元皇帝、二度目は悪徳辺境伯

「そんな運命はクソくらえだ。俺が俺になった限り、不幸な運命を必ずや変えてみせる。俺の野望に君の助力が欲しいというわけさ」
「私など、お力になれることがあるのでしょうか……」
「数えきれないほどあるさ。一年後、結婚に向けたお披露目会がある。お披露目会が終われば、二か月以内に婚姻の儀だ。それまで俺は外では以前のヨハンを演じる」
「聡明なヨハン様であれば、官吏や貴族の方も考えを改めてくださるのでは……」
「それも一つのやり方だ。悩んだ結果、ヨハンを演じた方が成功率が高いと判断した」
 ヨハンが心を入れ替え、治世に大ナタを振るい始めた。内政改革が進み、辺境伯領が急速に立て直されつつある。
 ヨハンの評価が変わり、暗愚ではなく名君としての評価を得た。領土は安泰、誰も辺境伯領へ手を出してこない。
 と理想的な展開に持って行く前に片づけるべき課題があり過ぎる。間者どもも一人や二人ではなく、俺がまともになったという噂が広がったら、アンダルシア公爵家が動きを変え芽が出る前に叩き潰す方向に動く可能性が低くはない。国家間の密約の利益次第だが。
 ならば、公爵令嬢との婚姻の儀までは手を出してこないことを逆手に取り、暗愚であるヨハンとして振舞い水面下で下地を整えれるだけ整えようってわけだ。
「……ヨハン様の深いお考え、ようやく理解できました」
「密約の事実確認次第でやり方を変えるかもしれないがね」
「私はヨハン様の手となり、目となる役目を担えばよいのでしょうか?」
「キアーラは聡明だな。読み書きと計算もできるように学んでもらう」
 神妙な顔で頷くキアーラ。読み書きと計算ができるなら、護身術と周辺諸国や事務作業の知識をと思ったが、後回しだな。
「読み書きと計算まで……本当に感謝いたします」
「周囲の目もあるから、メイドとして装う。その点は我慢してくれ。じゃあ、さっそく文字からやろうか」
「ヨハン様自らなんて、畏れ多いです……」
「他に秘密を共有できる者がいないから我慢してくれ」
 開けっ広げに頼る者がいない、というのは明らかな悪手だ。しかし、俺の思い丈を素直にぶつけたいと思った。
 既に彼女とは毒食わば皿までになっているからというのもあるが、彼女とは不思議と弱みを見せることに対し抵抗を抱かない。
 まだ出会ったばかりだというのに奇妙なものだ。
 そうそう、馬車の男とのやり取りの後、彼女が差し出そうとした指輪のことを覚えているだろうか?
 あの古ぼけた指輪は統一帝国時代の意匠が施されていたんだよ。ヨハンの読まされていた書物によると統一帝国が滅びもう300年にもなるのだから、長く彼女の一族に受け継がれていたのかもな?
 弱みを見せることに対し抵抗を抱かなかったのも、彼女から懐かしい指輪を見せてもらっただから……いや、それはないか。
「よし」
 ポンと膝を叩き立ち上がる。俺の動きに彼女が慌てた様子で席を立つ。 
「そのまま座っていてくれてよいのだが」 
 文机にしまい込んだままだったパピルスとペンを出して、真後ろに来ていたキアーラにまとめて手渡す。
「ずっと使われず埃を被っていたものだ。存分に使おうじゃないか」
「紙は非常に高価なもので……私などに勿体ないです」
「ふむ。チョークも用意するか」
「……?」
 チョークと黒板ならば、消すことができる。俺が考えをまとめたりするときに便利だ。パピルスだと書いたものは消せず、残ってしまうからな。
「そういえば、ここへ行くようにメイド長に言われたのか?」
「はい。ヨハン様がお呼びだと、体を清めここへ参じました」
 呼んだ記憶はないのだが……ふむ、と腕を組み何気なくシャンデリアを見上げる。
 そういえば、メイドに新人のメイドは? って聞いたよな。それでメイド長が気をきかせてくれたのか。
 この日は眠くなるまで文字の勉強を行うこととなった。

