元皇帝、二度目は悪徳辺境伯

 目覚めたら既に夕刻になっていた。
「ネアルコの計らいだな……」
 起きていたら動き回るとでも考えたのだろう。ヨハンの機嫌を損ねぬようにだけ振舞う腐った官僚どもとは天と地の差だな。
 自分の身を案じられて悪い気はしないさ。
 タイミングが良かったのか悪かったのか、起きあがった時、ワゴンを押したメイドが入室してくる。
 ワゴンには桶とタオルが乗っており、寝ている俺の体を拭きにやってきたと予想がつく。
 俺が彼女に対し真っ先に取った行動は体を拭いてもらうことではなく、気がかりになっていた奴隷の少女のことだった。
「新人のメイドはどうなった?」
「キアーラのことでしょうか?」
「ヨハン様からのご指示がなかったため、待機させております」
「彼女が俺様が倒れた後、人を呼んでくれたのだろう?」
 メイドは俺が倒れた後の様子を聞いているわけではなかったようで、「分かりません」と返事がくる。
 続いて彼女は失礼します、と一言断ってから俺の服を脱がし、自分の服も脱ごうとした。
「脱がずともよい。ネアルコに夜まではお預けと釘をさされているのだ」
「か、畏まりました」
 困惑したメイドであったが、無言で俺の体を拭き始める。昨日と同じメイドなら何も言わずとも察してくれただろうが、残念、別のメイドだから仕方ない。
 メイドが部屋を辞し、自分の考えをまとめようとしたら夕食の時間となった。
 寝ているだけだってのに一人で考え事をまとめる時間もなかなか取れないとは面倒だな。
 
 食事の後、自室に戻ったがすぐに扉が叩かれる。
 今度は何がくるというんだ? 今晩はもう放っておいて欲しいのだが。
「キ、キアーラです」
 扉が開くものの、扉口に立ったまま俯くアッシュグレーの髪色をした少女。
 彼女もまた他のメイドたちと同じ胸だけを覆う布に短すぎる丈のスカート、肘までの長さがある手袋に髪をまとめる黒のヘッドドレスと、ヨハンの趣味全開の服装に着替えていた。
「入ってくれ」
 自ら動き、彼女を中へ招き入れ扉口から外の衛兵を睨む。
「おい、これからお楽しみだ。もう少し離れて警備しろ」
「畏まりました」
 警備計画もあるだろうに廊下の角まで引き下がる衛兵たち。これにて人払い完了だ。
 今だけはヨハンの杜撰さに感謝、感謝だ。
「すまない。立たせたままで、その椅子を使ってくれ」
 入口からたった三歩のところで突っ立ったままだった彼女に椅子へ座るように促す。
 しかし、彼女は動かない。
 どうしたものか。俺としては客人のつもりなのだが、過去の自分のセリフを思い出し、こめかみに手をやる。
 大股で胸を反らす歩き方をやめ、元の俺のように自然な動作で椅子へ腰かけた。
 すると彼女が、俺の傍に立つ。
「俺がメイドだと言ったから、キアーラが思うメイドとして立ち振る舞っているんだな」
「え、あの……」
 俺は彼女に対し、かつてのヨハンのようにふるまうことをやめた。彼女へ口止めしても、俺の態度がおかしかった、と漏れる可能性はある。だが、彼女は政権の中枢にいる人物ではないし、噂になったとて大きな影響を及ぼさないだろう。
 色々理屈をつけたが、グル・カンだった俺には俺なりの矜持がある。
 それは謝罪と感謝はちゃんと自分の言葉で伝えるってことだ。ネアルコの場合は立場上仕方ない。しかし、彼女は違う。
「俺が倒れた後、人を呼んでくれたんだよな」
「は、はい。ヨハン様がご無事で本当に良かったです」
「ありがとう。俺を救ってくれて」
「い、いえ。ヨハン様は馬車の商人から私を救ってくださいました!」
 彼女からしたら当然のことをしたまでです、ってところか。
 俺を救ってくれたことには感謝を。そして、彼女の高潔な精神に俺は内心感嘆していた。
「メイドの話は無しだ。そして、君が差し出そうとした指輪も君が持っておいて欲しい」
「え、あの」
「俺は君から自分がしたことより大きなものをもらった。だから、強制的にメイドにする、なんてこともなしにしたい」
「わ、私……ヨハン様の元に置いていただけないんですか……」
 目に大粒の涙をため、こらえきれなくなった彼女の頬をとめどなく涙が伝う。俺は何か読み違えていたのか?
「無理やり連れてこられた君を解放したい、というだけなのだが」
 戸惑う俺に対し、彼女は自らの右の手袋を引っ張り、手の甲をこちらに向ける。
 彼女の手の甲には墨の印が入っていた。
 バカか、俺は!
