではなかったものの、平和なこの時代の喧嘩自慢相手なら鈍った体でも必要十分だったのだよ。ちゃんとした剣術を学んでいないから強くないのは当然だって? そのようなことは決してない。師の元で剣術を学ばずとも、幾度となく戦場を生き抜いた歴戦の勇士は強いからな。今の俺では敵わないだろうさ。肉体が仕上がったらいい勝負ができると思うがね。
 それにしても、闘士の様子を何度か観戦し、行けそうだと思って参加を決意し正解だった。こうして名声を得つつあるのだから。
 
 闘技場の熱は空が白み出すまで続く。だが、観戦だけでなく闘士も開始から終了までいる必要はない。
 闘士は自分の出場する直前に控室に入っていればよいし、終われば即闘技場を後にしても咎められることはないのだ。
 新たな闘士が出場するとなると、観戦していたこともあったが優先度の兼ね合いから今は行っていない。
 闘士になるまでは三日ほど最初から最後まで観戦していたことが昨日のことのようだ。
 当初は闘士のレベルを見るため、その後、仲間に引き込めそうな者がいないか探ったりしていた。
 結果は芳しいものではなく、現時点で闘士から仲間にできた者はいない。
 実力はともかく、信頼に足る者がなかなかいないのだよ。腕一本で身を立てようとする気概は買うが、一本通った芯がない。
 別に高潔なものでなくていいのだ。俺は金が全て、なんて者でも芯があればいい。
 などと、これまでのことを振り返りながら、夜のスラム街を歩く。
 まだほんの一部であるが、スラムの様子も変わってきている。スラムの華、ストリートキッズたちの喧嘩や盗品自慢の姿を見なくなったのだ。繰り返しとなるが、ほんの一部だがね。
 静かになったものだ。俺の出す鎧の擦れる音がよく聞こえる。
 ガシャンガシャンという無機質な音を聞きつけたのか、髪色が黒と白の縦縞の少年が息を切らせこちらに駆けてきた。
 確か彼は13歳だと聞いている。彼もまたストリートキッズで、この辺りの少年少女たちのリーダーをやっているだけに大人と変わらぬほどしっかりした少年だ。
 少年は尻尾がついていたら千切れんばかりに振っているだろうな、と思わせるほど嬉しそうに元気よく声を張りあげる。
「黒仮面の兄貴!」
「ゼブラか。全員食えているか?」
「おう、兄貴のおかげだよ!」
「俺はきっかけを作っただけだ」
 スラムでくすぶっているストリートキッズの多くは血みどろの争いも盗みもやりたくてやっているわけではない。
 生きていくために犯罪行為に手を染めねばならぬだけなのだ。
 そこで、ヨハンの女遊びの無駄金と闘技場での賞金を使って彼らを支援し、布作りの仕事を与えた。決して高い賃金ではないが、食べていけるくらいはある。
「ほら、見てくれよこれ」
「よくできてるじゃないか、と言いたいところだが、暗くてよく分からん」
「あはは」
「ま、破れてなきゃいい」
 笑い合いながらゼブラの頭を撫でる。分厚い手袋だから痛かったかもしれん。
 対するゼブラは猫のように目を細めていた。
「ゼブラ、君がいてこそ仕事も意味を成した。これからも頼む」
「兄貴、オレはきっかけを作っただけだよ。みんなが頑張ってるからだぜ」
「こいつ、俺の真似をしたな」
「あははは」
 コツンと拳を突き合わせ、ゼブラと別れる。
 ゼブラを褒めたのは本心からだ。彼がこの一帯のストリートキッズをまとめ、組織化してくれたことにより仕事も意味を成す。
 布一つ作るにしても仕入れから納品まで組織だって動くことができるのと、個人でやるのは成果が天と地ほど違う。
 最も大きいのは教育面だな。仕事を覚えた者が他の者へ教える体制ができているから、短期間でそれなりの人数になるまで急成長することができた。一人一人俺が関わって行くわけにはいかないからな。