 ◇◇◇
 
 キアーラとの出会いから早十日。その間、毎晩キアーラを部屋に呼んでいる。
 今日も今日とてメイド長の元へ肩をいからせ命を下しにやってきたぞ。
「メイド長。今日もキアーラを寄越すように」
「畏まりました。一人でよろしいのでしょうか?」
「ははは。まだまだ病み上がりなのだ。近く数人呼ぶ。その時は頼むぞ」
「承知いたしました。ヨハン様の命とあらば、すぐにでもお仕事の調整をいたします」
 ふむふむ。よいぞよいぞ、と上機嫌にメイド長を褒め、ガハハハと笑いながら大股で彼女の元を去っていく。
 はあ、疲れる。
 しかし、今日からようやく動き始めることができる。
「夜が楽しみだ」
「ヨハン様、私もどうぞお呼びください」
 ……。声に出ていたか。幸い勘違いされる言動だったため、「うむうむ」と嫌らしい目つきでメイドを舐めまわすように見やってから、自室に入る。
 
 そして、待ちに待った夜となった。
 キアーラが部屋に来てからすぐに着替えさせ、夜の街へ外出である。
 ヨハンはこれまでも稀にメイドを連れて夜の街へ繰り出すことがあったので、キアーラを伴い外へ出る分には不審は点はない。
 とはいえ、一応これでも辺境伯なので、護衛が付き従っている。
 ヨハンの場合、外に出るといってもお楽しみの趣向を変えているだけで、彼の宿泊用に確保された宿でメイドとお泊りするだけだ。
 今回目を付けたのは街の東側にあるご用達の宿の一つだった。
 宿の部屋へ入室し、自室と同じく護衛を遠ざけ、ようやく一息つく。
「ふう」
「ヨハン様、こちらに用意しております」
 部屋には大きなベッドの他に人の頭ほどの大きさの木箱が一つ置かれている。
「おお、残りは?」
「ご指定された場所に運んでいただいております」
 街のだいたいの地理や店はかつてのヨハンの記憶とここ10日間の昼間の散歩で把握できていた。
 入手した店の情報からキアーラに頼み、準備を整えてもらっていたのだ。店については彼女に頼った部分もあり、本当に助かった。
 さっそく木箱を開け、中のものを改める。
「ほお。なかなか良い仕事をしてくれた」
 木箱に入っていたのは頭をすっぽりと覆い隠すフルフェイスの黒仮面だ。真っ黒に塗られており、光を反射しないのも注文通り。
 さっそく被ってみるとサイズもピッタリだった。
「よし」
 一旦兜を脱ぎ、簡素な服に着替えた後、再び兜をかぶる。
「どうだ、キアーラ」
「黒の仮面が怖いです……」
「これじゃあ、締まらないよな。残りも取りに行ってから夜の街へ行ってくる」
「本当にお一人で出られるのですか?」
 夜空を眺めに行こうってわけじゃないため、キアーラを連れて行くのは危険だ。
 危険な場所へ行かない時は彼女を連れて行っても良いけど、安全性の確認のためにも俺一人で行く。
 
 続いて、複数の場所に隠していた鎧のパーツを回収し、黒仮面に全身鎧の姿となる。
「思った以上に音が出るな……」 
 目立つが全身鎧で黒仮面の怪しげな男へ絡んで来ようとする者も滅多にいないだろう。
 状況次第では黒仮面に黒のマントなり、音が出ず闇に紛れることができる服装に変えればいい。
 自由になる時間はそう長くはないからな。
 下準備の期間は一年。辺境伯領を立て直し、名君となる……なんて高い理想を掲げる気は毛頭ない。
 ただ自分が生き残るために、秘密裏に準備を進めようじゃないか。
 疑われず、これまで通り愚かな辺境伯を演じながら。