 ヨハンが頭をぶつける直前、俺も頭上から聞いていたではないか。
 商人らしき男は彼女のことを奴隷と言っていた。知っていたはずなのに自ら彼女をメイドとして引っ張り抜いておきながら、無責任にも彼女を放り出そうとしていたなんて。
 フェンブレン辺境伯領のあるリンガイア王国は身分制を敷いている。貴族、自由民、奴隷の三種だ。
 自由民と奴隷は細かく分けると多数あるのだが、本筋ではないので割愛する。
 奴隷は元敵国の民とその子孫で構成され、原則「主人」の元で働く。
 彼女は俺が強制的に取り上げ主人となった。そのため、俺が放逐した場合、行先は裏社会しかない。
 裏社会に行った奴隷の末路は殆どの場合悲劇的な末路を迎える。
 他に取れる手段として、俺が他の誰かに彼女を渡す、ことだが、ヨハンの知り合いで奴隷を雇うことができる人物に碌な者はいない。
「俺の浅慮が招いた結果だ。悪かった。俺の元で働いてくれるか?」
「はい! 是非!」
 ぱあっと笑顔になり、肩ひもに手をかける彼女へ待ったをかける。
「脱がずともよい」
「あ、あの……」
「待て、君が不要というわけじゃない」
「おっしゃる意味が無学な私には分かりかねます」
 そらそうだろうな。俺が彼女の立場だったとして理解できるとは到底思えない。
 彼女の接している男はヨハンであってヨハンではないのだから。そのような荒唐無稽なことが起きているなど、想像がつかなくて当然だ。
「訳の分からぬ中、すまぬが、先に問いたい。君には今、二つの道がある。一つはメイドとして仕える道。もう一つは俺の仲間として助力してもらう道。前者は腹いっぱい食べられる安全で穏やかな生活を保障する。後者は大きな覚悟と努力が必要な茨の道だ」
「是非、後者で」
 即答だった。彼女が淀みなくハッキリと口にする。言葉には強い意思が込められていた。
「敢えて茨の道を選ぶ、でよいのか?」
「ヨハン様に救っていただき、奴隷の私にも真摯に接してくださるあなた様のお役に立ちたいのです。後者なら少しでもヨハン様の助けになればと」
 彼女が俺の初めての仲間となってくれるかどうかは、よくて半々だろうなと考えていたが、まさかまさかである。
 何をしてほしいのか、を一言たりとも説明していないにも関わらず。
「キアーラ、そこにかけてくれ」
「で、ですが私は」
「俺はこれから君を部下として、友として接したい。これから君に長い、長い話をしようと思っている」
「か、畏まりました。それがヨハン様のお望みとあれば」
 彼女って言葉遣いから仕草まで、まるで貴族のようだな。水差しを取る所作一つをとっても、華がある。
 以前の彼女の主人が貴族だったのかもしれないな。
「最初に言っておく。俺が俺として君と接するのは誰もいないときだけだ。外ではぼんくら辺境伯として演技しなきゃならないからな」
「演技とは……?」
「まずはヨハンに起こった事情を君に伝えておこう。このことはくれぐれも」
「はい、他言いたしません」
 信用すると決めたならとことんまで信用する。万が一漏れたとしても……いや、リスクのことを考えるのはもうよそう。
 彼女は俺の最初の仲間なのだから。
 彼女が着席してから、自分の置かれた状況を語り始めた。
「頭を打ったあの時、これまでのヨハンは死に、前世の俺の人格に入れ替わった」
「ヨハン様が……」
「俺の前世は……いや、聞いて欲しいことはここではない。このままのヨハンの治世が続いた場合、数年以内で我が身は滅びる」
「まさか、辺境伯様がそのような……」
 言葉もでない、といった風のキアーラに笑いかけ話を続ける。
 欲望のままに暮らし、政治に一切の興味がないヨハン。官吏たちも私腹を肥やしたり、他国や他の貴族と繋がり背信行為を行っていたり、と領内はもうぐちゃぐちゃだ。
 貴族たちにとっては利用しやすい領主で、そんな中、舞い込んだのが隣国ヌアイア王国の公爵令嬢との政略結婚である。
 我が国リンガイアとヌアイア王国の国力はほぼ同等。そのため、家格も同等と考えてよい。
 アンダルシア公爵家とフェンブレン辺境伯家だと家格が釣り合わない。ヨハンは俺様だから公爵家から婚姻話が来たのだ、と自慢していたが、お花畑も甚だしい……我ながら嘆かわしいことである。
「どうしようもない辺境伯領を国が放置しているのはアンダルシア公爵家との政略結婚があるからだけに過ぎない」
「り、理解が追いつきません……」
「これから調べるつもりだが、両国間で何かしらの密約があるとみている。結婚後、折を見てヨハンを追放するか処刑でもして両国で折半するとか。いずれにしても、結婚後、数年以内にヨハンは排除される運命だ」
「そ、そんな……いくらなんでも辺境伯様を……」
 よくて片田舎に隠居かな。俺がリンガイアの王なら、とっくの昔に給金を約束して隠居させている。その後、コッソリと闇に葬り去るのが一番コストがかからず処分できるからな。